クラス転移で勇者召喚かと思ったら子作り奴隷召喚だった 作:稲月
『瑠奈ちゃん。あなたは将来、良い大学に行って素敵な旦那さんを貰うんだから、あんまり遊んでいる場合じゃないのよ?』
記憶にある中で、最も古い映像がそれだった。
厳しくも裕福な家庭。典型的なステレオタイプの両親。
女は男の二歩後ろ。花嫁修行は子供のうちから。
宇佐美瑠奈の人生は、ありきたりでつまらない、されど確かに恵まれたものだった。
物心ついた時から毎日毎日習いごと。家にいれば勉強三昧。
楽しかったのは何歳までだったろうか。小学校を出る頃にはもう苦痛でしかなかったのは確かだ。
一流企業の役員を務めるエリートの父親に、良家出身でいつも献身的な母親。
そんな二人の一人娘として心から愛されているのは感じていたし、託される将来への期待も理解していた。
——でも、つまんない。
才色兼備な優等生としてクラスの高嶺の花だった、中学生の宇佐美。
入学してからすぐに人気者になった宇佐美は、告白されたことだって両手の数じゃ足りやしない。
決して驕らず、誰にでも平等で、いつも相手を立てては一歩引く。
幼い頃から叩き込まれた大和撫子としての振る舞いは、誰が見たって板についていた。
……でも、宇佐美の眼に映る世界は、いつだって灰色だ。
誰も彼も宇佐美には取り繕った仮面で話す。その下にあるのは、打算、嫉妬、羨望、性欲。
仮面を暴くまでもなく感じ取れた。ほとほと嫌気が差していた。
教室の隅でぎゃははと笑いあう男子たち。机の上に座ってきゃあきゃあと騒ぐ女子たち。
宇佐美だけが、教室の中心にいながら独りぼっちだった。
たとえすぐ周りを人が囲んでいようと、彼ら彼女らが話しかけるのは"宇佐美さん"であって宇佐美ではない。
つまんない学校。つまんない習いごと。つまんない家。つまんない私。
私って、何のために生きてるんだろ。
色のない平坦な生活を続けるうちに、宇佐美は心までつまんない人間になっていく気がした。
変わり映えのしない学校生活の中で、ある日、宇佐美は中学校の屋上に繋がる扉の前までやって来た。
先生から戸締りを頼まれたのだ。本来は生徒がやることじゃないが、優等生で断れない宇佐美に、面倒くさがりな中年教師が頼んできた。
自分だって本当は習いごとがあって時間が無いが、目上の大人からの頼みはできる限り応えるのが宇佐美家の教えだから仕方ない。
鍵の開いたままの扉。さっさと閉めて帰ろうとしたが、まだ扉の向こうに人が残っている可能性に気づいた。
屋上への生徒の侵入は禁止されているが、自分は戸締りのために来たのだし確認は必要だろう。
重たい金属扉を押して、外へ出る。
——そして、出逢った。
『……ふ〜ん、ふふふ〜ん……んん〜っ、いい天気〜』
壁に寄りかかったまま地べたに脚を伸ばして座り、鼻歌を歌いながら伸びをする、自由気ままな女子生徒。
夕暮れの暖かい日差しが斜めに彼女を照らして、気持ちよさそうに日向ぼっこをしている。
高い身長、白く滑らかな肌に、長く細い脚。
そして何より特徴的な、美しい銀髪。腰上まで届きそうなその長髪は、一部が耳の後ろあたりで三つ編みのハーフアップに飾られている。
——羨ましい。
最初に彼女を見た瞬間、そう思った。
私だってあんなふうに、自由な女の子になってみたい。
名前は知っていた。同じ学年の子だ。
『……寝白さん。ここ、生徒は侵入禁止です。鍵も閉めるから、中に戻ってもらえますか?』
気だるげな表情に緩い笑みを浮かべた彼女が、厳しい表情の宇佐美をふにゃりと見やる。
『ええ〜……せっかくこんなに気持ちいいのに? きみもおいでよ〜』
『駄目です。校則で決まってるので。早くして下さい』
習い事の時間が迫っているのもあり、焦りが混ざって予想以上に冷たい声が出た。
擦り切れた宇佐美の心にはもうあまり余裕が無かった。私はこんなに頑張っているのに、なんでこの人だけが自由なの?
冷たい言葉で刺されたにもかかわらず、彼女は笑みを絶やさずにこちらを見ていた。
そして、宇佐美の内心を見透かしたように口を開く。
『うーん、つまんないなぁ〜。もっと気楽にいこーよ』
つまんない。その言葉が宇佐美の心を激しく抉った。
誰が望んでこんな事ッ! 正しい事を言ってるのは私なのにッ! あなたなんかに言われる筋合いは無いッ!
怒りと嫉妬で、"宇佐美さん"の仮面にピシリと罅が入った。
被り続けた仮面の隙間から疲れた心が顔を出し、思わず声を荒げてしまう。
『いいからッ! 早くしてって言ってんの! 退学にさせるよッ!』
その言葉を口にした途端、内心で激しく後悔した。
実際、宇佐美の得た信頼と実績があれば、サボりがちな女子生徒の一人を退学に追いやることもできなくはないだろう。
でも、そうやって権力を振りかざして自分勝手に振る舞う人間が宇佐美は一番嫌いだった。
自分の娘に理想通りの人生を歩ませるため、事あるごとに親としての権力を振りかざしてくる、あの厳格な父の顔が思い浮かぶ。
結局、自分もお父さんと同じだ。心の中から光が失われて、灰色の人生がより暗くなっていく。
そうして目線を下に向けて、一人落ち込んだ時だった。
『んん〜、頑張り屋のきみには、ご褒美のハグをあげよう〜』
ふわりと、暖かい影に包まれた。
身長の高い彼女の豊満な胸が、宇佐美の胸元に押しつけられる。
むぎゅうと腕を回されて、花のような甘い香りが舞う。柔らかい胸の感触が優しく反発する。
突然正面から抱きしめられて、頭の中は混乱でいっぱいだ。
でもどうしてか、振り払う気にはなれなかった。
『宇佐美……じゃあ、ウサミンだ〜。ウサギみたいで、かわいくない?』
『……私には似合わないよ。本当はそんなに可愛い性格じゃ、ないから……』
『いーじゃーん。かわいいと思うけどな〜……ほら、頑張り屋なカンジとか?』
夕焼けで赤く染まる屋上に、二人並んで座り込む。
正面から当たる陽の光が、身体まで赤く暖かく照らして気持ちがいい。
習い事はもう間に合わない。なんだか吹っ切れてしまった。
宇佐美は隣で自由にくつろぐ少女へ、自分の事を素直に洗いざらい話してしまっていた。
急に身の上話を始めた宇佐美の言葉を、慰めるでも同情するでもなくただのんびり聞いてくれる寝白。
どうして話そうと思ったのかも分からない。分かるのは、彼女が自分を"宇佐美さん"ではなく"ウサミン"として見てくれている事だった。
何がしたいのかは自分でも分からない。やりたいことがあるワケじゃない。
でも、とにかく自由になってみたかった。親とか、学校とか、体面とか、将来とか、全部忘れて……自由に。
『いいじゃん。なっちゃおうよ』
あっけらかんと彼女が言う。
……いま話したのに。私にはそんな道は用意されてない。許されていない。
『よーするにさ、最後にうまいことやれればいーんでしょ?
途中で"寄り道"するくらい、誰にも止めるケンリなんかないよ』
……寄り道?
宇佐美は寄り道などした事がない。常に真っ直ぐ進んでいないと、すぐに怒られて連れ戻されてきたから。
だけどその言葉には、宇佐美が今まで出逢ったどんな言葉よりも耳から離れない、不思議な魔力があった。
『ねえねえ、ウサミン。あーしと一緒に、ギャルやろうよ』
『……ぎゃ、ぎゃる?』
『知らないの? ギャルっていうのはね、この世でいちばん自由な生き物なんだよ〜』
聞いたことはあるけど、そんな意味の言葉だっただろうか。
ずっと仮面を被り続けてきた自分が、今さら別の何かになれるなんて思えない。
『なれるとかなれないとか、そういうのじゃない。
ギャルっていうのはね、"
楽しそうに話す彼女の横顔から、目が離せない。
『自由で、可愛くて、自分に正直で、誰にも縛られない、最強の女の子。それがギャル』
——どお? なりたくない?
イタズラっぽく笑うその緩い表情に、宇佐美は憧れの存在を見つけたのだ。
その日から、宇佐美の世界に鮮やかな色がついた。
『ええッ! ウサミン、別人みたい!』
宇佐美は真面目だった。憧れのギャルを追い求めて、とりあえずギャルが主軸のドラマを片っ端から見て勉強したのだ。
そして宇佐美は形から入るタイプだった。ドラマの中で見つけた、誰にも媚びない最高にカッコいいギャルの姿。
ウェーブがかかった金髪に、薄い小麦色に日焼けした肌。
いわゆる、"平成ギャル"というヤツだった。日焼けはすぐにはできないので、かなり薄い色ではあったが。
『ど、どう? ギャルっぽい? わた……じゃなくて、
『言ったじゃん、なれるとかなれないとかじゃないってば。ウサミンはもう、最っ高のギャルだよ〜!』
学校中の生徒たちから驚愕の視線が浴びせられる。
でも、生まれ変わった宇佐美はもうそれを恐れない。逸脱なんて怖くない。だって、ギャルだもん。
陰では「グレた」と言われているのも知っている。でもどうとも思わない。
あんなヤツらにいい子ちゃんズラしていた時の方が、世界はよっぽど
親とは人生初の大喧嘩をした。勝手に染めた金色の髪を見た時の母親の顔は、正直言ってちょっとウケた。
だけど、家出とか絶縁とかは絶対にしなかった。親の愛情は分かっていたから、本当に裏切ったりはしたくない。
本気で怒った両親の顔は初めて見たが、それでも正直に、真正面から説得した。産まれて初めて本心から打ち明けた。
ただ、自由に生きたいだけ。将来を捨てたりはしないし、大学にも行く。これはただの、"寄り道"。
意外にも、先に折れたのは父親だった。自分も若い頃は好き放題やったものだと、母親を説得さえしてくれた。
自分を大切にする事。それだけを固く約束して、晴れて宇佐美は金髪ギャルとなったのだ。
『じゃ〜とりあえず、放課後は二人でカラオケいこ〜』
長い銀髪を風に靡かせるこのダウナーギャルと一緒なら、どこまでだって自由に生きられるんだと心から信じられた。
ある日の放課後、いつものように屋上で二人のんびりしていると、珍しく客人があった。
大柄な男に連れられてやってきた、清楚な美人。
男は欲望に狂った目でその子の腕を引っ張っては、壁にその細い身体を押し付けた。
『ハァ、ハァ、なあ、いいだろッ!? 他のヤツにだって股開いてんだろッ!?』
『君は私の好みじゃないの。悪いけど、他を当たってもらえるかな。……手、痛いから離して』
明らかに、強姦一歩手前の状況だった。
すっかり強気ギャルが板についた宇佐美は、心を怒りの炎で燃やし彼らへ近づく。
……あのクソ野郎、ウチが地の果てまでぶっ飛ばしてやる。
後ろには呆れた顔の寝白がついてくる。その呆れは愚かな男へ向けられたものだ。
男はこちらにも気づかず目の前の女に夢中だ。その穢らわしい手が女の尻に触れる。
ついにブチキレた最強の金髪ギャルが不届き者を血の海に沈めようかという、その時。
くるん、と男がひっくり返った。女が足を引っ掛けて男を回し倒したのだ。
見事な技に宇佐美が目を丸くした瞬間、あまりにも容赦の無い蹴りが、尻餅をついて呆ける男の股ぐらへと突き刺さった。
ボギョッ!!
『——ァ!? ……——……ッ!』
声も出せずに絶叫する男。慈悲もなく、もう一発。
ドギャッ!!
『————ッッ!! …………』
白目を剥いて口から泡を吹く男。完全に気絶していた。
迷いも情けもないその鋭い蹴りに、宇佐美は目を見開いて固まった。
『あら? ごめんなさい、汚いものを見せちゃった』
か……カッコいい……! この子も、ギャルなんだ!
男にも負けない強い女は皆ギャルである。宇佐美の価値観はそんな風に若干歪んでしまっていた。
結果的に必要なかったとはいえ、助けに来てくれたギャル二人に対し、彼女は自然と心を開いた。
曰く、身体だけを目当てに男漁りしているのは事実だから、自分にも多少の非はあると。
『星宮……じゃあ、ホシミンだ! うーん、ウサミンにホシミン……ちょー可愛い〜!』
『私のこの話はできれば秘密にしてほしいな。変な男たちが寄ってきても困るから』
『ま、任せて。ギャルは仲間を裏切らないの、命に代えても秘密は守るって!』
純情な宇佐美には多分に刺激の強い話だったが、この秘密は墓まで持っていくと決めた。
それにしても、星宮といえばこのあたりでは有名な超大金持ちだったはずだ。
由緒正しい名家として名を馳せており、市長選やらの政治的な影響すら絶大なものを誇っていたはず。
そんな家の娘が陰でこっそり男をとっかえひっかえなんてしているのは、どう考えてもまずいんじゃ。
宇佐美の中に残った優等生の知識がそう疑問を抱く。
顔に出てしまっていたのか、宇佐美の怪訝な表情を見た星宮が薄く笑った。
『きっと家に知られたら絶縁だね。怒りのままに殺されたっておかしくないかも』
『わーお、いいトコに産まれるのもコワイもんだね〜』
『そ、そんな……ホシミンは、怖くないワケ? なんでそこまでして……あ、ゴメン』
彼女を否定しそうになって謝る。人の本心など理解されないものだという経験は自分だって散々味わっている。
しかしそんな宇佐美の様子に、星宮は少し嬉しそうに答えた。
『なんだか、こんなふうに受け入れてもらえるなんて思ってなかったな。……理由なんて、大したものじゃないよ』
自分の振る舞いがイカれている事など自分が一番理解している。
そしてそれも受け入れた上で、必死に前向きに生きているんだと。そんな顔だった。
星宮は小さく笑って続けた。
『私の心も身体も全部を満たしてくれる男の子に会いたいの。ただそれだけ』
もう何人もの男に抱かれてきたとは思えないほどの、美しく儚げな笑みだった。
『そのためだったら、他の全部を犠牲にしたっていい。
彼女の覚悟のこもった真っ直ぐな瞳の中に、宇佐美は憧れの輪郭を見つけた。
互いの秘密も全て曝け出し合い、心の通う親友となった三人。
高校も同じところへ進学した。無敵の三人だった。
『ううーん……ウサミン、ドラマの見過ぎかも』
『理想を追い求めすぎると、処女のままオバさんになっちゃうよ?』
たった一つ、悩みがあるとすれば。宇佐美に彼氏ができない事だった。
男を知らないギャルなんて解釈違いすぎる。せっかく積み上げた最強のギャル像が崩れちゃう。
だけど、どうしても理想を捨てられなかった。
ギャルになって最強になった宇佐美すら守ってくれる、強くてカッコいい王子様。
誰にも媚びず、何者にも負けず、ただ宇佐美を真っ直ぐ愛してくれる、素敵な男性に迎えにきて欲しい。
"ギャル"を学ぶために漁りまくったドラマや少女漫画の影響で、宇佐美の理想は完全に遥か高くへ飛び上がってしまっていた。
自分でもそんな男がほぼ存在しないことくらい分かっている。……でも、"ほぼ"だし。ワンチャンあるかもだし。
『いや〜、ないんじゃないかな〜』
『むしろウサミンの方から男を跳ね除けちゃってるもんね……』
だって、仕方ないじゃん。昔はいい子ちゃんの仮面があったから平気だったけど、素顔のウチのまま男と接したことなんかほとんど無いんだもん。
なんか恥ずかしくて強く当たっちゃうし、そしたらもう寄ってこなくなっちゃうし。
それにそんな意気地無しなんて、ウチだってゴメンだね。
ウチを守ってくれて、ウチに負けたりしなくて、ウチを真っ直ぐ愛してくれる人。
そんな人がいつかきっと迎えにきてくれるって、信じてるもん。
『つ、釣谷……もうイイって! ゴール行って! ウチは諦めたッ!』
『う、うるせぇ……助けっから、黙って待ってろ……ッ!』
今まで何度もキツく当たったはずなのに、全然距離を置こうとしない生意気なヤツ。
宇佐美の理想からはずっと遠いはずなのに、どうしてか目が離せなくなっていた、彼。
その彼が、宇佐美を助けるためだけに。必死の形相で痛みを堪えていた。
『な、なんで……? そんな必死になる意味、ないじゃんッ! イミわかんない……ッ!』
その疑問にも答えず、やがて彼は無様な宇佐美を助けてくれた。
満身創痍の彼に抱き留められて、至近距離で見つめ合う。
……あれ、こいつ、こんなにカッコよかったっけ。
恋人みたいに抱き合ってしまって、顔がかぁっと熱くなる。
恥ずかしすぎて、助けてもらったお礼は言えなかった。
『宇佐美……お前、普通にしてるとやっぱ可愛いな……』
まただ。また可愛いって言われた。ギャルになってから他の男には一度も言われたことがなかったのに。
顔がすっごく熱くなって、正体不明の衝動が宇佐美の心をぎゅうっと苦しめる。
悔しい? 悲しい? 腹が立つ? 苦しくてしょうがないのに、その正体は掴めない。
思わず油断してしまって、また罠に引っかかる。
終わった、と思った瞬間、全身に衝撃が走る。
彼の腕に包まれて、地面へドサリと倒れ込んだ。
……また、助けられた。あんなに辛そうにしてたのに。
二度目だ。ウチは最強のはずなのに、二度もこいつに助けられた。
——彼なら、
いなくなったはずの弱い"宇佐美"が、心のどこかで声を発した。
そういえばこいつは、一度も宇佐美に仮面を使ったことが無い。
普段はビビって話しかけてこないくせに、必要な時は真っ直ぐ宇佐美の目を見て話す彼。
——彼なら、
うるさいッ! あの頃の弱いウチはもういないの!
必死に声を否定するが、なんでこんなにムキになっているのかは自分でも分からなかった。
『ほら、きたよ〜。いけ〜』
『ま、まって! 押すなってばッ!』
親友に押されて廊下から飛び出る。本気で抵抗すれば出なくて済んだのに、身体は動かなかった。
驚いた彼の瞳と目が合って、居た堪れなくてすぐに逸らす。
——ウチ、何してるんだろう。……心の中の冷静な部分が疑問を抱く。
——はやく、言ってよ。……心の中の弱い宇佐美が期待を囁く。
そして彼が、いつになく真剣な瞳と声で宇佐美を呼んだ。
『宇佐美』
じゅくん、とお腹の奥が熱くなる。
『…………何』
なに、この声。ウチはこんな弱々しい声なんかじゃないのに。
『お前を抱きたい。今日、夜伽に来てくれないか』
心臓が跳ねた。胸の奥がぎゅううと熱くなって、不思議な喜びが満ちる。
……ああ、この胸の苦しみは、苦しみなんかじゃなかったんだ。
だけど、いっこだけ気に入らない。
『…………名前で、呼んでよ』
親以外の誰も呼ばない、ウチの名前。
どうしてか、彼にだけはそれで呼んで欲しいと思った。
彼が無言で近づいてくる。
思わず顔を上げて、ひたすら真っ直ぐにウチを見るその瞳から、目を逸らせなくなる。
ぴたりと、身体が密着した。
彼と身体が触れ合うのは、これで三度目。二度はウチを助けるためだった。
そうだ。
彼は、ウチを守ってくれた。
彼は、一度もウチに負けなかった。
彼は、真っ直ぐにウチを見てくれた。
全部を剥き出しにして頑張るウチを、ずっと認めてくれていたんだ。
彼の顔が、近づいてくる。
目は、自然と閉じていた。
——ちゅ。
唇に触れる、ウチより少しだけ硬い肌の感触。
長い長いファーストキスの中で、ようやく気づいた。
いつからだったんだろう。
ウチは、