※この作品はR-18です。

fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ   作:鰻天ぷら

7 / 181
蒼崎青子編①

地中海に面した、南欧のどこかにある名もなき港町。

潮の香りと、照りつける強い陽射し。石畳の路地には陽気な人々の喧騒が響き、海風が色鮮やかな洗濯物を揺らしている。

 

その海沿いにある古びたオープンテラスのカフェで、一人の女性が気怠げに冷えたビールグラスを傾けていた。

艶やかな長い栗色の髪に、どこまでも深い青を湛えた瞳。シンプルな白いシャツにジーンズというラフな装いだが、彼女の周囲だけが、まるで世界の法則から切り離されているかのような、異質で圧倒的な存在感を放っている。

足元には、使い込まれた年季の入ったトランクが一つ。

 

蒼崎青子。

世界に五人しか存在しない『魔法使い』の一人であり、気の向くままに世界をさすらう根無し草。

 

「……はぁ。どこの魔術協会(連中)も、似たような馬鹿ばっかりね」

 

青子はグラスの結露を指で弾きながら、一人ごちた。

先ほどまで、彼女の『第五魔法』に目をつけた面倒な魔術師の追手どもを、路地裏で文字通り「蹴散らして」きたばかりだった。息一つ乱れてはいないが、終わりのない放浪と、常に何者かに狙われる日常に、ふと拭い去れない疲労感が肩にのしかかることがある。

 

「魔法使いなんて、なるもんじゃないわね、全く」

 

誰に言うでもなくぼやき、残りのビールを煽ろうとした、その時だった。

 

――ゴォォォォォンッ!!

 

突如として、太陽の光を遮る巨大な影がテラス席のすぐ横の広場に舞い降りた。

巻き起こる突風。パラソルがひっくり返り、周囲の客たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中、青子だけは眉一つ動かさず、ただ静かにグラスをテーブルに置いた。

 

「……今度は、どこのどいつ? 派手な登場じゃないの」

 

土埃が晴れた先に見えたのは、鷲の上半身と馬の下半身を持つ巨大な幻獣。そして、その背に跨る、場違いなほどに美しい桜色の髪をした騎士だった。

 

「わわっ! ごめんごめん、ヒポグリフ! ちょっと急降下しすぎたね! あーあ、みんな驚いて逃げちゃった……」

 

頭を掻きながら幻獣から飛び降りたのは、アストルフォだった。

彼は周囲の惨状(ひっくり返ったテーブルや椅子)を見て「あちゃー」という顔をした後、唯一逃げずに席に座ったまま、自分をジッと睨みつけている青子の存在に気がついた。

 

「あ、ごめんね! キミ、怪我はない? びっくりさせちゃったよね!」

 

一切の警戒心も敵意もない、底抜けに明るい声。

青子は目を細めた。彼女の魔術眼は、目の前にいる存在が人間ではなく、膨大な魔力によって編まれた上位の神秘――『英霊(サーヴァント)』であることを即座に見抜いていた。

 

「……野良の英霊? 冗談でしょ。聖杯戦争でもないのに、マスターも連れずにこんな真昼間から堂々と受肉して歩き回ってるなんて。あんた、何者?」

「えっ? ああ、ボクはアストルフォ! ライダーのクラスだよ! キミ、魔術師なんだね。なんか、すっごく強そうな気配がする!」

 

アストルフォは青子の険しい視線など全く意に介さず、ズカズカと彼女のテーブルに近づき、勝手に空いていた向かいの椅子に腰を下ろした。

 

「勝手に座らないでくれる? あんたのそのデカい鳥馬のせいで、私の静かな休憩時間が台無しになったんだけど」

「鳥馬じゃないよ、ヒポグリフ! 幻獣なんだから! ……それにしてもキミ、すっごく綺麗な青い目をしてるね。まるで、どこまでも続く空みたいだ」

 

「はぁ?」

 

青子は思わず毒気を抜かれたように息を吐いた。

普通、魔術世界に生きる者が蒼崎青子を前にすれば、その圧倒的な力に畏怖するか、あるいは野心をむき出しにして襲いかかってくるかのどちらかだ。しかし、目の前の桜色の騎士は、青子から発せられる危険な魔力(プレッシャー)を完全に無視し、ただ「綺麗な目だ」と、純度百パーセントの好意で笑いかけてきたのだ。

 

「あんた……頭のネジ、何本か飛んでるんじゃないの?」

「よく言われる! ボク、『理性蒸発』しちゃってるからね!」

「……あっそ。で、その理性のない英霊様が、こんなところで何をしてるわけ? 世界征服の準備?」

 

青子が皮肉たっぷりに尋ねると、アストルフォはテーブルに身を乗り出し、満面の笑みで答えた。

 

「ううん! 観光!!」

「…………は?」

「ボクね、ちょっと前に大きな戦いがあってさ。色々あって現界し続けられるようになったから、今はヒポグリフと一緒に世界中を見て回ってるんだ! 風の吹くまま、気の向くままにね!」

 

英霊が、観光。

そのあまりにも規格外で、常識外れな答えに、青子は数秒間ポカンとし……やがて、堪えきれなくなったように肩を揺らして笑い出した。

 

「ふふっ……あははははっ! 何それ、あんた最高ね! 過去の英雄のくせに、マスターも放ったらかしで世界旅行!? あははっ、お腹痛い……っ!」

「えへへ、笑ってくれた! キミ、笑った顔の方がずっと綺麗だよ!」

「っ……調子のいいこと言うじゃない、あんた」

 

青子は目元に浮かんだ涙を拭いながら、アストルフォを改めてまじまじと見つめた。

狂い咲くような明るさと、一切の裏表がない真っ直ぐな瞳。彼には、魔術師特有の泥ぐさい執着も、英霊としての重苦しい使命感も存在しない。

 

「あんた、本当に自由なのね」

 

青子の口から、ふとそんな言葉がこぼれ落ちた。

それは、魔法使いという巨大な運命を背負い、どれだけ世界をさすらっても本当の意味での『自由』を得られない彼女自身の、微かな羨望が混じった本音だったかもしれない。

 

その微細な声色の変化を、アストルフォの野生の勘(直感)は見逃さなかった。

彼はテーブルの上に置かれていた青子の手に、自分の手をふわりと重ねた。

 

「……!」

「キミは、自由じゃないの?」

 

突然のスキンシップ。

普段の青子なら、魔力の一撃で相手を十メートルは吹き飛ばしているところだ。しかし、彼女は手を振り払うことができなかった。

アストルフォの手から伝わってくるのは、いやらしい下心でも、魔術的な探りでもない。ただ純粋な、彼女という存在の「深淵」に触れようとする、無垢な熱だった。

 

「……私はね、こういう星の下に生まれついちゃったから。世界中どこに行っても、面倒ごとの方が私を追いかけてくるのよ。あんたみたいに、ただ景色を楽しんで飛んでいられるような、気楽な身分じゃないの」

 

自嘲するように目を伏せた青子。

その横顔は、最強の魔法使いとしての威厳よりも、果てのない旅路に疲れた、一人の女性の脆さを微かに覗かせていた。

 

アストルフォは、重ねた青子の手を、きゅっと優しく握り込んだ。

 

「ねえ、キミの名前、教えてよ」

「……蒼崎青子」

「青子! そっか、だから青いんだね!」

 

アストルフォはさらに身を乗り出した。地中海の強い日差しに照らされた彼の顔が、青子のすぐ目の前まで迫る。

彼から漂う、花のように甘く、それでいてどこか猛禽類のような野生味を帯びた香りが、青子の鼻腔をくすぐった。

 

「青子。キミがどれだけ重たい荷物を背負ってるのか、ボクにはわかんない。魔術のこととか、難しい理屈は全部苦手だからね」

 

アストルフォの声のトーンが、先ほどまでの無邪気な少年から、突如として低い『オス』の響きを帯びた。

真っ直ぐに見つめてくる紫水晶の瞳に、青子は不覚にも心臓がドクン、と大きく跳ねるのを感じた。

 

「でも、ボクにはわかるよ。キミのその綺麗な青い目が、本当はもっと色んな楽しいことを見たいって、叫んでるってこと」

「……あんた、ねぇ。初対面の女に向かって、随分と踏み込んでくるじゃない」

 

青子は強がって口角を上げたが、顔が微かに熱を帯び始めているのを自覚していた。

誰も、蒼崎青子にこんな風に真正面から踏み込んではこない。皆、彼女の『肩書き』を見る。けれど、この奇妙な英霊は、肩書きなど一切無視して、青子という一人の女の『孤独』のど真ん中に、土足で、けれど信じられないほど優しく踏み込んできたのだ。

 

「ボクはライダーだからね。キミが重たい荷物で立ち止まりそうになってるなら、ボクが一緒に背負って、空まで連れて行ってあげる。……ボクと一緒に、世界中を『観光』してみない?」

 

アストルフォの顔がさらに近づき、彼から吐き出された熱い吐息が、青子の唇を微かに掠めた。

唇と唇が触れ合うまで、あと数センチ。

真昼のオープンテラス。周囲にはまだ遠巻きに様子を伺う人々の目があるというのに、青子の周囲の空気だけが、じっとりと濃密な熱を孕み始めていた。

 

「……ふふっ。馬鹿ね。魔法使いをナンパするなんて、世界中探してもあんたくらいなもんよ、アストルフォ」

「えへへ。で、返事は?」

 

二人の視線が、至近距離で火花を散らすように絡み合う。

孤独な旅を続ける最強の魔法使いと、自由を愛する天真爛漫な騎士。

交わるはずのなかった二つの軌跡が、南欧の太陽の下で、今、甘く危険な化学反応を起こし始めていた――。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。