fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
コッツウォルズの夜は深く、静寂に包まれていた。
マナーハウスの最高級スイートルーム。アンティークのランプが淡く照らす天蓋付きのベッドの中で、フィリアは緊張に身を強張らせていた。
「フィリア、まだ身体が震えてるね。お布団、寒くない?」
すぐ隣から、無邪気で、しかし鼓膜を直接甘く溶かすような低い声が降ってくる。
「あ……いえ……っ。寒くは、ありません……っ」
寒いわけがない。彼女の背中には、桜色の髪の騎士――アストルフォの広く逞しい胸板がぴたりと密着し、彼から放たれる圧倒的な体温が、薄いネグリジェを貫通して直接流れ込んできているのだから。
彼のがっしりとした腕が、フィリアの華奢な腰に回される。
「ひゃうっ……!」
彼の手のひらが素肌に近い距離で触れた瞬間、フィリアの魔術回路のコアが、ドクンッと大きく脈打った。
昼間、魔力枯渇で死にかけていた彼女を強制的に蘇生させた、あのむせ返るような薔薇の香りと、純度百パーセントのオスのフェロモン。それが今度は、致死量の『愛情』となって、彼女の子宮の奥底へとじっとりと注ぎ込まれようとしていた。
「あ、あの……アストルフォ、様……っ。私のような、出来損ないの人形に……どうして、ここまで優しくしてくださるの、ですか……っ」
フィリアは、震える声で絞り出すように尋ねた。
自分は逃亡者であり、道具だ。愛される価値などない。そんな冷たい呪縛が、まだ彼女の心の端にこびりついていた。
「出来損ないなんかじゃないよ」
アストルフォは、フィリアの身体を優しく、しかし絶対に逃げられないオスの力強さで仰向けに反転させ、至近距離で彼女を覗き込んだ。
「キミは、一人で冷たいお城から逃げ出して、知らない世界をいっぱい歩いて……すっごく頑張った、強くて綺麗な女の子だ。……ボクは、そんなキミの全部を、いっぱいいっぱい愛してあげたいんだ」
紫水晶(アメジスト)の瞳が、フィリアの赤い瞳を真っ直ぐに射抜く。
そこに一切の嘘や打算はない。ただ、彼女の存在そのものを宇宙ごと肯定するような、底なしの愛情だけがあった。
「あぁ……っ、ぁあ……っ」
フィリアの瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
ずっと、誰かにそう言ってほしかった。道具ではなく、一人の『私』として見つめてほしかった。
「泣かないで、フィリア。……ボクの熱で、冷たい記憶、全部溶かしてあげるから」
アストルフォの顔が近づき、彼女の頬を伝う涙をそっと唇で拭い去る。
そしてそのまま、彼の熱い唇が、フィリアの震える桜色の唇を深く、貪るように塞いだ。
「んんっ……!! ぁ……っ、んちゅ……っ、ふぁ……っ」
初めて触れる、男の口付け。交わる舌から、火傷しそうなほどの熱と甘い唾液が流れ込んでくる。
彼の手が、ネグリジェの裾から直接素肌へと滑り込み、彼女の柔らかな太ももから下腹部、そして胸の膨らみを下からそっと揉み上げる。
「あぁぁっ……! ぁ、あ……っ! アストルフォ様……っ、だめ、私……身体の奥が、熱くて……っ、おかしく、なってしまいそう……っ!」
フィリアの論理回路は完全に崩壊した。
冷たかった彼女の身体は、今や彼を求めるための極上の器へと完全に書き換えられ、自ら進んで彼の首に腕を絡ませた。
「おかしくなってもいいよ。……フィリア、ボクの全部、受け止めてね」
「はい……っ、はいっ……! 私を……貴方の熱で、いっぱいに、して……っ!」
コッツウォルズの夜の静寂の中、孤独だった少女は、太陽のような騎士がもたらす果てしない愛と快楽の濁流に呑み込まれ、ただ彼なしでは生きられない一人のメスとして、何度も何度も甘く艶めかしい嬌声を上げ続けたのだった。
***
翌朝。
小鳥の囀りと共に柔らかな陽光が差し込む寝室で、フィリアはふかふかのベッドに上体を起こしていた。
「……おはよう、フィリア。とてもよく眠れたようね」
ベッドの傍らで、アイリスフィールが微笑んでいた。
彼女は優雅な仕草で、フィリアの乱れた銀色の髪をクシで優しく梳いていく。
「アイリスフィール……様。あ、あの、私……っ」
フィリアは、自らの首筋や鎖骨に刻まれた無数の赤い痕に気づき、顔から火が出るほど赤面して俯いた。昨夜、自分がどれほど彼に狂わされ、あられもない声で彼を求め続けたか、その記憶が鮮明に焼き付いている。
しかし、アイリスフィールはクスリと艶やかに笑い、フィリアの頬をそっと撫でた。
「恥じることはないわ。……見て。貴女の頬、おとぎ話のお姫様のように、綺麗な薔薇色に染まっているでしょう?」
手鏡を渡され、フィリアは目を丸くした。
そこに映っていたのは、昨日までの土気色で虚無に満ちたホムンクルスではない。愛する男に骨の髄まで愛され、極上の幸福と情欲に満たされた『女』の、見違えるように美しい顔だった。
「私……。こんなに、あたたかい気持ちになったの、初めてです。……アストルフォ様の熱が、まだ私のお腹の奥に残っていて……思い出すだけで、泣きたくなるくらい、幸せで……っ」
「ええ。あの方の熱は、私たちの冷たい運命をすべて焼き尽くし、本当の『命』を与えてくださる。……フィリア。貴女も今日から、私たちの可愛い妹であり、大切な『家族』よ。……もちろん、夜のベッドでは恋のライバルになるけれど」
アイリスフィールがウインクをすると、フィリアは涙ぐみながら、心からの笑顔でこくりと頷いた。
「さあ。それじゃあ、ロンドンで首を長くして待っている『お姉様たち』に、連絡を入れなくてはね。……セラ、通信の準備を」
アイリスフィールの指示で、セラが魔術通信の水晶球を起動させる。
数秒のノイズの後、水晶球の向こうに、ロンドンのエーデルフェルト邸の豪奢なリビングが映し出された。
『――あら。アイリスフィール。随分と遅い定期連絡ですこと』
画面の向こうで、金髪の縦ロールを揺らしながらルヴィアゼリッタが優雅に紅茶を傾けている。その隣には、少し不機嫌そうに腕を組む遠坂凛と、ニコニコと微笑む桜の姿があった。
「ごきげんよう、ルヴィア、遠坂、桜様。……ふふっ、ごめんなさいね。昨日はとても『熱い夜』を過ごしてしまって、少し朝寝坊をしてしまったの」
アイリスフィールが、わざとらしく自らの首元の赤い痕を見せつけるようにして微笑む。
『っ……! あんたねぇ、思い出の地だからって、少し羽を伸ばしすぎじゃないの!?』
凛が顔を真っ赤にして抗議する。
『お姉ちゃん、アイリスフィールさんのお顔、すっかり蕩けきっていますよ。……アストルフォさん、私たちがいないからって、少し張り切りすぎたのではないですか?』
桜が、扇の陰から紫の瞳をじっとりと細めた。
「ふふっ。実はね、もう一つ報告があるの。……アストルフォ様が、また新しい『お姫様』を見つけてしまったのよ」
アイリスフィールが横にずれ、画面の前に、まだネグリジェ姿で顔を赤らめるフィリアを引き寄せた。
『…………はぁ』
画面の向こうのお嬢様たちが、一斉に、しかし見事にシンクロした深い溜息をついた。
『またですか。うちの騎士殿は、本当に一瞬たりとも目が離せませんわね。……それで? 今度はどちらの迷える子羊ですの?』
ルヴィアが呆れ果てた声で尋ねる。
「アインツベルンから逃げてきた、私の可愛い妹のフィリアよ。……昨日、魔力枯渇で倒れていたところを、アストルフォ様が『自らの熱』で隅々まで温めて、介抱してくださったの」
『あ、あの……はじめまして、フィリアと、申します……っ』
フィリアが緊張しながら頭を下げると、水晶球の向こうの空気が、ふっと柔らかくなった。
『……そう。魔力枯渇で。なら、あいつが放っておくわけないわね』
凛が、毒気を抜かれたように小さく笑う。
『ええ。アインツベルンからよく一人で逃げてきましたわね。偉いですわ。……ようこそ、エーデルフェルトの愛の城へ。わたくしたちが、最高のドレスと歓迎の宴を用意して差し上げますわ』
ルヴィアもまた、気高き当主として、そして同じ男を愛する家族として、鷹揚に頷いた。
『フィリアさん。アストルフォさんの熱、すっごく温かくて気持ちよかったでしょう? ロンドンに帰ってきたら、私たちにもその時のこと、たくさん聞かせてくださいね』
桜が、最高に艶やかで、少しだけ独占欲の混じった笑顔でフィリアに語りかける。
「ありがとうございます……っ。私、皆様のところに……帰ります……っ」
フィリアの瞳から、安堵の涙がこぼれ落ちた。
「やあやあ! みんな、お待たせ! 朝ごはんの準備できたよ!」
そこに、元気いっぱいの桜色の騎士が、満面の笑みで部屋に飛び込んできた。
『ちょっとアストルフォ! あんた、また新しい子をドロドロに溶かしたらしいわね! ロンドンに帰ってきたら、私たちも三日三晩、ベッドから出してあげないんだからね!』
凛が水晶球越しに指を突きつけて宣言する。
「あはは! 望むところだよ! 凛もルヴィアも桜も、フィリアも、みーんなボクがいっぱいいっぱい愛してあげるからね!」
水晶球越しの賑やかなやり取りを眺めながら、フィリアは心から、声を出して笑った。
冷たい城の歯車として作られた彼女の運命は、コッツウォルズの緑の丘で完全に書き換えられ、これからはこの狂おしいほどに温かく、騒がしい最高の「家族」と共に、永遠に甘い時間を紡いでいくのだった――。