fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
ロンドンの空は、相変わらず重たい灰色の雲に覆われ、冷たい霧雨が窓ガラスを規則的に叩き続けていた。
しかし、エーデルフェルト別邸の豪奢なリビングルームの中だけは、まるで常夏のように暖かく、むせ返るような甘い花の香りに満ちている。
「……はぁ。やっぱり、半年も空けると霊脈のチューニングにズレが生じてるわね。秋の終わりには、一度直接現地でメンテナンスしないと……」
暖炉の火のそばで、遠坂凛は極東から送られてきた分厚い魔術報告書をめくりながら、小さく溜息をついた。
冬木の管理者(セカンドオーナー)としての責任。それは、このロンドンでどれほど甘く蕩けるような日々を送っていようと、決して放棄できるものではない。
だが、報告書を見つめる彼女の青い瞳の奥には、かつての張り詰めたような悲壮感はなかった。
艶やかに梳かれた黒髪、ほんのりと上気した白い頬。ゆったりとした部屋着の胸元から微かに覗く、無数の赤い愛の印。今の彼女は、一人の男に骨の髄まで愛し抜かれ、途方もない安心感に包まれている『幸福な女』そのものの顔をしていた。
「凛? どうしたの、難しい顔して」
不意に、背後からふわりと、がっしりとした熱い腕が凛の腰に回された。
「ひゃっ……!」
振り返るよりも早く、彼女の首筋に桜色の髪が擦り寄せられる。
鼻腔を容赦なく満たす、甘い薔薇の香りと、濃密なオスのフェロモン。ロンドンの冷気を完全に遮断する、火傷しそうなほどの圧倒的な体温が、服の布地をすり抜けて凛の背中へと直接流れ込んできた。
「ア、アストルフォ……。もう、急に抱きつかないでってば。報告書にインクが……っ」
凛は口では文句を言いながらも、彼のがっしりとした腕から逃れようとはせず、むしろ無意識のうちに自らの背中を彼の広い胸板へと深く預けていた。
「凛が溜息ついてたから、ボクの熱を分けてあげようと思って! なになに、極東……フユキのお仕事?」
アストルフォは、凛の肩に顎を乗せ、紫水晶の瞳で報告書を覗き込む。
「ええ。霊脈の管理のために、数日だけ冬木に戻らなきゃいけなくなったの。……でも」
凛は言葉を濁し、伏し目がちに自らの指先を絡ませた。
遠坂の当主として、一人で冬木へ帰り、仕事をこなす。数ヶ月前までの彼女なら、当たり前のようにこなしていたはずの日常だ。
だが今は、たった数日でも、この火のように熱い彼の腕の中から離れることなど、想像しただけで胸の奥が冷たく凍りつきそうになる。自分がどれほど彼に依存し、身も心もドロドロに甘やかされているかを自覚し、凛は頬を赤く染めた。
「そっか! 凛の生まれた街だね! じゃあ、決まりだ!」
アストルフォは、迷うことなく極上の笑顔で宣言した。
「みんなで一緒に、冬木に行こう! ボク、凛と桜が育った街、すっごく見てみたい!」
「え……っ? み、みんなで……!?」
凛が目を丸くした瞬間、リビングの奥で優雅に紅茶を傾けていたヒロインたちが、一斉に妖艶な笑みを浮かべて立ち上がった。
「オーッホッホッホ! 素晴らしい提案ですわ、アストルフォ! 冬木はわたくしたちエーデルフェルトにとっても縁の深い土地。大々的な視察旅行と参りましょう。……移動手段はもちろん、わたくしのプライベートジェットを用意いたしますわ」
ルヴィアゼリッタが扇子を揺らしながら即答する。
「ふふっ。アストルフォさんに、私とお姉ちゃんがよく遊んでいた公園を案内したいです。……もちろん、夜はみんなで一緒にお布団を敷いて……」
桜が、両手を頬に当てながら、紫の瞳を情欲と期待でトロンと濁らせた。
「おいおい、私や時計塔の面々も置いていく気はないだろうな? 休暇の申請なら、兄上(Ⅱ世)の胃薬と引き換えにいくらでも通してやるさ」
ライネスがニヤリと笑い、青子やバゼットたちも「極東の温泉は悪くないわね」と同意の声を上げる。
「待って待って! あんたたち全員で冬木に押し寄せたら、うちの屋敷には到底入りきらないわよ! ホテルだって、これだけの人数を急に……っ」
凛が慌てて計算を始めた、その時だった。
「……宿泊地なら、問題ありません」
純白のドレスを揺らし、アイリスフィールが静かに進み出た。彼女の背後には、セラとリーゼリットが控えている。
「冬木の郊外、深い森の中にアインツベルンの城があります。大聖杯の管理のために用意されたものですが、今は完全に空き家です。……あそこなら、私たち全員が滞在しても十分すぎる広さと、完璧な魔術結界が備わっていますわ」
「ア、アインツベルン城……っ。でも、アハト翁がそれを許すわけ……」
凛が言葉を詰まらせると、アイリスフィールはクスリと、どこまでも艶やかな(そして冷徹な)笑みを深めた。
「お義父様には、事後報告で『休暇の別荘として接収しました』と通達しておきます。……大丈夫です。私たちの『生活費(という名の莫大な脅迫金)』を払い続けている彼に、もはや拒否権はありませんから」
かくして、アストルフォの純粋な一言と、世界最高峰の魔術師たちの権力と財力が結集し、かつてない規模の「冬木市への大名旅行(愛の巣ごと移動)」が決定したのだった。
***
出発の前夜。
凛に与えられた客室で、彼女は大きなトランクケースを広げ、荷造りに追われていた。
「冬木の気候なら、この時期はまだ薄手のコートで平気ね。……あとは、魔術礼装の予備と……」
凛は手際よく荷物を詰めていきながら、ふと、ベッドの上に置かれた数着の真新しい服に目を落とした。
それは、魔術師としての実用性を重視した彼女のいつもの服ではない。オフショルダーの可愛らしいニットや、体のラインが綺麗に出る淡い色のワンピース。……すべて、ロンドンに来てから、アストルフォとのデートのために少しずつ買い足した「女の子」としての服だった。
(……これを冬木に持っていくなんて。藤村先生や綾子に見られたら、絶対にからかわれるに決まってるわ……っ。でも……)
凛が、恥ずかしさと愛おしさの入り混じった顔で、そのワンピースを指先でそっと撫でた、その時。
「凛、お荷物の準備、手伝うよ!」
ガチャリと扉が開き、部屋着姿のアストルフォが満面の笑みで入ってきた。
「あっ、アストルフォ……っ! だ、大丈夫よ、もうほとんど終わってるから!」
凛は慌ててワンピースを隠そうとしたが、彼のがっしりとした手は、トランクケースよりも先に、凛の細い腰へと真っ直ぐに伸びてきた。
「ひゃうっ……!」
背後から抱きすくめられる。
彼の大きな手が、凛の薄手のルームウェアの上から、彼女の柔らかいお腹を優しく撫でた。
「冬木のお仕事、凛がいっぱい頑張れるように、ボクがいっぱいいっぱい温めてあげるね」
耳元に落とされる、鼓膜を直接甘く溶かすような低く優しい声。
彼の吐息が、凛の敏感なうなじを直接掠め、ちゅっ、と音を立てて柔らかな皮膚を吸い上げる。
「んんっ……!! ぁ、ああっ……! だめ、アストルフォ……っ、まだ、荷物が……っ」
凛の青い瞳が、一瞬にして水気を帯びた。
彼の指先が触れた部分から、全身の魔術回路がカッと熱を持ち、彼の色に塗り替えられていく。冷たい頭で考えようとしても、彼から発せられる熱量とフェロモンが、彼女の理性を根こそぎ奪い去っていくのだ。
「荷物より、今は凛の方が大切だよ。……凛のここ、ボクに触られて、すっごく熱くなって震えてる」
アストルフォの手が、彼女のお腹からさらに下へ、最も熱を帯びて疼き始めている秘所のすぐ近くを、服越しにじっとりと撫で回す。
「あぁぁっ……! ぁ、あ……っ! アストルフォの手……熱い、です……っ! お腹の奥が、ぎゅって……っ」
凛は完全に足の力を失い、自ら彼の胸板に全体重を預けた。
かつては遠坂の次期当主として、一人で(父親の奇行含めて)背負っていた冬木という街。そこへ、彼と一緒に帰る。
その事実が、凛の胸の奥を途方もない幸福感で満たし、彼への情欲をさらに激しく燃え上がらせていた。
「私……ずっと、寂しかった。……冬木の広い屋敷で、一人で……っ。でも、今は……」
凛は振り返り、自ら彼の逞しい首に腕を回して、その熱い唇を求めた。
「今は、貴方がいる……っ。私を、もっと……貴方の熱で、めちゃくちゃにして……っ。私が、貴方なしじゃ生きられない女の子だってこと、骨の髄まで、教えて……っ」
「うん……! 凛の全部、ボクが永遠に愛してあげる!」
アストルフォの熱い唇が、凛の震える唇を深く、貪るように塞いだ。
舌と舌が絡み合い、甘い唾液が交わる卑猥な水音が、互いの粘液を交わらせながら静かな客室に響き渡る。
冬木への旅立ちを翌日に控え、誇り高き赤い悪魔は、愛する騎士の熱に身も心も完全に溶かされながら、限界を知らない極上の快楽と幸福の波に、朝まで何度も何度も呑み込まれ続けるのだった――。