……また来てしまった。
言い訳が、もう出てこない。
三回目。
事故じゃない。衝動でもない。週末の夜、同じ裏路地に立っている。暖簾の場所を覚えている。雑居ビルの壁のどの位置に紺地が浮かぶか、もう知っている。
階段は十七段。踊り場で右に折れる。壁の青白い紋様は三回目でも不気味だが、足が止まらない。畳の匂いが階段の途中からもう届いている。
驚かなくなっている。
ポケットに手を入れた。名刺の角に触れる。ピリピリしない。小指も温かくない。腕を擦っても、もう桜の匂いはしない。
全部消えた。
消えたのに、名刺を捨てていない。ポケットの中で名刺の角を親指でなぞっている。無意識に。それに気づいて、手を抜いた。
番台のじい。
目が、少し長く開いていた。
俺の顔を見て──名刺を見せる前に、頷いた。
覚えられている。顔を。
「今日はどの子にするかのう?」
指名が前提になっている。三回目で常連扱い。
(……ポイントカードでもあんのか。スタンプ三つで次回割引とか)
指名ボードを見る。筆書きの名前が五つ。前回と同じ配置。同じ文字。
「雷花」。
見慣れた二文字だ。指先が一瞬だけ、ぴりっと反応した。すぐ収まった。
「霞桜」。
小指が動きかけた。──小指を、握り込んだ。
「刃霞」。
知らない字だ。見たことも聞いたこともない。前の二人の記憶が強すぎて、知っている名前を選べない。知らない名前の方が、まだ楽かもしれない。
そんな消去法は、指名として最低だとわかっている。
「……刃霞で」
「ほほ」
じいが声を出した。──だが、前の二回とは声色が違った。何が違うかは、うまく言えない。
「……あれは手強いぞい」
「元気のいい子」でも、「明るくてよい子」でもない。──「手強い」。
その一言に含まれているものが、好意なのか警告なのか、じいの細めた目からは読み取れなかった。底が見えない目が、一瞬だけ少し開いて──また閉じた。
(……「手強い」って、ソープ嬢の紹介文として適切か?)
---
地下二階。三回目の階段を降りて、三つ目の個室に通された。
引き戸に手をかけた。
──開ける前から、違った。
前の二部屋は、扉の向こうに「空気」があった。
一回目はピリッとした緊張。
二回目は桜の甘さ。
三回目は──匂いの前に、圧が来た。引き戸の隙間から、何かが押し返してくる。
開けた。
空気が重い。肌に膜が張るような抵抗がある。壁の直角が微妙にズレている。天井が低いようで高い。空間自体が歪んでいる。
(……前の二部屋は「内装こだわってるな」で済んだが、ここは「建築基準法大丈夫か」だな)
白檀の匂い。歪んだ空間に溜まって、逃げ場を失っている。甘くない。辛い。鼻の奥にじりじりと居座る。
座って待った。畳に正座する。体重が微かに左に偏る。床が傾いているのか。判定できない。
(……「手強い」って、こういう意味か)
扉が開いた。
音がしなかった。引き戸が滑った気配も、足音も、衣擦れもない。気づいたら開いていた。
立っていた。扉の向こうに、黒い着流しの女が立っていた。
長身。俺より背が高い。黒髪が腰まで流れている。
歪んだ空間の中で、この女だけが歪んでいない。
壁はズレている。
天井は狂っている。
だがこの女の姿勢は、一本の線が通ったように真っ直ぐだった。
目が鋭い。素で鋭い。──ただし、冷たくはない。
凛としている。
目を合わせた瞬間に、空気の重さがもう一段増した。
肌が白い。冷たい白さ。手首の内側に青い筋が透けている。
帯に木刀を差している。
(……ソープ嬢が帯刀してくるのは初めてだ)
帯の結びが硬い。
隙がない。
着流しの合わせも正確で、肌の露出が一切ない。首から上と、手首から先だけが見えている。
「あなたは──捕虜よ」
声は落ち着いている。
低すぎず、芯がある。凛とした女性の声。
「これより尋問を開始いたします」
間。
穏やかな微笑みが浮かんだ。
「……ご協力、お願いします」
(……丁寧に言えばいいってもんじゃない)
「刃霞と申します。以後、よろしく」
刃霞。指名ボードで見た名前だ。読み方は「はがすみ」だったのか。
刃霞が歩いてきた。足音がしない。
畳の上を滑るように移動する。正面に来た。俺の前に正座した。
正座の所作が、尋常じゃなかった。
膝をつく。腰を降ろす。背筋を伸ばす。手を膝の上に置く。一切の無駄がない。型がある。正座に型があるのか。あるらしい。
(……正座で負けた気がする。相手はソープ嬢だぞ)
帯の木刀を外して、畳の上に置いた。
刃を自分に向けて、柄を客に向ける。置くだけの動作なのに、木刀が畳に触れる角度が正確すぎて、逆に怖い。
帯の横に掛けてあったタオルを、一閃で引き抜いた。居合抜きの構えから差し出すまでが一拍。完全に武人の所作だった。
──差し出す最後の瞬間に、「どうぞ」と微笑んだ。
(……タオルを抜刀するなよ)
タオルを受け取る。白檀の匂いが染みていた。布越しでも辛い。
だが、指先が最初に拾ったのは匂いではなかった。冷たさだった。
刃霞の手に触れたはずのタオルなのに、体温が移っていない。
刃霞が茶を点て始めた。
(……え? ここソープだよな?)
茶筅が回る。湯気が立つ。白檀の匂いの中に、抹茶の苦い香りが混ざった。
茶碗を俺の前に置いた。正面を客に向けて。作法が完璧だった。
「まず一服、召し上がってください。もてなしは基本です」
(……お茶って、もてなしの方向性が根本的に間違ってないか)
飲んだ。悔しいが美味い。
刃霞が巻物を開いた。
カリキュラムでも手順書でもない。
「尋問計画書」。筆書き。達筆。だが赤ペンで修正が大量に入っている。
「拘束時の空間密度」の横に数値が二重線で消されて書き直されている。
「身体検分の範囲」の欄に花柄の付箋で「要再考」の三文字。
(……マニュアルの時点で赤ペンだらけ。完璧主義が仕事を増やすタイプだな。あと付箋可愛い)
「尋問の目的をお伝えします。あなたの弱点を白状していただきます」
(……弱点?)
「身体のどこが最も……」
一瞬、間が空いた。
「……その……弱いのか。どのように触れられれば耐えられないのか。それを白状されるまで、解放はいたしません」
「その……」で詰まった。だが顔色は変えずに読み切った。
(……こいつ本気で「尋問」だと思ってやってないか?)
「一の段。身体検分──弱点の掃索。二の段。密着拘束施術──弱点への圧迫。三の段。自白強要──最終尋問」
間。
「……この流れでよろしいか」
(内容が完全にソープのメニューなのに、確認まで丁寧にするな)
---
「一の段。身体検分を開始いたします」
刃霞が立ち上がった。正面のまま。背を向けない。
帯に手をかけた。
恥ずかしがらない。見せびらかしもしない。
当然のこととして解いている。武人が鎧を外すように。帯が解ける音がした。硬い結びが緩む、乾いた音。
着流しが肩から落ちた。黒い布が畳の上に流れる。
白い。
匂いが変わった。
着流しに焚き染めた白檀が畳の上の黒い布に残っている。
刃霞の肌からは別の匂いがする。硬い。金属的な。鋼を研いだ後に残るような、甘さのない匂い。白檀が「着流しの匂い」なら、これが刃霞自身の匂いだ。
鎖骨が深い。肩甲骨が浮いている。その下にしなやかな筋肉がある。
剣を振る身体の筋肉。
胸。──大きい。
ゆきかぜの引き締まった胸板とは世界が違う。
さくらの柔らかな膨らみより、さらに大きい。
だが垂れていない。
鍛えた体幹が支えている。形がいいまま大きい。
乳首が薄いピンクで、肌が白いから際立つ。勃起していない。肌と同じで、冷たそうに見える。
腰から下。長い脚。太腿の筋肉が薄く浮いている。
尻が引き締まっている。
陰毛は黒い。黒髪と同じ色で、整えていない。
「捕虜も脱ぎなさい」
間。
「……お脱ぎいただけるか」
脱いだ。刃霞は見ていた。目を逸らさない。関節の位置、筋肉のつき方。「弱点の掃索」を文字通りやっている。
「ふむ」
一言。体型への感想はない。
(……せめて感想くらい言えよ。ソープだろここ)
浴場に移動した。湯は透明。入浴剤はない。白檀の匂いが湯気に乗って重くなる。
刃霞が自分の身体を洗い始めた。殺陣の所作で泡を塗る。
上段から下段へ、一切の迷いがない。
途中で巻物を開いて赤ペンで「洗体要領」に書き込んでいる。
泡まみれの手で。巻物に泡が落ちる。気にしていない。
(……施術中にマニュアル修正するな)
「このように洗いなさい。弱点は触れなければわかりませんもの」
客が泡を手に取ると、手首を掴まれた。
「構えが甘い。手首をもう少し返しなさい」
(……洗体に構えがあるのか)
手首の角度を直されて、肩に触れた。泡越し。ひんやりとしている。
刃霞の肌は、湯に浸かっていたはずなのに温まっていない。
鎖骨を洗う。泡の下に骨の形がわかる。硬い。肋骨。泡を塗る手が肋骨のひとつひとつを数えていく。
刃霞は何も言わない。教官の目で、俺の手の動きを監視している。
「弱点は見つかったかしら?」
「……まだ」
「ふむ。上半身に弱点がないなら、下半身を探りなさい」
論理的だ。反論できない。
手が腹を過ぎた。下腹部に近づく。
刃霞の呼吸が止まった。
俺の手が下腹部に近づいた瞬間、呼吸が止まった。
「……そこは、もういいわ。自分で洗ったもの」
(いや、お前が「このように洗いなさい」って言ったんだが)
声のトーンが変わっていた。今まで一度も間を置かなかった刃霞が、間を置いた。
手を引いた。だが太腿に触れた。肩と同じ温度だ。触れた場所から熱が吸い取られていく感覚。
次は刃霞が俺を洗う番だった。
俺を座らせて、泡を立てる。
手のひらが俺の胸板に触れた。冷たい。研がれた刃を当てられたような温度だった。肌が粟立つ。
胸板から腹。
腹から下腹部。手が降りていく。
殺陣の所作が保たれている。一定の速度。一定の圧。
下腹部を過ぎた。
手が、止まった。
泡の中に、冷たい指が五本、動かない。一度深呼吸してから、再開した。
竿に触れた。
冷たい指が五本、竿の根元を包んだ。
湯に浸かっていたはずの手なのに、氷水に浸けたような指だ。竿の表面が一瞬で冷やされる。鳥肌が竿に立つ。
だが冷やされた表面の下で、芯が逆に狂ったように熱くなる。冷たいのに硬くなる。
刃霞の冷たい指の中で、竿が硬くなっていく。
刃霞が目を逸らした。初めて。
「べ、別にこれは任務の一環であって……特別な意味は、ないわ」
首筋が赤い。白い肌だから、微かな赤みでもはっきり見える。
刃霞の指が竿を泡越しに洗う。
殺陣の所作は崩壊していた。型が消えて、普通の女の手になっている。力の入れ方がわかっていない。均一に弱い。
だが冷たさが、感覚を研いでいる。温かい手で触れられるより、遥かに鮮明に一本一本の指の位置がわかる。親指がどこにあるか。人差し指がどの角度で触れているか。
刃霞の親指が亀頭の裏筋を擦った。
亀頭の先端だけ温度が抜かれる感覚。腰の奥がギュッと締まった。背骨を伝って、うなじまで一瞬で駆け上がる快感。
もう一度。今度は人差し指と親指で亀頭を挟んで、泡越しに回すように擦った。
冷たい指の間で、亀頭だけが熱い。温度差が快感を研ぐ。鋭い。太い快感ではない。鋭くて、細くて、逃げ場がない。
「……くっ」
声が漏れる。
刃霞の指が止まった。俺の声に反応した。一瞬だけこっちを見て──すぐに逸らした。
だが指は止まらない。止まらないまま、目だけ逸らしている。指は触れているのに目を合わせない。
──自分の指が何をしているか、直視できないんだ。
亀頭の先端を親指が擦るたびに、腰の奥がゾクッとする。
体温がないから、こちらの熱だけが際立つ。
冷たい指が動くたびに、竿の表面を撫でる泡が微かな音を立てる。さっきまでの殺陣の泡音とはリズムが全然違う。
不規則で、ためらいがあって、それが逆に──。
腰が、勝手に跳ねた。
刃霞の手の中で、腰が前に出た。亀頭が刃霞の掌の奥に押しつけられた。
「……っ」
刃霞の指が強く握った。反射。──その瞬間だけ、力の入れ方を知っている手になった。すぐに緩んで、また均一に弱い手に戻った。
(……今の反射、覚えてるからな)
指が離れない。冷たい指が竿を包んだまま、泡がゆっくりと流れていく。
---
「二の段。密着拘束施術でございます」
刃霞がマットの上で構えを取った。印を結んでいる。
空気がミシッと鳴った。
部屋の形が一瞬変わって、戻った。身体が浮きかけた。
「空間の調整よ。問題ないわ」
問題しかない。
「調整完了。──弱点を白状されるまで、この空間からは出しません」
印を結び直す。
──身体が押しつけられた。
歩いてきたのではない。空間が縮んだ。距離が消えた。気づいた時にはもう密着していた。
胸板に冷たさが触れた。
刃霞の胸が、俺の胸板に押しつけられている。
──大きい。
さくらの胸も大きかった。だがさくらは柔らかさで包んできた。
刃霞は違う。鍛えた体幹が胸を支えているから、潰れても形が崩れきらない。
弾力で押し返してくる。潰れた分だけ横に広がって、胸板との接触面積が増えていく。
乳首の硬さが、肌越しに直接伝わる。冷たい。点で、冷たい。
胸板への圧力が、呼吸のたびに変わる。
刃霞が吸うと圧が増える。吐くと減る。
吸って、増えて、冷たい乳首が押しつけられて──吐いて、減って、乳首が離れかけて──また吸う。
俺が揉まれている。刃霞の胸で。
刃霞が動こうとした。
動けなかった。
「こ、これは術の副作用で……」
(……こいつ、自分で仕掛けた術から出れなくなってないか)
空間が圧縮されて、数センチの隙間もない。印を組み直す空間がない。
「……解除するわ。少し……待って……」
解除できない。手が動かない。手の行き場がない。
触れるつもりがなかった場所に、触れている。
刃霞の呼吸が速くなった。
俺の呼吸も速くなっている。
呼吸するたびに、刃霞の胸が膨らんで、俺の胸板に擦れる。
乳首が押しつけられて、離れて、また押しつけられる。呼吸のリズムで。動かなくていい。呼吸するだけで擦れる。
汗が出た。
刃霞の肌にも汗が浮いた。
冷たかった胸の表面が、汗で滑り始めた。
摩擦が変わる。さっきまで皮膚同士が引っかかっていたのが、汗の膜で滑る。
滑るようになったら、乳首の軌跡が長くなった。
呼吸一回分の擦れが、三センチから五センチになった。
勃起した乳首が俺の胸板を横切るたびに、背骨がゾクッとする。
左の乳首が俺の乳首の上を通過した。
──息が止まった。
一瞬だけ。乳首と乳首が触れる感覚は、予想していなかった。
温度が変わり始めた。
刃霞の肌は冷たかった。
だが密閉空間で二人の体温が逃げ場を失っている。汗で蒸された白い肌が、少しずつ温まっていく。
白檀が薄れた。鋼の匂いが残った。だが鋼も、汗で蒸れ始めている。
硬かった匂いの角が丸くなっていく。武人の素肌の匂いが、自分の汗と体温で、別の匂いに変わっていく。
「……あの……胸が、当たっているのだけれど……」
(……それ俺のセリフだ)
勃起した竿が刃霞の下腹に当たっている。密着しているから逃げ場がない。
刃霞の肌越しに、竿の熱さが伝わっている。冷たかった肌が、竿が当たっている場所だけ温かくなっている。
「な、何を見ているの……っ」
(……目の前にお前しかいないんだが)
どちらかの腰が動いた。
微かに。刃霞なのか。俺なのか。わからない。空間が狭いから、どちらの動きがどちらの振動なのか区別がつかない。
竿が刃霞の太腿の間に入っていた。
鍛えた太腿だ。筋肉で挟まれている。逃げ場がない。
刃霞の割れ目が竿の裏筋に触れている。入っていない。だが太腿の間で竿が割れ目に擦れている。呼吸するたびに。
湿っている。冷たかったはずの場所が、ここだけ温かい。
上からは胸の圧迫。下からは太腿の圧迫。竿が刃霞の割れ目に擦れる。
同時に、胸が胸板を擦る。
上と下で別の快感が同時に来る。どっちに意識を向ければいいかわからない。下に意識を向けた瞬間に乳首が擦れる。胸に気を取られた瞬間に竿が割れ目を滑る。
逃げ場がない。
呼吸のたびに腰が微かに動く。どちらの腰かわからない。竿が割れ目を滑った。
亀頭がどこかに触れた──刃霞の腹筋が痙攣した。一瞬だけ。太腿の圧が跳ね上がって、竿が絞められた。
「あっ……♥」
太腿は緩まない。緩まないまま、また呼吸で擦れる。
擦れるたびに割れ目が濡れていく。最初は汗だったものが、もう汗じゃない。
粘度がある。温かい。竿の裏筋が、刃霞の愛液で光っている。
空間が軋んだ。刃霞の呼吸の乱れに連動している。術の制御が限界に近い。
刃霞の腹筋が俺の腹に押しつけられている。
薄い筋肉の凹凸が伝わる。陰毛が下腹に触れている。太腿が太腿に重なっている。密着面のすべてが、呼吸のたびに微かに動く。
目を閉じれば楽かもしれない。密着の感触だけなら、まだ耐えられる。
だが刃霞の目が見えている。
十五センチ先に、鋭い目がある。潤んでいる。
(──こいつの目。恥ずかしがってるんだ。完璧にやりたかったんだ、この「尋問」を。それが全部崩れた)
目を閉じなかった。
刃霞がその視線に気づいた。目を逸らそうとして──首が動かない。空間が狭すぎる。
二人の目が合ったまま、動けない。
刃霞の喉から声が漏れた。
竿が割れ目を擦るたびに、刃霞の太腿が締まる。締まるたびに竿が圧迫される。圧迫されるたびに腰の奥が熱くなる。
冷たかった太腿が、今は温かい。汗で滑る。摩擦と滑りが交互に来て、どちらが快感なのかわからない。
「……解除するわ。少し……待って……」
素の口調だ。だが震えている。
印を組もうとして、指が俺の腰に触れた。冷たかった指が、温かくなっている。
---
刃霞の呼吸が崩れた。
空間が保てなくなった。
ミシッ──パン。
空間が弾けた。壁が元の位置に戻る。天井が高くなる。
──冷気が流れ込んだ。
密閉されていた空間に、外の空気が一気に流入する。汗で蒸された肌に、冷たい空気が触れた。全身の毛穴が閉じる。
肌が覚醒した。蒸されてぼやけていた感覚が、冷気で一度リセットされる。
密着していた箇所の輪郭が、離れた瞬間にくっきりと浮かぶ。
胸板に刃霞の乳首が当たっていた場所。腹に腹筋が押しつけられていた場所。太腿の間に竿が挟まれていた場所。
全部が、離れたことで逆に鮮明になった。
背中に畳の感触が戻った。広い。
反動で、二人とも動いた。
腕が広がった。脚が伸びた。拘束中に固まっていた筋肉が、一気に弛緩した。
刃霞が仰向けになった。
黒髪が扇状に畳の上に広がっている。
着流しは腰にかかっているだけで、上半身は完全に露出していた。白い肌に汗が光っている。
胸が上下に揺れている。
呼吸が荒い。
大きな胸が、仰向けの重力で左右にわずかに流れている。
それでも形が崩れきらない。鍛えた体幹が支えている。汗で光る胸の谷間に、白檀の残り香と刃霞の汗の匂いが溜まる。
乳首が汗の中で硬く立っている。
蒸された肌が冷気に触れて、温度差で勃起している。
肌の匂いが変わっていた。鋼の硬さが汗に溶けて、角が取れている。白檀の残骸と混ざって、どちらとも違う甘さになっている。武人の匂いでも、着流しの匂いでもない。刃霞の身体だけが出す、蒸された匂い。
「……わたし、は……」
素の女性語。
「……こんな、つもりでは……」
声が震えている。
呼吸が一つ、深くなった。
目を開けた。──鋭い目。芯が戻っている。
「……意のままに、するがよい」
刃霞の脚が開いている。太腿の内側が汗で濡れている。黒い陰毛が汗で光っている。割れ目が見える。
愛液が太腿の内側を伝っていた。拘束中に、密着の摩擦で出ていたもの。太腿の間で竿を挟んでいた場所が、一番濡れている。
竿を刃霞の割れ目に当てた。
刃霞の目が開いた。鋭い目が俺を見ている。丸くなっていない。鋭いまま。だが濡れている。
挿入した。
膣壁は──冷たかった。
入口が冷たい。竿の先端だけが冷やされる。洗体の時の指と同じだ。──だが内壁は指より狭い。冷たい壁が竿を全方向から締めている。
さらに奥へ。
温度が変わった。冷たさの奥に、熱い層がある。表面だけ冷たくて、奥へ進むほど熱い。温度の勾配が、竿の表面を伝って感覚を研ぐ。
亀頭が冷たい壁を押し分けて、最も熱い場所に届いた瞬間──刃霞の腹筋が締まった。
膣壁が竿を絞った。
──きつい。
さくらの膣壁は柔らかく包んだ。ゆきかぜの膣壁は電流で痺れさせた。刃霞の膣壁は──絞る。筋肉で。剣士の体幹が膣壁と繋がっている。腹筋が締まるたびに、膣壁の圧が変わる。呼吸で腹筋が動くから、呼吸のたびに竿が絞られる。
「……くっ」
刃霞の声。短い。──だが脚が俺の腰に絡んだ。
空間操作ではない。刃霞自身が、絡めた。引き寄せた。奥まで入った。亀頭が最も熱い壁に押し当てられた。
刃霞の背中が反った。
体勢が変わった。俺が上。刃霞が下。
腰を動かし始めた。拘束中に溜まった分だけ、二人とも最初から限界に近い。
引き抜くたびに膣壁が吸いつく。
根元まで入れると奥の壁に亀頭が当たる。当たるたびに刃霞の腹筋が反射的に締まって、膣壁が竿を絞る。
こっちが動くと向こうが締まる。
締まるからもっと奥まで入れたくなる。入れるともっと締まる。
「はぁ……くっ♥」
膣壁は絞り続けている。声が壊れても身体は正直だ。
腰を引いて、根元まで突き入れた。亀頭が奥の壁に当たった。
「……そこ……いいわ……っ♥」
奥の壁に亀頭を押し当てた。刃霞の太腿が震えた。脚が俺の腰を強く引いた。自分から奥まで入れさせている。──さっき「もういいわ」と手を引かせた女が、脚で奥まで引き込んでいる。
「べっ……別に、感じてなんか……っ」
膣壁がぎゅっと締まった。
胸が揺れている。大きな胸が、突き上げるたびに波打つ。
仰向けでも形が崩れきらない胸が、重力と腰の衝撃で上下に揺れる。その揺れが腹筋に伝わって、腹筋の振動が膣壁に伝わる。突くたびに揺れる。揺れるたびに締まる。
揺れる胸の頂点に、薄いピンクの乳首が立っている。汗で光っている。──さっき胸板に擦りつけられた、あの冷たい点。
身を屈めた。
腰を繋げたまま、口を落とした。右の乳首を唇で挟んだ。
──冷たい。
舌先に触れた乳首は、まだ冷たかった。刃霞の肌の中で、一番最後まで温まらない場所。硬い。勃起した乳首の先端が、舌の上で小さな粒として転がる。
吸った。
唇で根元を塞いで、舌で押し上げながら吸い込んだ。冷たい乳首が、口腔の温度に晒される。舌の裏が乳輪の凹凸を拾う。細かい粒状の突起がある。舌で潰すと、乳首の根元がぴくっと動いた。
──膣壁が締まった。
吸った瞬間に、竿を包む壁が絞られた。乳首と膣壁が繋がっている。上から信号を送ると、下が反応する。
「──っ、そこ……吸うな……っ」
声が裏返った。だが胸を引こうとしない。引けない。仰向けで俺が覆い被さっているから、逃げ場がない。
舌で乳首を弾いた。先端を舌先で軽く押して、離す。弾かれた乳首が戻るまでの振動が、胸全体に伝わる。
膣壁がびくっと痙攣した。乳首を弾くたびに、膣壁が不規則に収縮する。呼吸連動の規則的な締まりではない。不随意の、制御できない収縮。
冷たかった乳首が、唾液の中で温まり始めていた。
舌先が拾う温度が変わっていく。冷たい→ぬるい→温かい。温まるにつれて、乳首が柔らかくなる。硬い粒だったものが、ほんの少しだけ弾力を持つ。
左の乳首にも触れた。指で。親指と人差し指で挟んで、軽く転がした。左が指、右が舌。左右で別の刺激を同時に入れた。
刃霞の背中が跳ねた。
「くっ──やめ──っ♥」
言葉が全部途切れた。膣壁が不規則に痙攣して、竿の全長を断続的に絞っている。乳首への刺激が直接膣壁に変換されている。
右の乳首を歯で軽く挟んだ。噛んでいない。歯の硬さを当てただけ。
刃霞の腹筋が弾けた。全身が一瞬硬直して、すぐに弛緩した。
硬直の瞬間に膣壁が最大に締まって、弛緩で緩んだ。──その落差が、竿の全長に走った。腰の奥がゾクッと鳴った。
乳首から口を離した。
唾液の糸が一瞬だけ繋がって、切れた。
右の乳首が唾液で濡れて光っている。
左の乳首は指の圧で赤くなっている。左右で色が違う。右が濡れたピンク。左が圧迫のなな
白い肌に紅潮が広がっていく。首から胸。胸から腹。透明感のある白い肌だから、紅潮の境界線がはっきりわかる。赤が白の上を塗り潰していく。乳首の周囲だけ紅潮が濃い。吸われた場所と、指で触られた場所。
「……奥まで──っ♥♥」
もう否定すらできなくなっている。声と身体が同じことを言っている。
腰を止められない。刃霞の膣壁が竿を手放さない。引き抜こうとすると吸いつく。押し込むと絞る。
温度が完全に変わっていた。最初は冷たかった内壁が、俺の竿の熱で──熱い。全部熱い。冷たさが消えている。刃霞の身体の一番奥が、一番最後に、温まった。
「──くっ……!」
限界が来た。
二人同時に。
刃霞の膣壁が最大に締まった。全身の筋肉が一度に収縮した。剣士の身体が、絶頂で痙攣している。脚が俺の腰を引き寄せた。
──同じ瞬間に、射精した。刃霞の奥に全部出した。膣壁が精液を絞り出すように収縮して、一滴も逃がさない締め方をしている。竿の根元まで搾り取られる。
刃霞の目が見開かれた。鋭い目が初めて丸くなった。
「──くぅっ……!」
目が合ったまま、堕ちた。
同時に、空間が歪んだ。
周囲の空気がレンズのように揺れた。壁の影が波打った。刃霞の空間操作が、絶頂の瞬間に暴走した。
歪みは一瞬で戻った。だがその一瞬で、二人の身体の境界が曖昧になった。触れている箇所の輪郭が歪んだ。
どこまでが自分の肌でどこからが刃霞の肌かわからなくなった。
どちらが先に堕ちたか。わからない。空間が歪んだ瞬間に、先も後もなくなった。
射精の後も、膣壁が収縮を繰り返している。細かく、断続的に。竿を解放しない。敏感になった亀頭に、その収縮の一つ一つが伝わる。残った精液を最後まで絞り出すように。射精が終わってもまだ、刃霞の身体が俺を離さない。
「……何を……したの。今の──」
自分の暴走に気づいていない。俺に聞いている。──素の女性語のまま。丁寧語に戻ろうともしていない。
(……お前がやったんだが。全部)
---
刃霞が正座に戻った。
息を整えている。着流しの襟を正した。
帯を結び直す。結び目が歪む。もう一度解いて、結び直す。手が震えている。
木刀を帯に差し直した。差す手が、まだ震えている。
畳に赤い染みが広がっていた。赤ペンのインクが──いつの間にか、畳に染みていた。巻物は丸まったまま、足元に放置されている。「尋問計画書」の文字が伏せられて、もう読めない。刃霞は巻物の存在に気づいていない。
「……粗相を。空間操作の精度を見誤ったわ──見誤りまし──」
言い訳を続けようとして、俺と目が合った。
止まった。
あの目だ。
鋭い目。表面の表情は正座に戻っているのに、目の奥だけが戻っていない。
(……「弱点を白状しろ」。──弱点を白状したのは、どっちだ)
言わなかった。目が合ったまま、黙っている。刃霞も黙っている。この沈黙が、言葉より重い。「精度を見誤った」が嘘だと、二人とも知っている。そのことを互いに知っている。だから言葉が要らない。
正座の太腿が濡れている。精液と愛液が太腿を伝っているのを、着流しで隠し切れていない。
「……次は、もう少し上手くやって見せるわ♡」
声が普段より低い。柔らかい。
---
階段を上がる。ポケットの名刺に触れた。ピリピリしない。温かくもない。
「刃霞はどうじゃった?」
「……わかりません」
じいが目を細めた。声を出さない。「ほほ」もない。一瞬だけ、目が完全に開いた。底が見えない目が俺を見て、また閉じた。
暖簾をくぐる。外の空気が冷たい。白檀の匂いはしない。鋼の匂いもしない。
だが、指先が冷たい。
刃霞の冷たさだけが、まだ残っている。