fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
アイリスフィールの妊娠発覚から、数ヶ月の時が流れた。
長く厳しい冬が終わり、ロンドンに柔らかな春の陽射しが降り注ぐ頃。エーデルフェルト別邸の広大なサンルームは、かつてないほどに深く、甘く、そして重たい『生命の熱』に満たされていた。
「ふふっ……アストルフォさん。ほら、また蹴りましたわ。この子、貴方の声が聞こえると本当に元気にお返事するんですから」
ふかふかのソファーに深く腰を沈めた桜・エーデルフェルトは、愛おしそうに自らの大きく膨らんだお腹を撫でていた。
その丸みを帯びた下腹部には、すでにアストルフォとの間に授かった新しい命が確かに息づいている。彼女の紫の瞳は、かつての令嬢としての張り詰めた気品を完全に溶かし去り、ただただ愛する男の子供を宿した『母にして雌』の、圧倒的なまでの艶と余裕に満ち溢れていた。
「わあ……っ! ほんとだ! 桜のお腹、ぽこって動いた! すっごく元気な赤ちゃんだね!」
アストルフォは、桜の膨らんだお腹にそっと両手を当て、満面の笑みで頬をすり寄せている。彼のがっしりとした手から放たれる圧倒的な体温が、薄手の衣服越しに桜の胎内へと直接注ぎ込まれ、中の命を優しく温めていた。
「あぁっ……。アストルフォさんの熱……直接、子宮の奥まで届いて……っ。赤ちゃんも、すごく喜んでいますわ……っ」
桜は、自らの胎内を彼の色で満たされる快感と幸福感に、甘い吐息を漏らして目を細める。
「オーッホッホ! わたくしのお腹の子も負けておりませんわよ! ほら、アストルフォ、わたくしの方も撫でて愛を注ぎなさいな!」
隣のソファーでは、同じく大きなお腹を抱えたルヴィアゼリッタが、豪奢なマタニティドレスの裾を揺らしながら、アストルフォのもう片方の腕を自らの腹部へと強引に引き寄せていた。
サンルームには、桜やルヴィアだけでなく、少しお腹が目立ち始めた青子や、現代魔術科の次期当主であるライネスの姿もあった。
「本当に、君という男はデタラメじゃないか。私のお腹の中まで、完全に君の色に染め上げてしまうなんてね」
ライネスが、悪戯っぽく、けれど深い母愛を滲ませて彼に微笑む。
彼という規格外の熱源を中心に、世界最高峰の魔術師たちが次々とその愛の結晶を宿し、屋敷全体がむせ返るようなマタニティの甘いフェロモンで満たされているのだ。
その光景を、少し離れた窓辺から見つめている二人の少女がいた。遠坂凛と、まだ十一歳のオルガマリーである。
(……桜も、ルヴィアも。あんなに、幸せそうで、蕩けた顔をして……)
凛は、自らのまだ平坦な下腹部にそっと手を当てた。
毎晩のように彼に抱かれ、その火傷しそうなほどの熱と愛情を奥深くまで注ぎ込まれているというのに、彼女にはまだ命の兆しは訪れていなかった。
ただ、あの温かい腕の中で、自分も彼との繋がりを『形』として宿したい。その切実な情欲と母性が、彼女の胸の奥でジンジンと熱く疼いていた。
「凛、どうしたの? 窓のところにいたら、身体冷えちゃうよ」
不意に。背後から、途方もなく温かい腕が凛の細い腰をすっぽりと包み込んだ。
「ひゃうっ……!」
振り返るよりも早く、アストルフォの顔が彼女の首筋に沈み込み、甘い薔薇の匂いとオスの吐息が直接肌を撫でる。
「ア、アストルフォ……。私は、別に……っ」
「凛のお腹の奥、すっごくキュってなってる。……ボクの赤ちゃん、欲しい?」
耳元で囁かれた、鼓膜を直接溶かすような低い声。
「……欲しい、わ……っ。私の中に、貴方の……熱い証が、欲しい……っ。今夜……私のお腹の奥、いっぱいに……貴方で、満たして……っ」
凛は顔を真っ赤にしながらも、完全に理性を手放し、彼のがっしりとした胸板に背中を預けて情欲のままに強請った。
「お兄ちゃん、私だって負けてないんだからね!」
その甘い空気に割って入るように、オルガマリーが少し背伸びをしてアストルフォの服の裾を引っ張った。
「オルガマリー? どうしたの?」
アストルフォが凛から少し離れ、オルガマリーと同じ目線になるようにしゃがみ込む。
「私だって、今はまだお腹ぺったんこだけど……! もう少し大人になったら、お兄ちゃんの一番のお嫁さんになって、絶対元気な赤ちゃんを産んであげるんだから! だから、今のうちから私のお腹も撫でて、温めておきなさいよねっ!」
オルガマリーは顔を真っ赤にして、自分の子供らしい平坦な下腹部をポンと叩いてみせた。父に見捨てられ、ただ怯えていた頃の彼女ではない。彼という「絶対的なお兄ちゃん」に守られ、すっかりおませに成長し始めた彼女なりの、精一杯のアピール(予約宣言)だった。
「あはは! そっか! オルガマリーが大人になるの、すっごく楽しみだね! いっぱいいっぱい温めてあげる!」
アストルフォは無邪気に笑い、オルガマリーの小さなお腹を服の上から優しく撫で、その頭を愛おしそうにポンポンと叩いた。
「えへへ……。あったかい……」
オルガマリーは、大人のような情欲ではなく、純粋な憧れと安心感で彼にすがりつき、幸せそうに目を細めた。
彼らの甘く温かい時間が、さらなる深みへと沈み込もうとした、まさにその時だった。
「――っ、あ……ぁああっ!!」
屋敷の奥から、絹を引き裂くような、悲鳴にも似たアイリスフィールの声が響き渡った。
「アイリ!?」
アストルフォが弾かれたように振り返る。
「アイリスフィール様の、陣痛が始まりました!! 破水も確認しました、いよいよです!!」
清潔な白衣に着替えたセラが、血相を変えてサンルームに飛び込んできた。その後ろでリーゼリットが、大量のお湯とタオルを抱えて猛ダッシュしている。
「みんな、行くよ!」
アストルフォの号令で、屋敷中の空気は一気に「甘い微睡み」から「生命誕生の神秘」へと切り替わった。
***
特別に無菌状態の防衛結界が張られ、最高の医療・魔術設備が整えられた分娩室。
「ひぃっ……ふぅっ……! はぁっ、あぁぁぁっ……!」
純白のベッドの上で、アイリスフィールは汗だくになりながら、尋常ではない痛みに身をよじっていた。
彼女の美しい銀髪は乱れ、シーツを握りしめる指の関節は白く染まっている。
「アイリ! ボクがついてる! ボクの手、いっぱい強く握っていいからね!」
アストルフォは、ベッドの横に膝をつき、彼女の震える手を両手でがっしりと包み込んでいた。
「アストルフォ、様……っ! あぁっ、痛い、です……っ。身体が、内側から……裂けそうで……っ!」
ホムンクルスとして無痛の機能を備えていたはずの彼女の身体。しかし、アストルフォの熱によって完全に『人間の女』として作り変えられた今の彼女は、生命を産み出すという根源的な痛みを、真正面から受け止めていた。
「……アイリ、しっかり呼吸して! あんたの魔術回路のパスは私が安定させるから、赤ちゃんの生命力だけに集中しなさい!」
青子がベッドの反対側で魔力を送り込み、フィオレが生命維持のモニター(と魔術計器)を冷静に確認している。
アストルフォは、アイリスフィールと繋いだ手から、自身の持つ圧倒的な生命力と熱を、彼女の痛みを和らげるように絶え間なく流し込み続けていた。
「アイリ、頑張れ! キミなら絶対に大丈夫! ボクたちの赤ちゃんに、早く会いたいね!」
彼の紫水晶の瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ち、アイリスフィールの手の甲を濡らす。
「あ……はい……っ! 貴方の……あたたかい、熱が……っ。私に、力を……っ!」
彼から注ぎ込まれる果てしない肯定感と熱量が、アイリスフィールの痛みを「歓喜」へと昇華させていく。
彼女は、アストルフォの腕にすがりつくように上体を起こし、最後の、渾身の力を込めて息を吐き出した。
「んんんんんんんんッ……!! ぁああっ!!」
その直後。
分娩室に、生命の誕生を告げる、高く、力強い産声が響き渡った。
「オギャアアアアッ! オギャアッ!!」
「……産まれたわ! 元気な、女の子よ!」
青子が、血に濡れた小さな命をガーゼで包み込みながら、歓喜の声を上げた。
「あ……ぁ……っ」
アイリスフィールは荒い息を吐きながら、涙で霞む視界の先で、青子から手渡されたその小さな命を、自らの胸に抱きとめた。
雪のように白い産毛。
まだ開かない小さな目。しかし、その肌はホムンクルス特有の冷たい蒼白さではなく、アストルフォから受け継いだ、火のように温かく、生命力に満ちた桜色(ピンク)に染まっていた。
「……蒼崎先生。この子の、生命力は……?」
アイリスフィールが、震える声で尋ねる。
ホムンクルスである自分が産んだ子。本来なら、魔術的な欠陥や短命の呪いから逃れられないはずの命。
しかし、魔眼で赤子の波形を読み取った青子は、信じられないものを見たように目を丸くし、やがて極上の笑顔で首を振った。
「驚いたわね。……この子、ホムンクルスとしての短命の呪縛なんて、微塵も存在しないわ。アストルフォの規格外の生命力(熱量)が、遺伝子の欠陥を完全に焼き尽くして、完璧に補完してる」
青子は、アイリスフィールの頭を優しく撫でた。
「この子は、普通の人間と同じよ。ちゃんと成長して、恋をして、お婆ちゃんになるまで……あんたたちと一緒に、ずっと長く生きていけるわ」
「――――っ!!」
その言葉を聞いた瞬間、アイリスフィールの胸の奥で、張り詰めていた最後の不安が音を立てて崩れ去った。
冷たい城で、使い捨ての道具として生きるはずだった自分が。彼に愛され、熱を知り、そして今……永遠に続く、温かい未来を産み落としたのだ。
「あぁ……っ、ああぁっ……! ありがとうございます……っ、アストルフォ様……っ! 貴方が、私に……っ、こんな、奇跡を……っ!」
アイリスフィールは、赤子を抱きしめたまま、アストルフォの胸に顔を埋めて声を上げて泣き崩れた。
「アイリ……ありがとう! すっごく頑張ったね! 痛かったね! ……ボクのお姫様、すっごく、すっごく可愛いよ!」
アストルフォもまた、顔をぐしゃぐしゃにして泣きながら、アイリスフィールと、彼女の腕の中にいる小さな命を、両腕で壊れないように、けれど力強く抱きしめた。
分娩室の外で待機していたヒロインたち(と、セラやリーゼリット)も、扉越しに聞こえる産声と青子の言葉に、全員が抱き合って歓喜の涙を流している。
(オルガマリーも、凛の服の裾を握りしめながら、自分もいつかあんな風に愛の結晶を産みたいと、胸を高鳴らせていた)
「アイリ。……この子の名前、決めてあるんだよね?」
アストルフォが、涙を拭いながら優しく問いかける。
「はい……っ」
アイリスフィールは、自らの胸の中でスヤスヤと眠り始めた愛娘の、雪のように白い髪にそっとキスを落とした。
「イリヤスフィール。……イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。……私と貴方の、永遠に続く愛の結晶」
「イリヤスフィール! イリヤ! すっごくいい名前だね!」
アストルフォが、赤子の小さな小さな手を、自らの大きな指でそっと握る。
イリヤスフィールは、その圧倒的な熱に安心したのか、ふにゃりと、アストルフォにそっくりの屈託のない笑顔を浮かべた。
絶望と冷たい使命しかなかったアインツベルンの歴史は、今日ここに完全に終わりを告げた。
太陽のような騎士と、彼に愛され尽くした母によって、誰も悲しまない、無限の未来へと続く新しい命の物語が、エーデルフェルトの館で産声を上げたのだった――。