眠れなかった。
目覚まし時計が鳴る三十分前に——唯の意識は浮上した。
カーテンの隙間から差し込む薄い朝日が、天井に細い線を引いている。
眠れなかった理由は——わかっている。
わかっていて、認めたくない。
結城リト。
あの名前が——一晩中、頭の中をぐるぐると回っていた。
布団の中で寝返りを打った。
シーツがひんやりと肌に触れる。パジャマのボタンが一つ外れていて、鎖骨のあたりが空気に晒されている。
(……昨夜、何を考えていたんだっけ)
考えていた——ことを、思い出してしまった。
もし——結城くんに、言い寄られたら。
「古手川——」
あの爽やかな声で名前を呼ばれて。
あの真っ直ぐな目で見つめられて。
「俺、古手川のこと——」
(——っ!!)
唯は布団を頭まで被った。顔が——熱い。朝から。
(馬鹿じゃないの。何を考えているの、私は)
あのヤリチン。あの最低男。
何人もの女の子をたぶらかしている、学園の風紀を乱す最大の問題人物。
そんな男に——言い寄られるわけがない。
言い寄られたとしても——断る。当然。即座に。
「結城くん、あなたの手口は全て見抜いていますから。私を他の女の子と一緒にしないでちょうだい」
——そう言って、きっぱりと拒絶する。
はず。
……はずなのに。
昨夜の妄想は——そこから先に進んでしまった。
「古手川は、本当に綺麗だな」
そう言われたら——どうする?
「他の女には言わない。古手川にだけ」
(……嘘に決まってるじゃない。何人にも同じことを言ってるくせに——)
でも——もし。もし、万が一。
「古手川と——結婚したい」
(けっ——けけけ結婚っ!?)
唯は布団の中で悶えた。足をバタバタさせた。
枕に顔を押し付けて、「ありえない、ありえない、ありえない」と無言で唱えた。
結城くんと——結婚。
子供がたくさん欲しいという私の夢と——あの男が——。
(子供がたくさん——結城くんの——子供——)
脳裏に——映像が浮かんだ。
白いウェディングドレス。
教会の鐘。
結城くんがタキシードを着て——あの爽やかな笑顔で——私の手を取って——。
「古手川——ううん、唯って呼んでいい?」
(——やめなさいっ!!)
唯は枕を顔に押し付けたまま、くぐもった悲鳴を上げた。
何をやっているの。朝の六時に。
布団の中で。一人で。ヤリチン男との結婚を妄想して悶えている——風紀委員の古手川唯。
(……最低)
自分が——最低だ。
あれだけ「結城くんのような男は絶対に許さない」と誓っていたのに。
あれだけ「あの手口には絶対に引っかからない」と決意していたのに。
一度も言い寄られていない。一度も甘い言葉を囁かれていない。
なのに——勝手に妄想して、勝手に動揺して、勝手に眠れなくなっている。
(結城くんは——私のことなんて、何とも思っていないのに)
その事実が——なぜか、少しだけ——苦しかった。
*
唯は布団から出た。
シャワーを浴びた。
冷たい水で顔を洗って、昨夜の馬鹿げた妄想を洗い流した。つもり。
鏡の前に立った。
タオルで髪を拭きながら——制服に手を伸ばした。
今日は——気合を入れなければ。
あんな妄想をした自分を戒めるために。
結城くんなんかに動揺しない、毅然とした風紀委員であるために。
唯は——いつもより丁寧に、制服を着た。
ブラウスのボタンを第一ボタンまできっちり留める。
襟を正す。シワを伸ばす。
——でも、ボタンを全部留めると。
B88の胸が——ブラウスを内側からぱつんと押し上げる。
ボタンとボタンの間が引っ張られて、生地がぴんと張り詰めている。
前から見ると——胸の膨らみが布地を押し広げて、ボタンの隙間から肌色がちらちらと覗く。
きっちり着れば着るほど——胸が強調される。
唯は眉を顰めた。
リボンをきつく結んだ。
リボンが胸の上に来ることで——谷間のラインが、より強調された。リボンの結び目が胸の膨らみの上に乗っかって、二つの山の存在感を主張している。
スカートは——規定丈。膝が隠れる長さ。
でも——B88・W59・H87の唯の身体には、規定丈のスカートでも十分にヒップラインが出る。
プリーツスカートの布地がお尻の丸みに沿って引っ張られて、歩くたびにヒップがぷりんぷりんと上下に揺れる。
ソックスを引き上げた。膝下の規定丈。
脚は——太腿が露出するわけでもないのに、ソックスとスカートの間に見える膝上の肌が、清潔感と色気を同時に放っている。
ブレザーを着た。ボタンを留めた。
ブレザーのボタンが——胸のところでぱつんと張る。留めると余計に胸が目立つ。でも留めないのは風紀委員として許されない。
鏡を見た。
完璧。
一つの乱れもない、風紀委員の制服。規定通り。正しい着方。
なのに——鏡に映る自分は、どう見ても——エロい。
制服が悪い。この身体に合わない制服が悪い。
ちゃんと着れば着るほど、胸とお尻の大きさが際立つ。
ブラウスのボタンの隙間。ブレザーの張り。スカートのヒップライン。
全部——規定通り。なのに全部——男の視線を集める。
(……私のせいじゃない。この身体がいけないのよ)
唯は鏡から目を逸らした。
髪をブラシで丁寧に梳かした。黒髪ロング。毛先まで手入れが行き届いている。
ヘアピンで前髪を留めて、額を少しだけ出した。
最後に——自分の目を、鏡の中で見つめた。
茶色のツリ目が、真っ直ぐに自分を見返している。
(今日は——動揺しない。何があっても)
(結城くんに会っても——平気な顔をする。いつも通り、睨みつけてやる)
(昨夜のことは——なかったことにする。全部。結婚とか——子供とか——ウェディングドレスとか——っ)
また——顔が赤くなった。
唯は鏡を睨みつけて——洗面所を出た。
*
朝食を食べた。トーストと目玉焼き。
牛乳を飲んで、歯を磨いて、鞄を持って。
玄関で靴を履く。ローファー。磨いてある。
(行ってきます)
家を出た。
通学路。春の朝の空気が少し冷たくて、頬に心地いい。
桜はまだ蕾だけれど、枝の先が少しだけ膨らんでいる。
歩きながら——唯は、無意識に背筋を伸ばしていた。
いつもより——少しだけ、歩幅が狭い。
いつもより——少しだけ、肩が張っている。
緊張している。
なぜ——結城くんに会うだけで、こんなに身構えるのか。
(別に。いつも通りよ。いつも通り、あの男を監視して、問題があれば指導する。それだけ)
それだけの——はず。
でも——今朝、いつもより丁寧に制服を着た理由。
いつもより丁寧に髪を梳かした理由。
いつもより丁寧にローファーを磨いた理由。
その全部が——結城リトという名前に繋がっていることを、唯は自覚していた。
自覚して——否定した。
(違う。私は風紀委員として、ちゃんとした身だしなみで学校に行くだけ。結城くんは関係ない。関係ないったら関係ない)
校門が——見えてきた。
唯は——深呼吸をした。
胸が——ブラウスの中で上下に揺れた。
深呼吸したせいで、ボタンの隙間がぱっと広がって、一瞬だけ——白いブラジャーの端が覗いた。
唯は慌ててブラウスの前を押さえた。
(……この胸。本当に——邪魔)
校門をくぐった。
今日も——戦場が始まる。
視線との戦い。噂との戦い。
そして——自分自身との戦い。
昨夜の妄想が——まだ、頭の隅にこびりついている。
結城くんの声。結城くんの笑顔。結城くんの——「唯って呼んでいい?」。
(——ないから。ないったら。あんな男に——絶対に——)
唯は風紀委員の腕章を、ぎゅっと握りしめた。
*
一限が始まる前に——保健室に寄った。
風紀委員として、毎週月曜の朝は保健室に顔を出すことにしている。
体調不良者の有無の確認と、備品の在庫チェック。それが——私の自主的な業務。
保健室のドアをノックした。
「失礼します」
「あら、古手川さん。おはよう」
御門先生が——デスクの椅子に座っていた。
白衣を羽織った姿。その下は——いつもの、ピンクのノースリーブにタイトスカート。
谷間が深く見えるカットの胸元。Hカップの膨らみが——布地の中で存在感を放っている。
唯は——御門先生を見て、一瞬、息を呑んだ。
今日の先生は——いつもと、何かが違う。
妖艶——という言葉が、頭に浮かんだ。
肌が——艶々している。
白くてきめ細かい肌が——まるで表面に薄い膜を張ったように、ぬめるような光沢を帯びている。
頬がほんのりと色づいていて——唇も、いつもよりぷっくりと潤っている。
栗色のショートボブが——柔らかく揺れて、耳の後ろにかかる一房が、うなじの白さを際立たせている。
(——綺麗……)
思わず——見惚れてしまった。
御門涼子先生。二十六歳。養護教諭であり名医。
薄緑色の知的な目。整った顔立ち。スレンダーだけどグラマラスな身体。
保健室の椅子に座っているだけで——その存在が、部屋の空気を変えている。
唯は——御門先生のことを、女性として尊敬していた。
知性があり、能力があり、一人で生きていける強さがある。
男に依存しない。媚びない。自分の正義を持っている。
生徒たちに慕われながらも——どこか、孤高の気品がある。
(先生みたいな大人の女性に——私もなりたい)
そう思っていた。ずっと。
同時に——こうも思う。
(先生は——これまでに、何人の男性と付き合ってきたのかしら)
二十六歳。あの美貌。あの身体。
男が放っておくはずがない。何人もの男性に言い寄られて——何人かとは、そういう関係になったこともあるのだろう。
大人の恋愛。大人の——経験。
(私には想像もつかない世界ね……)
唯は内心で嘆息しながら——チェック表を取り出した。
「先生、今週の保健室利用者ですが——」
「ええ、見せてちょうだい」
御門先生がチェック表を受け取る時——指先が、微かに震えていた。
気のせいかもしれない。でも——医学的な知識がある先生の手が震えるなんて、珍しい。
「先生、お身体の具合は——」
「ええ? あら、大丈夫よ。ありがとう」
御門先生がにっこりと微笑んだ。
いつもの——穏やかで、少しだけ気だるい、大人の笑顔。
「古手川さん、相変わらず真面目ね。朝一番に保健室に来てくれるの、あなたくらいよ」
「風紀委員として当然のことをしているだけです」
「当然——ね。なかなか、当然のことを当然にできる人はいないのよ。偉いわ」
御門先生の目が——柔らかく細められた。
励ましの言葉。先生から——もらえると、嬉しい。
「古手川さんみたいな子が風紀委員をやってくれているから、この学校は安心ね」
「……ありがとうございます。先生にそう言っていただけると、励みになります」
少し——照れた。
御門先生は、生徒の話をよく聞いて、適切にアドバイスをくれる。
穏やかに諭しながらも——芯のある言葉を持っている。
こういう大人になりたい——と、改めて思った。
チェック表を確認しながら——話を続けていると。
御門先生が——棚の上にあるファイルを取ろうと、椅子から立ち上がった。
白衣の裾がふわっと揺れた。タイトスカートに包まれた長い脚が——すっと伸びる。
腿丈ストッキングのレースの縁が、太腿の肌に食い込んでいるのがちらりと見えた。
御門先生が——棚に手を伸ばした。
その時——。
ぐらっ。
御門先生の膝が——内股に折れ曲がった。
がくがくと——膝が笑っている。まるで——立っていられないように。
「——っ」
御門先生が棚の縁を掴んで——かろうじて体勢を保った。
「先生っ!? 大丈夫ですか!?」
唯は思わず駆け寄った。
御門先生の肩に手を添える。白衣越しに——先生の身体が、微かに震えているのがわかった。
膝が——まだ、かくかくと定まらない。太腿の筋肉が——力を入れようとしても、うまく力が入らないように見える。
「あ、ああ——大丈夫、大丈夫よ。ちょっと立ちくらみが——」
「顔色は悪くないですけど——座ってください。お水持ってきます」
「いいのよ、古手川さん。そんな大げさな——本当に、大丈夫だから」
御門先生が——唯の手を軽く握り返した。
苦笑しながら——ぽろりと。
「昨夜——ちょっと、眠れなくて……」
「眠れなかった——んですか?」
「ええ……色々あって、ね」
御門先生が——椅子に座り直した。
スカートの裾を直す手つきが——いつもより、落ち着きがない。太腿を合わせる動作が——少し、ぎこちなかった。
座った瞬間——御門先生の肩が、ぶるっ——と震えた。
小さな震え。一瞬だけ。
まるで——下半身から何かが垂れ落ちそうになったのを堪えるような——そんな、不自然な震え方。
御門先生はすぐに——何事もなかったかのように、微笑んだ。
いつもの——大人の余裕のある笑顔。
でも——唯は、その震えを見逃さなかった。
「先生——本当に大丈夫です? 体調が悪いなら、今日は無理しない方が——」
「ふふ、ありがとう。本当に——ただ寝不足なだけよ」
「先生でも——眠れない夜があるんですね」
その言葉に——御門先生が、ふっと表情を緩めた。
どこか——遠くを見るような目になった。
薄緑色の瞳に——昨夜の何かが映っているように見えた。
「ええ……本当に昨日は——激しくて……」
「——え?」
激しくて——?
何が——激しいの?
眠れなかった理由が——激しかった?
御門先生が——はっ、と口を押さえた。
一瞬——薄緑色の目が大きく見開かれて。
頬に——さっと赤みが差した。
「——激しい雨が降っていたでしょう? 昨晩。雷もすごくて——それで、ちょっと眠れなくて」
昨晩——雨が降っていただろうか。
唯の記憶では——昨夜は曇りだったような気がする。
「……そうでしたっけ」
「降ってたのよ。うちの方だけかもしれないけど——ね」
御門先生が——またにっこりと微笑んだ。
でも——目が、笑っていなかった。
ほんの一瞬だけ——動揺が透けて見えた。
(……激しくて?)
その言葉の——裏側にあるもの。
何か——引っかかる。でも、それが何なのか——唯にはわからなかった。
「先生、無理しないでくださいね。体調のことは、保健の先生がちゃんとしてなきゃですから」
「ふふ、生徒に心配されるなんて——先生失格ね」
御門先生が——自嘲気味に笑った。
その笑い方が——なぜか、とても色っぽかった。
「先生失格」という言葉に——普段とは違う重みがあるように聞こえたのは、気のせいだろうか。
「じゃあ先生、また昼休みに来ます」
「ええ、いつでもどうぞ。古手川さん——学校のこと、よろしくね」
保健室を出た。
ドアを閉めて——廊下を歩きながら、唯は考えていた。
御門先生の——あの膝の震え。肌の艶。「激しくて」という言い間違い。
何かが——おかしい。
でも——何がおかしいのか、わからない。
わからないから——釈然としない。胸の奥に、小さなモヤモヤが残っている。
(先生は——大丈夫よね)
あの先生は——強い人だ。
知性があり、能力があり、大人の分別がある。
男に惑わされるような人じゃない。
(大丈夫。先生は——大丈夫)
自分に言い聞かせて——唯は、教室に向かった。
でも——あの。
『本当に昨日は——激しくて……』
そう呟いた時の——御門先生の、蕩けるような目が。
頭から——離れなかった。
*
昼休み。
今日の見回りは——ナナと一緒だった。
ナナ・アスタ・デビルーク。
ララの双子の姉妹。ピンクのロングツインテールに、紫のツリ目。小柄でスレンダーな身体。
風紀委員ではないけれど、最近は唯の見回りに自主的についてくるようになっていた。
「——で、コテ川。今日はどこ回るんだ?」
ナナが腕を組んで、ぷりっとした顔で聞いてきた。
身長151センチ。でも態度だけは一人前に堂々としている。
「二階の廊下と、中庭ね。最近中庭で弁当食べてる時にスカート短くしてる子がいるから」
「了解。あたしがびしっと言ってやるよ」
「あなたが言うとトラブルになるから、発見だけしてちょうだい」
「えー、なんでだよ」
ナナが頬を膨らませた。
この生意気な態度。子供っぽいとも取れるし、真っ直ぐだとも取れる。
唯は——ナナの横顔を、ちらりと見た。
(ナナは——大丈夫、よね)
大丈夫、というのは——結城くんのことだ。
ナナは——結城リトと同居している。
ララの婚約者であるリトの家に、ララと一緒に住んでいる。
つまり——毎日、同じ屋根の下で暮らしている。朝も夜も。
唯がどれだけ「結城くんには気をつけなさい」と言っても——物理的に距離を取れない環境にいる。
それが——唯には、不安だった。
「ナナさん」
「なんだよ」
「結城くんのこと——最近、何かなかった?」
ナナの眉が——ぴくっと動いた。
「リト? あいつがどうした?」
「どうした、じゃなくて。あの男と毎日同じ家にいるんだから——変なことされてないか聞いてるの」
「変なことって——」
ナナの紫の目が、きょとんとした。
それから——ぷっと吹き出した。
「ないって! あいつがあたしに何かするわけないだろ。あたし、リトのこと見張ってんだからな。姉上のために」
「見張ってるのはいいけど——油断しないでね。あの男は、油断した隙をつくタイプだから」
「コテ川、心配しすぎだって。あたしはリトなんかに引っかかるようなタマじゃないぞ」
ナナが——胸を張った。
Aカップの、ほとんど平坦な胸を。
……胸。
唯は——ナナの身体を、風紀委員的な視点で確認した。
制服をそれなりにきちんと着ている。スカートは規定丈より少し短いが、まあ許容範囲。
ブラウスは——余裕がある。胸元が張っていない。ボタンの隙間から肌色が覗くこともない。
身長151センチ。体重43キロ。B68のAカップ。ウエスト54。ヒップ77。
——小さい。
自分のB88と比べるのは酷だけれど——それを差し引いても、ナナの体型は——子供のそれに近い。
スレンダーで、手足が長くて、少年のような身体。
胸は——ほぼ平坦。制服のブラウスがふわりと余っている。お尻も小さくて、スカートの中で布地が遊んでいる。
(……結城くんは——こういう体型の子に、興味があるのかしら)
唯は——自分でも酷いことを考えているとわかっていた。
わかっていたけれど——考えてしまった。
結城くんの噂の相手は——モモ、籾岡、ティアーユ先生。
モモはB78。小柄だけど胸はそこそこある。
籾岡はDカップ。ギャルだけどスタイルはいい。
ティアーユ先生に至っては——Iカップ。化け物じみたスタイル。
名前が挙がるのは——全員、胸がそれなりにある女性ばかり。
つまり——結城くんは、胸が好き。
少なくとも——噂の傾向から推測すると、貧相な体型の女の子には手を出していない。
ナナは——Aカップ。
(……大丈夫。ナナの体型なら——結城くんも、相手にしないわ)
唯は——そう結論づけた。
我ながら大変失礼な結論だとわかっていたけれど——安心材料が欲しかったのだ。
ナナは——無垢で、生意気で、動物が好きで、性的なことに免疫がなくて。
もし結城くんに甘い言葉を囁かれたら——この子は、どうなるだろう。
「リトなんかスケベなだけのやつだぞ。姉上に変なことしたら、あたしがぶっ飛ばしてやる」
ナナが拳を握って、力強く宣言した。
ツインテールが揺れる。紫の目が、真っ直ぐに前を向いている。
小さい。
身体も、胸も、経験値も——全部小さい。
でも——この真っ直ぐさは、唯に少し似ていると思った。
(……この子は、守らなきゃ。私が)
風紀委員として——というより、年上の女として。
「ナナさん。もう一度言うわよ。結城くんには絶対に気を許しちゃダメ」
「わかってるって。何回目だよ、それ」
「何回でも言うわ。あの男は——」
唯は——言葉を選んだ。
「——あの男は、女の子の弱いところを見つけるのが上手いの。自分では平気だと思っていても、気づいた時にはもう遅い——そういうタイプよ」
ナナが——少しだけ、目を丸くした。
「コテ川……なんか今日、妙に真剣だな」
「いつも真剣よ」
「いや、なんか……違う。いつもより——なんていうか——」
ナナが唯の顔をじっと見つめた。
「コテ川、もしかして——寝不足か? 目の下、ちょっとクマできてる」
(っ——)
バレている。
寝不足が——顔に出ている。
「……少し寝つきが悪かっただけよ」
「何かあったのか? 悩み事とか?」
「ないわ。何もない」
「ふーん。まあコテ川って真面目だから、考えすぎて眠れなくなるタイプだよな」
ナナが——にっと笑った。
純粋な、子供のような笑顔。
その笑顔を見て——唯の胸が、少しだけ、きゅっとした。
(この笑顔を——結城くんに奪われたくない)
ナナは——まだ知らない。
この学校で何が起きているのか。女の子たちの目が、どう変わっていっているのか。
知らないままでいてほしい——と、唯は思った。
二人で廊下を歩く。
風紀委員の腕章をつけた唯と、自主パトロールのナナ。
唯の歩幅に合わせて、ナナが小走りについてくる。
小さい背中。
薄い肩。
揺れるツインテール。
この子だけは——守る。
唯は——そう決めて、背筋を伸ばした。
ブラウスの第一ボタンが——ぎしっと軋んだ。
B88の胸が——決意とともに、ぱつんと張った。