※この作品はR-18です。

ヤリチンリトに寝取られるお話   作:大軍

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モモ・ベリア・デビルークの場合(3)

 夜の結城家は、静かだ。

 

リビングのソファに座ったモモは、膝の上に開いた植物図鑑のページを眺めていた。

地球の植物は面白い。光合成の仕組みはデビルーク星のそれとほぼ同じなのに、花弁の色彩パターンがまるで違う。

──だが、今のモモの目は活字を追っていない。

 

視界の端で、リトさんが動いている。

 

キッチンで麦茶を注ぐ姿。

グラスを傾ける角度。喉仏が動いて、ひとくち飲み込む。

シャツの襟元から覗く鎖骨のライン。

何気ない所作のひとつひとつを、モモの目は拾ってしまう。

 

(……観察しているだけ)

 

そう、これは観察だ。

警戒対象の行動パターンを把握しているだけ。

デビルーク王女として当然の危機管理。

あの日──お姉様とリトさんの情事を目撃した日から、モモの中の警報レベルは一段上がっている。

 

お姉様の尻尾が、リトさんの腕にきつく巻きついていた。

あの光景が、目を閉じると瞼の裏に蘇る。

 

モモは図鑑のページを強く捲った。

紙の端で指を切りそうなほど乱暴に。

 

リトさんがリビングに戻ってきた。

 

グラスをもうひとつ持っている。

麦茶が入った、透明なグラス。

結露が表面に細かな水滴を作っていて、蛍光灯の下でちいさく光っている。

 

「モモ、喉渇いてない?」

 

差し出されたグラスを、モモは見つめた。

水滴がリトさんの指を伝って、手首の内側に落ちていく。

 

「ありがとうございます、リトさん」

 

受け取る。

指が触れないように、グラスの下の方を掴んだ。

この距離すら計算している自分が──少し、嫌になる。

 

リトさんがソファの反対側に座った。

クッションひとつ分の距離。

テレビのリモコンを手に取って、チャンネルを変える。

バラエティ番組の笑い声が、リビングに流れ込んだ。

 

ナナは自分の部屋に引っ込んでいる。動物の動画を見ているのだろう。

美柑さんはお風呂。

お姉様は──もう寝た。

 

二人きりだ。

 

モモは麦茶を一口飲んだ。

冷たい液体が喉を通る感覚に意識を集中する。

温度。味。嚥下の感覚。

それだけに集中していれば、隣にいるリトさんの体温を意識しなくて済む。

 

「最近さ」

 

リトさんが、テレビの画面を見たまま言った。

 

「モモ、なんか距離取ってない?」

 

麦茶が、気管に入りかけた。

むせそうになるのを、腹筋で堪える。

 

「……距離、ですか?」

 

声は揺れなかった。完璧に制御した。

 

「うん。前はもっと近くにいた気がするんだけど」

 

リトさんの横顔をちらりと見る。

テレビの青白い光が頬を照らしている。

表情は変わらない。世間話でもするように、軽い口調。

──だが、モモの中の警報が鳴っている。

 

(……来る)

 

この男は、今、意図的にこの話題を振っている。

軽い口調はカモフラージュだ。

獲物との距離を測っている──狩人の目。

 

「そうでしょうか? わたくし、別にいつも通りですわ」

 

微笑む。完璧なお嬢様スマイル。目元に力を入れて、口角を上げて。

猫をかぶることに関して、モモに勝てる者はこの学園にはいない。

 

「そう?」

 

リトさんが、ちらりとこちらを見た。

一瞬だけ。すぐにテレビに視線を戻した。

その一瞬で、モモの全身に鳥肌が立った。

 

あの目だ。

お姉様を組み敷いていた時の──あの、余裕のある目。

女の反応を見て、次の手を選ぶ目。

 

「じゃあ、気のせいか」

 

リトさんはそう言って、麦茶を飲んだ。

喉仏が上下する。

 

モモは図鑑に目を落とした。

ヒマワリの断面図が載っている。花弁の配列はフィボナッチ数列に従う。

そんな情報が頭に入るわけがない。

 

沈黙が、十秒ほど続いた。

 

テレビの中で芸人が転んで、スタジオが笑っている。

その笑い声が、リビングの空気をかろうじて繋ぎ止めていた。

 

「──そういえばさ」

 

リトさんが、再び口を開いた。

 

今度は、テレビのリモコンを置いて。

身体をほんの僅かに、モモの方に向けて。

 

「モモって前、俺のベッドに潜り込んできてたよな」

 

心臓が、跳ねた。

 

モモの指が、図鑑のページを掴んだまま硬直した。

思考が一瞬だけ、完全に停止する。

 

──そうだ。

 

地球に来たばかりの頃。

モモは夜な夜な、リトさんの部屋に忍び込んでいた。

布団の中に潜り込んで、リトさんの体温を感じて、寝息を聞いて。

あれは──モモの方からのアプローチだった。

好意を隠す気もなく、むしろ積極的に距離を詰めようとしていた。

 

今とは、正反対に。

 

「最近は来ないから、ちょっと気になってさ」

 

リトさんの声に棘はない。

むしろ、寂しそうですらある。

──いや、寂しそうに聞こえるように喋っている。

演技か本音か、モモには判別できない。

それが怖い。

 

「あれは……その……」

 

言葉が出ない。

モモ・ベリア・デビルークが、言葉に詰まっている。

猫かぶりの天才が、仮面の下で動揺している。

 

「お姉様に怒られまして」

 

嘘だ。

お姉様はそんなことで怒らない。

むしろ「モモもリトと一緒に寝ればいいのに!」と天然発言をするのがお姉様だ。

 

「ララが? あいつそういうの気にしないだろ」

 

──見抜かれた。

当然だ。お姉様の性格を、リトさんが知らないはずがない。

 

「い、いえ、怒られたというか……ナナに見つかって大変なことになりまして。ナナがすごく怒って、それ以来入りづらくなってしまって」

 

早口になっている。

自分でも分かる。

嘘を重ねている。しかもどんどん綻びが生じている。

 

リトさんは、ふぅん、と相槌を打った。

否定も肯定もしない。

ただ──少しだけ、唇の端が持ち上がった気がした。

 

「でもナナ、最近早く寝るじゃん。この時間もう部屋にいるし」

 

詰められている。

 

モモの背中に、冷たい汗が一筋流れた。

エプロンはもう外している。Tシャツの下の背中を、汗が伝っていく。

 

「それは……」

 

「嫌だったら別にいいんだけど」

 

リトさんが、あっさり引いた。

テレビに視線を戻す。

肩の力が抜けた、自然な姿勢。

 

──これが、この男のやり方だ。

 

追い詰めて、追い詰めて、そして引く。

こちらに「追いかけさせる」ための引き。

押されている間は壁を作れる。

だが引かれると──空白が生まれる。

その空白を、こちらが埋めたくなってしまう。

 

モモは唇を噛んだ。

図鑑のページが、汗ばんだ指でふやけ始めていた。

 

「嫌じゃ……ありませんわ」

 

──なぜ。

なぜ今、そんなことを言った。

言わなくてよかった。黙っていればよかった。

引かれた空白を、自分から埋めに行ってしまった。

 

リトさんが、ちらりとこちらを見た。

その目が──ほんの一瞬だけ、笑った。

 

「そっか」

 

それだけ。

それだけ言って、リトさんは立ち上がった。

空になったグラスを持って、キッチンに向かう。

 

「おやすみ、モモ」

 

背中を向けたまま、軽く手を振った。

廊下に消えていく足音。階段を上がる音。二階のドアが閉まる音。

 

モモは、ソファに座ったまま動けなかった。

 

テレビの光が、暗いリビングを青白く照らしている。

芸人がまた転んで、スタジオが笑っている。

 

モモは自分のグラスを見た。

麦茶は、半分残っている。

グラスの表面の結露がテーブルに小さな水溜まりを作っている。

 

リトさんが渡してくれたグラス。

受け取る時、指が触れないようにした。

あの時は正しい判断だったと思った。

 

──なのに。

 

「嫌じゃありません」と言った自分がいる。

 

モモは両手で顔を覆った。

指の隙間から、吐息が漏れる。

 

(……わたしは、何をしているの)

 

警戒しているはずだ。

あの日から、壁を一段高くしたはずだ。

お姉様の尻尾が巻きついた──あの光景を見たから。

あの男の本質を、この目で確認したから。

 

なのに、たった一言「最近来ないから気になってる」と言われただけで。

 

モモの尻尾が、Tシャツの裾の下で──きゅっと丸まっていた。

 

不安なのか。

嬉しいのか。

怖いのか。

 

モモ自身にも分からない。

分からないことが──一番、怖かった。

 

テレビを消した。

 

リモコンを置く。暗闇が、リビングを満たす。

窓の外の街灯だけが、カーテン越しにぼんやりとした輪郭を作っている。

 

ソファから立ち上がった。

グラスを流しに持っていく。

リトさんのグラスが、シンクの中に既に置いてあった。

モモのグラスを、その隣に並べる。

 

二つのグラスが、ステンレスの上で触れ合って、ちん、と小さな音を立てた。

 

モモは階段を上がった。

二階の廊下。

リトさんの部屋の前を通る。

 

ドアは閉まっている。

先日のように隙間は開いていない。

中からは何の音も聞こえない。

 

モモの足が、一瞬だけ止まった。

 

右手が──無意識に、ドアノブの方に伸びかけた。

 

(──ダメ)

 

自分の手首を、左手で掴んだ。

強く。爪が肌に食い込むほど。

 

行ってはいけない。

あの部屋に入ったら、もう戻れない。

自分がどうなるか──お姉様を見て、知っている。

 

モモは手を引いた。

自分の部屋のドアを開けて、中に入って、背中でドアを閉めた。

 

暗い部屋。

ベッドに倒れ込む。

シーツの冷たさが、火照った頬に気持ちいい。

 

天井を見つめた。

白い天井。暗くて、ほとんど見えない。

 

リトさんの声が、頭の中でリフレインする。

 

「最近は来ないから、ちょっと気になってさ」

 

あの声の温度。

寂しそうな──寂しそうに作られた、あの声。

 

(気にしてくれているの?)

 

──違う、と首を振る。

 

(あれは、わたしを引き込むための罠)

 

分かっている。

分析できている。

メカニズムは理解している。

 

それなのに。

 

モモは枕に顔を埋めた。

自分の呼吸が、枕カバーで跳ね返って、温かく顔にかかる。

 

自分の匂い。

自分の体温。

──この枕は、リトさんの匂いがしない。

あの頃、リトさんの枕に潜り込んだ時は——。

 

(考えるのをやめなさい、モモ・ベリア・デビルーク)

 

モモは寝返りを打った。

壁の方を向く。

目を閉じる。

 

尻尾が、シーツの下で所在なく揺れていた。

 

眠れない夜が、また一つ増えた。

 




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