※この作品はR-18です。

fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ   作:鰻天ぷら

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遠坂凛編④

ロンドンの冷たい霧雨が、窓ガラスを規則的に叩き続けている。

ブルームズベリー地区から少し離れた、魔術師用の隠れ家(フラット)。その薄暗い部屋のベッドの上で、遠坂凛は無言のまま、最高純度の魔力を帯びた宝石(トパーズやルビー)を幾つも並べ、入念な調整(チューニング)を行っていた。

 

「……エーデルフェルトの結界は、おそらく三層。物理、魔力、そして概念防壁。真正面から突破すれば、いくら私でも魔力を削られすぎる。……なら、狙うべきは地脈の薄い西側の庭園(温室)の死角ね」

 

凛は、冬木の管理者として数々の修羅場(亜種聖杯戦争の余波など)を潜り抜けてきた、冷徹な魔術師の顔で呟く。

彼女の頭脳は、ルヴィアゼリッタが構築したであろう別邸の防衛システムを完全に丸裸にし、いかにして無傷で最深部に潜入し、桜を奪還するかという完璧な作戦を組み上げていた。

 

しかし。

 

「っ……あ……」

 

不意に。宝石に魔力を通そうとした凛の指先が、わずかに震え、カチャリと音を立ててルビーを取り落とした。

魔術の失敗ではない。彼女の身体の『内側』から、突如として強烈なノイズが湧き上がってきたのだ。

 

(また……。また、あの感触が……っ)

 

凛は、自身の細い腰を、両手でギュッと抱きしめるように押さえた。

ほんの数時間前、広場で転びそうになった彼女を抱き留めた、あの桜色の髪の騎士の腕の感触。

服の上からであったにも関わらず、彼の指先から放たれた常軌を逸した『オスの熱量』が、まるで呪いのように彼女の素肌に焼き付いて離れないのだ。

 

「はぁっ……んっ……」

 

凛の呼吸が、無意識のうちに浅く、熱を帯びたものに変わる。

誰もいない部屋だというのに、彼女の鼻腔には、あの時嗅いだむせ返るような薔薇の香りと、彼特有の甘い匂いがフラッシュバックし、脳髄を直接揺さぶってくる。

 

遠坂の次期当主として、常に完璧な優等生であり続けなければならなかった。

弱音を吐くことも、誰かに甘えて身体を預けることも、彼女の人生には許されていなかった。

それなのに、あの男は、そんな彼女の分厚い鎧を、たった一度の抱擁と「キミ、すっごく可愛い!」という一切の打算のない肯定感で、いとも容易く貫通してしまった。

 

「だめ……っ。私は、遠坂凛……っ。あんな、頭のネジが外れたような男の熱に……当てられるなんて……っ」

 

凛は顔を茹でタコのように真っ赤にしながら、自らの太ももをギュッと擦り合わせた。

腰から下腹部にかけて、じんわりと広がる甘い痺れ。子宮の最も深い部分が、あの熱をもう一度味わいたいと、彼女の強靭な理性を裏切ってトクトクと脈打っているのだ。

 

(これが……エルメロイⅡ世の言っていた『理性を溶かす熱』……! なんて恐ろしい精神干渉(フェロモン)なの……!)

 

凛は、自らの身体に起きている異常な情動を、必死に『敵の魔術攻撃』だと定義づけることで、かろうじて自我を保っていた。

 

「見てなさい……っ。こんな卑劣な手で、桜やルヴィアをたぶらかしたこと……絶対に、後悔させてやるんだから……ッ!」

 

凛は立ち上がり、赤いコートを羽織ると、決意に満ちた(しかしその瞳の奥には隠しきれない潤んだ情欲を宿した)顔で、夜のロンドンへと飛び出していった。

彼女は信じて疑わなかった。自分のこの完璧な潜入計画が、敵の意表を突く最高の一手であると。

 

***

 

しかし、その頃。

ロンドン郊外、エーデルフェルト別邸。

その最奥に位置する、甘い香油の匂いが満ちる広大なリビングルームでは。

 

「オーッホッホッホッホ! 予想通り……いえ、予想以上に愚直ですわね、遠坂は!」

 

ルヴィアゼリッタが、水晶玉に映る『西の庭園(温室)付近の結界の僅かな揺らぎ』を見て、極上の笑い声を上げていた。

 

「ああ。西側の地脈を意図的に薄くして、彼女の『宝石魔術の波長なら同調して突破できる』というダミーの綻び(バックドア)を用意してやったのさ。……見事に、私たちが敷いたレッドカーペットの上を歩いてきてくれているじゃないか」

 

ライネス・エルメロイ・アーチゾルテが、蠱惑的な笑みを浮かべながらチェスの駒を指先で転がす。

 

凛の完璧な潜入計画。

それは、魔術世界において最高峰の頭脳を持つヒロインたち(ルヴィア、ライネス、青子、オルガマリー)が結託して作り上げた、「遠坂凛専用の、極めて巧妙な甘い罠」に過ぎなかったのだ。

 

「姉さん、昔からそういう『自分が一番賢いと思っているところ』がありますからね。……ふふっ、罠だと気づかずに、一生懸命息を潜めて忍び込んでくる姿……すごく可愛らしい……」

 

桜が、アストルフォの膝の上に座ったまま、水晶玉に映る姉の姿を見て、蕩けるような笑みを深める。

かつてはコンプレックスの対象だった完璧な姉。その姉が、今から自分と同じ「抗えない快楽の沼」に引きずり込まれ、プライドを粉々にされて彼にすがりつくメスになるのだと思うと、桜の身体の奥がゾクゾクと甘く疼いて仕方がなかった。

 

「桜のお姉ちゃん、もうすぐ着くの? ボク、準備バッチリだよ!」

 

アストルフォが、桜の柔らかな腰を抱きしめながら、無邪気に目を輝かせている。

 

彼はいつもの甲冑姿ではない。

ヒロインたちが用意した、少し胸元の開いた、彼の引き締まった首筋や鎖骨のライン(つまり、男としてのフェロモンが最も強く匂い立つ部分)が強調された、ひどく艶めかしい部屋着を纏っていた。

 

「ええ、アストルフォ。彼女は間違いなく、温室(サンルーム)の隠し扉から侵入してきます。……貴方はそこで、一人で彼女を『お出迎え』してあげなさい」

 

青崎青子が、ソファーに寝そべりながら妖しく微笑む。

 

「うん! 任せて! 凛が来たら、またギュッて抱きしめて、いっぱいいっぱいヨシヨシしてあげる!」

「ええ。……彼女はきっと、強がって貴方に魔術を放つでしょう。でも、貴方はそれを全部、一切の敵意もなく、ただただ『圧倒的な愛と熱』で包み込んで無効化してあげなさい」

 

フィオレが、優しく、しかし確実に凛を絡め取るためのアドバイスを送る。

 

「遠坂凛のあの分厚いプライドの鎧は、恐怖や論理では絶対に壊せません。……彼女の心を折れるのは、アストルフォのそのデタラメな肯定感と、脳髄を溶かすような熱だけです」

 

バゼットもまた、自らが陥落した過去を思い出しながら、少しだけ頬を染めて頷いた。

 

「わかった! 凛がどれだけ怒ってても、ボクが絶対に、世界で一番幸せなお姫様にしてあげるからね!」

 

アストルフォは、極上の笑顔で力強く頷いた。

 

***

 

そして、夜の帳が完全に降り切った、深夜零時。

エーデルフェルト邸の西側、色とりどりの蘭が咲き乱れる温室のガラス扉が、魔術の干渉によって音もなく、静かに開かれた。

 

「……よし。結界の第一層、突破。ルヴィアのヤツ、魔力供給のラインが甘すぎるのよ。これなら、誰にも気づかれずに本館まで……」

 

赤いコートを纏った遠坂凛が、得意げな笑みを浮かべて温室へと足を踏み入れる。

しかし、彼女が視線を前に向けた、その瞬間。

 

「やあやあ! おかえり、凛! ずっと待ってたよ!」

「…………は?」

 

温室の中央。月明かりに照らされた最も美しい薔薇の花園のど真ん中で。

先ほど広場で別れたはずの、あの桜色の髪の騎士――アストルフォが、胸元をはだけさせた極上の部屋着姿で、満面の笑みを浮かべて凛を待ち構えていたのだ。

 

彼女の完璧な潜入計画は、最初から最後まで、この「底なし沼」の主の手のひらの上で転がされていたに過ぎなかった。

閉ざされる温室の扉。

ロンドンの冷たい夜風は完全に遮断され、代わりに、彼から放たれる狂おしいほどの熱気と甘いフェロモンが、密室となった温室を満たし始める。

 

「な、なんで……貴方が、ここに……っ!?」

凛の計算外の事態に対するパニックと、そして彼と再会してしまったことで一気に沸点に達した『雌としての情動』。

遠坂凛の、誇りと理性を懸けた(そして絶対に敗北が約束された)絶望的で甘い決戦の幕が、今、静かに切って落とされたのだった――。

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