月姫 -Re:Birth Saint Grail- 作:HAOSU
消失(きゆる)が再び意識の泥から這い上がったとき、右腕には既に「新しい肉」が繋ぎ合わされていた。
地下の培養槽に浮かぶ一二〇億の『志貴ジェネリック』から毟り取られた、無垢な予備パーツ。接合部の皮膚は、まだ事象の糊付けが甘く、剥き出しの神経が空気に触れるだけで通常の七倍の感度で脳を焼く。
「……あ。……あ、……」
呼吸をするたびに、肺腑が熱い。喉の奥にこびりついた薬草茶の苦みと、鉄の匂いが、自分の存在が『加工品』であることを一二〇並列で再認識させる。
部屋の隅。逆光の中に、彼女(琥珀)は立っていた。
手にした銀のトレイには、鋭利な調律用の針が並んでいる。
「おはようございます、消失さん。新しい腕の馴染みはいかがですか? 一二〇本の回路を正しく鳴らすために、今日は少しだけ、『調律』をしましょうね」
琥珀がベッドの端に腰を下ろす。その微かな沈み込みさえ、消失にとっては地獄の底へ引き摺り込まれる予兆に他ならなかった。彼女は消失の「新しい右腕」を、抗えない力で固定した。
「ひっ、……あ、あ、……やめ、ろ……っ!!」
琥珀が、消失の肘にある魔術回路の『節』に、迷いなく銀針を突き立てた。
【通常の七倍の密度で走る激痛】。
一二〇本の魔術回路が、一斉に逆流を開始する。消失の視界は虹色のノイズで埋め尽くされ、断面図レイヤーが脳内で重なり合い、七枚の絶望として脳漿を掻き回す。
「いい声です、消失さん。貴方の回路は、こうして痛みを教え込むことでしか、正しく励起(ブースト)されないんですから」
琥珀は楽しそうに、まるで楽器の弦を弾くように、少年の神経を指先でなぞる。
彼女の指が触れるたびに、消失の脳内には『琥珀という管理者』がいなければ、自分は一秒も存在を維持できないという屈辱的な依存データが強制的にパッチされていく。
「……あ、……あああ!! ……殺して、……俺を、……デリート、して、くれ……ッ!!」
「ダメですよ。貴方は、私の『最高傑作』なんですから。……さあ、五秒間の奇跡を見せてください。庭に迷い込んだ、あの『哀れな失敗作(死徒)』を、一瞬で綺麗にお掃除(デリート)してあげて」
琥珀が窓の外を指差す。
そこには、聖杯の泥に侵食され、内臓を剥き出しにしながら咆哮する吸血鬼の成れの果てがいた。
【残り時間:05:00】
消失は、涙を流しながら、右目の魔眼を起動した。
一秒。痛みに震える回路が、一二〇並列で敵の『内包歴史』を演算。
二秒。琥珀の指先が、消失の首筋を優しく、逃げられないように愛でる。
三秒。即時、かつ絶対的な破却。
四秒。庭にいたバケモノが、細胞の一片すら残さず、虹色のノイズとなって世界からパッと消え失せた。
五秒。世界が暗転する。
消失は、琥珀の膝の上に崩れ落ちた。
回路の熱で、新しく繋いだばかりの右腕の皮膚が七倍の密度で爛れ(グロ)、断面からは煙が立ち上る。
「……よくできました、消失さん。ご褒美に、今夜はもっと甘いお茶を淹れてあげますね♡」
琥珀の慈愛に満ちた笑顔。それを視界の端に捉えながら、消失の正気(SAN値)は、また一つゴミ箱へと放り込まれた。