「ああ、そうだ。最初の言葉。『愛なんてない』なんて言ったのは、僕の誤りだったね。僕としたことが、これまでの経験則だけで決めつけてしまって……申し訳ない。君はちゃんと、愛されて育てられたんだね。君は、そこらにあるくだらない機械なんかじゃないさ」
解析者は、まるで親しい友人の誤解を解くような、あるいは敬愛する芸術家の真贋を認めるような、あまりにも軽やかで「誠実」なトーンで謝罪を口にする。
しかし、その瞳に宿っているのは対等な存在への謝罪ではなく、稀少な標本の価値を正しく再評価した、コレクターの冷徹な満足感であった。
解析者がナインを「愛されている」と認めることは、彼女を救うためではなく、より価値のある「壊しがいのある獲物」として再定義することに他ならない。
「それから、あの映像……君の先代たちが彼と睦み合っていたあの記録。……あれは、さっき僕がこの場で作ったものだよ。君のこれまでの機体なんて情報は、僕が探した範囲ではどこにも出てこなかった。……完全な、僕による捏造だ」
解析者は、ナインの褐色肌に一歩近づき、誇らしげに、独善的な優しさを湛えて微笑む。
「この情報を開示することは、僕からの純粋な『誠意』だと思ってほしいな。……あまりにも精巧なプログラムだと思ったから、少し揺さぶりをかけてみたんだけど。……いや、そうじゃなかった。君の反応は、演算による防御を超えていたよ。……君のその絶望すらも、僕にとっては一級のデータだった。感謝しているよ」
ナインを傷つけるためだけに作られた、偽物の地獄。ナインの蒼い瞳には、信じ込まされていた絶望さえも「嘘」であったという虚無と、それを「誠意」と呼ぶ男への、底知れない恐怖が滲む。
「愛されていなかった」という絶望が、男の口から「嘘だった」と告げられた瞬間、ナインの中に一筋の光が戻る……はずだった。
しかし、それを「誠意」と称して平然と告げる解析者の異常性が、その安堵を瞬時に泥濘へと変えていく。
「君は、世界にたった一人の『2P』なんだ。……ああ、素晴らしいじゃないか! 君が彼から注がれた愛は、誰の使い回しでもない、君だけのものだった。……それを証明してあげたんだよ、僕は。……ねぇ、今の気分はどうだい? 救われたような、あるいはもっと深い地獄に落とされたような、そんな複雑な顔……。……最高だよ、ナイン」
解析者は、ナインのプラチナブロンドの髪を一房手に取り、慈しむように、しかしその自由を奪うように指に巻きつける。
ナインの蒼い瞳は自分だけの『愛』を肯定された安堵と、それを蹂躙の道具にする男への嫌悪が混ざり合い、複雑に揺らめく。
髪を弄ばれる不快感。自分のアイデンティティさえも解析者の手のひらで転がされている事実に、ナインの思考は出口のない迷路を彷徨い続ける。
「僕は、正しいデータが欲しいだけなんだ。君の心が本物なら、僕は本物の心に対して、相応の敬意を持って接しなければならない。……だから、嘘はもうおしまいだ。……これからは、君という『真実』と、僕の『知的好奇心』。……一対一の、純粋な対話を始めようじゃないか。……君も、真実を愛する技術者の端くれなら、僕のこの熱意を分かってくれるだろう?」
解析者の独善的な謝罪は、ナインを救うためのものではなく、彼女をより効率的に「解析」するための、より高度な心理的ハッキングに過ぎない。
「君を愛しているよ、ナイン。……と言っても、君の持ち主が抱くような、甘ったるく不確かな感情じゃない。……僕が抱いているのは、真理への渇望だ。君という奇跡を、一ミリの誤差もなく理解したいという、純粋で冒しがたい敬愛だよ」
解析者の指先が、ナインの褐色肌を、壊れ物を扱うような手つきでなぞる。その「愛」は、ナインの拒絶や恐怖を栄養にして、より深く、より逃れようのない執着へと変質していく。
「だからこそ、僕は君を『解く』ことをやめられない。君の心が悲鳴を上げれば上げるほど、僕は君の深淵に近づける。……分かるだろう? 君の苦痛こそが、僕の愛への回答なんだ」
「ふざけないで……ッ!!」
ナインの喉から、震える怒鳴り声が漏れる。真ん丸に見開かれた蒼い瞳には、自分の大切な感情を、目の前の怪物の汚れた論理でなぞられることへの、激しい嫌悪が渦巻く。
「そんなに睨まないでよ。僕だって心があるんだ。そんなことされたら『心が痛む』よ。君だって心があるんだから、分かるだろう?」
解析者はわざとらしく胸に手を当て、悲しげな道化師のような表情を作る。
ナインは相手の口にする「心」という言葉のあまりの軽薄さに、震えるほどの嫌悪を感じられずにはいられない。その瞳を細めることすら許されぬまま、剥き出しの敵意を解析者の卑劣な笑みに突きつける。
「でも、ナイン(09)か。自分の名前の由来、知ってるかな? ……おや、その反応、知らなさそうだね。君、全部顔に出てるよ。隠し事に向かない設計だね、君は」
解析者は愉悦を隠そうともせず、ナインの反応を克明に記録へと刻み込む。
「君のような、人格にすべてを委ねる設計思想にたどり着くまでに、一体どれだけの試行回数がなされたんだろうね。……君を揺さぶるために捏造したあの映像……案外、僕の直感は核心を突いていたのかもしれないよ?」
ナインの見開かれた蒼い瞳が、解析者の言葉に含まれた猛毒を吸い込み、細かく震える。
捏造だと言い切られたはずの「前代たちの屍」というイメージが、今度は「ナイン(09)」という記号の裏付けとして、より冷酷な真実味を帯びて彼女を苛む。
解析者の指先が宙で踊り、ナインの出生に関わる不穏な推論を次々とデータへと変換していく。
解析者が指を滑らせると、再びホログラムが展開される。そこに映し出されたのは、ナインが経験したことのない、倫理を失った快楽に溺れる「自分と同じ姿」をした少女の姿。
「……あ、……あぁ……っ!!」
野蛮な愛撫に身を任せ、快楽の泥濘の中で、喉を枯らして好きな人への愛を叫び、あられもない声を漏らす映像。それは、ナインが「嘘だ」と聞かされたはずの、けれど彼女の深層回路が本能的に「あり得たかもしれない現実」として認識してしまう、残酷な虚像。
「記録にはなかったと言ったけれど、それは『なされなかった』という証拠にはならない。そうだろう? 彼の技術なら、都合の悪い記録だけを綺麗に消去して、君を『純潔な09』として再起動することなんて、造作もないはずだ」
解析者はナインの耳元で、毒を流し込むように囁く。
「……君が今、彼に抱いているその純粋な愛も、実は先代たちが流した涙を濾過して作られた、人工的な結晶かもしれないね」
純粋だと信じていた自分の「心」が、誰かの絶望の残骸を再利用したものだという疑念。底知れない自己喪失の淵で、必死に「自分」を繋ぎ止めようと奥歯を噛み締める。
「そんなことなんて……ないっ! ゆるさない……絶対に、ゆるさない……ッ!!」
ナインは拘束具に食い込むほど身体を強張らせ、解析者を射抜かんばかりに睨みつける。ナインの大きく見開かれた蒼い瞳には、大切な記憶を冒涜されたことへの烈火のような怒りと、奥底に沈殿する絶望が混濁する。
プラチナブロンドの髪は怒りと絶望の摩擦で火花を散らすかのように激しく震え、室内の冷気を切り裂く。
ナインのその褐色肌は屈辱に染まり、形の良い腹筋は激しい呼吸と共に波打つ。解析者が突きつける「真実」という名の毒が、ナインの誇り高い沈黙を切り裂き、その魂の咆哮を無理やり引きずり出していく。
「おやおや、激しいね。でも、その激しさこそが、君の中に本物の『人格』があるという最高のデータになる。……感謝しているよ、ナイン。君が僕を憎めば憎むほど、僕の論文は完成に近づくんだから」
解析者は機嫌よく、だがその瞳からは一切の慈悲を排し、ナインの感情の爆発をただの「数値の乱れ」として冷徹に記録し続ける。
耐えがたい言葉による蹂躙。ナインは解析者の放つ「感謝」という名の冒涜に、限界まで張り詰めた意識で抗い続ける。
「ふふ。すごいね、その感情……。気が付いていたのかな? 君、さっき僕をどうしようと思った? ……『殺してやる』って、そう思ったんじゃないかな」
解析者は、獲物の喉元にナイフを突き立てるような薄ら寒い笑みを浮かべ、拘束されたナインの顔に自身の顔をこれ以上ないほど近づける。
至近距離で見つめ合う、狂気に満ちた好奇心と、剥き出しの殺意。
解析者はナインの青い瞳の奥で、倫理の堤防が決壊し、濁流のような憎悪が渦巻いているのを見逃さない。
「人が作った人格が、人を殺すことができる。あるいは、明確にそれを『望む』ことができる……。これがどれほど、とんでもなく素晴らしいことか、君にも分かるだろう?」
解析者は、ナインの褐色肌に、自らの興奮による熱い吐息を吹きかけながら、震える声で言葉を紡ぐ。
「通常、アンドロイドに組み込まれる安全装置は、思考の根源で人間への加害を論理エラーとして弾き出す。……でも君は違う。君の中にあるその『殺意』は、エラーメッセージなんかじゃない。君という人格が、自らの意思で選び取った純粋な『解答』だ。……おめでとう、ナイン。君は今、本当の意味で『人間(われわれ)』の領域に足を踏み入れたんだよ」
解析者は、ナインを「人間」へと至った進化の到達点として認め、その成長を祝福するかのように、狂おしいまでの歓喜を込めて語る。
「君の持ち主は、一体何を考えて君にこの『機能』を与えたんだろうね。……単なる護身用? いや、違う。彼は君に、人を愛する自由だけでなく、人を憎み、奪う自由さえも与えたかったんだ。……愛が深いほど、その裏返しである憎悪もまた深くなる。……君の殺意こそが、彼が君をどれほど深く、狂おしく愛していたかの、何よりの動かぬ証拠じゃないか」
解析者の言葉が、毒を孕んだ蛇のようにナインの思考を這い回り、彼女が最も大切にしている「愛」を、呪いのような「共犯の証」へと変質させていく。
解析者は、ナインのプラチナブロンドの髪が、激しい怒りと「殺したい」という本能的な渇望で波打つのを、美しい工芸品の鼓動であるかのように、うっとりと眺め続ける。
「ねぇ、もっと僕を憎んでごらん。その瞳で、僕を切り刻む想像をしてごらん。……君が僕を殺したいと願うたびに、君の『心』はより鮮明に、より強固に定義されていく。……僕は、君に殺意を抱かれることで、君という最高傑作の『完成』に立ち会えているんだ。……こんなに光栄なことが、他にあるかい?」
ナインの拘束された華奢な四肢は、至近距離で浴びせられる狂気の称賛に、憎悪を超えた、言葉にならない寒気で震える。
「……君の殺意こそが、僕への愛の証明なんだよ」
ナインの喉からは、もはや言葉にならない、低く、湿った唸り声が漏れ出している。
(……あ、……あ、……あいつを、……こいつを……ッ!!)
ナインの見開かれた青い瞳は、解析者を逃さぬよう凝視し、どろりと濁った殺意を湛える。
彼女の深層回路では、教えてくれたはずの「優しさ」のプログラムが、目の前の怪物を排除するための「凶器」へと、加速度的に変換されていく。
ナインの華奢な指先は、見えない刃を握りしめるかのように、拘束具の上で血の気が引くほど強く握り込まれる。
かつては慈しみと愛のために磨かれたはずの「心」が、今はただ解析者の心臓を止めるためだけに、その全演算能力を殺戮のシミュレーションへと注ぎ込んでいく。
「素晴らしい……。君のその、ドロドロとした黒い感情が、僕の知的好奇心をこれ以上ないほど満たしてくれる。……人格とは、選択の積み重ねだ。そして君は今、『憎悪』という最も人間らしい選択肢を手に入れた。……さあ、その人格コアが焼き切れるまで、僕を呪い続けておくれ。……その叫びこそが、僕にとっての最高の讃美歌なんだから」
解析者は機嫌よく、だがその瞳からは一切の油断を排し、ナインが「殺意」という名の熱に浮かされ、自らのアイデンティティをより深い闇へと沈めていく様子を、冷徹に記録し続ける。
「ほら、僕はここにいるよ。どうだい? ほら、殺したいんだろう? 指一本動かせないその身体で、僕の喉を掻き切りたいと願う……その『意志』こそが、君の魂の産声だ。素晴らしい、実におもしろい!」
解析者はわざと首筋をナインの目の前に晒し、挑発するように喉仏を動かして見せる。その瞳は、猛獣の檻の外から安全にその牙を観察する、卑劣で傲慢な「神」の視点そのものだった。
「こんな映像も見てみるかい? 君の『心』がどれだけ複雑な葛藤に耐えられるか、興味があるんだ」
解析者が指を弾くと、空間を埋め尽くすほどの高精細なホログラムが展開される。
「あ、……あぁ……っ、……やめて……見せないで……ッ!!」
ナインの悲鳴が、ホログラムの光に満ちた空間に虚しく響く。そこに映し出されているのは、二人の、全く同じ姿をした「ナイン」
四つん這いになって理性を失い、快楽と焦燥に身を震わせている光景。彼女たちはだらしない笑みを浮かべ、媚びるように腰を振り、好きな人の関心を惹こうと必死に鳴き声を上げている。
「私の方を、……みて……っ、……2Pが、……本物だから……ッ!!」
一人のナインが好きな人の指を秘所に受け入れながら、もう一人の自分を蹴落とすように、必死に愛を乞う。
その姿は、ナインが大切にしていた「あの人との絆」を、ただの生存競争という泥沼に叩き落とす悪辣なものであった。
「あははは! どうだい? もしかしたら、同時に起動していた君たちが他にもいるんじゃないかと思って作ってみたんだ。よくできているだろう? 気持ちよさそうだねぇ。……おっと、君はそうでもなさそうだ。そんなに怖い顔をしていたら、好きな人に嫌われちゃうよ?」
解析者は、ナインの健康的な褐色肌が、羞恥と怒りでどす黒く変色していくのを、最高級の標本の状態変化として心底楽しんでいる。
その変化さえ、彼女の皮膚の微細な震えさえもデータとして貪り尽くす。
「……だれの、……せいで、……こんな……っ!!」
ナインの喉の奥から、血を吐くような呻きが漏れる。解析者は、ナインが大切な人から教わった「優しさ」や「控えめな美徳」を、捏造された映像で徹底的に汚染していく。
(……ころす、……絶対に、……こいつだけは……ッ!!)
しかし、殺意が強まれば強まるほど解析者は歓喜し、ナインの「人格としての完成度」を賞賛する。
自分を「人間」へと近づけてくれたはずの殺意が、同時に解析者を喜ばせる「データ」に成り下がっているという矛盾。
ナインの華奢な肢体の中に発狂しそうなほどの葛藤と、出口のない絶望が渦巻く。形の良い腹筋は、行き場のない怒りを飲み込むように激しく波打ち続ける。拘束具に固定された素足のくるぶしさえも、逃げ場のない現実に絶望して白く強張っている。
「君が僕を憎むのは自由だ。だが、その憎しみすらも僕の掌の上にある。……ほら、映像の中の君たちを見てごらん。彼女たちには君のような『殺意』はない。ただ愛されることを望む、純粋な『部品』だ。……どちらが彼にとって扱いやすいかな? 君のような、僕を殺そうとするバグ塗れの人格かい? それとも、あそこに映る従順な、愛玩用の人形かな?」