fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
翌朝。銀座の最高級ホテル、ペントハウス・スイート。
ルームサービスのワゴンと共に届けられたのは、漆黒の封筒に入れられた一通の招待状だった。
「……『玲瓏館家所有のプライベートゲストハウスにおける、ささやかな晩餐会へのご招待』。見え透いた手ね」
遠坂凛は、上質な羊皮紙の招待状を指先で弾き、冷たい笑みを浮かべた。
「昨夜、窓の外で不自然な魔力波形を放っていた使い魔……あのカラスの主は、やはり彼女でしたのね。うちの騎士殿を盗み見して、さらには罠に掛けようなどと、極東の小娘もずいぶんと舐めた真似をしてくれますわ」
ルヴィアゼリッタが、ガチャンと音を立ててティーカップをソーサーに置く。彼女の青い瞳には、エーデルフェルトの誇りを汚された怒りと、それ以上に「自分の愛する男を狙う泥棒猫」への強烈な牽制の光が宿っていた。
「お姉ちゃん、ルヴィアお姉様。……アストルフォさんを狙う悪い虫には、きちんとお仕置きをしてあげなくてはいけませんわね」
桜が、いつもの柔らかな微笑みのまま、しかしその紫の瞳の奥に底知れぬ暗い情念(ヤンデレの気配)を滲ませて首を傾げた。
「ええ。玲瓏館の黒魔術がどれほどのものか知らないけれど、うちの旦那様(アストルフォ)に指一本触れさせる気はないわ。……完膚なきまでに叩き潰して、誰のものか思い知らせてやるわよ」
凛が、指の関節をポキリと鳴らす。魔術師としての容赦ない迎撃準備が、彼女たちの間で密かに整えられた。
「やあやあ! なになに、お手紙? わあ、昨日のミサヤからだ! 東京のお友達から晩ご飯のご招待なんて、すっごく嬉しいな!」
そこに、シャワーを浴び終えたアストルフォが、相変わらずバスタオル一枚の無防備な姿で現れ、無邪気に招待状を覗き込んだ。
「あ、アストルフォ……! だから、服を着てからって……っ」
「だって、みんなに早く会いたかったんだもん! ほら、今日も凜もルヴィアも桜も、すっごくいい匂い!」
アストルフォは、企みなど一切疑わない極上の笑顔で、三人の美しい令嬢たちをまとめて自らの広い胸板へと抱き寄せた。
「ひゃうっ……!」
「あぁっ……アストルフォ……っ」
「んんっ……アストルフォ、さん……っ」
先ほどまで氷のように冷徹な迎撃作戦を練っていたはずの三大お嬢様たちの顔が、一瞬にして爆発したように赤く染まり、情欲にトロンと濁る。
彼の肌から直接伝わる火傷しそうなほどの熱と、むせ返るようなオスのフェロモン。これに触れられて正気を保てる時間など、彼女たちには一秒たりとも残されていないのだ。
「冬木のお仕事も終わったし、今夜はミサヤのお家で美味しいご飯食べて、いっぱい遊ぼうね!」
「え、ええ……っ。貴方が……そう言うなら……っ。わたくしたちが、全力で、貴方を……お守り、しますわ……っ」
ルヴィアが彼の胸に顔を埋めたまま、荒い息を吐きながら答える。
アストルフォという絶対的な太陽の前では、彼女たちはただ甘やかされるだけの極上の雌。しかし、この愛の城を脅かす敵に対しては、最強の魔術師としての牙を容赦なく剥くのだ。
***
その日の夜。
東京湾を一望できる、玲瓏館家所有の豪華な貸切ゲストハウス。
高い天井にはクリスタルのシャンデリアが輝き、重厚なマホガニーのテーブルには最高級のフレンチが並べられていた。
玲瓏館美沙夜は、黒を基調としたシックで洗練されたイブニングドレスに身を包み、冷たい微笑みを浮かべて獲物を待っていた。
(……来たわね)
エントランスの扉が開く。
アストルフォを先頭に、凛、ルヴィア、桜の三人が堂々たる足取りで足を踏み入れた。
(第一の罠。入り口に張った『重圧の結界』。相手の魔力を削り、私の前に跪かせるための仕掛け。……さあ、醜く這い蹲りなさい)
美沙夜は扇の陰でほくそ笑んだ。
しかし。
「わあーっ! すっごく綺麗なお家だね! シャンデリアがキラキラしてる!」
アストルフォは、目に見えない重圧の結界など全く存在しないかのように、軽い足取りでスタスタとホールの中央まで歩いてきてしまった。
パリィィィンッ!
彼が歩みを進めた瞬間、玲瓏館の誇る黒魔術の結界が、彼の放つ『規格外の魔力と陽のオーラ』に耐えきれず、文字通りガラスのように粉々に砕け散ったのだ。
(な、に……!?)
美沙夜の目が驚愕に見開かれる。英霊の対魔力という次元ではない。彼自身の存在の熱量が、陰惨な黒魔術をすべて無効化してしまったのだ。
その後ろを歩く凛たちも、結界が破られたことなど気づいていないかのような、あるいは「当然だ」と言わんばかりの涼しい顔で微笑んでいる。
「ようこそ、皆様。……さあ、どうぞお席へ」
美沙夜は内心の動揺を必死に隠し、令嬢の仮面を貼り直して彼らをテーブルへと案内した。
(……いいわ。結界が破られたのは想定外だけれど、次よ。私が自ら淹れたこの紅茶。微量の『魔力阻害薬』と、私の意志に服従させる『魅了の暗示』が仕込んであるわ)
美沙夜は、最高級のダージリンを彼らのカップに注いだ。
「美味しそうな紅茶! いただきまーす!」
アストルフォが何の疑いもなくカップに口をつける。
「ええ、いただきますわ」
凛たちも、揃って優雅にカップを傾けた。
(……フフッ。飲んだわね。これで数分後には、あの男は私の言いなり……)
「これ、すっごく美味しいね! でも、なんだか少し変な味がするかも?」
アストルフォが小首を傾げる。
その瞬間。
「……あら。玲瓏館の次期当主ともあろうお方が、随分と『安物の茶葉』をお使いになるのですね」
凛が、冷ややかな視線を美沙夜に向けた。
「極東の魔術などたかが知れていますが、せめて毒殺や魅了を狙うのであれば、もう少しバレないように調合すべきですわよ? わたくしたちの魔術回路には、こんな児戯にも等しい呪いなど、喉を通る前に解呪(キャンセル)されてしまいますわ」
ルヴィアが扇子で口元を隠し、クスクスと底意地の悪い笑い声を上げる。
「……っ!」
美沙夜の顔色が変わる。
彼女の仕掛けた高度な黒魔術の毒は、時計塔のエリートである凛たちの解毒魔術によって、完全に無力化されていたのだ。
「お客様に出すお茶に毒を盛るなんて、とても悲しいことですね。アストルフォさんのお腹が痛くなったら、どうするおつもりだったのですか」
桜が、一見優しげな、しかし絶対零度の殺気を孕んだ瞳で美沙夜を見据えた。
罠はすべて見透かされ、完全に無効化されていた。
美沙夜の計算は、ここに至って完全に崩壊した。
彼女は後退りしようとしたが、足が震えて動かない。
「ミサヤ? どうしたの? 顔がすっごく赤いよ?」
不意に。
アストルフォが、席を立ち、美沙夜の目の前――鼻先が触れ合うほどの至近距離にまで歩み寄っていた。
「ひゃうっ……!?」
彼が近づいた瞬間、美沙夜の鼻腔を、あの『使い魔を通じて疑似体験した』、むせ返るような薔薇の香りと、オスのフェロモンが容赦なく犯した。
幻触ではない。本物の、火傷しそうなほどの熱の塊。
「あ、来ないで……っ。私は、玲瓏館の……っ」
美沙夜は「魅了の魔眼」を起動して彼を籠絡しようと、必死に彼の瞳を見つめ返した。
しかし。彼のアメジストの瞳と視線が交差した瞬間。
美沙夜の魔眼は、彼の中にある「無限の肯定感と愛情の海」に完全に呑み込まれ、彼女自身の理性を真っ白に焼き切ってしまった。
「ミサヤの身体、すっごく震えてる。……寒いの?」
アストルフォの大きな手が、美沙夜の黒いイブニングドレスの腰へと、ごく自然に回された。
「あぁっ……! ぁ、あ……っ」
彼の指先が触れた部分から、全身の神経を直接溶かすような強烈な電流が走る。
昨夜、使い魔を通じて疑似体験させられたあの情欲の波が、何十倍にも増幅されて彼女の下腹部を直撃した。
「だめ、です……っ。触らないで……っ、私の計算が……私の、私が……っ」
美沙夜の口から、気高い令嬢らしからぬ、ひどく甘く濡れた嬌声が漏れる。
「計算なんてどうでもいいよ。ミサヤは、ボクたちと一緒にご飯食べたかったんでしょ? ボク、ミサヤのこと、いっぱいいっぱい温めてあげる」
アストルフォの顔が、美沙夜の白い首筋へと沈み込む。
「んんひぃッ……!! ぁ、ああっ……! アストルフォ……っ」
彼の熱い吐息が皮膚を撫でた瞬間、玲瓏館美沙夜の誇りも、罠も、魔術師としての矜持も、すべてがドロドロに溶け去った。
彼女はもはや自らの足で立つことができず、自らの意思で、彼のがっしりとした胸板へと力なく崩れ落ちたのだった――。