2005年、秋。
呪術高専東京校の一年担任である夜蛾正道は、自室のデスクで羊毛フェルトの呪骸をちくちくと刺しながら、深く、ひどく重いため息を吐き出した。
今年の春に入学した生徒たちは、呪術界の歴史から見ても類を見ないほどの「豊作」だった。
数百年ぶりに「六眼」を併せ持って生まれた「無下限呪術」の使い手、五条悟。
降伏した呪霊を取り込み自在に使役する「呪霊操術」の使い手、夏油傑。
他者を治療できる「反転術式」という希少な才能を持つ、家入硝子。
特級クラスのポテンシャルを秘めた天才や、呪術界の宝とも呼べる希少な術師が、一つの学年に集まっている。教師としてこれほど恵まれた環境はないだろう。普通ならば。
だが、彼らは揃いも揃って頭を抱えたくなるほどの「問題児」だった。
五条は天上天下唯我独尊を地で行く傲慢さで周囲を振り回し、夏油は真面目ゆえに五条の悪ノリに付き合って被害を拡大させ、家入は常に気怠げで未成年喫煙を繰り返す。
そしてその問題児集団の最後の一人が、今朝提出された任務報告書に名を連ねている「沖田充」である。
高校1年にして180cmを超える恵まれた体躯を持つ彼は、夏油と同じく非術師の一般家庭から呪術界へとスカウトされた異端の術師だ。
彼が操る生得術式『
それに加えて沖田本人の結界術全般に対するセンスは常軌を逸しており、実力だけを見れば間違いなく五条や夏油と遜色ない傑物と言えるだろう。
問題は、実力だけでなく問題児としても五条たちと同レベルであるということだ。
五条と夏油の騒ぎを止めるどころか、適当に傍観するか悪乗りしてバカ騒ぎ。
家入と同じように学生の身で喫煙を繰り返す。
ある意味では協調性があると言えなくもないが、とても褒められるものではない。
そして現在夜蛾の頭を悩ませている沖田の最大の問題行動は、その絶望的な「女癖の悪さ」だ。
「ハァ……」
夜蛾は先ほど窓の外からたまたま目撃してしまった光景を思い出し、こめかみを強く揉む。
今日、任務から帰還した沖田を乗せた車が高専前に停まった時のことだ。
後部座席から降りた沖田は、去り際に運転席の窓越しに送迎を担当した二十代半ばの女性補助監督と軽いキスを交わしていた。
遠目からでも女性の顔が熱っぽく上気しており、二人の間に明らかに
任務先から高専へ戻ってくるまでの
「……全く、どいつもこいつも」
最強の力を持て余す我儘な御曹司。
それに同調する優等生。
常に気怠げな無気力系喫煙女子。
そして女にだらしのない不良男子。
窓の外、秋晴れの空の下では、その問題児たちが今日も訓練場で何やら騒動を起こしている声が微かに聞こえてくる。
夜蛾正道は、この日何度目か分からない深いため息を、誰もいない部屋に吐き出した。
それからしばらく後。
夜蛾が頭痛の種である問題児たちの報告書の処理を終えようとしていた時のことだ。
ふと、自室の外――学生寮へと続く廊下の方から、騒々しい声と足音が聞こえてきた。
どうせまたあの馬鹿どもがふざけ合っているのだろうと当たりをつけ、夜蛾は渋々立ち上がってドアを開ける。
廊下に出ると、そこには案の定、五条、夏油、そして沖田の三人の姿があった。
「お前たち、廊下で何を騒いでいる」
夜蛾が低い声で咎めると、五条がパッと振り返り、ニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべて口を開いた。
「あ、夜蛾センセー! いやね、充が硝子に告白してついにOKをもらったからさぁ。俺らクラスメイトとして盛大に祝福してやってたとこ!」
「いやお前ら、絶対面白がってるだけだろ!」
すかさず沖田が五条にツッコミを入れる。
そんな沖田の肩を叩いたのは夏油だ。
彼もまた口元を隠すようにしながら肩を震わせていた。
「いやいや、本当に心から祝っているだけだよ。友人二人の新たな門出だからね。ふふっ……」
「傑テメー思いっ切り笑い堪えてんじゃねーか!」
わーわーと言い合う三人を見て、夜蛾は小さく息を吐いた。
夜蛾自身、沖田が硝子へ熱烈なアプローチを続けていることはとうに知っていた。
何せこの男は、夜蛾がまだ教室に残っている時に堂々と硝子に告白した事すらあるのだから。
「……そうか。一応よかったな、沖田」
色々言いたいことは飲み込んで、夜蛾は少しだけ呆れたようにそう告げる。
沖田は照れ隠しのように頭を掻き、「まぁ、あざっす」と小さく笑った。
その姿だけは年頃の男子高校生らしいもので、普段からそういう態度を取ってくれと夜蛾は思った。
「五条、夏油。お前たちも、からかうのはほどほどにしておけよ」
「はーい。ほら行くぞ、色男」
「うるせぇよ、悟」
夜蛾に促され、三人の男子生徒たちは他愛のない口喧嘩を続けながら学生寮の方へと歩き出していった。
その騒がしくも楽しげな背中を見送りながら、夜蛾はぽつりと呟く。
「……これで、問題児が一人でも減ってくれればいいんだがな」
夜蛾は教師として、彼女というストッパーができた事で沖田のあの致命的な女癖の悪さが少しでもマシになることを祈るのだった。
――もっとも。
その「ストッパー」となった家入硝子は割とノリ気で沖田の求めに応じていって、半年もしない内にドハマりする事になるのだが……この時の夜蛾には知る由もない事である。
沖田充
なんか背が高くてモテてた。
全然なびかない硝子に執着した。
夏油同様、一般家庭出身のバグ。
『境創呪法』
境界線を引き、囲った場所を結界・自らの領域とする術式。
日本の伝統的な伝承遊びの一つ「陣取り合戦」が元となっている術式の一つ。
ただし実際のところは……