fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
夜の帳が下りたロンドン郊外、エーデルフェルト別邸の温室(サンルーム)。
外の冷たい空気とは裏腹に、ガラス一枚隔てた内部は、むせ返るような蘭の香りと、二人の男女が放つ濃厚な情事の余韻によって、サウナのように蒸し暑く支配されていた。
「はぁっ……んっ……、あ……」
色とりどりの花々が咲き乱れる花壇の縁に腰掛け、遠坂凛は力なくアストルフォの首に腕を回していた。
誇り高き「赤い悪魔」のトレードマークだったコートは床に滑り落ち、黒いタートルネックは胸元まで乱れ、汗ばんだ白い肌には、彼が刻み込んだ無数の愛の証(キスマーク)が、まるで熟れた果実のように鮮やかに散らばっている。
「凛……。顔、まだすっごく熱いよ。大丈夫?」
アストルフォが、凛の汗で張り付いた前髪を優しく払いながら、紫水晶の瞳で覗き込んでくる。
その瞳には、彼女を陥落させた征服感など微塵もない。あるのは、ただ純粋に「愛おしい女の子を抱きしめられて幸せ!」という、底抜けの肯定感と慈愛だけだった。
「……う、るさい……わよ。誰の、せいで……こんな……っ」
凛は潤んだ瞳で彼を睨みつけようとしたが、その表情には威厳の欠片もなく、完全に彼に骨抜きにされた雌の甘えしか残っていない。
(信じられない……。私が、遠坂の次期当主が……。たった一度、抱きしめられて、愛されただけで……こんなに、頭の中が真っ白になるなんて……っ)
凛は、自分の身体の奥底――魔術回路の芯の部分が、彼の熱で完全に書き換えられてしまったことを自覚していた。
アストルフォの指先が、彼女の華奢な背筋をなぞるたびに、ビクンと腰が跳ね、口から「ひゃうっ」という情けない声が漏れてしまう。
彼の匂いを嗅ぐだけで、冬木での激務や責任感が嘘のように溶け去り、「もっとめちゃくちゃにして」と本能が叫んでしまうのだ。
「凛、お腹の音、トクトクってしてる。……まだ、ボクのこと欲しい?」
アストルフォの大きな手が、凛の太ももをゆっくりと撫で上げ、最も熱を帯びた秘所の近くで寸止めする。
「んひぃッ……!! ぁ……あ、当たり前、でしょ……っ! 貴方が……私の中を、そんなに……熱くしたままにするから……っ」
凛は顔を真っ赤にして、自ら太ももを擦り合わせ、彼の手を自分の身体へと押し付けた。
プライドなど、もうどうでもよかった。今はただ、この圧倒的な熱源にしがみついていないと、自分が自分でなくなってしまいそうなほどの甘い酩酊感に襲われていた。
「えへへ、凛大好き! ……でも、続きはあとでね。みんなが凜のこと、首を長くして待ってるから!」
アストルフォは凛の乱れた服を(ひどく手慣れた手つきで、しかし丁寧に)直すと、彼女の膝裏と背中に腕を回し、軽々とお姫様抱っこで持ち上げた。
「ちょ、ちょっと! 待ちなさいよ! この状態で、あいつらに会わせる気……!?」
「うん! だって凛はもう、ボクの大切な家族だもん! 桜もルヴィアも、みーんな凜に会いたがってるよ!」
「ひぃぃっ……! 殺す気か……っ! この顔を見られるくらいなら、死んだほうが……っ」
ジタバタと暴れる凛だが、アストルフォの腕の中の心地よさと、彼から伝わる体温に、身体の力は一向に入らない。
アストルフォは楽しそうに笑いながら、温室の扉を開け、本館へと続く廊下を歩き出した。
***
エーデルフェルト別邸、メインリビング。
豪奢なシャンデリアが輝くその空間には、既に「事の顛末」を全て見届けていたヒロインたちが、優雅に紅茶やワインを片手に待ち構えていた。
ガチャリ。
重厚な扉が開き、お姫様抱っこされた凛と、満面の笑みのアストルフォが現れる。
「ただいまー! 凛のこと、ちゃんと『お迎え』してきたよー!」
その瞬間、リビングにいた全員の視線が、アストルフォの腕の中で真っ赤になって縮こまっている遠坂凛に集中した。
「あらあら。……随分と早かったじゃありませんの、ミス・トオサカ?」
ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトが、扇子で口元を隠し、しかしその青い瞳をサディスティックに細めて笑った。
「私の自慢の庭園(温室)への不法侵入……咎めようかと思いましたけれど、その『乱れきったお姿』を見れば、十分すぎるほどの罰(愛)を受けたようですわね?」
「う……うぅ……っ。ル、ルヴィア……あんた……っ」
凛は言い返そうとしたが、アストルフォの匂いが染み付いた自分の身体を自覚し、言葉に詰まる。
「お姉ちゃん。……ようこそ、私たちの『お家』へ」
柔らかな、しかし逃げ場のない甘い声。
桜・エーデルフェルトが、ソファから立ち上がり、ゆったりとした足取りで凛の元へと歩み寄ってきた。
その顔には、かつて凛が見たことのないほどの、魔性の魅力と、姉を同じ沼に引きずり込んだ共犯者としての恍惚が浮かんでいた。
「さ、桜……。あんた、本当に……」
「ふふっ。アストルフォさんの匂いでいっぱいで……お顔もトロトロですね。……私の言った通りだったでしょう? 彼の熱に触れたら、もう二度と、冷たい外の世界には戻れないって」
桜の手が伸び、アストルフォの腕の中にいる凛の頬を、ひんやりとした指先で撫でる。
「っ……!」
「観念してください、お姉ちゃん。……お姉ちゃんが冬木で必死に張っていた意地も、プライドも。ここでは全部脱ぎ捨てていいんです。……私と一緒に、この人の腕の中で、ただの幸せな女の子になりましょう?」
それは、妹からの究極の救済であり、同時に絶対的な敗北宣言の強要だった。
「……はぁ。本当に、いい気味だこと」
ソファの奥で、蒼崎青子がワイングラスを揺らしながら苦笑する。
「ま、諦めなさい遠坂。ここには『魔法使い』だろうが『執行者』だろうが関係ない。あるのは『アストルフォに抱かれた女』か『これから抱かれる女』かだけよ」
「……その通りです。私も最初は抵抗しましたが、今では彼のベッドメイクをするのが日課になっていますから」
バゼットがエプロン姿で、どこか誇らしげに胸を張る。
「私の計算通りだね。これで、冬木の管理者も私たちの陣営に落ちた。……遠坂凛、君の魔術特許と頭脳、そしてその『可愛らしいツンデレ』は、今後私たちのハーレム運営に大いに役立ってもらうよ」
ライネスがチェスの駒を指で弾き、ニヤリと笑う。
四面楚歌。いや、四面「愛の巣」。
アストルフォの腕の中で、凛は周囲を見渡し、そして最後に、自分を抱きしめてニコニコと笑っている桜色の騎士を見上げた。
彼の瞳には、ここ数年、凛がずっと心のどこかで渇望していた「無条件の愛」と「居場所」が、痛いほどに輝いていた。
「……はぁ。……もう、どうにでもなんなさいよ」
凛は深く、長く、諦めと安堵が入り混じった溜息を吐いた。
全身の力が抜け、彼女は自らアストルフォの首に腕を回し、その胸板に顔を埋めた。
「私の負けよ。……桜も、ルヴィアも、みんな狂ってるわ。……でも」
凛の声が、微かに震え、そして熱っぽく湿る。
「……悪くないわね。この、火傷しそうなほど熱い……貴方の腕の中も」
「やったー!! 凛も家族だー!!」
アストルフォは歓声を上げ、凛を抱いたままクルクルと回り出した。
「きゃあっ! ちょ、回るな! 目が回るでしょバカ騎士!」
「あはは! 嬉しいからいいの! 今夜は凛の歓迎会だ! みんなでいっしょにお風呂入って、いっぱいいっぱいパーティーしようね!」
「お、お風呂……!? ちょっと待って、心の準備が……っ」
「問答無用ですわよ、お姉ちゃん♪」
「さあ、服を脱がせて差し上げなさい、トリムマウ」
リビングは、新たな家族を迎えた歓喜と、これから始まる長く濃厚な夜への期待に包まれていた。
遠坂凛の長い一日。それは、彼女が「完璧な魔術師」の仮面を捨て、アストルフォという太陽に愛される「一人の幸福な少女」へと生まれ変わるための、甘い通過儀礼だったのだ。