荒廃世界にこんにちは 作:ユーザー名が今までに登録されているユーザ
ぼちぼち進めます。
「――って――ょ―!」
「――に――し―――」
くぐもった音。
それが、最初に感じたものだ。
どんよりとした鈍い色は、やみくもに混ぜっ返した水たまりにも似ていた。
一緒くたに溶け合うばかりだった淡い心地は、ひたりと滴るように、ゆっくりと、ゆっくりと、深いまどろみの底から、浮き上がって――
「――ぁぁ―あちょっとぉ――急ぎ―さいってっぇぇぇっぇ!」
「うるさい、急かさないで……」
「ムリムリムリ!せかしてんのあたしじゃない!」
ずごぉぉん、ずごぉぉん。
硬い金属を、ひずむほどに強く殴りつけたならば、丁度こんな音が響くだろうか。
がれきとほこりの降り積もる無味乾燥な室内に、それはあった。打ちっぱなしのコンクリートの正六面体の角際に、直立するのはライトグレーの長方形。
側面に小さく“ctm-88”と刻印されたそれは、長期に渡って生物の老化を先送りにするための凍眠装置とかいう設備だ。動力が尽きるまでついぞ開くことのなかったそんな置物を、人は棺桶と呼んた。
その隣も、そのまた隣も、事切れたかのように物言わぬ箱ばかりが並ぶ。そんな中のひとつだけ、たったひとつだけが、マナの淡い輝きを今も残していた。
ずごぉぉん、ずごぉぉん。
部屋の中には少女が二人。片や必死の形相で扉を押さえ、片や額に汗して凍眠装置の操作パネルと睨み合う。
ともに十と半ばほどの齢に見える彼女たちを、寝ぼけ眼でぼうっと眺める子どもが一人。それはガラス越しのことであり、密閉空間からのことであり、つまるところ、棺桶の内側からであった。
少年入りの箱の前面には“フェル”と簡素なラベルが貼られている。本人が見たなら、パッキングされた食品でも思い浮かべたかもしれない。
「えぇ……?」
困惑。
胸中のわだかまりを吐き出せば、鼻先のガラスがうっすらと曇った。状況が全くもって理解できていない。
フェルにとって、それは一瞬の出来事だった。外の奇妙な光景を鑑みるに、コールドスリープのテストとやらは成功したのだろう。はて、まるで喜ばしくない。
少女二人の格好も理解できていない。
ミリタリーの毛色が見て取れこそするものの、それはなんというか、その、あまりにも、ピチパツ、だった。
肢体の輪郭を隠すつもりのない艶消しの生地はひどく扇情的で、彼女らと似たり寄ったりな年頃の少年にはいささかを超えて刺激が強い。無骨な装備との対比が
そしてなにより理解できないものが、扉の向こう側にいるらしい。
ずごぉぉん、ずごぉぉん。
蓋板に隔てられてくぐもった音なんかより、地を伝う振動が内臓を揺さぶる感触で理解できた。打ちつける衝撃のひとつひとつが、重い。駆動する重機のすぐそばにいるかのような揺れに襲われる度、金属製と思しき扉が僅かずつひしゃげていた。
あの向こうにはいったい何がいるのだろう。少年の内心はそんな不安でいっぱいだったのだ。
「あっぁぁ〜〜っ!」
その時、扉の前で脚を突っ張らせた少女と目が合う。ずごぉぉん、ブロンドの二つ結びが揺れた。
「うるさい……あと、もうちょっとだから……!」
「ちがうってロロっ、そんなか見て!起きてる、起きてる!中のひとっ!」
「えっ……」
「ど、どうも〜…」
フェルは曖昧に微笑みながら手を振った。
二度見のち三度見。一拍おいた独特な緩急で、ゴーグル越しでも分かるほどに目線を狼狽えさせてから、ロロと呼ばれた少女も倣うように曖昧な仕草で応じた。
それから間もなくして、操作パネルから甲高い発振音が響いた。鋭い排気の後、蓋板がゆっくりと開いていく。
内外を隔てていた互い違いのかすかな温度差が、ぬるりと肌を撫ぜた。
束の間、見合う。
硬質な厚みに阻まれることのない、初めましての邂逅だ。
「ぁ……」
「えと…こ、こんにち――」
言葉半ばにずべりと滑り出した少年。正対するはゴーグル少女。後ろへ倒れ込みながらもしっかりと受け止めたロロは、ちいさな身体をその胸に掻き抱いた。
誰某ともなく、むろん裸である。
「ぅぉぉ…ぉ゙っ……き、キスリル…ゎたし…うぅごけないっ……かもっ」
「ふっざけてないでさっさと逃っげなさいってぇぇ!!」
扉の数は、少女改めキスリルが今も押さえるひとつのみ。しかし脱出だけが目的とあらばその限りにはない。絶叫じみた後押しを受けて、立ち上がったロロが次に注視するのは局部――ではなく棺桶である。
より正確を期するなら、これからの用事はその下部にあった。そこには凍眠装置に繋がる配線を束ねて流しておくためのスペースがあり、整備用の通路へと繋がっているはずだ。多分そう。きっとそう。
ロロは心の中で付け加えた不安な注釈を意図して脇へと追いやった。その傍ら、留め具を手早くバラして上の棺桶を引き倒す。ごぉんと大質量が倒れ込み、埃が巻き上がる。
箱の底面に引っ張られてきたケーブルの連なりを認めた時、自らも気付かぬ間に肺に込めたままになっていた空気を、少しだけほどいた。
切断した束を手繰り寄せて遠くに投げ捨て、その先にある空間を覗き込む。薄暗い点検路が不規則な間隔で照らされており、少なくとも行き止まりでないことが窺えた。ひとまずの安堵とともに振り返り、フェルに声をかける。
「歩ける……?」
「は、はい…なんとか」
筋肉の衰えた少年の身体を支え、ロロはゆっくりと立ち上がった。二人して通路に潜り込む寸前、キスリルを見やれば
「んもぉぉムリぃぃ、げんっかい!早くいきなさいってば!さもきゃそんまま突っ込むわよっ!」
「ぅぉ…それはちょっと……」
鼻白んだ様子のロロはハンドサインで進行方向のみを伝えると、通路へ引っ込んだ。少年も下方からの助けを借りてそれに続く。ぶらぶらと心許なく揺れる
閉所に屈み、前方から手を引かれたフェルがその場を退くやいなや、キスリルが転げ落ちるようにすぐ真後ろの位置へ突っ込んできた。
「ほら、急いでっ!」
「こっち……」
ほうほうの体で逃げ出せば、わずかに遅れて硬質な軋みが聞こえ、続いて鳴り渡る轟音が鼓膜をいたぶる。
耳鳴りの向こうでは、しばらく部屋を荒らす音が響いていた。
それから前進することしばし。追手が無いことを理解すれば、誰ともなしに溜め息がこぼれる。
張りつめていた空気が、ようやく緩んだ。