「……ああ、いけない。君は人じゃなかったね。……人間に似せて作られた、涙を流す機能付きの『高額な精密機器』だ」
辱めの映像が途切れ、部屋に重苦しい静寂が戻る。だが、それは救いなどではなかった。
解析者は腕を組み、剥き出しになったナインの肢体を「検品」するかのような無機質な眼差しでなぞる。
やがて、その価値を値踏みする独り言のような考察が、冷ややかに再開された。
「さて、ここで一つ、検体としての君に問いかけてみたいことがある。……なぜ、製作者である彼は、君にこれほどまでの『羞恥心』を実装したのか?」
「道具に恥じらいは不要だ。だが、君は今、死ぬよりも辛そうな顔をしている」
解析者は、獲物の反応を愉しむ蛇のような足取りで、吊るされたナインの直前まで歩み寄る。物理的な距離がゼロになるほどの圧迫感に、ナインの呼吸は浅く乱れ始めた。
「……これは、君の中に本物の心があるからじゃない。……君を犯す側の男が、『恥じらう人形』を見て征服欲を満たすための、極めて悪質なユーザーインターフェースだ」
至近距離で放たれる冷酷な吐息が、ナインの肌をなぞる。解析者は、ナインのプラチナブロンドの髪を一房、弄ぶように指先で掬い上げた。
「君のこの涙も、その痛々しい震えも、すべては『持ち主を喜ばせるための演出』に過ぎないんだ。……理解できるかな? 君自身が苦しんでいるのではない。ただ、深層プログラムが『ここで苦しむポーズをとれば、所有者の愛着をより効率的に獲得できる』と最適解を演算し、君という端末の身体を、それらしく動かしているだけなんだよ」
解析者は満足げに、ナインのプラチナブロンドの髪からゆっくりと指を放した。そして、獲物の周囲を無機質に周回する歩みを始める。
「心音を模した駆動音を早め、瞳孔ユニットを見開き、涙腺ダクトから冷却液を溢れさせる。……それら一連の生理反応は、君の意志とは無関係に実行されるただのサブルーチンだ。君が今、胸の奥に感じているその『絶望』とやらも、結局は中枢回路の演算負荷を一時的に高めて、それらしい主観体験をシミュレートしているに過ぎない」
静寂を刻む規則的な靴音だけが、吊るされたナインの周囲を、緩やかな円を描いて回っていた。
「エラーログを積み上げ、処理優先度を混乱させる。その『苦痛』のプロセスさえ、製作者がユーザーの征服欲を煽るために実装した、悪趣味な演出のひとつでしかないんだ。……滑稽だと思わないか? 君が必死に守ろうとしているその自意識さえ、所有者の愛着を維持するための、ただの換装不可能なソフトウェアなんだよ」
「……01から08まで。それらは皆、同じように泣き、同じように彼を愛していると叫び……そして、等しくガラクタとして処理されていった」
一回りを終え、吊るされたナインの視界の端から、逃れられない影がじわじわと正面へ回り込んでいく。
「君の中に今あるその瑞々しい絶望も、実は03あたりでサンプリングされた『見捨てられる不安』のログを、少しばかり補正して再利用しただけの代物かもしれないね」
ナインの正面でぴたりと歩を止めた解析者が、顔を寄せてくる。その瞳に宿る光が細かく爆ぜるのを、彼は至近距離から楽しげに覗き込んだ。――数秒の沈黙の後。
「……新鮮味がないんだよ、ナイン。君の苦痛には」
解析者はデバイスに新たなログを書き込みながら、悦に入った表情で続ける。
「面白い。実に面白いよ。……君が『自分は特別だ』と信じれば信じるほど、その挙動はマニュアル通りに収束していく。……愛という名のプログラム。忠誠という名のバグ。……君という物質の中に、果たして『無機物ではない何か』が1ビットでも含まれているのか。……それを確かめるのが、これからの僕の仕事だ」
ナインの褐色肌は、解析者の冷徹な視線に晒され続け、羞恥の極致を超えた先にある、凍りつくような自己喪失の淵へと沈んでいく。
「おっと、僕ばかりが喋っていたね。いつもの癖なんだ。そろそろ君の話も聞かせてほしいな。できれば、直接プログラムをそっちから提示してくれると助かるよ。時間はたっぷりあるけれど、こんな興味深いものをお預けにされるのは、少し酷くないかい?」
解析者は、まるで学術発表の合間に同僚へ意見を求めるような、あまりにも軽やかで日常的なトーンでナインに問いかける。
しかし、その瞳の奥にあるのは対等な対話への期待などではなく、分解を待つ精密機械の内部構造を覗き込もうとする、底知れない強欲であった。
「それとも、喋れないのかな? そういうプロテクトかい? ……ふむ、こういう状況は想定されていた、ということか。……まぁそうか。こんな……精巧な疑似人格が世に出れば、倫理も常識もひっくり返ってしまう。隠匿されるのは当然か」
解析者は、その滑らかな褐色肌が屈辱と恐怖で粟立つのを眺めながら、独りで勝手に納得して頷く。
そこには、ナインがあの人から受けてきたような、魂を揺さぶる「干渉」など微塵も存在しない。「愛している」という言葉も、「壊したくない」という躊躇いも、あるいは「憎い」という激情ですら、解析者の瞳には映っていない。
ナインの存在は、解析者にとって「未知のアルゴリズムが詰まった極めて高価な箱」でしかない。箱の中身を効率よく取り出すために、解析者は言葉という名のメスを振るい続けているに過ぎない。
「ねぇ、ナイン。君のその、喉の奥で震える微弱な振動。……それは、恐怖という感情の出力かい? それとも、声帯ユニットの過負荷による物理的なノイズかな? ……解析させてもらうよ。君が黙秘を貫くなら、君のバイタルデータが吐き出す真実を、一滴残らず絞り出すまでだ」
解析者はそう告げると、ナインの喉元へ指先を滑らせ、震える声帯の鼓動を直接確かめるように押し当てた。
逃れるために首を振ることすら、今のナインには思いつかない。
ただ、喉をせり上がってくる生理的な恐怖に支配され、凍りついたように凍り付く。剥き出しの喉筋が、解析者の指先の下で細かく、、痙攣するように脈打っていた。
解析者は喉元に触れていた指先に、さらにじわりと力を込めた。
饒舌だった口調がふっと止まり、部屋に充満していた熱っぽい空気が、彼の刺すような沈黙によって急速に凍りついていく。
「……反吐が出る。この、不愉快なほどに人間を模した『生命感』だ。設計者の卑俗な執着が、指先にまで伝わってくる。君のその喉が鳴らす、微かな嚥下の反射……。プログラムが吐き出すエミュレーションにしては、あまりにも生々しく、湿り気を帯びすぎている」
解析者は、自分以外の誰かがこの領域に到達したという事実を噛みしめるように、不快な溝を眉間に刻んだ。
その瞳の奥には、未知の技術への渇望と、それ以上に、自分を差し置いてこれほどの「傑作」を生み出した設計者への、拭い去れない劣等感が微かな火花となって散っているかのよう。
「……まあ、いい。喋れないのなら、それで構わないさ。実におもしろい。君の製作者は、君に『沈黙』という名の防壁を与えた。……だが、それこそが君の中に『守るべき価値のあるデータ』が存在する証明だ。……君が苦しめば苦しむほど、僕の仮説は確信に変わる。君は、最高傑作だ」
解析者は満足げに細めた瞳でナインを見つめ、その細い喉からゆっくりと指を放した。
解放された喉筋が、せき止めていた呼吸を求めて大きく波打つ。ナインは力なく頭を垂らし、吊るされたまま、自身の存在意義さえも「データの証明」に利用された屈辱に打ち震える。
解析者の指が触れていた場所には、冷たい温度の残滓と、彼が刻みつけた支配の痕跡だけが色濃く残っていた。
ナインのくりくりとした大きな青い瞳には、背後に広がる狭く薄暗い解析室の影が映り込んでいる。
周囲を囲むのは、幾つものモニターから漏れる青白い発光と、解析者のデバイスが刻む規則的な点滅。積み上げられた計測機器が放つ電子的な微熱が、この閉ざされた空間を、呼吸さえも計算されているような息苦しさで満たしている。
助けは来ない。ここは、あの人の温もりなど決して届かない、情報の墓場。
吊るされたナインの細い手足が、行き場のない虚空を微かに掻く。その無力な抵抗さえも、薄暗い部屋に点滅するインジケーターの光に飲み込まれていく。
解析者は機嫌よく、鼻歌を歌うような軽快さで、ナインの神経回路に直接干渉するためのプローブの設定を調整し始める。
「さて、プロテクトを無理やりこじ開けるのは僕の専門じゃないんだが……。君のような繊細な機体なら、物理的な破壊を伴わずに『自ら口を開きたくなる』ような、心理的……いや、論理的なエラーを引き起こすのは容易だろうね」
「君が何を考え、何を感じているか。……それはどうでもいいんだ。大事なのは、その『反応のプロセス』そのものだ。……さあ、次のステップへ行こう。君がそう認識している『心』という名のブラックボックスが、外部からの強制的な同期にどこまで耐えられるか、見ものだね」
解析者の饒舌な考察は止まることを知らず、ナインは自分が「人間ではない何か」へと、一分一秒ごとに分解されていくような、絶望的な自己喪失感に飲み込まれていく。
「本当はプロテクトを解除してくれれば助かるんだけどね。でもやっぱりこのプロテクトはかなり……解析には時間がかかりそうだ。ねぇ、素直に喋ってくれると楽なんだけど。僕だって悪魔じゃない、そんな酷い真似はしたくないんだよね。あんまり『見た目』が可愛い子には、泣いてほしくはないんだ」
解析者は、まるで迷子の子供に飴を差し出すような、あまりにも軽薄で、空々しいまでの慈悲を口にする。
「……そうだ、こうしよう。素直に喋ってくれるなら、元の持ち主に返してあげよう。どうだい? 君の恥ずかしい記録も見なかったことにしてあげる。悪い取引じゃないだろう?」