fate/Apocrypha偽書 千人斬りのアストルフォ 作:鰻天ぷら
ロンドンの重たい雲の隙間から、奇跡のように差し込んだ柔らかな朝陽が、主寝室の分厚いカーテンの隙間をすり抜けて絨毯を照らしていた。
ふかふかの巨大なキングサイズベッドの上。
オルガマリー・アニムスフィアは、心地よい疲労感と、全身を包み込む途方もない温もりの中で、ゆっくりと金色の瞳を開いた。
「……んっ……」
微かに身じろぎをした瞬間、下腹部の奥底から、ズクリとした甘い痛みと、痺れるような熱の残滓が全身へと広がっていく。
昨夜、自らが身に纏っていた漆黒のシルクランジェリーは、無惨にもベッドの下へ放り出されていた。シーツの波間に沈む彼女の雪のような素肌には、首筋から胸元、そして柔らかな太ももの内側に至るまで、彼が何度も何度も唇を這わせ、深く愛し抜いた証である真っ赤な印が無数に咲き誇っている。
そして何より、彼女の背中からは、がっしりとした逞しい腕が回され、その細い腰を逃がさないようにしっかりとホールドしていた。
「……すぅ……すぅ……」
背後から聞こえる、規則的で穏やかな寝息。
オルガマリーの素肌に直接密着している彼の広い胸板からは、火傷しそうなほどの圧倒的な体温と、甘い薔薇の香りが絶え間なく流れ込んでくる。
(私……本当に、彼のモノに……彼の、女に、なったのね……)
冷酷な父に見捨てられ、天体科の落ちこぼれとして、誰からも愛されずに死んでいくのだと怯えていた十一歳のあの夜。
そんな空っぽだった自分の器の隅々にまで、彼という太陽の熱と、狂おしいほどの情欲、そして絶対的な愛情が、一滴の隙間もなく注ぎ込まれている。
その満ち足りた幸福感に、オルガマリーの瞳から自然と温かい涙がこぼれ、シーツに染みを作った。
「……おはよう、オルガマリー。どうして泣いてるの? どこか、痛い?」
不意に、背中から降ってきた低く、甘いオスの声。
いつの間にか目を覚ましていたアストルフォが、彼女の肩口に顔を埋め、その涙を舐めとるように優しくキスを落とした。
「ひゃっ……」
ちゅっ、と皮膚が吸い上げられる音。
朝の光の中だというのに、彼の唇が触れた瞬間、昨夜の狂おしい記憶が鮮明にフラッシュバックし、オルガマリーの魔術回路の芯がカッと熱を帯びて激しく脈打った。
「痛く、ない……わ。ただ……幸せすぎて、夢みたいで……っ」
オルガマリーは、自らの腰に回された彼の大きな手に、自分の白い手を重ねた。
「夢じゃないよ。オルガマリーは、昨日の夜からずっと、ボクの腕の中で、すっごく可愛くて、綺麗なお姫様だったもん」
アストルフォは無邪気に笑いながら、彼女の身体をそっと反転させ、自分の方へと向かせた。
至近距離で交差する、紫水晶の瞳と、金色の瞳。
彼の視線は、もう「可愛い妹」を見るものではない。己の熱を注ぎ込み、骨の髄まで愛し抜いた「自らの女」を慈しむ、紛れもない雄の光を宿していた。
オルガマリーは、大きく息を吸い込んだ。
これまでは、彼に庇護されるだけの子供だった。だから「お兄ちゃん」や「アストルフォ様」と、一段下から見上げるような呼び方しかできなかった。
けれど、昨夜、彼と体温を混じり合わせ、同じ深淵を覗き込んだ今の自分は違う。
「……ねえ」
オルガマリーは、彼のがっしりとした首に自ら腕を回し、少しだけ背伸びをして、その耳元に甘く囁いた。
「おはよう……アストルフォ」
様、を付けない。
たったそれだけの変化。しかし、それは彼女が過去の呪縛と子供の殻を完全に脱ぎ捨て、彼と対等な『妻』としての座に自らの足で立ったことの、何よりの証明だった。
アストルフォは、一瞬だけ目を丸くして瞬きをした。
そして次の瞬間、太陽のような極上の笑顔を咲かせ、彼女の細い腰をぐっと引き寄せた。
「うん! おはよう、オルガマリー!」
彼の熱い唇が、オルガマリーの震える唇を深く、甘く塞ぐ。
「んんっ……!! ぁ……っ、んちゅ……っ」
朝の澄んだ空気の中で交わされる、二人の唾液が絡み合う卑猥な水音。オルガマリーはもう恥じらうことなく、自ら彼の広い背中を撫で回し、その火のような熱を子宮の奥底で受け止めながら、至福の微睡みの中へともう一度落ちていった。
***
それから一時間後。
オルガマリーは、少し大きめのアストルフォの白いシャツをガウン代わりに羽織り、もつれる足取りでダイニングルームへと足を踏み入れた。
「あら、随分と遅いお目覚めですこと」
優雅にティーカップを傾けていたルヴィアゼリッタが、扇子越しにオーッホッホと艶やかに笑う。
広大なダイニングのテーブルには、遠坂凛、桜、そしてライネスや青子といった、エーデルフェルト別邸の女主人たちがすでに揃っていた。
オルガマリーが部屋に入った瞬間、彼女たちの視線が一斉に突き刺さる。
いや、視線だけではない。彼女たちは、超一流の魔術師としての嗅覚と、同じ男の熱を知る女としての本能で、オルガマリーの身に起きた『劇的な変化』を瞬時に感じ取っていた。
「……おはよう、天体科の『令嬢』。いや、今日からは立派な『女(レディ)』と呼ぶべきかな?」
ライネスが、悪戯っぽく瞳を細めながら、オルガマリーの首元から覗く無数の赤い印を舐め回すように見つめた。
「兄上(Ⅱ世)が聞いたら胃薬を瓶ごと飲み干しそうなほどの、圧倒的なオスの魔力と、むせ返るような愛欲の匂い……。どうやら昨夜は、随分と可愛がられたようだね」
「っ……ライネス……っ」
オルガマリーは顔から火が出るほど赤面し、シャツの襟をギュッと握りしめた。
「ふふっ。おめでとうございます、オルガマリーちゃん。……とっても甘くて、いい匂いがしますわ。これでもう、貴女も立派な私たちの『家族』ですね」
桜が、極上の共犯者の笑みを浮かべながら、隣の空いた席へとオルガマリーを優しく促す。
「まったく。あの馬鹿体力に朝まで付き合わされるなんて、あんたもこれから苦労するわね」
凛が、呆れたようにトーストを齧りながらも、その青い瞳には温かい安堵の色が浮かんでいた。
「……でも、悪くない顔してるじゃない。昔の、怯えた仔猫みたいな顔より、ずっと綺麗よ」
「遠坂……」
かつては恐れ多かった世界最高峰の魔術師たち。
しかし今、彼女たちから向けられるのは、敵意でも哀れみでもない。同じ男の腕の中で溶かされ、狂わされた者同士にしか分からない、深く、甘い連帯感だった。
オルガマリーは、少しだけ姿勢を正し、金色の瞳に気高い光を宿して微笑み返した。
「ええ。……彼(アストルフォ)の熱は、本当にデタラメで……頭の芯までドロドロに溶かされてしまったけれど。……でも、私はもう、誰かの後ろに隠れて泣いているだけの子供じゃないわ」
彼女は、自らの胸元に手を当て、堂々と宣言した。
「天体科の君主(ロード)として、そして……彼に永遠に愛される、一人の女として。貴女たちにも、絶対に負けないんだから」
その堂々たる『正妻宣言(の仲間入り)』に、ルヴィアやライネスたちが楽しそうに笑い声を上げた、まさにその時だった。
「やあやあ! みんな、お待たせ! 今日の朝ごはんは何ー!?」
扉が勢いよく開き、シャワーを浴びてさっぱりとしたアストルフォが、相変わらずの無邪気な笑顔でダイニングへと飛び込んできた。
「アストルフォ!」
オルガマリーが、誰よりも早くその名を呼び、立ち上がって彼の胸へと飛び込んだ。
「わおっ! オルガマリー、どうしたの? まだ眠い?」
「ううん。……ただ、貴方の熱に、触れたかっただけ……っ」
皆の前だというのに、彼女は恥じらうことなく彼のがっしりとした腰に腕を回し、その胸板に頬をすり寄せた。
その自然で、甘えきった彼女の姿を見て、凛や青子たちは呆れながらも、どうしようもなく幸せな笑みをこぼす。
「ほら、可愛い新妻にばかり構ってないで、ご飯が冷めるわよ!」
「そうですわ、アストルフォ! わたくしの方にも愛の補充をなさいな!」
「あはは! みんな、順番だよー!」
ロンドンの冷たい朝の空気など完全に遮断された、エーデルフェルト別邸のダイニング。
一人の孤独な令嬢は、最強の騎士がもたらした無限の熱量と肯定感によって過去の呪縛を完全に打ち砕き、誰も逃れられないこの極上の愛の城の、最も美しく、そして狂おしいほどに幸せなヒロインの一人として、永遠の居場所を手に入れたのだった――。