fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
極東・冬木市への賑やかな凱旋旅行から、ちょうど一年。
ロンドン郊外にそびえ立つエーデルフェルト別邸は、かつてないほどの人口密度と、常軌を逸した甘い熱気に包まれていた。
「やあやあ! 新しい子たちも、ボクのお家へようこそ! お外、すっごく寒かったでしょ? ほら、温かいココアだよ!」
広大なメインリビングの中央。
桜色の髪を揺らす太陽のような騎士――アストルフォが、純白のドレスを着た三人の見知らぬ少女たちをソファーに座らせ、甲斐甲斐しく世話を焼いていた。
彼女たちは、アインツベルンの長であるアハト翁が「今度こそあの英霊を籠絡し、大聖杯の鍵を奪うのだ」と懲りずに送り込んできた、最新型の女性型ホムンクルスたちである。
だが、冷徹な暗殺者や間者として設計されたはずの彼女たちの赤い瞳は、すでにアストルフォの頭を撫でる大きな手と、むせ返るようなオスの熱量にすっかり当てられ、ぽーっと情欲と安心感に濁りきっていた。
「あ、あたたかい……です。アストルフォ様……」
「もっと、頭……撫でてください……っ」
感情を持たないはずの人形たちが、完全に骨抜きにされ、頬を桜色に染めて彼のがっしりとした胸板にすり寄っている。
「……はぁ。あのアハトの爺さん、本当に学習能力がないわね。ホムンクルスを送り込めば送り込むほど、ただうちの騎士殿の『お姫様』が増えるだけだって、どうして気がつかないのかしら」
少し離れた席で、遠坂凛が呆れたように紅茶を啜る。
「オーッホッホ! 構いませんわ、アインツベルンからの『養育費』は人数分きっちり上乗せして請求しておりますから。……それにしても、随分と大所帯になりましたわね」
ルヴィアゼリッタが扇子を揺らしながら、リビングを見渡した。
この一年で、アストルフォの圧倒的な肯定感と熱量に吸い寄せられるように、新たな『家族』が幾人もこの屋敷に加わっていた。
キッチンでは、かつての根源接続者であり絶対的な力を持っていたはずの沙条愛歌が、「アストルフォ君の胃袋を満たすただの恋する女の子」として、鼻歌交じりにケーキを焼いている。その横で、妹の沙条綾香が顔を真っ赤にしながら生クリームの泡立てを手伝い、ソファーでは玲瓏館美沙夜とフィリアが、すっかり毒の抜けた(そして彼に愛され尽くした女特有の艶を纏った)顔で、桜たちと談笑している。
どんな特異点も、どんな強大な魔術師も、彼という絶対的な愛の引力の前には、ただ愛を乞う一人の雌へと還元されてしまう。それが、この狂おしくも幸せな愛の城の日常だった。
***
そんな喧騒から少し離れた、陽の光が差し込む美しいサンルーム。
そこでは、アイリスフィール・フォン・アインツベルンと蒼崎青子が、静かなティータイムを楽しんでいた。
「……ふふっ。リビングの様子、ここからでもよく聞こえますわ。今日もあの方は、たくさんの女の子たちに囲まれて、本当に楽しそう」
アイリスフィールは、銀色の髪を優しく揺らしながら、愛おしそうに目を細めた。
「あんたも人がいいわね、アイリ。自分の旦那が他の女たちにデレデレにされてるってのに、嫉妬の一つもしないんだから」
青子が、ティーカップを置きながら苦笑する。
「嫉妬、ですか? ……不思議と、そういう感情は湧かないのです。だって、あの方はどんなに人数が増えても、私たち一人一人に、狂ってしまいそうなほどの熱と愛を、これでもかというほど注いでくださるから」
アイリスフィールの白い首筋から鎖骨にかけて、アストルフォが執拗に刻み込んだ、いくつもの深い赤い印が覗いていた。
彼に抱きしめられ、その圧倒的なオスの熱を子宮の底まで注ぎ込まれるたび、彼女の冷たかったホムンクルスとしての身体は、人間以上にドロドロに溶かされ、満たされていく。
「それに……私、最近とても身体が熱いのです。あの方の体温が、ずっと私のお腹の奥に残っているような……とても、幸せな熱が」
アイリスフィールは、自らの下腹部にそっと両手を当て、艶然と微笑んだ。
「そう……あんたが幸せなら、それが一番ね。ほら、冷めないうちにそのハーブティー……」
青子がアイリスフィールにカップを勧めた、その時だった。
「――っ……」
アイリスフィールの表情が、ふっと強張った。
彼女はカップを口元へ運ぼうとした手を止め、突然、顔を青ざめさせて自らの口元を両手で強く押さえた。
「うっ……! くっ……ぁ……っ」
「アイリ!? どうしたの、急に!」
青子が慌てて立ち上がり、アイリスフィールの背中を支える。
アイリスフィールは何度も小さくえづきながら、息を荒くして震えていた。
「ごめん、なさい……っ。急に、胃の奥から……せり上がってくるような、吐き気が……っ」
魔術による毒や、体調不良ではない。ホムンクルスである彼女の身体は、本来病気などとは無縁に設計されている。
しかし、彼女の額には冷や汗が浮かび、呼吸は不規則に乱れていた。
青子は最強の魔法使いとしての鋭い直感と観察眼で、アイリスフィールの身体をじっと見つめた。
そして、彼女の魔術回路の波形を探った瞬間、青子の瞳が驚愕に見開かれた。
「嘘……。アイリ、あんた……」
青子の手が、震えながらアイリスフィールの下腹部――彼女が先ほど「熱い」と言って撫でていた場所へと触れる。
そこには、アイリスフィール自身の魔力とは違う、もう一つの、極めて微小だが、途方もなく温かく力強い『生命の脈動』が確かに存在していた。
「蒼崎、さん……? 私の身体、エラーでも起こしたのでしょうか……。あの方に心配をかけたくないのに……っ」
「違うわよ、馬鹿っ……。エラーなんかじゃない。あんたの身体は、完全に『人間の女』として機能してるってことよ」
青子の声が、感極まったように微かに震えていた。
「……え?」
「宿ってるのよ。あんたのお腹の奥に。……あいつと、あんたの、子供が」
「――――っ」
その言葉が意味するものを理解した瞬間、アイリスフィールの赤い瞳から、堰を切ったように大粒の涙が溢れ出した。
聖杯の器として、魔術のためだけに鋳造された命。自らの胎内で新しい生命を育むことなど、機能として許されていなかったはずの冷たい人形の身体。
それが、アストルフォという無限の熱量と、狂おしいほどの愛を注がれ続けた結果、世界の理さえも超えて、奇跡を宿したのだ。
「私、に……? あの方の、赤ちゃんが……っ。私の、お腹に……っ」
アイリスフィールは、自らのお腹を愛おしそうに、壊れ物を扱うようにそっと抱きしめ、声を上げて泣き崩れた。
その異変に気づき、リビングから慌てた足音が駆けつけてくる。
「アイリ!? どうしたの、どこか痛いの!?」
アストルフォが、血相を変えてサンルームへと飛び込んできた。その後ろから、凛や桜、ルヴィアたちも心配そうに顔を覗かせている。
「アストルフォ、様……っ」
アイリスフィールは、涙でぐちゃぐちゃになった顔のまま、彼のがっしりとした胸板へと飛び込んだ。
「ごめんね、アイリ! ボク、すぐに治してあげるから! どこが苦しいの!?」
アストルフォは彼女の背中を強く抱きしめ、必死に自分の熱と魔力を分け与えようとする。
その様子を見て、青子が涙を拭いながら、たまらず吹き出した。
「馬鹿ね、あいつ。病気じゃないわよ、アストルフォ」
「えっ……?」
アストルフォが目を丸くして振り返る。
周囲のヒロインたちも、青子の言葉の真意を図りかねて息を呑んだ。
「アイリのお腹にね……あんたの子供が、宿ったのよ。……おめでとう、パパ騎士殿」
青子の言葉が、サンルームに静かに響き渡った。
数秒の、完全な沈黙。
そして。
「……えええええええええっ!?」
アストルフォの、屋敷中を揺るがすような大歓声が爆発した。
「ほ、ほんとに!? ボクと、アイリの、赤ちゃん!? ボク、パパになるの!?」
アストルフォはアイリスフィールを抱きしめたまま、その場にへたり込み、ボロボロと大粒の涙を流し始めた。
彼からの絶対的な愛情と熱が、これまで以上に深く、強く、アイリスフィールの全身を包み込む。
「はい……っ、はい……っ! 私、貴方のお母さんに……ううん、貴方の赤ちゃんの、お母さんに、なれました……っ!」
アイリスフィールもまた、彼の首にすがりつき、歓喜の涙を流しながら彼の頬に何度も何度もキスを落とした。
「……嘘、でしょ。ホムンクルスが、自然妊娠なんて……」
凛が口元を押さえて驚愕し、桜やルヴィア、ライネスたちも、信じられない奇跡を前に言葉を失い、やがてその目から温かい涙をこぼし始めた。
「アイリ! ありがとう! すっごく、すっごく嬉しいよ! ボク、キミと赤ちゃんのこと、世界で一番幸せにするからね!」
アストルフォは、アイリスフィールのお腹にそっと耳を当て、まだ小さなその命の鼓動に、愛おしそうに頬をすり寄せた。
「ふふっ……私も、ですわ。私も、貴方を……世界で一番、愛しています……っ」
冷たかったホムンクルスの少女が、真の意味で「母」となり、極上の愛を孕んだ女として完成した瞬間。
この奇跡の連鎖が、のちに続くヒロインたち全員の「母なる悦び」への幕開けであることを、彼女たちはまだ知る由もなかった――。