fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
ロンドンの北に位置するアインツベルンの古城。
その冷え切ったエントランスで、遠坂凛は赤いコートの腕組みをし、呆れたような、しかしどこか得意げな笑みを浮かべていた。
「……というわけで。うちの可愛い騎士殿を『接待』したいっていうなら、こんな薄暗くてカビ臭いお城じゃなくて、もっと陽の当たる場所を用意しなさいよ。ロンドン近郊のコッツウォルズ地方なんてどう? 景色も最高だし。……もちろん、手配も費用も全部アインツベルン持ちでね」
凛の堂々たる要求(という名のたかり)に、アイリスフィールは赤い瞳を瞬かせた。
彼女の論理回路は高速で情報を処理する。対象(アストルフォ)を魅了し、情報を引き出すためには、対象がリラックスし、警戒心を解く環境が最適である。遠坂凛の提案は、アインツベルンの資金を消費するとはいえ、作戦の成功率を上げるためには合理的だと判断された。
「……承知いたしました。遠坂凛の提案を、合理的な交渉として受け入れます。明日の朝、コッツウォルズ地方への遊覧とピクニックの手配をいたしましょう。……費用はすべて、アインツベルンが負担します」
感情の起伏を一切感じさせない、鈴を転がすような平坦な声でアイリスフィールは答えた。
「よろしい。じゃあ、私たちは適当に別行動で楽しませてもらうから。セラとリーゼリットは護衛としてついて行きなさい」
凛は隣のルヴィアや青子と目配せをし、妖しく微笑んだ。
彼女たちは知っているのだ。どんなに完璧な環境を用意しようとも、アストルフォと二人きり(+護衛)で丸一日を過ごせば、この冷たいホムンクルスがどういう末路を辿るかを。
「わあーい! ピクニック! アイリスフィール、明日すっごく楽しみだね!」
アストルフォは、先ほどからずっとアイリスフィールをお姫様抱っこしたまま、無邪気に彼女の頬に自分の頬をすり寄せていた。
「っ……。アストルフォ様、もう、お下ろしください。……私の身体の温度調節機能が、貴方の異常な体温のせいで、エラーを起こし続けています……」
アイリスフィールは、自らの頬が僅かに熱を帯びている(人間で言うところの『赤面』)ことを自覚し、微かに戸惑いながら彼のがっしりとした腕の中で身じろぎした。
「えー? まだいいじゃないか! アイリスフィール、すっごく柔らかくて、雪みたいな匂いがして、抱き心地最高だよ!」
アインツベルンの冷徹な思惑と、ヒロインたちの悪魔的な傍観。
その中心で、ただ一人純度百パーセントの愛情を振りまく桜色の騎士は、感情を持たない雪の妖精の心の分厚い氷を、すでに外側からドロドロに溶かし始めていた。
***
翌日。
はちみつ色の石造りの家々が並び、緑豊かな丘陵地帯が広がる、イングランドで最も美しい村々――コッツウォルズ。
澄み切った青空の下、柔らかな風が吹き抜ける小高い丘の上で、豪奢なピクニックシートが広げられていた。
「ほら、アイリスフィール! あっちにすっごく綺麗な青い花が咲いてるよ! 一緒に見に行こ!」
「あ……アストルフォ様、走ると危ないです。それに、私の任務は貴方と……っ」
アストルフォに手を引かれ、アイリスフィールは純白のワンピースの裾を揺らしながら、緑の草原を小走りで進んでいた。
少し離れた木陰では、セラとリーゼリットが最高級の紅茶とサンドイッチを用意しながら、主人の不可解な様子を静かに見守っている。
「任務なんてどうでもいいよ! せっかくこんなにいいお天気で、こんなに綺麗な場所に来たんだもん。……ほら、これ!」
アストルフォは野花を器用に編み込み、小さな花冠を作ると、それをアイリスフィールの銀色の髪にふわりと乗せた。
「……花冠、ですか。植物の生殖器官の集合体を頭部に飾る行為に、どのような魔術的意義があるのでしょうか」
アイリスフィールは、赤い瞳で不思議そうにアストルフォを見つめた。
「魔術的意義なんてないよ! ただ、アイリスフィールがすっごく綺麗だから、もっと可愛くしてあげたかっただけ!」
アストルフォは極上の笑顔を向け、そのまま彼女の細い腰に腕を回し、自分の身体へと引き寄せた。
「ひゃっ……」
至近距離。
彼の紫水晶の瞳が、アイリスフィールの赤い瞳を真っ直ぐに覗き込む。
「アイリスフィール。キミは、お城でずっと難しい顔してたでしょ? でも、今は陽の光に当たって、髪もキラキラしてて、お花も似合ってて……世界で一番可愛いお姫様だよ」
「……っ」
アイリスフィールの胸の奥――魔術回路の中心にある『心臓』に相当する機能が、ドクン、と大きく跳ねた。
今まで、ユーブスタクハイトからも、城の誰もからも、彼女は「最高傑作」や「兵器」としてしか扱われたことがなかった。
『可愛い』『綺麗』『お姫様』。
そんな、機能性とは全く関係のない、ただの一人の女の子としての純粋な肯定を向けられたのは、彼女の短い人生の中で初めてのことだった。
(なぜ……。なぜ、この人は、私にこんな言葉をかけるの……? 私は、貴方を騙して、情報を引き出すために作られた道具なのに……)
アイリスフィールの論理回路が、完全に混乱をきたし始めていた。
彼の手が腰に触れている部分から、火傷しそうなほどの熱が流れ込んでくる。その熱は、冷たい血液を巡らせていた彼女の身体を内側から温め、今まで知らなかった『甘い痺れ』を子宮の底に生み出していた。
「アストルフォ、様……。私は、人間ではありません。……感情という機能は、実装されていないのです。だから、貴方が私にそのような言葉をかけても、私は……」
「感情がないなんて嘘だよ。だって、アイリスフィール、今すっごくいい匂いがするもん」
アストルフォの顔が近づき、彼女の白い首筋に鼻先を擦り寄せた。
「んっ……あ……っ」
アイリスフィールの口から、機能仕様書には存在しないはずの、甘く、濡れた吐息が漏れた。
「ボクが触れて、アイリスフィールの身体が熱くなって、ドキドキしてる。……これが『感情』じゃなかったら、なんだって言うのさ」
彼の手が、アイリスフィールの背中をゆっくりと撫で下ろす。
服越しに伝わるその撫で方は、ひどく優しく、そして途方もなく『オス』の情欲を帯びていた。
(だめ……。これ以上、この人の熱に触れていたら……私の、私が……私でなくなって、しまう……っ)
アイリスフィールは、最後の防衛本能として、アハト翁から命じられていた『魅了の魔眼』を起動しようとした。
魔力を瞳に集め、彼の理性を刈り取ろうと、至近距離で彼の紫の瞳を見つめ返す。
しかし。
彼のアメジストのような瞳の中には、魔法や魔術など児戯に等しいと思わせるほどの、無限の肯定感と、底なしの愛情が渦巻いていた。
魅了の魔術を放つ前に、彼女自身の赤い瞳が、彼の熱量に完全に魅入られ、トロンと濁ってしまったのだ。
「アストル……フォ、様……っ。あ、ぁ……っ」
「アイリスフィール。キミの冷たいところ、ボクが全部、熱く溶かしてあげる」
夕暮れ時が近づき、オレンジ色の光が丘を染め始める中。
アストルフォの熱い唇が、アイリスフィールの震える唇を、深く、貪るように塞いだ。
「んんっ……!! ぁ……っ、んちゅ……っ」
初めてのキス。
情報としての「口付け」は知っていても、実際に皮膚と皮膚が触れ合い、熱い舌が侵入してくる感覚は、彼女の想像を絶する暴力的なまでの快感だった。
甘い唾液が交わり、彼の圧倒的な体温が口内から粘膜を伝って、彼女の全身の魔術回路を『アストルフォの色』へと強制的に書き換えていく。
「はぁっ……あ……っ、アストルフォ様……っ! 熱い……っ、頭の中が、白く……っ」
アイリスフィールは自らの足で立つことができなくなり、完全に彼の胸板にすがりついた。
兵器としての冷徹な目的も、アインツベルンの悲願も、すべてが彼のもたらす極上の快楽と熱の濁流に呑み込まれ、跡形もなく溶け去っていく。
彼女の身体は今、ただ彼に愛され、彼を求めるためだけの『一人の恋する乙女(メス)』として、その機能(本能)を新しく芽生えさせていた。
「アイリスフィール、すっごく甘い……。もっと、キミの奥まで教えて?」
アストルフォの大きな手が、彼女の純白のワンピースの背中のファスナーに触れ、ゆっくりと下ろし始めた。
「あぁぁっ……! だめ、です……っ、セラたちが、見て……っ」
「見られてもいいよ。アイリスフィールがボクのお姫様になったこと、みんなに教えてあげよう?」
丘の上、夕日を背に受けた二人の影が深く重なり合う。
感情を持たないはずのホムンクルスは、今や完全に理性を手放し、愛する騎士から与えられる初めての快感と熱に身をよじりながら、甘美な嬌声を、淫靡な水音と競い合うように美しいコッツウォルズの風に乗せて響かせ始めたのだった――。