fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
ロンドンの霧に包まれた時計塔。
その一角を占める現代魔術科(ノーリッジ)の奥深く、エルメロイ教室の君主(ロード)の執務室には、ひどく胃の痛くなるような沈黙と、葉巻の煙が充満していた。
「……兄上。そろそろ新しい胃薬の調合が必要かね?」
豪奢なデスクに腰掛け、悪戯っぽく足を組みながら笑いかけるのは、ライネス・エルメロイ・アーチゾルテ。
「……勘弁してくれ。現代魔術科(うち)の管轄に、蒼崎青子とエーデルフェルトの令嬢が結託して居座っているだけでも頭痛の種だというのに。あまつさえ、あの規格外の英霊は何だ。バゼットの報告書を見たか?」
ソファに深く沈み込み、眉間を激しく揉みほぐしているのは、ロード・エルメロイⅡ世(ウェイバー・ベルベット)。
彼は目の下に濃い隈を作りながら、デスクに放り出された羊皮紙を忌々しそうに睨んだ。
「ああ、読んだとも。あの鉄面皮のバゼットが『対象に危険性なし。引き続き別邸内で、その……密着して監視を続行する』などと、まるで恋に浮かれた小娘のような報告を上げてきたのだからな」
ライネスはくすくすと笑い、青い瞳を三日月のように細めた。
「傑作じゃないか。あのバゼットの牙をたった一晩で抜き去り、あまつさえ骨抜きにしてのけた。……兄上、私はあの英霊に俄然興味が湧いてきたのだよ」
「ライネス、よせ。あれは魔術の理(ことわり)で測れる存在じゃない。関われば、お前まであの異常な『熱』に呑み込まれるぞ」
Ⅱ世の警告に、ライネスはふっと鼻で笑った。
「私を誰だと思っているのかね、兄上。私はエルメロイの次期当主だ。私の盤上で、私の駒(バゼット)を奪い取った泥棒猫たちに、一泡吹かせてやらねば気が済まない性質でね」
ライネスは指を鳴らし、背後に控えていた水銀のメイド――トリムマウに視線を向けた。
「トリムマウ。用意させていた『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』の微細分割体を放ちたまえ。エーデルフェルトの結界の隙間を縫って、あの別邸を物理・魔術の両面から丸裸にしてやる」
『了解シマシタ、マスター』
「さあ、お手並み拝見といこうじゃないか。蒼崎青子、そしてルヴィアゼリッタ……貴女たちがどこまであの男を隠し通せるか、ね」
時計塔の若き姫君が仕掛けた、高度な情報戦と暗躍の幕開けだった。
しかし、彼女はこの時まだ理解していなかった。相手が「魔術戦」のセオリーなど一切通用しない、理性が蒸発した規格外の嵐であることを。
***
一方その頃。
ロンドン郊外に広大な敷地を構える、エーデルフェルト別邸の豪奢なメインリビング。
そこは、ライネスの想像を遥かに超える、むせ返るような甘い情欲と、奇妙な連帯感に満ちた「絶対不可侵の巣窟(ハーレム)」と化していた。
「んんっ……ふぁ……アストルフォ、そこ……っ」
巨大なリビングのソファ。
かつては冷徹な執行者として恐れられたバゼットが、今はアストルフォの膝の上にすっぽりと収まり、彼のがっしりとした腕に腰を抱かれながら、とろけるような甘い吐息を漏らしていた。
「バゼット、お口にクリームついてるよ。はい、ペロッ!」
「ひゃあっ! あ、あの……っ、みなさんが、見て……っ」
アストルフォがバゼットの唇の端を舐め取ると、彼女の顔は瞬時に茹でダコのように真っ赤になり、彼の大胸筋に顔を埋めてふるふると震えた。
その様子を、テーブルを囲む五人のヒロインたちが、極上の紅茶を傾けながら妖艶な笑みで見守っている。
「本当に、すっかり可愛くなられて……。時計塔の連中が見たら、卒倒しますわね」
ルヴィアが扇子を揺らしながら、満足げに微笑む。
「ええ。でも、そろそろ外野が騒がしくなってきたみたいよ?」
蒼崎青子が、ティーカップを置き、窓際の虚空を鋭い視線で睨みつけた。
彼女の指先で、パチッ、と青白い魔力の火花が弾ける。
同時に、別邸の部屋の四隅に展開されていたエーデルフェルトの不可視の防衛結界が、微かに波打った。
「……ライネス・エルメロイ・アーチゾルテ。流石は次期当主というべきか。微細な水銀の魔術礼装を、塵のように分解して換気口から侵入させてきたわね」
青子が冷たく笑う。
「お義姉様、どうしますか? 迎撃の術式を起動させますか?」
桜が、穏やかな微笑みを崩さずに、恐ろしいほどの魔力を指先に集め始める。
「いいえ、サクラ。それではつまらないですわ」
ルヴィアが立ち上がり、優雅にドレスの裾を翻した。
「向こうが『視(み)る』気でいるのなら、存分に見せつけて差し上げましょう。わたくしたちがどれほど彼に愛され、そして……あの誇り高きバゼットが、完全に彼の『メス』に成り果てているという事実をね」
ルヴィアの悪魔的な提案に、青子も「悪趣味ね、賛成よ」とニヤリと笑った。フィオレとレティシアも、すでにこの共犯関係に完全に染まっており、微かに頬を染めながら頷いた。
「アストルフォ、バゼット」
青子が、ソファでイチャイチャしている二人に声をかける。
「今、時計塔の可愛いお姫様が、あんたたちのこと覗き見してるわよ。……せいぜい、仲のいいところを見せつけてあげなさいな」
「えっ!? 覗き見!? そんな、次期当主様が……っ!」
バゼットがパニックを起こし、アストルフォから離れようとする。しかし、アストルフォの腕は絶対に彼女を逃がさなかった。
「ライネスが見てるの? わぁ、こんにちはー!」
アストルフォは全く悪びれず、虚空に向かって満面の笑みで手を振った。
「アストルフォ……! だめです、私、執行者としてこんな姿をライネス様に見られたら……っ」
「なんで? ボクとバゼットが愛し合ってるの、すっごく素敵なことじゃないか! ほら、ライネスにも教えてあげよう?」
アストルフォの紫水晶の瞳が、ふっと『オス』の熱を帯びる。
彼はバゼットの抗議の声を塞ぐように、その滑らかな唇を深く、そしてひどく情熱的に奪い去った。
「んんっ……!! ぁ……っ、だめ、んちゅ……っ!」
見られている。主家であるエルメロイの姫君に、自分が一人の男の下でただ快楽に喘ぎ、腰を砕かせている様を。
その強烈な背徳感と羞恥心が、バゼットの魔術回路を逆にショートさせ、彼女の身体を恐ろしいほどの熱で満たしていく。
アストルフォの大きな手が、バゼットのシャツの裾から滑り込み、彼女の豊かな双眸を容赦なく揉みしだいた。
「あぁぁっ!! アストル、フォ……っ! 狂って、しまいます……っ! 見ないで……っ、ライネス様……っ!」
泣き叫びながらも、バゼットの身体はアストルフォにすがりつき、彼から与えられる快楽の波に完全に身を委ねてしまっていた。
その傍らで、青子が換気口から侵入していた水銀の雫(トリムマウの分体)を指先で弾き捕らえ、ルヴィアがそこに強力な『映像伝達のルーン』を叩き込む。
「さあ、お持ちなさい。エルメロイの姫君への、わたくしたちからの『招待状』ですわ」
***
時計塔、現代魔術科のエルメロイ執務室。
ライネスの目の前のデスクで、帰還した水銀の雫が映像を空中に投影した。
そこに映し出されていたのは。
あの氷のように冷徹だったバゼットが、顔を涙と快楽でぐちゃぐちゃにし、桜色の騎士の腕の中で狂おしい嬌声を上げながら喘いでいる姿。
そして、その周囲で、蒼崎青子やルヴィア、フィオレたちが、余裕に満ちた妖艶な笑みを浮かべ、ライネスの視線(カメラ)に向かって乾杯のグラスを掲げている光景だった。
『ライネスちゃん! 次はキミも一緒に遊ぼうよ! ボク、キミのこともいっぱいいっぱい温めてあげるからね!』
最後に、画面越しにアストルフォが極上の笑顔でウィンクを放ち、映像はプツンと途切れた。
「…………っ」
執務室に、死のような静寂が降り降りた。
ロード・エルメロイⅡ世は、胃を押さえて完全に気絶するように机に突っ伏している。
ライネスは、手にしたティーカップをカタカタと震わせていた。
怒りではない。屈辱でもない。
彼女の青い瞳は、極限まで見開かれ、そして……彼女自身も信じられないほどに、頬がカッと赤く発熱していた。
「……あの男、魔術の隠蔽すらしようとしない。ただ真っ直ぐに、圧倒的な熱量で……あのバゼットを、あそこまで……っ」
完璧な次期当主(姫君)としての計算式が、すべて音を立てて崩れ去っていくのを感じた。
あんな純粋で、狂おしいほどの愛と快楽の渦が、この世に存在するなんて。
時計塔の陰謀など、彼らの前ではただの児戯に過ぎない。自分は今、絶対に足を踏み入れてはならない、とてつもなく甘く、深い『底なし沼』の縁に立たされているのだ。
「……やってくれるじゃないか。エーデルフェルトの令嬢も、蒼崎青子も……そして、あのアストルフォという英霊も」
ライネスは立ち上がり、震える指先を自身の唇に当てた。
「私を、ここまで挑発しておいて……逃げられると思うなよ。……いいだろう。貴様らのその狂ったお茶会、このエルメロイの姫君自ら、乗り込んでやろうじゃないか……っ!」
彼女の言葉は強気だったが、その声は微かに上擦り、瞳の奥には、未知の快楽と熱情に対する、隠しきれない『メス』としての渇望がすでに芽生え始めていた。
時計塔の若き姫君が、自らその甘い毒沼へとダイブする瞬間は、もう目前に迫っていたのだった――。