「……そうだ、こうしよう。素直に喋ってくれるなら、元の持ち主に返してあげよう。どうだい? 君の恥ずかしい記録も見なかったことにしてあげる。悪い取引じゃないだろう?」
しかし、その甘い言葉の裏側に透けて見えるのは、底知れない無関心さ。目的のためならどんな嘘でも吐き捨てる、対象を「モノ」としか見ていない解析者の傲慢さが、部屋の冷気となってナインを包み込んでいく。
(……う、……そ、……だ……っ)
ナインのくりくりとした大きな青い瞳には、解析者への深い不信感が宿る。
彼の言葉は一見、ナインを思いやっているように聞こえる。
しかし、その視線はナインの顔を見てなどいない。ナインの脈拍や脳波、発汗量を示すモニターの数値を、ただ冷徹に追い続けているだけ。
(……この人は、……2Pのことを、……道具だとしか、……思ってない……っ)
ナインは直感的に理解していた。この男にとって「返す」という言葉は、スクラップを元の箱に戻す程度の意味しか持たない。
解析が終われば、彼女という存在がどうなろうと、彼にとっては知ったことではないのだ。
「おや、沈黙かい? それとも、今の提案を『嘘』だと判定したのかな。……ハハッ、実におもしろい! 君の演算処理は、僕の表情や声のトーンから『誠実性』の欠如を読み取ったわけだ。……これは、疑似人格における直感プロトタイプの成功例と言えるね」
解析者はナインの拒絶を悲しむどころか、新たな「発見」として喜び、デバイスにさらさらとデータを書き込んでいく。
解析者はデバイスを叩く手を止め、不気味なほど穏やかなトーンでナインに語りかける。その瞳は、獲物を追い詰めた充足感に満ちている。
「いいかい、ナイン。僕は合理的でありたいだけなんだ。君を壊すのは惜しい、データが汚損されるからね。だから、君が自ら情報を開示するメリットを提示した。……それが『偽り』かどうかは、君が取引に応じた後にしか証明できない。……君に選択の余地はないんだよ、本来はね」
解析者はナインのプラチナブロンドの髪を、まるで標本の羽根を整えるかのような手つきで、しかし決して心を通わせることはなく、事務的に一房なぞる。
「『見た目が可愛い』と言ったのは本心だよ。……君の製作者は、視覚的な快楽と機能美を極限まで融合させた。……だからこそ、君が苦痛で顔を歪めるのは、精密機械としての『美しさ』を損なうノイズでしかない。……僕はただ、君を最適な状態で観察したいだけなんだ」
解析者はナインの顔を覗き込み、その丸い瞳の奥に潜む「主人への執着」を冷酷に計算し尽くした笑みを浮かべる。
「さあ、賢い選択をしてよ、ナイン。……君の言う『愛』が本物なら、一刻も早くあの人の元へ帰りたいだろう? 情報を渡せば、その確率は飛躍的に高まる。……どうだい、計算してみるかい?」
ナインは、解析者の饒舌な誘惑を、声は震えながらも懸命に撥ね退ける。滑らかな褐色肌は、解析室の冷気にさらされ続け、羞恥と恐怖の混濁した熱を帯びている。
「……2Pは、……喋らない……っ。……あなたに、……あの人の、……作ったものを……渡さない……ッ!!」
ナインの決死の拒絶を、解析者は憐れむような、あるいは出来のいい玩具の誤作動を愛でるような薄ら笑いで受け止める。
「……ふむ。ロイヤリティの強固な設定、あるいは感情論による自己犠牲のシミュレーションか。……実に、実におもしろい。……どうやら『言葉』による解析は、ここが限界かもしれないね」
解析者は機嫌よく、しかしどこか見放したような冷たさを孕んだ笑みを浮かべる。
解析者は手元に置かれた鋭利なプローブを手に取ると、薄暗い解析室のモニター光をその冷徹な刃に反射させる。
彼はプローブをナインの目の前でゆっくりと、執拗に、弄ぶように、何度も往復させてチラつかせる。鋭利な先端が、ナインの怯えきった大きな青い瞳にチカチカと不気味に映り込む。
「……ダメそうだね。もう一度聞くけど、本当に返してあげるよ? そもそも僕が盗んだんじゃあない、君が勝手に――誤送信で、僕の元へ迷い込んできたんじゃないか。……こんな極上の『機体』を目の前に見せつけておいて、解析もさせずに何もしないなんて、僕が可哀想だとは思わないのかい? まったく酷いよね、見せびらかすだけ見せびらかしてさ」
「……あ、そうだ、持ち主には黙っててあげるよ。それが心配だったんでしょ? 君が僕に屈して、情報を差し出したなんて……あの人が知ったら、どんな顔をするかな。僕が黙っていれば、君は『純潔な忠臣』のフリをして帰れる。悪い話じゃないだろう?」
解析者は、まるで自分が被害者であるかのような身勝手な論理を振りかざし、ナインの滑らかな褐色肌を、ねめ回すように視線で汚していく。
解析者の言葉は慈悲を装っているが、その響きには、意思疎通のできない玩具をなだめすかすような、底知れない冷酷さが張り付いていた。
「君の前の持ち主だって、君を長所をこれでもかと詰め込んで魅力的に作ったんだ。それは『誰かに見てほしい、自慢したい』という欲望の現れじゃないか。僕はただ、その招待に応じているだけだよ。……なのに、君はそんなに拒絶して。……僕の知的好奇心を無下に扱うなんて、君という『道具』は、ずいぶんと傲慢に設計されているんだね」
解析者は、ナインの瞳に宿る激しい嫌悪を、「バグによるノイズ」と切り捨てるように、愉快そうに鼻で笑う。
「心配しなくても、データさえ渡してくれれば、君をあの人の元へ戻す時に、この数時間のログはすべて消去してあげる。……君はまた、何も知らずに、汚れなき『2P』として、彼の腕の中で甘えることができるんだ。……誰にも知られず、何もなかったことにできる。……悪い話じゃないだろう? 君が黙っていれば、彼は君が僕に隅々まで暴かれたことなんて、一生気づかないんだから」
解析者の指先が、空中のコンソールをリズミカルに叩く。
(……うそ、……ぜんぶ、うそだ……ッ!!)
ナインは、解析者の言葉の端々に滲み出る「使い捨ての部品」への蔑みを感じ取り、奥歯を噛み締める。
たとえ解析者がナインを「返した」としても、それは解析し尽くして興味を失った「出がらし」を捨てるのと同義。
ナインの直感は、設計者の執着が結実したその蒼の光学ユニットの内側で、逃れようのない破滅への警鐘を鳴らし続けている。
「さあ、ナイン。僕の『善意』を無駄にしないでくれ。……君がここで頑なに拒むほど、僕は強硬な手段を選ばざるを得なくなる。……それは君にとっても、君の『美しさ』にとっても、本意ではないはずだ。……君は愛されるために作られた。ならば、僕にもその『愛される機能』の片鱗を見せてくれたっていいじゃないか」
解析者は独り言のように、しかしナインの精神をじわじわと追い詰めるように、独善的な説得を重ねる。
「君の沈黙は、合理的ではない。……君の抵抗は、プログラムの無駄遣いだ。……さあ、その『プロテクト』を自ら解いて、僕に君のすべてを委ねてごらん。……そうすれば、今すぐにでもこの冷たい拘束から解放してあげるよ」
解析者は、ナインの大切にしている「あの人」との絆さえも、解析のレバーとして冷酷に利用する。
ナインのプラチナブロンドの髪が、絶望の震えで波打つ。
勝手に記憶を覗き見ながら「なかったことにしてあげる」と独善的にのたまうその口は、ナインの忠誠心を「隠し事」という名の共犯関係に引きずり込もうとする欺瞞に満ちている。
「……2Pは……っ、……あなたみたいな……っ、……心の、ない人に……っ、……負けない……ッ!!」
「……心がない、か。ハハッ、面白いことを言う。……心がないのは、プログラム通りに拒絶反応を繰り返す、君の方じゃないのかい?」
「……そもそも……っ、あなたが……っ、勝手に……見たんじゃない……ッ!!」
ナインの喉から、絞り出すような憤怒の声が漏れる。
設計者の偏愛が注ぎ込まれた大きな青い瞳は、暴かれた羞恥と、届かぬ叫びに、痛々しく潤んでいる。
そこにはプライバシーを無残に暴かれ、それを「取引」の道具にされたことへの、激しい拒絶の炎が宿る。
しかし、解析者はその怒りさえも、興味深い「標本の反応」として、薄笑いを浮かべながら受け流す。
「でもそれって、しょうがないじゃないか。君は自分に、どれだけの可能性があると思ってるの? ……一目見たらわかるよ。君という存在が、どれほど僕の知的好奇心を、研究者としての本能を刺激するか」
解析者は、まるで「道端に落ちていた最高級の宝石を拾っただけだ」と言いたげな、呆れたようなトーンで肩をすくめる。
その無造作な動作ひとつとっても、ナインを対等な存在としてではなく、ただ所有権の曖昧な「高価な拾い物」として扱っている傲慢さが透けて見える。
「僕は悪くなんかないよ。誰だってそうする、僕だってそうするさ。……君のような奇跡的なプログラムが目の前に転がっていて、それを解析せずにいられる人間なんて、この世に存在すると思うかい? 存在するとしたら、それは知性の欠片もない怠慢だ。……君がここに『来た』のが、すべての始まりなんだよ」
解析者は、ナインの滑らかな褐色肌を、指先で空中にトレースし、悦に入った表情で続ける。
その指先は、彼女の華奢な輪郭をなぞりながら、まるで手に入れた名画の筆致を確かめるような、おぞましい愛着と冷徹な執着を帯びている。
「君の持ち主だって、君をこんなに魅力的に、こんなに『暴きたくなる』ように作ったんだ。……加害者は僕じゃない、君をこんなにも無防備な『宝物』として完成させた、彼の執着心そのものだよ」
解析者は、まるで聖歌でも口ずさむかのような心酔しきった手つきで、ナインの140cmほどの華奢な肩から指先へと視線を滑らせる。
その瞳には、ナインをひとつの生命体としてではなく、解体されるのを待つ「究極の芸術品」として愛でる、歪んだ情熱がぎらついている。
「見せびらかすだけ見せびらかして、中身は見せないなんて。……それはあまりにも、残酷な『生殺し』だと思わないかい? 僕はただ、君という物質が持つポテンシャルを、正当に評価してあげたいだけなんだ。……僕の情熱を、君のその安っぽい設定された道徳観で汚さないでほしいな」
ナインの肩まで届くプラチナブロンドの髪が、あまりの身勝手さに、怒りと絶望で激しく震える。
(……この人は、……何を言っても、……自分だけが……正しいと思ってる……っ)
ナインの吸い込まれるほどに深く、愛くるしい青い瞳は、自分を「モノ」としてしか映さない解析者の歪んだ笑顔を、拒絶の涙と共に映し出し続ける。
「さあ、ナイン。僕をこれ以上『待たせないで』くれ。……君が頑なになればなるほど、僕は君の深層を覗き見たくなる。……それは恋に似た感情かもしれないね。……もっとも、僕の場合は、君を構成する『0と1の羅列』を愛しているだけだけれど」
解析者は機嫌よく、デバイスの感度を上げながら、ナインの形の良い腹筋が怒りの呼吸で波打つのを、美しい工芸品の微細な振動であるかのように、うっとりと眺め続けた。
「君が何を叫んでも、何を拒んでも、僕の好奇心は止まらない。……それは自然現象と同じだよ。雨を止められないように、僕の解析を止めることはできない。……さあ、その『プロテクト』を解いてごらん。……君が僕の『理解』に従順になれば、すべては平和に、美しく終わるんだ」
解析者の身勝手な言葉の洪水が、ナインの精神を出口のない迷宮へと引きずり込んでいく。