「坊主。坊主は死ななくって良いんだ。俺は坊主を殺さない。約束するよ。俺たちの――魔術師の世界で約束ってのは重要でな。なんだったら契約を結んだって良いんだ。契約を裏切ったら死ぬっつー、呪いみたいな契約をな。嘘じゃない。俺は俺の先祖に誓おう。だからその上で、だ。坊主。これは取引だ。たった一度、お前は頷いて、目を閉じるだけでいい」
燃える神社。
その境内。
俺を見下ろす、返り血に濡れた青い目。
「お前の後ろのガキを殺させろ」
剥き出しの白い歯は、獲物を追い詰めた獣の形に歪んでいる。
「『令呪』を差し出せ。俺が、この
俺は俺の手にあるものを見る。包丁だ。家のキッチンから取って来たやつ。使い込まれてはいるが、母が週に一度は研いでいるから切れ味はしっかりしている。ぎらつく銀色が反射するのは炎で、炎の中に立つ男の青い目さえ写り込むようだった。
対する男は、なんだ?
俺の目の前にいる男は、なんだ?
人だが、人間には見えなかった。
白人種の白い肌。流暢な――外国人が喋るにしては流暢すぎるようにも感じる――日本語。短く刈り揃えられた頭髪は動画配信サイトで見るような外国の軍人みたいで、その隆々とした筋肉も映画俳優みたいな革ジャンも、全部が様になっている。それだけなら偉丈夫だ。都会に出れば、一人や二人はいるだろう。だが違う。絶対に、確実にそうではない。
その右手に持っているのは、俺の母親の首だ。
その左手に持っているのは、島の駐在の首だ。
黒の革ジャンが血に濡れている。ジーンズに血が浸みている。俺が見上げるほどに高い、百九十センチは超えているであろう身長は、そのほとんどが返り血に濡れている。
なのに、目が違う。
違う生き物だと感じさせる。
血に濡れた人間は、どんな表情になるのだろうか。恐怖か、混乱か、興奮か。少なくとも、なんらかの心の動きがあってしかるべきなのだ。理科の授業で蛙を捌くだけで嘔吐することもあるのが人間なのだから、訓練している軍人だって、なんらかの変化や呼吸の動きがあってしかるべきなのだ。だというのに――男の目は違っていた。
物を見る目だ。
冷徹でもない。
冷酷でもない。
冷静。
だがクールというわけではない。
在るものを、ただ在るとして認識している。それはどこか、散歩をする犬の目にも似ていた。舌が出ていなければ、尻尾がなければ、感情がまるで見えない目だ。興奮しているのか、恐怖しているのか、いや間違いなく――そのいずれもしていない、無感動な瞳。
それが、俺を見ていた。
俺が背中に庇う、血まみれの、十七歳の少女を見ていた。
ちらと後ろを見やる。
幼馴染がいる。
見慣れた幼馴染だ。
長い黒髪。飾り気のないセーラー服。都会に憧れる割りに都会の服を通販する度胸はなくって、高校生になったら島を出ると言っていたのに、なんだかんだ島からの通学を続けている。俺の隣の家に住む幼馴染。名前は長谷川みつき。毎朝フェリーの風に踊る長い黒髪が綺麗だ、なんてことを言ったら照れ隠しに本気で殴って来るようなむかつく女。
それが、腹を押さえている。
だくだくと血が流れる胎を押さえて、ひゅう、ひゅう、と。息をしている。
「い……いや、だ」
俺は包丁を構えた。
「もう死ぬよ、そいつは」
「診療所、まで――連れて行けば、なんとかなる。すげぇ医者がいるんだよ、おっさん」
「いいや死ぬね。山ん中の神社が
「殺させない……っ」
「その間に殺してやる」
「お前、なんかに……長谷川は、殺させないッ!」
「あのな。俺ぁこう見えて平和主義者なわけ。だから――」
俺は、包丁を振りかぶった。
「――攻撃されるまでは殺さないっつー方式で、やらせてもらってんだ」
青い目。
渦巻く何か。
溶解する、包丁。
腕を駆けあがる灼熱。
脳に達する血液の沸騰。
浮き上がる火傷。火傷。火傷。
「――ぁ」
目と目が合った。ただそう感じた。
その次の瞬間に起こったことを、どう説明しよう?
石の鳥居が燃えた。俺の手の中でステンレスの包丁が泥みたいに崩れ落ちた。それを持つ俺の手は当然のように火傷して、雷が木を貫いたみたいな枝模様の黒焦げが刻まれる。立っていられない。まるで夏の校庭に3時間も立っていた時みたいに、視界が揺れる。崩れ落ちる。脳が割れるような感じがする。
「っふー……あぁ、クソ。平和主義者なのに……」
崩れて横になった視界で、男が、その手に持つ二つの首を持ち上げる。血が滴って、男の眼球を染める。青い目が、血の水滴の中で異常な光を放っている。
魔法。
そうとしか形容できない、なにか。
「じゃあ――
俺の身体を無造作に太い脚が蹴る。簡単に身体が飛ぶのを感じる。
「どこにあんだ? 令呪って……手? いや、ねぇな……よい、しょっと」
ビリビリ。
破ける音。
何が?
「背中、なし」
漏れる、ひゅう、ひゅう、という声。
「ガキのくせにエロい胸しやがって……ん、お、おぉ……おぉ? ははーん。主催者はクズだなこりゃ。分かってたけどよ、ここまでやるかぁ?」
燃えるような頭を動かし、見る。男が、長谷川に、跨っている。
「あぶねぇあぶねぇ」
男の手が、長谷川の、裸になった上半身を撫でている。
「もう少しで――令呪ごとぶっ壊す所だったのか」
穴の開いた、長谷川のお腹。
突っ込む、ごつごつとした手。
蛙の潰れるような漏れる声。
「『子宮』に刻むって……マジで人間アイテムボックスだな」
引き抜かれる、紅。
長谷川の口から、紅い、紅いものが滴り落ちる。
泡になっている。
それを最後に、ひゅう、ひゅうという音が、止まる。
「うし、三画」
取り出した紅いものを、男が解体する。袋のような何か。薄い皮を一枚剥ぎ取って、千切って、男が、その手の甲に貼り付ける。光が弾けて、そして――
「……ま、早いに越したこたぁねぇ」
男が立ち上がる。
長谷川の死体を持ち上げて、溢れる赤で、何かを刻んでいく。
「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。今宵供するは破滅の宴」
神社の境内が、石の参道が玉砂利が、幾何学的な赤の模様で濡れていく。
「降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
男の口から零れるのは、歌うような、描くような、不思議な音の混ざり。風が渦を巻き、鳥居を包む炎が踊り狂う。
「
炎と風の競演。
それが。
「―――――
不意に、止まる。
「――――告げる」
静寂。
炎が静止するという異常。
炎が蠢くその力すら、
「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に」
溢れる光。爆ぜる光。光という光が朦朧とする俺の視界に弾け、模様を描き終えた、男の紅い手の甲に収束していく。
「聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
長谷川の死体が、乱雑に投げ捨てられる。
完全に死んでいる。
それが分かった。
「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」
男の歌は勢いを増す。
俺の心臓の音と反比例して。
「汝、三大の言霊を纏う七天……」
収束した光が、輪郭を結ぶ。
「抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――」
幾何学的な紅模様。
静止した炎の光の中に立つ姿。
――聖職者の黒衣を纏う、二足で立つ獣。
その開かれた顎は、きっと、地獄に堕ちても思い出せるだろう。