結城家のキッチンは狭い。
デビルーク王宮の厨房と比べれば、おもちゃみたいなものだ。
だからこそ、美柑さんと並んで包丁を握ると、お互いの肘がぶつかりそうになる。
その距離が──モモには心地よかった。
「モモさん、人参は乱切りでお願いね」
「はい、こうですね?」
まな板の上に転がした人参に包丁を入れる。
斜めに、回しながら。
美柑さんに教わった通りに。
地球に来て、まだ数週間。
お姉様──ララの後を追って、ナナと二人でこの星にやってきた。
宇宙船を降りた時は、空気の匂いが違うことに驚いた。
デビルーク星の無機質な空気と違って、地球の空気は湿っていて、草と土の匂いが混じっている。
結城家に居候させてもらうことになったのは、お姉様がそう決めたからだ。
モモに異論はなかった。
──お姉様の婚約者である、結城リトの近くにいられる。
その事実は、モモにとって都合が良かった。
ことん、と人参の切れ端がまな板から転がり落ちた。
モモはそれを拾い上げながら、自分の指先を見た。
細い指。爪はきれいに整えてある。
この手でリトさんに触れたことは、まだ一度もない。
(……リトさん)
心の中で名前を転がすだけで、胸の奥がちいさく疼く。
初めて会った時──リトさんは、モモの目を見て笑った。
「よろしくな、モモ」と。
それだけのことだ。それだけのことなのに、デビルーク星では誰にも向けられたことのない種類の笑顔だった。
作り物じゃない、真っ直ぐな──。
モモは包丁の手を止めた。
──いいえ。本当にそうかしら。
あの笑顔は本物なのか。
それとも、女を落とすために磨き上げた「武器」なのか。
学園で広まっている噂を、モモは知っている。
『結城リトはヤリチン』──。
複数の女と関係を持っている。噂だけなら聞き流せる。
けれど、モモの目は節穴ではない。
リトさんの周りにいる女性たちの空気が変わっていくのを、肌で感じ取っていた。
視線の温度。声の柔らかさ。身体の距離。
──落ちた女には、共通した匂いがある。
だからモモは他の女子に忠告した。
『リトさんには気をつけた方がいいですわ』と。
あれは本気だった。
同時に──自分自身への戒めでもあった。
お姉様の婚約者。
手を出してはいけない男。
ましてや、あんな噂のある男に。
好意を持つ自分自身が、一番危ない。
利用されるかもしれない。消費されるかもしれない。
大勢の中の一人にすら──。
「モモさん?」
美柑さんの声で意識が戻った。
「あ──ごめんなさい、少しぼうっとしてしまいました」
「大丈夫? 疲れた?」
「いいえ、平気ですわ」
猫をかぶった笑顔を貼り付ける。
これは得意だ。誰にも本心を見せない。それがモモ・ベリア・デビルークという女の生き方。
鍋に水を張り、火にかけた。
リビングの方から、ナナの声がする。
「うおっ、このサバンナキャットすげー! 見ろよこの跳躍力!」
テレビに食い入るナナの甲高い声。
平和な、結城家の午後。
鍋の水面に、小さな泡が浮かび始めた時──。
二階から、物音がした。
とん、と何かが壁にぶつかるような、くぐもった音。
モモの耳が、それを拾った。
デビルーク人の聴覚は地球人より鋭い。
続いて──声。
微かだけれど、確かに。
女の声。
モモの手が止まった。
水面の泡が、ひとつ弾けた。
「あれ、何の音だろ。ララさんかな」
美柑さんが天井を見上げた。
「きっとお姉様がまた発明品を壊したんです。わたし、見てきますね」
自分でも驚くほど滑らかに嘘が出た。
美柑さんは「お願いね〜」と鍋に向き直った。
*
階段を上がる。
裸足の足裏が、木の段板を踏むたびに微かに軋む。
一段、一段。足音を殺す。
デビルーク人のしなやかな筋肉が、体重を分散させて着地する。
二階の廊下。
西日が窓から差し込んで、フローリングの上に長い橙色の帯を作っていた。
埃が光の中を舞っている。
声は──リトさんの部屋。
モモは廊下を進んだ。
自分の影が、壁に長く伸びているのが見えた。
心臓が、こめかみの辺りで脈打っている。
ドアの前。
開いている。
2センチほどの隙間。
ドアの下端と床の間にも僅かな隙間があって、そこから部屋の中の光が漏れている。
モモはドアの横の壁に背中をつけた。
呼吸を浅くする。
そっと、顔を傾けて──隙間に目を寄せた。
最初に見えたのは、床に脱ぎ捨てられた服だった。
お姉様の制服。
白いブラウス。水色のリボン。チェックのスカート。
くしゃくしゃに丸まって、ベッドの脚元に落ちている。
その隣に、リトさんのシャツ。
モモの視線が、床から上に這い上がった。
ベッドが見えた。
ドアの隙間から覗ける角度は限られている。
だが──見えた。
お姉様の脚。
白い、長い脚が、宙に浮いていた。
足首から先がぴんと伸びて、つま先が天井を向いている。
膝の裏側に薄っすらと汗が光っている。
その脚の間に、リトさんの腰があった。
引き締まった腰が、ゆっくりと前後に動いている。
背中の筋肉が、動くたびに肩甲骨の下で波打つ。
お姉様の太腿が、その腰の両側で揺れている。
ぬぷっ……ぐちゅっ……
湿った音が、ドアの隙間から滑り込んできた。
その音の正体を、モモの頭が理解するより先に──身体が理解した。
下腹部に、じわりと熱が集まる。
「リトぉ……♡ もっと……奥……♡」
お姉様の声だった。
聞き慣れたあの明るい声が、全く別の音色になっている。
甘く、溶けて、ねだるような。
デビルーク第一王女の──あの毅然としたお姉様の声じゃない。
視界の端に、お姉様の手が見えた。
シーツを握りしめている。
指の関節が白くなるほど、きつく。
隙間から覗ける角度が変わった。
モモが僅かに首の角度を変えたから。
──見えた。
お姉様の顔。
ピンクのロングヘアが汗でこめかみに貼り付いている。
緑色の目は半分閉じられ、焦点が合っていない。
唇が半開きになって、そこから途切れ途切れの吐息が零れている。
頬は紅潮し、耳の先まで赤い。
モモが知っている「ララお姉様」の顔では、なかった。
完全に──壊されている。
リトさんの手が、お姉様の左の胸を掴んでいた。
大きい。お姉様の胸はGカップ。
リトさんの指が白い乳房に食い込んで、指の間から柔らかな肉がはみ出している。
くにゅっ……♡
親指が、勃ち上がった桜色の乳首を押し潰すように擦る。
「やぁっ♡ リト……そこ……乳首いじらないでぇ……♡」
いじらないで、と言いながら──お姉様の背中が弓なりに反っていた。
胸を突き出すように。もっと触って、と言うように。
言葉と身体が矛盾している。
リトさんは、笑っていたのだと思う。
背中越しだから表情は見えない。
けれど、肩の力の抜き方で分かる。余裕がある。
お姉様の反応を──楽しんでいる。
ずちゅっ♡ ぬぷっ♡
腰の動きが変わった。
さっきまでのゆっくりした動きから、一段深く、鋭くなる。
お姉様の脚が、びくんと跳ねた。
「ひぁっ♡♡ お、おく……っ♡ そこぉ♡ 当たって……っ♡♡」
リトさんの陰茎が、奥を突いている。
モモの位置からは直接見えない。
見えないけれど──音で分かる。
ぐちゅ、ぐちゅ、と粘膜が擦れ合う濡れた音。
お姉様の中がどれほど濡れているか、その音だけで想像できてしまう。
ぱんっ♡ ぱんっ♡
腰が打ちつけられるたびに、肌と肌がぶつかる乾いた音が響く。
お姉様のお腹の奥に、リトさんの硬い先端が押し込まれて、引き抜かれて、また叩き込まれる。
その度に、お姉様の大きな胸がぶるんと上下に揺れる。
「リトっ♡ リトっ♡ きもちいのぉ♡ おなかの中♡ ぐちゅぐちゅって♡♡」
品性の欠片もなかった。
あの、天真爛漫で、どんな時も堂々としていて、王女としての気品を自然に纏っていたお姉様が──。
涎を垂らしながら腰を振っている。
リトさんの腰に自分から脚を絡めて、もっと奥に、もっと深くと──。
モモの唇が、かさかさに乾いていた。
いつの間にか呼吸が浅くなっている。
ドアの縁を掴む指先に、力が入りすぎて爪が白くなっていた。
リトさんの右手が動いた。
お姉様の腰の後ろに回り込んで──尻尾を、掴んだ。
モモの身体が、反射的にびくっと震えた。
デビルーク人の尻尾がどれほど敏感か、モモは自分の身体で知っている。
毛の一本一本に神経が通っているような、あの感覚。
それを──掴まれた。
「ひぃっ♡♡♡ しっぽっ♡♡ だめぇ♡♡ そこだけはっ♡♡」
お姉様の身体が大きく痙攣した。
腰が跳ね上がり、シーツが引き攣れる。
リトさんは手を離さない。
尻尾の付け根を親指の腹でゆっくり、円を描くように擦りながら──腰の動きは止めない。
ずちゅっ♡ ぬちゃっ♡ ぐちゅんっ♡
二つの刺激が同時にお姉様を襲っている。
尻尾と、中と。
お姉様の目が見開かれた。
口が大きく開いて、けれど声が出ない。
無音の悲鳴。
全身が硬直して、指が痙攣するようにシーツを引っ掻いて──。
「あ────っ♡♡♡♡」
声が、弾けた。
お姉様の背中がシーツから浮き上がった。
その瞬間、モモの目に──お姉様の尻尾が見えた。
ピンク色の細い尻尾が、リトさんの腕にきつく巻きついている。
離したくない。離さないで。
本能が──理性を超えた身体の叫びが──リトさんを求めている。
リトさんの腰が、最後に──深く、奥まで突き入れられた。
どくんっ……♡
お姉様の身体が、細かく震えていた。
唇が何かを呟いている。
「リト……すきぃ……♡ だいすきぃ……♡」
ぼんやりと焦点の合わない目で、天井を見つめながら。
リトさんの腕の中で、お姉様は──笑っていた。
壊された後の、満たされた笑顔。
モモが今まで見た、どんな表情よりも幸せそうな顔。
モモは、ドアから顔を離した。
壁に背中を預ける。
天井が見えた。白い天井。結城家の、普通の天井。
心臓の音が耳の中で反響して、他の音が聞こえない。
自分の身体を見下ろした。
エプロンの下の胸が、荒い呼吸で上下している。
太腿の内側が──熱い。
モモは唇を噛んだ。
歯が皮膚を食い破りそうなほど、強く。
(わたくしは……今……っ)
反応している。
お姉様が抱かれているのを見て──この身体が。
足の裏がフローリングの冷たさを感じる。
その冷たさだけが、今のモモを現実に繋ぎ止めていた。
ゆっくりと、壁から背中を離した。
足音を殺して、階段を降りる。
一段降りるごとに、二階の空気から遠ざかっていく。
リトさんの部屋の湿った熱が、モモの肌から少しずつ剥がれていく。
キッチンに戻る直前、モモは立ち止まった。
洗面所の鏡に、自分の顔が映っていた。
頬が赤い。
目が潤んでいる。
唇に、歯の跡がついている。
モモは冷水で顔を洗った。
タオルで拭いて、鏡を見る。
──よし。いつもの顔。
キッチンに踏み入れる。
「お姉様の発明品、やっぱり暴走していましたわ。片付けておきましたの」
完璧な猫かぶりの微笑み。声は一ミリも揺れていない。
「もう、ララさんったら〜。いつも壊すんだから」
美柑さんが苦笑する。
疑っていない。当然だ。モモの演技は完璧だから。
まな板の前に戻った。
包丁を握る。人参を切る。
手が震えている。
左手で右手首を押さえた。止まらない。
こんっ、と音を立てて包丁がまな板に落ちた。
「モモさん? 大丈夫?」
「ええ、手が滑っただけですわ」
微笑む。笑う。猫をかぶる。
鍋の湯が、ぼこぼこと沸騰していた。
出汁を取るのが遅れた。美柑さんが「あ、お湯!」と慌てて火を弱める。
その騒ぎの隙に──モモは、自分の手のひらを見つめた。
この手で、リトさんに触れたことは一度もない。
この手を、リトさんに掴まれたことも一度もない。
お姉様は、全身をリトさんに掴まれていた。
あんな風に。あんな顔で。あんな声で。
(──気をつけなければ)
モモは手のひらを握りしめた。
爪が掌に食い込む。
(あの人は、本当に……危険ですわ)
警戒心が、一段引き上がる。
──けれど。
握りしめた手のひらの中に残っている感覚は、恐怖でも嫌悪でもなかった。
お姉様の尻尾が、リトさんの腕に巻きついていた──あの光景。
デビルーク人として、あれが何を意味するか、モモには分かる。
分かるから、怖い。
自分の尻尾が、エプロンの下で微かに揺れていることに──モモは気づかないふりをした。
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