fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
ロンドン・時計塔。現代魔術科の君主(ロード)の執務室は、深く冷たい静寂と、山積みの書類、そして強烈な胃薬の匂いに支配されていた。
「……あぁ。なぜ、私がこんな報告を、あの男にしなければならないのだ……」
ロード・エルメロイⅡ世は、胃の辺りをきつく押さえながら、デスクの上に展開された通信用の魔術礼装(水鏡)を重々しい顔で起動した。
水鏡の表面が波立ち、遠く極東の地――冬木市の遠坂邸の映像が映し出される。
『――呼ッ!! 泰山鳴動して、気は丹田に帰す。……通信ご苦労、ロード・エルメロイⅡ世。何か急ぎの報せかな』
映し出された遠坂家当主・遠坂時臣は、なぜか見事な絹の中国服(カンフー着)を纏い、片足立ちで両手をゆっくりと円を描くように動かすという、極めて高度な太極拳の型を披露しながら、涼しい顔でこちらを見つめていた。
「……時臣。お前は魔術師としての矜持をどこへ捨てた。いや、もうお前の奇行については突っ込むまい。……今日は、お前の愛娘である凛について、極めて遺憾で、絶望的な報告をしなければならない」
Ⅱ世の沈痛な面持ちに、時臣もスッと構えを解き、父親としての真剣な表情を浮かべた。
『凛に何かあったのか。彼女はエーデルフェルトの陰謀を暴き、桜を救い出すために単身ロンドンへ向かったはずだが……まさか、敵に捕らえられたとでも言うのか?』
「捕らえられた、という表現は……物理的には間違っていないかもしれないが、精神的には致命的に間違っている。……単刀直入に言おう」
Ⅱ世は深く、深く息を吸い込んだ。
「遠坂凛は、エーデルフェルト邸に巣食う、規格外のオスの熱量を持ったはぐれ英霊(アストルフォ)の毒牙に完全に落ちた。……いや、落ちたどころではない。彼女は今や、ルヴィアゼリッタや桜、その他の魔術師たちと共に、その英霊に身も心も捧げ尽くし、毎晩骨の髄まで愛され、彼なしでは生きていけない『ただの恋するメス』として、巨大な愛の巣(ハーレム)の一員に成り下がってしまったのだ……ッ!」
言い切った後、Ⅱ世は胃の痛みに耐えかねてデスクに突っ伏した。
名門遠坂の令嬢が、よもやあのような破廉恥な結末を迎えるなど。時臣が激怒し、今すぐ冬木からロンドンへ殴り込みに来るだろうと、Ⅱ世は覚悟していた。
しかし。水鏡の向こうは、奇妙なほど静まり返っていた。
『……ふむ。なるほど』
時臣は、優雅に顎髭を撫でながら、何やら深く納得したように頷いた。
「な、なるほど、だと……? お前、自分の娘が、一人の男のハーレムに取り込まれ、夜な夜な甘い声を上げて啼かされているのだぞ!? 激怒しないのか!」
Ⅱ世が顔を上げて叫ぶ。
『ロードよ。宇宙の真理(タオ)において、陰と陽の交わりは必然。強大なる陽(オス)の気に、優れた陰(メス)が惹き寄せられるのは、自然の摂理なのだよ』
時臣は、なぜか悟りを開いた高僧のような穏やかな瞳で語り始めた。
『それに、魔術師として優秀な血統を後世に残すことは至上命題。一人の強大な男が、複数の優秀な魔術師の血を引く女性を愛し、守り抜くのなら……それはある意味で、理にかなった『魔術的繁栄の形』と言える。……実はな、ロード。私も若い頃、魔術の探求と血の保存の観点から、海外に大変優秀で美しい女性(愛人)を囲い、血を分けた過去があってな……』
「お前っ……! 自分の不貞を正当化するために、娘の破廉恥な現状を肯定する気かッ! 父親として、いや、人間として大事なネジが完全に吹き飛んでいるぞ!」
『常に余裕を持って優雅たれ、というのが我が遠坂の家訓。凛が、ルヴィアゼリッタや桜と共に、一つの大きな家族として幸せに暮らしているのなら……私が口を挟む野暮はすまい。……ロードよ、君も胃薬ばかり飲んでいないで、少しは気の流れを整える修行をしてはどうだ?』
「……通信を切る。お前とは二度と話さん」
Ⅱ世は完全に虚無の目になり、水鏡の魔力供給を乱暴に断ち切った。
彼が時臣を慰めるつもりが、斜め上の宇宙の真理で逆に宥められてしまうという、エルメロイⅡ世の胃袋だけが致命傷を負う不条理な通信は、こうして幕を閉じたのであった。