fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
夕暮れのコッツウォルズ。
オレンジ色の陽光が丘全体を染め上げる中、アイリスフィール・フォン・アインツベルンは、自らの身体に起きている『致命的なエラー』を処理しきれず、アストルフォの腕の中で力なく喘いでいた。
「はぁっ……あ……っ、アストルフォ、様……。私の、思考回路が……」
初めての口付け。彼から注ぎ込まれた圧倒的な熱量は、彼女の冷徹な論理を白く塗り潰し、ただ「もっと触れてほしい」という未知の欲求(バグ)を魔術回路の隅々にまで撒き散らしていた。
腰を砕き、彼のがっしりとした胸板にすがりつく彼女の赤い瞳は、兵器としての無機質な光を失い、ひどく艶めいた女の色気を帯びて潤んでいる。
「アイリスフィール様ッ!!」
不意に、丘の下から切羽詰まった声が響いた。
護衛として控えていたセラと、手斧を構えたリーゼリットが、主の異常事態(生体バイタルの急激な上昇)を察知して駆け寄ってきたのだ。
「離れなさい、英霊! アイリスフィール様の体温が、規定値を大きく上回っています! これ以上の接触は、彼女の魔術回路に深刻なダメージを……っ」
セラが血相を変えてアストルフォを威嚇する。
「ええっ? ボク、アイリスフィールを温めてあげてただけだよ? ほら、もう手が冷たくない!」
アストルフォは全く悪びれることなく、アイリスフィールの白い手をきゅっと握って笑顔を見せた。
「……セラ。剣を、収めなさい」
アイリスフィールは、自らの震える足でなんとか立ち上がりながら(それでもアストルフォに腰を支えられたままで)、熱い吐息を交えながら命じた。
「しかし、アイリスフィール様! 貴女のお顔が、異常に赤く……っ。それに、呼吸も……!」
「問題、ありません。……これは、ただの……環境適応のための、一時的な……発熱、です」
自分でも、それが苦しい言い訳であることはわかっていた。
彼女の心臓(コア)は、アストルフォに見つめられるだけで早鐘のように打ち鳴らされ、彼がセラたちに向かって無邪気に笑いかけるのを見て、胸の奥が「チクリ」と痛むような感覚すら覚えていたのだ。
(これが……感情……? 独占欲……? 私が、この人の熱を、誰にも渡したくないと……?)
「お腹すいたね! そろそろ、みんなのところに戻ってご飯にしよっか!」
アストルフォは、アイリスフィールの髪に飾った花冠を優しく撫でると、彼女の手を引いて歩き出した。
リーゼリットが、ぽかんとした顔でその背中を見つめる。
「……アイリ、熱い? あのオトコ、太陽みたい」
「リズ! 貴女まで何を毒されているの! 早くお支えしなさい!」
アインツベルンの冷徹なメイドたちもまた、彼の放つ規格外の『肯定感』の波に、無自覚のうちに巻き込まれ始めていた。
***
その日の夜。
遠坂凛が手配した、コッツウォルズ地方の広大な貸切マナーハウス(貴族の館)。
豪華なダイニングルームでは、奇妙な晩餐会が開かれていた。
「……なぜ、時計塔の魔術師である貴女たちが、厨房に立っているのですか」
アイリスフィールが、戸惑いながらダイニングテーブルを見つめる。
そこには、エプロン姿の遠坂凛とルヴィア、そして手伝い(という名のつまみ食い)をしている蒼崎青子が、ずらりと並んだ温かい料理の数々を運んできていたのだ。
「ふんっ。いくらアインツベルンの金で泊まってるからって、見ず知らずの人形にうちの騎士殿の胃袋を任せられるわけないでしょ。……それに、こっちには『最高のお手本(桜)』直伝のレシピもあるんだから」
凛が、少し得意げにローストビーフの皿を置く。
「……わたくしたちの手料理の味を知れば、アインツベルンの無機質な食事など二度と喉を通らなくなりますわよ」
ルヴィアも優雅に微笑む。
「アイリスフィール様、毒味は私たちが……っ」
セラが前に出ようとするが、それを遮るように、アストルフォがフォークに刺した温かいポテトを、アイリスフィールの口元へと差し出した。
「はい、あーん! アイリスフィール、これすっごく美味しいよ! 凛とルヴィアが一生懸命作ってくれたんだ!」
「あ……」
敵対派閥の魔術師が作った料理。アハト翁の教えに従えば、絶対に口にしてはならないもの。
しかし、アストルフォの純粋な瞳と、目の前にある湯気に、アイリスフィールは無意識のうちに口を開き、それをパクリと咥え込んでいた。
「どう? 美味しい?」
「……っ。あたたかい……」
ただの栄養補給ではない。誰かが手間暇をかけ、誰かが自分のために「美味しいよ」と差し出してくれる食事。
舌の上で広がる味覚が、ただのデータではなく、『美味しい』という明確な喜び(感情)として彼女の脳を刺激した。
「セラとリズも、立ちっぱなしじゃ疲れちゃうよ! 一緒に食べよ!」
アストルフォは、警戒して壁際に立つ二人にも、満面の笑みでサンドイッチを差し出した。
「なっ……! 私はホムンクルスです! 食事など……っ」
「……食べる」
リーゼリットが、セラの制止を振り切ってアストルフォの手からサンドイッチを口にし、小さく「……おいしい」と呟いた。
「リズ!? 貴女という子は……っ!」
「セラも! ほら、あーん!」
「ひゃっ!? な、何を……むぐっ……!」
強引に口に放り込まれたセラもまた、その温かさと、アストルフォが頭を「よしよし」と撫でてくる圧倒的なオスの包容力に、顔を真っ赤にしてフリーズしてしまった。
アイリスフィールは、その光景を静かに見つめていた。
敵対しているはずの魔術師たちが、一つのテーブルを囲み、笑い合い、そして一人の騎士の熱を中心に、一つの『家族』のように繋がっている。
(あたたかい……。これが、人間……。これが、この人が作っている、世界……)
彼女の胸の奥で、もう後戻りできないほどに、強い『憧憬』と『愛情』の根が深く、深く張り巡らされていくのを感じていた。
***
深夜。
マナーハウスの、アイリスフィールに与えられた豪奢な客室。
暖炉の火がパチパチと音を立てる中、アイリスフィールは薄手のシルクのネグリジェ姿で、窓の外の星空を見つめていた。
「……私の機能は、狂ってしまった」
彼女は、自らの胸に手を当て、トクトクと脈打つ鼓動を確認する。
アインツベルンへの忠誠よりも、大聖杯への執着よりも。
ただ、あの桜色の髪の騎士にもう一度触れてほしい。あの熱で、私の内側にある冷たい部分をすべて溶かしてほしい。
そんな、はしたなく、淫らな欲求(バグ)で、頭の中が埋め尽くされている。
ガチャリ、と。
ノックの音もなく、部屋の扉が開いた。
「やあやあ! アイリスフィール、まだ起きてた?」
「……アストルフォ、様」
振り返ったアイリスフィールの赤い瞳が、彼を捉えた瞬間、甘く熱を帯びて潤んだ。
部屋着姿のアストルフォは、当然のように彼女の元へと歩み寄り、窓辺に立つ彼女を、背後からすっぽりとその広い胸板で包み込んだ。
「っ……ぁ……」
背中から伝わってくる、火傷しそうなほどの体温。
アイリスフィールの身体から一瞬で力が抜け、彼女は完全に彼の腕の中に体重を預けた。
「夜はまだ少し冷えるね。アイリスフィールの肩、震えてる」
アストルフォの顔が彼女の首筋に沈み込み、甘い吐息が直接肌を撫でる。
「震えているのは……寒さのせいでは、ありません……っ」
アイリスフィールは、自らの震える手を、自分のお腹に回されているアストルフォの大きな手に重ねた。
「私の中に、貴方が……たくさんの『感情』を、落としていきました……。嬉しくて、悲しくて……そして、胸の奥が、熱くて、苦しい……。こんな機能、私には必要なかったはずなのに……っ」
涙を知らないはずのホムンクルスの瞳から、ポロリと一粒の雫がこぼれ落ち、アストルフォの手の甲を濡らした。
「苦しくないよ。それは、アイリスフィールが『生きている』って証拠だもん」
アストルフォは、彼女の身体をゆっくりと自分の方へ振り向かせた。
至近距離で交差する視線。
アストルフォの紫水晶の瞳は、どこまでも深く、彼女の存在そのものを肯定する光に満ちていた。
「お人形さんなんかじゃない。キミは、ボクの世界で一番綺麗な、雪のお姫様だよ。……ボクが、キミの涙も、苦しいのも、全部甘い『好き』に変えてあげる」
アストルフォのがっしりとした手が、彼女の白い頬を包み込み、ゆっくりと顔を近づける。
「アストルフォ、様……っ。あぁ……っ」
アイリスフィールは、自ら目を閉じ、背伸びをして彼の熱い唇を迎え入れた。
「んんっ……!! ぁ……っ、んちゅ……っ」
昼間の丘での口付けよりも、さらに深く、甘く、そして濃厚な粘膜の交わり。
静かな客室に、水気を帯びた卑猥な音が響き渡る。
アストルフォの舌が彼女の口内を蹂躙するたびに、アイリスフィールの背筋に強烈な快感の電流が走り、彼女の口から堪えきれない甘い喘ぎ声が漏れ出した。
「んひぃッ……!! ぁ、ああっ……! 貴方の、熱が……っ、私の中に……っ」
「アイリスフィール、すっごくいい匂い。……もっと、キミのこと、知りたいな」
アストルフォの手が、薄いシルクのネグリジェの肩紐をゆっくりと滑り落とす。
月明かりに照らされた、完璧な造形美を誇る雪のような素肌が、夜の空気に晒された。
今まで誰にも触れられなかった、純潔の象徴。
そこへ、彼のがっしりとした、ひどく熱を帯びた手が、容赦なく、そして極上の優しさを持って這わせていく。
「あぁぁっ……! ぁ、はぁっ……! だめ、そんなところ……っ、私、どうにかなって、しまいそう……っ!」
彼女の論理回路は完全に崩壊し、ただ目の前のオスがもたらす圧倒的な快感と愛情の波に、身も心もドロドロに溶かされていく。
感情を持たなかった雪の妖精は、今、彼への果てしない情欲と愛だけを動力源とする、最高に淫らで幸せな一人の女へと、完全に生まれ変わろうとしていたのだった――。