これはエッチな話なんですけど、継田フジコちゃんには「ママになる才能」もあるよね? 作:a-su
◆ 1915年2月、パリ ◆
どうやらお日さんが昇ってきたらしい。薄明かりが窓から入って、蜘蛛の巣を浮かび上がらせてる。いいぞ、これで兄ぃの手当がしやすくなるってもんだ。
俺は「カスパール」と自分の名前を書いた薬ビンを開けながら、彼の質問に答え始める。
「初めては……ありゃあ去年の夏だから、半年も前か。フジコが後見人の叔父貴に逃げられて、すぐだ」
心細くて仕方がなかったろうに……
『さ、入って! 気にしないで、あなたは私をいつも助けてくれるもの。ほんのお返しだと思って』
まともな身分も親もないドイツ移民に、ジャムとパンを振る舞ってくれた。自分の暮らしだって立ち行くかどうか分からねえのに……それで俺は、それだけで、まぶしさに目を焼かれてた。これからはフジコが何もかも良くしてくれる、なぁんて勘違いをしたんだ。
「正直に言うと、最初はひどい乱暴をしちまった」
嬉しかったんだよ。その気持ちをどうにか吐き出さねえと、死んじまいそうで……何も考えられないまま彼女の唇に吸い付いて、無我夢中で服を奪った。
『待ってって、もう少し待ってって言ったのにぃ』
はっと気づくと、フジコが両手で顔をおおって泣いてる。古いけどよく洗濯されたシーツに、血のあとがついてた。木枠の窓から差し込んだ夕日が、まだ育ちきってない女の裸を赤く染めて──。
「だけど、俺の顔は真っ青になってたんだろうな……そのあと? 当たり前のことをしたよ」
抱きしめて、謝って、切れたところに薬を塗った。そういやぁ、ばあちゃんが遺してくれた薬はあのとき使い切ったんだっけか……そしたら、フジコの方からキスしてくれたんだ。うすい塩味だったな。
「それが半年前。お互い十七歳のときだ。で……」
「カスパールよ」
「どうしたい、カウフマンの兄ぃ」
「俺ぁ、女がいるのかと聞いただけだぜ」
「……あっ」
「
俺は、カウフマンに使おうとしていた包帯の束を落としちまった。
慌てて拾い上げる。ここはパリ、モンマルトル*1の一角にあるヴルスト*2工房の屋根裏だ。木の床は俺たちの靴裏と、ネコやネズミの追いかけっこで薄汚れてる。とても清潔とは言えない。
「なんだって聞いてんだぜ、ええ、カスパール坊や」
「だれが坊やだ、もう十八だぞっ」
汚れた部分をハサミで切り捨ててると、カウフマンは口角を吊り上げる。怖ぇんだよクソ、木箱に敷いたボロ布から起き上がれもしないくせに、刃物みたいな笑い方しやがって。
「怒るな。ちょいとからかっただけだ」
「人をオモチャにしやがって」
「遊びもすらぁ、あの坊やに女ができたんだぜ?」
「女。女……や、でも……まあ……」
近ごろ俺は、工房の仕事が終わると、赤いとんがり帽子をかぶって外出する。行き先はフジコが皿洗いをしてるカフェの裏口。修行のために作らされたヴルストの不揃いなやつだの、酸っぱくなってきたザワークラウト*3だのを渡してやるためだ。
帰り道のノルヴァン通り、ガス灯の光が届かないところで抱き合って……お互いの腰に手を回す。部屋まで送ってやると、別れ際はいつも、あいつが俺の両肩に手を置くんだ。それでちょっと背伸びをして、自分から……。
『ソーセージのお礼だなんて、思わないでね?』
…………。へへ。
ああ、フジコの顔が見たい。今日は休みだから、市場で買い物する約束をしたんだ。そのあと、セーヌ川のほとりを歩くのもいいかもしれないな。それから……。
「しかもそのニヤけた面を見る限りじゃあ、いい仲が続いてるらしい。これで遊ばず他の何で遊べってんだ、今の俺に」
そう言われると弱い。カウフマンの負傷は、俺たちドイツ孤児をかばって警官とやりあってるせいなのだ。
兄ぃの右腕に包帯を巻き付ける。シャツをまくって、腹の生傷にもカモミールの軟膏を塗りつけた。
……手当のたびに思うが、筋肉がすげえ。細く見えるけどミチミチに詰まってる。
「もうちっと丁寧に巻けや」
「たいした傷じゃねえよ。兄ぃの強さなら尚更だ」
「そうなら良かったんだがなぁ……
カウフマンの兄ぃはアパッシュ*4だけど、同じドイツ生まれの俺たちに何くれとなく世話を焼いてくれる。ばあちゃんが死んでスリやかっぱらいしか生きる手立てのなくなった俺を、ここのヴルスト工房に紹介してくれたのも兄ぃだ。だから、弱音は吐いてほしくない。
「こんな体たらくじゃあ、『もののふバレリーナ』の背中は遠いや」
「だったらもっと修行しなよ。『もののふ』が誰か知らねぇけど兄ぃなら勝てるって、いつか」
「いつかじゃ遅ぇんだよ、もうな……」
カウフマンは顔をしかめながら、ゆっくりと身体を起こした。
「カスパール、お前これからどうすんだ」
「どうって」
「俺らドイツ系はもう表を歩けねえ。偉大なる
去年の夏に始まった世界戦争*5は、にっちもさっちもいかねえ状態らしい。人も物も減っていく中、俺たちフランスに住んでるドイツ生まれは「敵国人」扱いだ。警察から常に監視され、ドイツ語で話しただけで逮捕されちまう。
最悪だったのは先月、ドイツの飛行船がパリに爆弾を落としやがったことだ。なにが
そのおかげで昨日、俺は石を投げられ、お巡りに追いかけ回されてた。そこをカウフマンの兄ぃに助けられたんだ。
「俺は……俺は、兄ぃと」
「バカ抜かせ。これから俺はあの掘っ立て小屋を捨てて、
どうしろってんだよ……と思う間もなく、胸ぐらを掴みあげられる。カウフマンは、いらついた顔で俺をにらんでいた。
「お前が一緒にいるべき相手は一人だろ。フジコ嬢を頼れ」
◆ 同日の朝、モンマルトルの階段 ◆
カウフマンの手当を終えて、2時間後。
モンマルトルって土地は高低差がけっこうきつい。もともと「殉教者の丘」って意味の地名らしいけど、階段なんかは足を滑らせりゃ殉教者が増えかねない坂道ぶりだ。
フジコと二人でそんな階段を下ってると、踊り場で子どもが転ぶところに出くわした。
「ちょっと待ってて!」
すぐさまフジコはスカートをつかんだ。駆け降りる弾みで、ブラウスの胸元と腰の落差がくっきり浮かぶ。
五秒で到着して、焦げ茶色の長い髪をはらい、背筋を伸ばして子どもの前にしゃがんだ。
「ねえ、大丈夫? 立てるかしら?」
子どもが膝をすりむいているのを見て、自分のハンカチを取り出す。貧乏暮らしを始めても売ったりしなかった、隅っこに日本の複雑な文字が入ってる高そうなやつだ。それを惜しげもなく膝小僧に当ててしまう。
「痛かったよね、でも心配しないで! 『痛いの痛いのとんでけ』って、おまじないしてあげる」
子どもの身体を撫でて勇気づけ、泣きべそを笑顔に変えてから立たせた。母親に礼を言われても偉ぶったところは見せず、いつの間にか古い知り合いみたいに仲良くなっている。
……なんでかな、やっぱ見惚れちまう。横顔が朝の光に輝いて見えるんだ。育ちの良い金持ちの娘らしい、まだ大人になりきれてない感じなのに……ブラウスやスカートが暗めの色なせいかな。それとも、建設中だった寺院の白い壁を背にしてるせいだろうか。
だけど、なあ。
『兄ぃ、今起きてるのは戦争だぞ? なんの役に立つんだ、あんなお人好しが』
『あのフロイライン*6は日本人だろう? 日本はイギリスの同盟国で、つまりフランス側だぜ。それにしっかりした身分を持ってる』
『女を盾にしろってのか』
『盾ぇ? ったく……いいか坊や、「男と女は、いい日も悪い日も一緒に歩く」だ。男は女を利用するが、女も男を利用するもんだぜ』
知るかよドイツのことわざなんて。兄ぃと違って、こちとら物心ついたときからフランスにいるってのに……腹減ったな。兄ぃの手当をしてたから、朝メシを食い損ねた。
「お待たせ、カスパール!」
フジコが階段を駆け昇ると、高めに結んだ後ろ髪が揺れる。日に一度は湯で洗うらしい髪は、安物の赤いリボン──それしか俺には買えなかった──が似合わないくらいよく手入れされてた。
「さっ行きましょ? 昨日ね、ミルクのジャムを沢山いただいたの。せっかくのお休みだもの、パンの買いだめを手伝ってもらいますからね──」
クゥ~。
「──いま鳴ったの、あなたのお腹? じゃあお昼はうちで食べましょう! あっせっかくだから洗濯板を新しくして、売ってたらマルセイユの石けんも買わなくちゃ、ああそれと……」
気に食わないが、兄ぃの言うことも一理ある。フジコはとにかく目立つんだ。東洋人だし、それに……ちょいとばかり落ち着きがない。モンマルトルの反対側にいても見つける自信があるね。
「あっ」
ほら簡単につまずく!
俺は腰に手を回してフジコを支えた。体のリズムを合わせて階段を一段降りる。体勢を整えさせて、また一段。腰を支えたまま石畳に出て、改めて手をつなぐ。
「ごめんねカスパール、えへへ……」
なに笑ってんだか。尻は丸くなったのに、くびれはいつまでも細いままで、ちゃんと食べてんのか?
こんな人目を引く女が隣にいれば、確かに俺は目立たなくなるだろう。見た目はフランス人と大差ないし、ドイツなまりもないしな。そいつは分かるが……。
「どうしたの? 心配事かしら」
「別に、なんでもねえよ」
「ほんとう? 元気がなさそうに見えるけれど」
フジコは俺の右手をとり、自分のそれと重ねた。
風が吹いて、フジコの横髪が俺の肩にかかる。湯で洗った髪の匂いがした。石けんの下にある彼女自身の匂いは、たぶん俺が世界中の誰よりも知ってるものだ。
「なんでも言ってね。私とあなたの仲だもの──」
「──フジコは日本に帰らないのか」
「えっ……」
ぴたっと歩みが止まる。俺は思わず、左手で口元をおさえた。
だけど言葉は止まらない。
「戦争……戦争なんだぜ。俺の生まれた国が、パリに爆弾を落としてる」
俺たちが立っているのは、ちょうど
「次は、頭の上に落ちてくるかもしれない。ドイツの兵隊に乱暴されるかもしれないぜ。それでなくても、こうやって俺と歩いてるだけで何を言われるか。物も減っていくだろうし……だから日本の周りが平和なうちに、戻った方がいいんじゃないかって……」
男と女はいい日も悪い日も一緒に歩く、だって? 石を投げられても、食べ物がなくても、爆弾が落ちてきても、それでもフジコを一緒に歩かせるのか? そんなの……。
「日本に帰れば、結婚相手だっていくらでも」
「お別れしたいの? 私と」
つないだ手がわなわなと震えている。
あっやばい。フジコの後れ毛がピン、ピンと立ちあがってる。身体全体から伝わってくる熱もカッカと燃えて、まるでヴルストを茹でる釜の前に立ってるみてえだ。
「違うって、あの、悪りぃ、そんなつもりは」
「そうよねそんなこと言う資格ないわよね。初めてのとき泣いてる私の服を裂いたのはどこのどなただったかしら。あなたが汚したシーツを洗濯してあげたのはなんて名前の女の子だったかしら。ああそれと──」
「すいませんホント勘弁してください!」
俺は、なけなしの手持ちでフジコに花を買った。
◆ 同日の昼食どき、フジコの屋根裏部屋 ◆
スライスしたバゲットには、薄く切ったヴルストがこんもりと盛られている。それを皿に乗せて差し出すフジコの髪には、花が一輪飾られていた。
「はい、召し上がれ」
白い花びらの中に、鮮やかな黄色が詰まった一輪。カフェのコーヒー1杯分もしたが、その値打ちは十分あったらしい。
髪に挿してやったとき、フジコは「まるでカンザシを贈っていただいたみたい」と顔を真っ赤にしていた。なんだカンザシって、花の名前か? *8
「パンにヴルスト乗せすぎじゃないか?」
「そうかしら」
「こぼれそうだぞ」
「いいじゃない。二人きりなんだから、マナーなんか気にしないで? あなたは男の子なんだからたくさん食べないと」
フジコはテーブルの向かいから俺の右隣へと椅子を動かし、お尻を下ろした。暗い色のスカートが、横にも上にも育った尻の丸みに沿って張り付く。
「……近くないか」
「ええ、近いわね」
ごとん。フジコは軽く腰を浮かせ、また椅子を移動させた。手を伸ばさなくても、ブラウスの下で息づくふくらみに触れてしまいそう。
ごとん。また移動して、椅子と椅子とがぴったりくっつく。身体もだ。
「あのなフジコ」
「なぁに、カスパール」
花よりも華やかな笑顔が目の前にある。
「いや……」
口の中が唾液でいっぱいだ。腹が減ってるからでもあるが、俺の視線はテーブルの上と、フジコの瞳を行ったりきたりしてる。
腹の虫に急かされてバゲットをとろうとした。けれど寒くもないのに手が震え、ヴルストを皿にぽろぽろ落としてしまう。
「フジコ、あの」
「カスパァルゥ……」
うっすら開いた唇に右の人差し指で触れながら、赤らんだ顔を少しずつ寄せてくる。視線をそらそうとしない。
黒い瞳が近づくにつれ、俺の体にしびれのようなものが走り始めた。
「た、食べにくいよ」
「いいじゃない。だめなの?」
こいつの目には特別なものがある。絵の勉強をしにパリまで来たらしいけど、そのせいなのか……見るってことが、フジコの中では何か別のことになってるような気がするんだ。まるで俺を通して別の世界、別の時間に旅立っているような……。
そんで……本気で「見る」を始めたフジコは普段と別の生き物になる。抵抗するなんて考えることもできないくらい、俺の心を吸い寄せるんだ。
「は、腹が減ってて、パンがうまそうだからっ」
「じゃあ食べさせてあげる……」
俺の右手に左手を絡め、木のテーブルに縫い付けてしまう。バゲットを右手に持って、俺の口元に近づけてきた。
「ほら、あーんして?」
なのにバゲットのことは見ていない。切ったヴルストが今にもこぼれそうなのに、輝きを増していく瞳で俺のことだけを見ている。
「あ、あーん」
んぐ、んぐ……。
くそ、味なんか分からん。小麦粉もバターも塩も、豚肉もハーブも、どれもこれも頭を刺激しない。早く食え、食べ終えてフジコと一緒に体を動かせという焦りに頭が乗っ取られていく。
「うふふ……男らしい食べっぷり」
「お、お前も……」
「なぁに?」
「フジコも、女らしくてかわいいよ……」
「やぁだぁ、カスパァルゥ」
ちゅ……♡
生暖かい感触が頬に触れた。
「むぐっ」
「はしたない子って思わないで……」
そう告げる声はかすれ、吐息は湿り気を帯びている。俺の顔で生まれたシビれは首筋を駆け下り、背中を通り、下半身の真ん中でドクン、ドクンと跳ね始めた。
「あなたのたくましい体が火照って、胸がドキドキしてる。私もそう……すごくすてきな気持ち。あなたのことしか考えられなくって。男のひとから花を贈られるって、ジッとしていられなくなる……時間がもったいないって、そう感じるようになるみたいなの」
はむ、はむはむ。
フジコは俺の頬を唇で食んできた。
「うお……!」
少しかさついた唇にも、徐々に湿り気が乗り始める。
にゅむ、にゅにゅむ、にゅむ、にゅむ……
「たくさん食べてね……パンもジャムもソーセージも、そのあと私も……私も、あなたのソーセージが大好きだから……」
ズボンの前を撫で回しながら言うない。
「……好きって、どっちのソーセージ?」
「片方だけだと思う?」
ぎゅっと握られると、跳ね回っていたものが一つの動きになる。まっすぐ、ためらいを知らない正直さで伸びていく。
「私のために、いつでもムクムクってしてくれて……とっても固くて……すてきな場所にゾリッとあたる、このソーセージがだぁいすきだから……♡」
(続く)