fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
ロンドンの冷たい霧雨が、石畳を薄っすらと濡らしている。
ボク――アストルフォは、真っ赤になって逃げるように走り去っていった赤いコートの女の子の背中を、ぽかんと見送っていた。
「トオサカ・リン……リン、かぁ。すっごく可愛くて、いい匂いのするお姫様だったな。でも、どこかで聞いたような名前……んー、まあいっか!」
ボクは首を傾げた後、両手に抱えた紙袋(みんなに頼まれたお使いのケーキや紅茶がいっぱい入ってる!)を抱え直し、再び鼻歌交じりに歩き出した。
しばらく霧雨の降る大通りを歩いていると、見慣れた美しい黒髪が目に飛び込んできた。
高級なブティックや食料品店が並ぶ通りで、大きな紙袋をいくつも抱え、少し歩きにくそうにしている少女。
「あ! 桜だー!」
ボクが大きな声で呼ぶと、彼女はハッとして振り返り、ボクの姿を認めるなり、パッと花が咲いたような極上の微笑みを浮かべた。
「アストルフォさん! お使い、終わったんですか?」
「うん! 桜も買い出し? 荷物、すっごく重そう! 貸して貸して、ボクが全部持つよ!」
ボクは駆け寄り、桜が持っていた荷物を軽々と片手でまとめて持ち上げた。
「あっ、ありがとうございます……。でも、アストルフォさんも両手がいっぱいじゃ……」
「平気平気! ボク、英霊だもん! これくらい羽毛みたいに軽いよ!」
ボクは空いたもう片方の腕を、桜の細い腰に遠慮なく回し、ぐっとボクの方へと引き寄せた。
「ひゃっ……! ア、アストルフォさん……っ、街中、ですよ……っ」
桜の顔が一瞬で林檎のように赤く染まる。
「だって、ロンドンの雨、すっごく冷たいでしょ? 桜が風邪ひかないように、ボクがいっぱいいっぱい温めてあげる!」
ボクのがっしりとした胸板に、桜の柔らかな身体がぴたりと密着する。
冷たい霧雨の世界の中で、ボクたちの間だけが、まるで真夏のように異常な熱を帯びていた。
ボクの体温が、服の布地をすり抜けて彼女の素肌へと直接伝わっていくのを感じる。桜の身体がビクンと小さく跳ね、ボクに触れられている腰のあたりから、ひどく甘く、熱い吐息が漏れ始めた。
「はぁっ……んっ……アストルフォさんの、熱……っ。服の上からでも、奥まで……届いて……っ」
かつては遠坂へのコンプレックスを抱え、エーデルフェルトの完璧な令嬢として分厚い鎧を着込んでいた彼女。
けれど、今はボクの腕の中で、ただボクの熱を欲しがって、トクトクと甘い心音を鳴らすだけの、すっごく可愛くて淫らな女の子だ。
ボクの腕の中でとろけそうになっている桜を支えながら、相合い傘のように身を寄せ合って、ボクたちのお城(エーデルフェルト別邸)への帰路についた。
「そういえばね、桜! さっき広場で、すっごく面白いことがあったんだ!」
「面白いこと、ですか……? ふふっ、また誰かを助けたりしたんですか?」
桜はボクの胸に頬をすり寄せながら、心地よさそうに目を細める。
「うん! 赤いコートを着た、黒髪のすっごく綺麗な女の子が転びそうになってたから、ボクがギュって抱きとめてあげたんだ!」
「あらあら。アストルフォさんは、本当に世界中の女の子のナイト様なんですから。……で、その方は何ておっしゃってました?」
桜が、少しだけ嫉妬を滲ませた(でもすっごく甘い)声で尋ねてくる。
ボクはニコニコしながら答えた。
「えっとね、顔を真っ赤にして『離しなさいよ!』って怒ってた! すっごく意地っ張りさんみたいだったけど、ボクの胸の中で心臓バクバク言ってたから、絶対ボクのこと気に入ってくれたと思う! あ、名前はね、たしか……『トオサカ・リン』って言ってた!」
ピタリ、と。
ボクの腕の中で、桜の足が止まった。
「……桜? どうしたの?」
桜はうつむいたまま、数秒間、微動だにしなかった。
しかし、ゆっくりと顔を上げた彼女の紫の瞳には、驚きと……そして、どこか底知れぬ、ひどく艶めかしい『昏い歓喜』の色が渦巻いていた。
「……ふふっ。あはははっ……!」
「桜……?」
「アストルフォさん。……貴方という人は、本当に……規格外の、愛の怪物ですね」
桜は、ボクの首に自ら腕を絡ませ、背伸びをしてボクの耳元へと顔を近づけた。
その吐息は、雨の冷たさなど完全に消し飛ぶほどに、熱く、甘かった。
「その『トオサカ・リン』は……私がこの前お話しした、私の本当の姉です」
「ええっ!? あの赤いコートの子が、桜のお姉ちゃん!?」
「ええ。……どうやら、時計塔(ロード・エルメロイⅡ世)に行く前に、貴方のそのデタラメな熱に、真正面から当てられてしまったようですね」
桜は、自らの豊かな胸の膨らみをボクに押し付けながら、クスクスと妖艶に笑った。
「姉さんは、冬木の管理者として、いつも完璧で、誰よりも強がっている人です。……でも、貴方に抱きしめられて、無傷でいられるはずがない。……姉さんのあの分厚いプライドの鎧が、貴方の熱でどうドロドロに溶かされていくのか……考えるだけで、私、身体の奥が疼いて仕方がないです……っ」
桜の言葉は、妹としての純粋な愛情と、同じ『オス』を共有するであろう共犯者としての、淫らな期待に満ちていた。
「そっか! 凜は桜のお姉ちゃんなんだね! じゃあ、ボクが責任持って、凜の冷たいところも全部、いっぱいいっぱいヨシヨシして溶かしてあげる!」
「はい……。姉さんも、私たちの『家族』に……この甘い地獄に、引きずり込んであげましょう……っ」
***
ロンドン郊外、エーデルフェルト別邸。
広大なリビングルームのふかふかのソファで、ボクたちが持ち帰ったお茶とお菓子を囲みながら、ヒロインたちはその報告を聞いて、それぞれの反応を示していた。
「オーッホッホッホッホ!!」
一際高く、優雅で、そして底意地の悪い高笑いが響き渡る。
ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは、紅茶のカップをソーサーに置き、扇子で口元を隠しながら肩を震わせていた。
「あの遠坂が……! ロンドンに到着して数時間で、すでにわたくしたちの可愛い騎士様(アストルフォ)に抱きすくめられ、顔を真っ赤にして逃げ帰ったですって!? ああ、なんて痛快な……いえ、なんて愛らしいのでしょう!」
「ルヴィアさん、すごく嬉しそうですね。でも、お姉ちゃん……エルメロイ教室に向かったなら、もうアストルフォさんの正体にも気づいているはずです」
桜が、アストルフォの膝の上にちょこんと座り(完全に指定席だ)、彼にケーキを食べさせてもらいながら微笑む。
「ええ。エルメロイⅡ世が、絶望的な顔で真実を告げたでしょうね。……彼女、今頃ホテルの部屋で、自分の身体に残った『彼の熱』と、敵将に惹かれてしまった屈辱で、枕に顔を埋めて悶え苦しんでいるはずよ」
青崎青子が、ガウン姿で妖艶に足を組みながら、タバコの煙をふうっと吐き出した。
「……かつての私を見るようです。圧倒的な脅威であるはずの彼に、女としての本能を根こそぎ奪われる恐怖と快感。……遠坂凛も、もう逃げられませんね」
エプロン姿のバゼットが、少しだけ同情するような、けれど完全に「こちらの沼」に引きずり込む気満々の目で頷く。
「でも、どうするの? 彼女、すごく怒って、このお屋敷を壊しに来るかもしれないわよ?」
フィオレが、車椅子の上で少し心配そうに首を傾げる。
その隣で、レティシアが「お屋敷が壊れたら、また皆でお掃除しないといけませんね……」とのんびりとした声を上げた。
「壊させないよ!」
ボクは、膝の上の桜をぎゅっと抱きしめながら、みんなに向かって満面の笑みで宣言した。
「凛が怒ってやって来ても、ボクが真正面から全部受け止めてあげる! 魔術も、怒った顔も、全部ボクの胸の中でヨシヨシして、桜やみんなみたいに、ニコニコのトロトロにしてあげるんだ!」
「……っ、ふふっ。本当に、頼もしい旦那様ですこと」
ルヴィアが顔を赤くして、熱っぽい吐息を漏らす。
「どんなに強がっていたって無駄よ。冷たいお父様に見捨てられて絶望していた私ですら、アストルフォの底抜けの優しさにあっという間に絆されちゃったんだから……極東の田舎魔術師のプライドなんて、お兄ちゃんの温かさの前では数分で溶かされちゃうに決まってるわ」
オルガマリーが、アストルフォの広い背中に小さな身体でぴったりと張り付きながら、自慢の『お兄ちゃん』を見上げるように得意げに笑った。
彼女の瞳には、いつか自分が立派な大人になって、彼の『一番のお嫁さん』になるという、幼くも熱烈な決意がキラキラと輝いている。
「兄上(エルメロイⅡ世)から通信が入ったよ。案の定、遠坂凛は怒り狂って、明日の夜にでもこの別邸に単身でカチコミをかける気らしい。……私たちは、極上の『歓迎の準備』をしておこうじゃないか」
時計塔から戻ってきたライネスが、蠱惑的な笑みを浮かべてリビングに入ってきた。
「うん! ボク、すっごく楽しみ! 凛、早く来ないかなぁ!」
ロンドンの夜の帳が下りる中。
エーデルフェルトの別邸は、遠坂凛という新たな獲物(家族)を迎えるための、甘く、狂おしく、そして絶対に逃れられない極上の蜘蛛の巣(ハーレム)として、圧倒的な熱とフェロモンを放ちながら、彼女の襲来を待ち構えていたのだった――。