fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
霧の都ロンドンの地下深くに広がる、魔術世界の中枢『時計塔』。
何百年もの歴史と神秘、そして血生臭い陰謀が染み付いた重厚な石造りの回廊を、前代未聞の奇妙な一団が歩いていた。
「……信じられない。第五魔法の蒼崎青子に、次期当主のルヴィアゼリッタ。それに、あの車椅子はユグドミレニアの元当主か……?」
「おい、あの先頭を歩いているピンク髪の青年は何者だ? 恐ろしいほどの魔力密度だぞ。英霊……?」
「なぜ封印指定執行者のバゼットが、あの英霊に手を引かれているんだ……!?」
すれ違う魔術師や学生たちが、壁際に張り付くようにして驚愕の視線を向けてくる。
それもそのはずだ。エーデルフェルトの令嬢と最強の魔法使い、そして聖杯大戦の生き残りであるフィオレとレティシア。彼女たち絶世の美女五人が、ただ一人の桜色の青年を囲むように、しかも甘く熱を帯びた視線を隠そうともせずに歩いているのだから。
そして何より、周囲の魔術師たちの度肝を抜いたのは、冷徹な猟犬として恐れられるバゼット・フラガ・マクレミッツが、真っ赤な顔をして俯きながら、アストルフォにがっちりと手を握られて歩かされている光景だった。
「ア、アストルフォ……っ、もう時計塔の内部に入りました。これ以上は目立ちすぎます、手を、離して……っ」
「えー? だって、この迷路みたいに広いところで迷子になっちゃったら大変でしょ? それに、キミの手、少しずつ温かくなってきたよ!」
バゼットが消え入りそうな声で抗議するが、アストルフォは極上の笑顔で彼女の手をさらにきゅっと握り直した。
その後ろを歩く青子やルヴィアたちは、「あーあ、あのお堅い執行者が完全に毒牙にかかってるわね」とクスクス笑い合っている。
回廊の角を曲がった時、不意に葉巻の煙と、気怠げなため息の音が聞こえてきた。
「……全く。義妹(あいつ)は、とんでもない劇薬をこの時計塔の中心に招き入れたものだ。私の胃に穴を開ける気か」
黒い長髪に、不機嫌そうに眉間に皺を寄せた男――ロード・エルメロイⅡ世が、壁にもたれかかっていた。
その横からは、金髪の少年(フラット・エスカルドス)が「わぁっ! 先生、すごいですよ! あのピンク髪の人、絶対めちゃくちゃ強い英霊です! サインもらってもいいですか!?」とはしゃぎ回り、Ⅱ世に「馬鹿者、命が惜しければ近づくな!」と首根っこを掴まれている。
「やっほー! キミたちも、バゼットのお友達?」
アストルフォが無邪気に手を振ると、Ⅱ世は深くため息をつき、手で「さっさと行け」と追い払うような仕草をした。魔術の深淵を知る彼だからこそ、アストルフォという存在が「魔術的な常識が一切通用しない、理不尽な嵐」であることを一目で見抜いていたのだ。
***
一行が案内されたのは、法政科が管理する最奥の特別応接室だった。
豪奢なアンティーク家具が並ぶ部屋の中央で、優雅にティーカップを傾けていたのは、金髪の小柄な少女――ライネス・エルメロイ・アーチゾルテだった。
「ようこそ、歓迎するよ。……ふふっ、噂には聞いていたが、本当に規格外の陣容だな」
ライネスはサディスティックな笑みを浮かべ、アストルフォと、彼を取り囲むヒロインたちを値踏みするように見渡した。
「蒼崎青子に、ルヴィアゼリッタ。特許の件は、現代魔術科(うち)が法政科にとりなして、面倒な保守派の連中を黙らせてあげよう。その代わり、条件がある」
ライネスの視線が、アストルフォと繋がれたままになっているバゼットの手に止まり、彼女は意地悪く目を細めた。
「時計塔の内部で、その得体の知れない英霊に暴れられては困る。だから……バゼット。貴女には、彼らがロンドンに滞在している間、その英霊の『専属護衛兼監視役』を命じる。二十四時間、寝食を共にしたまえ」
「なっ……!? は、寝食を共に!? ライネス様、お待ちください! 私は封印指定の執行者です! このような男の、子守のような真似など……っ!!」
バゼットが弾かれたように顔を上げ、激しく抗議した。
ただでさえ彼に手を握られているだけで心臓が破裂しそうなのに、二十四時間一緒にいるなど、執行者としての理性が焼き切れてしまう。
「おや、不服かい? 彼らに手を出すなと命令したのは私だよ。貴女の強靭な肉体なら、彼の一撃くらい受け止められるだろう? それとも……」
ライネスが、ニヤリと笑う。
「その男の『熱』に中てられて、猟犬としての牙が抜けてしまったとでも言うのかな?」
「……っ!!」
図星を突かれ、バゼットは言葉を詰まらせた。
「そういうことだから。青子たちは兄上(エルメロイⅡ世)の用意した奥の会議室へ。……アストルフォ、貴方はこの部屋で、そのお堅い護衛さんと一緒に、おとなしく待っていなさい」
ライネスの決定に、青子やルヴィアたちは顔を見合わせた。
しかし、彼女たちは一切の心配や嫉妬を見せなかった。むしろ、バゼットに対して「ご愁傷様」と言わんばかりの、ひどく艶やかで共犯者じみた笑みを浮かべていた。
「じゃあね、アストルフォ。私たちの会議が終わるまで、その護衛さんを『食べちゃ』だめよ?」
青子がアストルフォの頬に軽くキスを落とす。
「お義姉様(ルヴィア)、私たちも行きましょう。……バゼットさん、彼、少し手荒ですから、気をつけてくださいね」
桜がふわりと微笑み残し、フィオレの車椅子を押しながら部屋を出ていく。
パタン、と。
分厚い防音扉が閉まり、特別応接室には、アストルフォとバゼットの二人だけが取り残された。
***
静寂。
高級なアンティーク時計の秒針の音だけが、部屋に響く。
バゼットは部屋の扉の前に直立不動で立ち、両手を後ろで組み、視線を宙に泳がせていた。
息が詰まるような緊張感。いや、バゼットが一方的に極限まで強張っているだけだった。
「ねえ、バゼット」
革張りのソファに深く腰掛けていたアストルフォが、ポンポンと自分の隣の席を叩いた。
「そんなところで立ってないで、こっちにおいでよ。足、疲れちゃうでしょ?」
「……お気遣いなく。私は護衛です。この位置から、貴方の動向を監視するのが任務ですので」
バゼットは頑なに視線を合わせようとしない。
しかし、アストルフォは「ふーん?」と悪戯っぽく笑うと、音もなくソファから立ち上がり、彼女の目の前へとゆっくりと歩み寄った。
「な、なんですか。あまり、近づかないで……っ」
「監視するなら、もっと近くでボクの顔を見なきゃだめだよ」
ドン、と。
アストルフォの腕が、バゼットの頭の横の壁に突き立てられた。いわゆる「壁ドン」の体勢。
逃げ場を失ったバゼットのすぐ目の前に、彼の美しく、そして抗いがたい『オス』の熱を帯びた顔が迫る。
「ひっ……! あ、貴方、近い……っ!」
「バゼット。キミ、さっきからずっと息が浅いよ。心音も、トクトクってすごく早く鳴ってる。……ボクのこと、怖い?」
アストルフォの顔が、バゼットの首筋に近づく。
彼から放たれる、花のような甘い香りと、数時間前まで五人の美女たちと絡み合っていた濃厚な情欲の残り香が、バゼットの鼻腔を容赦なく犯していく。
魔術的な精神干渉など一切ない。ただ、圧倒的な生物としての引力が、彼女の「執行者」という分厚い鎧を内側からドロドロに溶かし始めていた。
「こ、怖くなど……ありません。私は、フラガラックの……っ」
「嘘だ」
アストルフォの大きな手が、バゼットの頬にそっと添えられた。
「んっ……」
「キミの頬、すごく熱くなってる。怖いんじゃない。キミは……ずっと、誰かにこうやって触れてほしかったんでしょ?」
「……っ!!」
バゼットの青灰色の瞳が、大きく見開かれた。
武に生き、血を流し、誰も信じずに生きてきた。強くなければ生き残れなかったから。女としての弱さを見せれば、魔術世界では一瞬で喰い殺されるから。
でも、心のずっと奥底では。誰かに守られたい、ただの「普通の女の子」として甘やかされたいという、決して叶わない夢を抱き続けていた。
その誰にも見せたことのない深淵を、彼はあっさりと見抜いたのだ。
「ちが……違います……っ! 私に、そんな資格は……っ!」
「資格なんて関係ないよ。ボクの目の前にいるキミは、すっごく不器用で、強がりで、でも……本当はすごく可愛くて、温かい女の子だ」
アストルフォの手が、バゼットの頬から、彼女のエンジ色のスーツの襟元へと滑り下りる。
彼の長い指先が、彼女のシャツの第一ボタンに触れた。
「あっ……だ、だめ……っ! 任務中、です……っ」
「誰も見てないよ。ここには、ボクとキミしかいない」
低い、鼓膜を直接溶かすような甘い囁き。
カチャリ、と。シャツのボタンが一つ、外される音が、静寂の部屋に異様に大きく響いた。
「アストルフォ……っ」
バゼットの口から、初めて抗議ではない、熱を帯びた彼の名前が零れ落ちた。
彼女の鍛え上げられた強靭な肉体から、完全に力が抜ける。アストルフォのもう片方の腕が、崩れ落ちそうになる彼女の細い腰を力強く抱き寄せた。
「キミのその重たいスーツ、ボクが脱がせてあげる。……キミの全部を、ボクの熱でいっぱいに、甘くしてあげるから」
アストルフォの唇が、バゼットの震える唇に触れる寸前まで近づく。
互いの吐息が混じり合い、バゼットの視界は、彼の放つ圧倒的な熱情によって真っ白に染め上げられようとしていた――。