荒廃世界にこんにちは 作:ユーザー名が今までに登録されているユーザ
三人は点検口を抜けた。
周囲に何らの気配もないことを念入りに確認すると、窮屈な幅感のしみ付いた身体を思い思いに遊ばせる。
余剰を嫌った無味乾燥な設計は、一行の
それにしても隘路での並びを崩さずにいるのは半ば無意識のことで、健全に不健全たるを邁進するに憚りもなく、ちょっと異性の臀部が気になるお年頃といったところだろう。
ここまでの間、ずっと先頭を歩くロロだけは首を傾げるばかりであった。
「さ、さすがに素っ裸でいられると気が散るわね……ロロ、寝袋出してくれる? 」
「ん……」
未だに全身肌色の少年を見かねたキスリルは、小さくまとめられた寝袋をその場に広げると、腰元に提げる大振りのナイフを抜き、刃先をあてがう。簡易的な着衣を用立てる心積もりだった。
申し訳ないだのもったいないだのと些細な問答もあったが、頬を染めて言外に
寸法を測るキスリルの伸び切った鼻の下が、ロロ以外に目撃されなかったことだけは幸いだろうか。
恥じらいからこぼれる場を繕うためだけの会話は、自然と事情の経緯を求める向きへとその軌道を変えていった。
「えっと、あたしたちの目的はこの辺一帯のマナ流量の調査なんだけど、あんたは、その…」
「あっ、フェルっていいます」
「ふ、ふ〜ん?……あたしはキスリル、よろしくね。んでそっちのおかっぱ頭が――」
「……ロロナナ」
「でさ、その、フェルはどうして棺お――じゃなくって、凍眠装置なんかに入ってたわけ?」
「試験だったんです。一カ月くらいの」
「そんなに短いと試験の意味ないんじゃないの?」
「み、短いですか?結構長いと思ったんですけど」
「それ、いつ……?」
「いつって、なに、よ……あっ」
ロロ、改めロロナナの指摘で、うっすらと背景にあった認識の乖離が浮き彫りになる。よくよく内容を擦り合わせてみれば、三人はそこで初めて話の大きさを理解した。
フェルが参加したコールドスリープは百年以上も前であること、
改めて整理された情報は、生粋の平和育ちだった十代の少年にとってあまりにもショッキングなものだった。
「あー、うーん、えーっと、その……僕、これからどうすればいいんでしょうか……?」
一ヶ月程度が一世紀以上にまで飛躍したことを真芯に受けた時点で、フェルの脳はほとんど考えることを放棄している。哀愁漂うその姿はどことなく捨てられたペットを幻視させる有り様で、少女らはぎこちなく顔を見合わせた。
とはいえ状況を鑑みれば選択肢などあってないようなもの。ヘタクソなナンパじみた言い分で誘われた少年も、このまま同行する運びとなった。
フェルは貫頭衣めいた即席服の紐を相手に悪戦苦闘していた。片腕はキスリルに寄りかかるために使われており、紐を調整するためにはもう一方だけで何とかする他ない。
くるりと巻いた輪の中に通すだけ、くるりと巻いて通すだけ。そんな具合で念じるものの、対になる紐先は虚しく宙へと延びるだけに終わる。そうして前面の布がはだけ、キスリルが顔を逸らす。紐で輪を作る。空振る。キスリルが顔を逸らす。
古典的な反芻システムを作り上げた少年が尋ねた。
「マナを計測するってどういうことなんですか?」
「ぉ゙っ……そ、そいつが持ってる計器、あるでしょ」
「ロロナナさんが?」
差し示された指の先で、ロロナナが風変わりな機械を“んっ”と片手に掲げて見せる。つやりとした光沢を放つその形状は釘打ち機にも似ており、持ち手の上部には波形の広がりを映す小型のモニターが備え付けられていた。
時折かがみ込んで計器の先端を地面に押し当て、カチリと引き金を引くと短い発振音が鳴る。ある程度の距離を歩くごとに同じ動きを繰り返しているようだった。
「それで地面に何度かマーキングして計測するのよ。あたしは詳しいことあんまり知らないから、気になるんだったらロロに聞いた方がいいわ」
少年の肩を支えるキスリルは、だぶついた衣の間からチラチラと見える異性の素肌に鼻をひくつかせている。鼻孔の直径は布のずれ込む幅と連動していた。
「いいけど、かえってから。これで最後だから……」
鬱蒼と繁茂したくもり空の静寂にあって、取り留めのない会話はよく通る。古びた外付け階段の響かせる靴音も、年季のいった扉の軋みも、計器から鳴る作動音も。
そして――
「しっ、静かに。何か聞こえるわ」
「……あしおと」
硬いものが金属を掻くような音が徐々に近づいてくる。ロロナナは警戒しながらゆっくりと扉を閉め、キスリルがグレーチング越しに階下を見張り、互いの死角を潰しながら、慎重に音の出所を探る。
そこへ、キョロキョロと無軌道に首を振っていた少年がおもむろに指を差した。
「あの、あっちの屋根にいるのって…」
指先の線の結ばれた先は、正面にある家屋の屋上だ。すぐ手前の壁に阻まれた視線は、向かいの建物を半ばほども写すことなく途切れてしまうが、柵から少しでも身を乗り出したなら、確かに人影とよく似た紫交じりの赤い輪郭がポツポツと見えるだろう。
「あっち?げぇっ、三体……ま、まあさすがにここまでは来ないわよね」
「あれ、何なんですか?」
「異生種、あぶないから近づいちゃだめ……」
向こうからこちらまでは崩れた廃屋を挟んでそれなりの距離がある。影はしばらくうろついていたが、そのうち諦めるように一匹、また一匹と遠ざかっていく。
しかしどうにも様子がおかしい。
「ねぇちょっと、さすがにそれはないわよね?」
「……いやな予感」
一匹がその場で反転すると、こちらへ向かってゆっくりと歩き始める。その足取りは次第にギアを上げ、ついには猛然と走り出した。加速のほどは平地でのそれと見まごう勢いで、明らかに止まることを考えていない。たっぷりと後ろへ下がった距離を余すことなく助走に変え、真っ逆さまの寸分手前、低く撓めた姿勢から、射出されるかのごとく大きく跳躍した。
「ちょっと、そんなんあり!?」
「おったまげ……」
赤い放物線を描いた異生種は足場と言うのも憚られるがれきの山を飛び石代わりに、こちらからほど近く、壁面を回り込んだ位置にある窓枠へと取り付いた。魚を思わせる力強いうねりが吊り下がるばかりだった身体を宙へと躍らせ、四角い縁取りに残るガラス片を薙ぎ払いながら屋内へと侵入を果たす。この時には後ろの二匹もすでに助走の構えを見せていた。
「あぁもう、舌噛むんじゃないわよっ!」
「わっ!」
キスリルは少年を横抱きにして反転すると、間髪入れずに走り出す。
少女らは錆びついた柵を一息に踏み越え、折り返す階段の手すりを駆け下りるようにして階下へと跳び降りた。靴底がアスファルトを打ち鳴らすのとほぼ同時、硬質な不協和音と共に吹き飛んだ金属片の影が、鈍色の上空をよぎる。
弾かれたように駆け出す息のそろった足並みが、塀向こうに見えるむき出しの階上目掛け、がれきを駆け上がる勢いそのままに乗り上げた。すぐ下から赤い影が追随してくる。
この時点で二人は直線では分が悪いことを悟った。
つま先を転じた拍子に、首元からほどけた華奢な腕が拠り所を求めてひしりとしがみつく様子を見届けてから、キスリルは肩を並べて走るもう一人の少女を見やった。目線を結ぶや端的に方向をしめす相方の存在を頼もしく思いつつ、彼我の位置取りを思考の端に小さく刻む。
――近い。
階段を数段飛ばしで駆け上がり、踊り場から隣の建物へと飛び移っては倒壊した壁面を滑り降りる。軽業めいて二転三転する少女らの足運びは、おおよそ道と呼べるものの尽くを眼下へと置き去りにしてみせた。
その上でなお、振り切れない。
崩れた柱と壁面の奥には、追跡の気配が今も見え隠れしていた。残影を描く長い尾はまるで高度な姿勢制御装置のような役割を担うらしく、鋭角に折り畳まれる軌道にさえ尻尾をつぶさに撓らせながら難なく対応してくる敵手に、キスリルは苦い表情で歯を噛んだ。
「異生種って、にっ、人間なんですかっ!?」
「“元”、人間よっ、ああなったら動物みたいなもんだけど、ねっ!」
少年の問いは、今も必死でしがみつくその肩越しに“彼女ら”の姿を垣間見たことに端を発する。
確かに人間の女性のような見てくれをしていた。尤も、下肢の骨格が鳥類のそれに近似していなければの話だ。
ここまでの間、速度をほとんど落とすことなく逃走経路を振り回してみたものの、べったりと背中にへばり付いて離れることのない足音はその数を減らすどころか、遠ざかる様子のひとつも見られない。あまりにも異様な執念深さだった。
「はぁ、はぁっ、いくらなんでもしつこ過ぎるんじゃないっ……?」
「たしかに…はっ…はっ、はっ……ちょっと、おかしいかも……っ」
「はぁ、もうっ……!ロロ、この子お願いっ」
並走する少女らの間で受け渡されたフェル。二者が互いの速度を合わせて腕から腕へとスライドさせられていく様子は、リレーのバトンさながらだ。
行動の意図をはかりかねたロロナナが怪訝な顔で少年を抱え直した。
「なにするつもり……?」
「ちょっとこいつで遊んでやるのよ。
キスリルはベルトから取り出した円筒型の小さなボトルをおどけるように振って見せると、その場で踵を返す。入れ違う形となった加速度は、二つの背を急速に引き離していった。
「絶対にむりしないで……っ」
「――分かってるわよ」
過ぎ去る間際のかすかな残響に向けて、ぽつりと独りごちる。
異生種は唐突に動きを変えた獲物の様子にわずかな戸惑いを見せた。しかしそれも束の間のこと、鋭い眼光の奥ではすでに各々の狙いを定めており、獲物を射抜く三つの視線は散らばるように少女の周りを覆いつつあった。
立ち位置を練り込むように図る靴底が、砂利を躙った。投網めいて広がる落ち影の窄まりは刻一刻と余白を塗りつぶし、じわりと肌に焼き付くような冷たい跡を残す。
白い顎に汗が伝った。
金属音。
ほんの小さな響きを皮切りにして、四つの爪先が同時にアスファルトの荒野を掻いた。
包囲網の一匹に向かって正面から突っ込んだ少女は、目前に迫る爪をいっそう際どい位置まで引きつけ、地面へと投げ打つように身をかわす。砂埃をあげながら、転がる勢いを殺すことなく少しでも距離を稼いだ。
振り返り様に薙ぎ払われる爪がキスリルの腹を切り裂く。
それが数瞬前であったなら。
脳裏で図った数は十分だった。両の耳を塞ぐ。
三匹が一斉に飛びかからんとするちょうどその背後、乾いた音を立てて地面の窪みに転がり込んだそれは、ピンの抜けたボトルだ。
光が爆ぜた。