fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
ロンドンの灰色の空から、薄ぼんやりとした朝日がエーデルフェルト別邸の豪奢なリビングに差し込んでいた。
リビングの中央に置かれた、ふかふかの巨大なソファ。
床には、エンジ色のスーツ、ワイシャツ、そして純白のランジェリーが、昨夜の激しい情熱を物語るように乱雑に散らばっている。
「……んっ……」
バゼット・フラガ・マクレミッツは、自分をすっぽりと包み込む、火傷しそうなほど温かく、そして甘い香りのする腕の中でゆっくりと目を覚ました。
全身を襲うのは、かつて経験したどんな激戦の後の疲労とも違う、芯からとろけてしまうような強烈な気怠さと、腰の奥に残る甘い痛みの余韻だった。
(私は……本当に、朝まで……っ)
バゼットの青灰色の瞳が、すぐ目の前で穏やかな寝息を立てている桜色の騎士を映し出す。
夢ではなかった。時計塔の冷徹な猟犬として、誰にも弱みを見せず、血と硝煙の匂いの中だけで生きてきた彼女が、たった一晩で、一人の男に完全に心と身体を明け渡し、泣いてすがりつくような『ただの女』に成り果ててしまったのだ。
しかし、不思議と後悔や自己嫌悪は微塵もなかった。
胸の奥を占めているのは、長年抱え続けてきた冷たい孤独が完全に溶け去り、彼から与えられた圧倒的な『熱』で満たされているという、途方もない幸福感だけ。
「……おはよう、バゼット」
「あっ……」
アストルフォが紫水晶の瞳をゆっくりと開け、ふにゃりと無邪気な、しかしひどく艶を帯びた笑顔を向けた。
彼のがっしりとした腕がバゼットの腰をさらに引き寄せ、二人の素肌が隙間なく密着する。
「よく眠れた? キミ、昨日の夜、何回も泣いて……すっごく可愛かったよ」
「あ……アストル、フォ……っ、そ、それは……っ」
顔が瞬時に茹でダコのように赤くなる。
バゼットはシーツを口元まで引き上げ、羞恥で身をよじった。
「私……執行者として、あるまじき……破廉恥な姿を……っ」
「破廉恥じゃないよ。キミがボクに心を開いてくれた証拠だもん。……ねえ、朝の挨拶、しよ?」
アストルフォの顔が近づき、バゼットの震える唇を優しく、けれど逃げられないように塞いだ。
「んんっ……!! ぁ……っ、んちゅ……っ」
朝の静寂の中、唇が重なり合い、舌が絡み合う卑猥な水音が響く。
昨夜あれほど激しく求め合ったというのに、彼の唇に触れただけで、バゼットの身体の奥が条件反射のように甘く疼き始める。
彼女はもう抵抗することなく、自ら彼の背中に腕を回し、その熱い口付けに応えていた。
「あらあら。リビングから締め出されたと思ったら、朝から随分と熱烈なことで」
不意に、奥のマスターベッドルームの扉が開き、呆れたような、けれどどこか楽しげな声が響いた。
シルクのネグリジェを身に纏った蒼崎青子が、腕を組みながら二人を見下ろしている。その後ろからは、ルヴィア、桜、フィオレ、レティシアが次々と顔を覗かせた。
「ひゃっ!?」
バゼットは弾かれたようにアストルフォから離れようとしたが、彼の腕にがっちりとホールドされていて動けない。
「まぁ、見事な散らかりようですこと。あのお堅いバゼットさんが、スーツも下着もこんなに乱暴に脱ぎ捨てて……よほど我慢できなかったのですね」
ルヴィアが扇子で口元を隠し、床に散乱した衣服を見つめてオーッホッホと優雅に笑う。
「ち、違いますっ! これは、彼が……っ、勝手に……っ!」
涙目で弁明しようとするバゼットだが、素肌にシーツを巻きつけ、アストルフォの胸にすっぽりと収まっているその姿には、何の説得力もなかった。
「ふふっ。バゼットさん、昨夜はリビングからずっと、すごく甘くて可愛らしい声が聞こえてましたよ。……私たち、少しだけ嫉妬しちゃいました」
桜が、悪戯っぽく微笑みながら近づいてくる。
「ええ。アストルフォ様、バゼットさんのこと、本当にいっぱいいっぱい愛してらっしゃいましたね」
レティシアも頬を赤らめながら頷く。
「あぁぁ……っ、穴があったら……入りたい、です……っ」
完全に包囲され、いじられ倒すバゼットは、シーツに顔を埋めて震えるしかなかった。
しかし、そんな彼女の頭を、アストルフォがよしよしと優しく撫でる。
「みんな、バゼットをあんまりいじめないで! バゼットは今日から、ボクたちの大切な家族なんだから!」
「ええ、わかってるわよ。……歓迎するわ、バゼット。私たちの『底なし沼』へ」
青子が妖艶にウィンクをした。
かつては魔術協会で恐れられ、遠巻きにされていた彼女が、こうして五人の美女たちから何の壁もなく、同じ男を共有する「家族」として温かく迎え入れられている。
バゼットはシーツから顔を半分だけ出し、信じられないものを見るような、それでいてひどく安堵したような瞳で、彼女たちを見つめ返した。
***
別邸の専属シェフによって運ばれてきた、豪勢なイングリッシュ・ブレックファスト。
ダイニングテーブルを囲む六人の美女と、一人の騎士。
バゼットは、ルヴィアが手配してくれた着心地の良いシルクの部屋着(ルヴィアの予備)を身に纏い、アストルフォの隣にちょこんと座っていた。
「美味しい? バゼット」
アストルフォが、自分の皿のソーセージをフォークに刺し、バゼットの口元に運ぶ。
「あ、はい……っ」
昨日までは「自分で食べられます」と抗拒していた彼女が、今は顔を赤くしながらも、素直に彼の手からパクリとソーセージを頬張っている。その変化に、向かいに座る青子や桜たちは微笑ましいものを見るような視線を送っていた。
「……さて。バゼットも完全にこちら(アストルフォ)側に落ちたわけだけど」
食後の紅茶を口に運びながら、青子が真剣な表情に切り替わった。
「あんたを『監視役』として送り込んできた、現代魔術科(ノーリッジ)のライネス・エルメロイ・アーチゾルテ。彼女にはどう報告するつもり?」
その名前に、バゼットの肩がビクッと跳ねた。
「……っ。私は、任務に失敗しました。対象を監視するどころか、絆され、取り込まれてしまった。……執行者として、協会に帰る顔は、もうありません」
バゼットの表情が、微かに翳る。
長年築き上げてきた自分の居場所を、自ら捨ててしまったのだという現実。
しかし、そのバゼットの震える手を、テーブルの下でアストルフォの大きな手がぎゅっと力強く握りしめた。
「帰らなくたっていいよ。バゼットの居場所は、ボクの隣だもん」
「アストルフォ……」
「それに、ボクたち何も悪いことしてないよ! みんなで仲良くしてるだけだもん!」
「あんたのその規格外の存在自体が、時計塔にとっては厄介なイレギュラーなのよ」
青子が呆れたようにため息をつく。
「まあ、でもバゼットが素直に『落ちました』なんて報告したら、向こうも警戒するでしょうね。……ルヴィア、何かいい案はないの?」
ルヴィアは優雅にカップを置き、ふっと不敵な笑みを浮かべた。
「簡単ですわ。バゼットさんには、引き続き『冷徹な監視役』として、ロード・エルメロイに虚偽の報告を上げていただきますのよ」
「虚偽の報告……ですか?」
「ええ。わたくしたちが何やら企んでいるように見せかけ、適度に情報を流す。そうやって法政科の目を逸らしつつ……」
ルヴィアの青い瞳が、キラリと危険な光を放つ。
「いずれは、あの小生意気なライネス・エルメロイ・アーチゾルテ本人も、アストルフォのそのデタラメな愛で『こちら側』に引きずり込んでしまえばよろしいのですわ」
「なっ……! 次期当主殿を、アストルフォの毒牙に……!?」
バゼットが驚愕して目を丸くする。
「毒牙って人聞きが悪いなあ。ボクは、ライネスっていう子も、寂しそうならいっぱいいっぱい愛してあげるだけだよ!」
アストルフォは全く悪気なく、底抜けに明るい声で宣言した。
「ふふっ。アストルフォさんに会ってしまったら、どんなに計算高い方でも、最後は理性を溶かされてしまいますものね」
桜が同調するように微笑む。
フィオレやレティシアも、「ええ、絶対に逆らえません」「私たちで証明済みですから」と深く頷いた。
(この人たち……完全に、狂っている……っ)
バゼットは内心で戦慄したが、同時に、彼のもたらす圧倒的な熱と、ヒロインたちの奇妙な連帯感に、自分もすでにどっぷりと浸かりきっていることを自覚していた。
「……わかりました。ライネス様やロードには、私の方から適当な報告を入れておきます。……ただし」
バゼットは、テーブルの下で繋がれたアストルフォの手を、きゅっと握り返した。
「私はもう……時計塔の猟犬には、戻りません。私の戦う力(フラガラック)は……貴方と、この温かい場所を守るために使います」
それは、かつて感情を殺して戦ってきた彼女が、初めて自らの意志で選んだ、一人の乙女としての決意だった。
「うん! ありがとう、バゼット! キミのこと、ボクが絶対に幸せにしてあげるからね!」
アストルフォが嬉しそうにバゼットの首に抱きつき、彼女の頬にちゅっちゅっと何度もキスを降らせる。
「ひゃっ! アストルフォ……皆さんが、見て……っ」
「いいのいいの! みんなも一緒にハグしよー!!」
アストルフォが立ち上がり、バゼットを抱きしめたまま、隣の青子や桜たちをも巻き込んで、巨大な愛の塊へと変貌していく。
エーデルフェルト別邸の広大なリビングには、時計塔の陰謀などどこ吹く風の、六人の美女と一人の騎士による、途方もなく甘く、そして賑やかな笑い声が響き渡っていた。
彼らの次なる標的。
現代魔術科の若き姫君、ライネス・エルメロイ・アーチゾルテ。
彼女がこの狂おしいほどの熱の嵐に巻き込まれるのは、もう時間の問題であった――。