ふたりの牢獄人生 作:水瓜
その日、俺は早めに迷宮探索を切り上げて地下牢へと戻ってきていた。
ココが夕食の準備をする中、小説を読みながら耳を澄ましていると、リフトが降りてくる際のベルの音が台所から響いてくる。
すぐさま台所に移動するとココが物資を受け取ろうとリフトの前で待機していたが、今日は俺が受け取っておくと言って彼女をリフト前から遠ざけた。
降りてきた鉄籠の中には普段通りのパンや野菜などの食品の他に、折りたたまれた衣服が一着入っている。
食品類を台所の壁に備え付けられた戸棚に入れた後、衣服をココの目に触れないように身体で隠しながら、急いで居室へのドアを潜った。
念の為に居室を通り抜けて、迷宮の入り口兼トイレとなっている部屋まで移動してから服を広げてみる。
縁を白く抜いた藍色の生地で作られたワンピースであり、素材は肌触りの良い綿布を使っている。
ココが現在身に着けている粗悪な麻布で作られた、あちこちが解れている服とは雲泥の差で、デザインは地味だが貴族や従騎士などの上流階級が普段着として使っていてもおかしくない仕立てだ。
当然値は張ったが、特別な日なのだし普段通りの衣装では気分も出ないだろう。
その他、必要な食材も少し前から買い揃えておいたので明日の準備は万全にしてあるし、アレも一週間前に受け取って迷宮内に隠しておいた。
衣服も迷宮内に隠しておいたアレと同じ場所に置いた後、俺は何食わぬ顔で地下牢へと戻る。
暫く待っていると、やがてココの料理が運ばれてきた。
今日の献立はイワシの油漬けと玉葱の炒め物、キャベツのスープ、白パン、そして薄めたワインだ。
炒め物を口に運び、魚の旨味と玉葱の触感を味わっていると給仕の為に隣に立っていたココが俺の顔を不思議そうに見つめる。
「ご主人様、今日は迷宮で良い事でもあったのですか? 何だか口元が笑っていますが……」
「ん、そうか? 別に何でもないよ。 ……それにしても、このイワシ炒めは美味いな」
明日の事を色々と考えていたのが、顔に出ていたか。
俺は表情を取り繕い、その日はココを抱かずに早めに就寝した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌日。
朝食と身支度を済ませてココに見送られて迷宮に入った俺は、普段よりも大分早く――、恐らく昼前だろう時間には地下牢へと帰還した。
いつもはゲートを潜ってから数秒で扉を開けて姿を現すココも、今回は足音が聞こえるまでに時間があった。
俺の帰る時間は日によってまちまちだが、これほど早く戻るのは珍しく不意を突かれた為だろう。
勢いよく扉が開いて姿を現したココは固い表情で俺を上から下まで眺めた後、雰囲気を弛緩させて地面へと跪く。
もしかして、怪我でもして早く帰ったのではと心配させてしまったかのだろうか。
「ご主人様、お帰りなさいませ」
「ああ。 ……ココ、立ち上がってこちらにおいで」
「え? あっ……、はい」
俺は立ち上がったココの手を引いて居室へ進むと背嚢の中から前日に購入しておいた、青いワンピースを取り出して手で広げた。
「これは、お前に今日着させる為に買ったんだ。 寸法は近いものを選んだ筈だが、既製品だしちゃんと着られるかな」
「ええ!? こんな高そうな服を私にですか! ご、ご主人様、そんなの勿体ないです。 今の服で十分ですから。 ええと、ここって返品とか出来るんでしたっけ?」
「良いんだ。 今日は十月五日――、聖クライン様の祝日だ。 前にこの日だけは奴隷も贅沢が許されると言っていただろう? 今日だけは主人と奴隷じゃなくて……、まあ、その、恋人同士みたいに過ごしてみたいと思ってな」
「そ、それは嬉しいんですけど……。 うわぁ、この服柔らかい、上等の布じゃないですか。 解いて、ご主人様のズボンにでも……、でも、折角……」
困惑した様子で服を手にして呟いているココに、着替えてから椅子に座って待っているようにと言いつけて台所へと移る。
棚から取り出すのはバターと砂糖と小麦粉、牛乳、そして木苺のジャムだ。
軍に居た頃は、訓練の無い休日などに宿舎の共同炊事場を利用して料理をする事が良くあり、貴族の男子としてはそれなりに調理経験のある方だと自負している。
今から作るのは俺の得意料理の一つ、パンケーキだ。
竈で少し暖めた牛乳に砂糖と少量のバターを溶かして、小麦粉とダマにならないようによく混ぜる。
そしてフライパンに多めのバターを広げた後に、全体が均一の厚さになるように生地を垂らしていった。
片面を少し強めの火で固まるまで焼いたら、へらを使ってひっくり返し、火を少し弱くしてから蓋を被せて蒸し焼きにする。
生地はそれ程厚くないので、熱する時間は短めで良いか。
あまり焼き過ぎると、食感が固くなるし焦げてしまう危険もある。
そして完成したパンケーキを大きな平皿に盛り付けてから、木苺のジャムをたっぷりと塗って完成だ。
居室に入ると、ココは俺が言った通りに部屋に一つしかない椅子へと座っていたが、表情も強張り明らかに落ち着かない様子だ。
だが幸い、新しい服の大きさはぴったりのようで、上質な衣服に身を包んだ彼女は可憐な町娘のようだった。
彼女の前にパンケーキを置くと、恐縮するように身を縮こまらせた。
「いつもお前には美味い料理を作ってもらっているし、今日くらいは俺が作りたかったんだ。 さあ、食べてくれ」
「い、いえ、でも……。 私には勿体ないというか、いつものように余り物で十分というか……。 べ、別に料理に不満がある訳じゃなくてですね、その、そのあの――」
手の指をもぞもぞと弄びながら早口で呟くココを見て、このままでは埒が明かないとパンケーキをナイフで小さく切り取り、フォークに刺して彼女の口の前まで持っていった。
「ほら、あーん」
「うー……、あ、あー」
遂に観念したように開かれた口へパンケーキを差し出すと、ココはそれを目を瞑ったまま受け取った。
そして数度咀嚼した後に開かれた目には、今までの困惑とは別の感情が宿っていた。
「こ、これ美味しいです! 本当にご主人様が作ったんですか?」
「いや、お前が作っていないんだから俺しか居ないだろう。 ――そんなに美味いか?」
「はい、甘酸っぱくて柔らかくて……、その、上手く言えないですけど今まで食べた中で絶対に一番です!」
「そうか……、なら良かった。 ほら、あーん」
「あ……、あー」
ココのペースに任せていたらケーキが冷めてしまいそうな気がしたので、そのまま最後の一切れまで俺が口に運んで食べさせていく。
そして、腹ごしらえが済んだ後は背嚢の中からもう一つのプレゼントである彫刻の施された木箱を取り出した。
折角の聖クラインの祝日に服以外にも何か形に残る贈り物を渡したいと思ったが、普通に装飾品などを渡してもココが身に着けてくれるとは思えない。
ならば彼女が普段から使うような道具が良いだろうと考えて、裁縫道具一式と裁縫箱を贈ることにした。
この地下牢にも当初から裁縫の道具は用意されていたが、その内訳は数本の太い縫い針と裁縫糸だけであり、ちょっとした修繕程度にしか使えない。
迷宮探索をしている内に破れた衣服をココに繕って貰う事も多いのだが、その度に粗末な道具で苦労しているのをいつも見ていた。
この裁縫道具はかなり値が張り、衣服と合わせて現在の蓄えの大部分が消し飛んだが、これからも長く使う物だと思えば安いと思う事にしよう。
狙い通りにココは多少は恐縮しながらも、主に俺の為に使う道具だという事もあって無事に裁縫道具と箱を受け取った。
――どうやら服や料理よりも嬉しかったようで、糸切り針や裁ばさみ、細工物のように細い針を一つ一つ取り出しながら、きゃいきゃいと騒いで笑顔を浮かべている。
その後は新しい服を着たココを迷宮に連れて行き、安全地帯にある泉を温めて共に入浴した。
こうして風呂に入る事は珍しくないが、今日は湯の中で寄り添って普段よりも時間をかけて入浴した。
口づけをしつつココの身体を弄っていると、股の間を撫でた指にぬるりとした感触を覚える。
至近距離で見つめ合うココの目が熱で潤んでいて、ついそのまま身体を重ねたくなるが、今体力を使い果たせば夜に支障が出るので忍耐力を総動員して性欲を抑え込み、そのまま風呂から上がり地下牢に戻った。
夜は二人の時間をゆっくりと過ごしたかったので、ベッド脇に寄せたテーブルにチーズやパン、干しブドウなどを並べて、ベッドに二人で横並びに座って食べる事にした。
この日の為に買っておいた上質なワインを二つのカップに注ぎ、少しずつ飲みながら談笑を交わす。
「ん、何だか変な味……、でも甘みもあるし美味しい、かも?」
「お前、酒を飲んだことは無いのか?」
「娼館に居た頃は偶に……、安いお酒ですけど繁盛していた日には配られる事もありました。 でも、ワインなんて初めてです。 んく……、うん、何だか段々美味しく感じてきました」
「ふふ、そうか。 好きなだけ飲みなさい」
「はい……、ねぇ、ご主人様。 良ければなんですが……、また飲ませて頂いて良いですか?」
ココも入浴と酒で大分緊張がほぐれてきたらしく、目を瞑って俺の方に唇を軽く突き出してくる。
意図を察して口にワインを含み、それを合わせた唇から流し込んでやると、小さく喉を鳴らして液体を飲み下す音が聞こえた。
「うーん、ご主人様に飲ませて頂くと倍は美味しいです……。 ふふ、次は私がお返しです」
いつもはここまで積極的になるのは珍しいのだが、酒の力がココの理性のたがを緩めているのだろうか。
そうして暫く互いにワインを飲ませ合った後、遂に俺達はベッドに横になり身体を合わせた。
夜長を楽しむように緩やかな愛撫をしながら、ココの耳元で彼女の魅力や、普段の働きに対する感謝を伝えていく。
そのまま互いに性器を結合させ、絶頂する事で甘美な時間が終わるのを惜しむように長い時間をかけて交わる。
そうして互いの汗と体液に濡れながら到達した射精は、頭が蕩けそうな程の気持ち良さだった。
ココの希望で腕枕をしながら二人で寄り添っていると、彼女が俺の耳元で囁いてきた。
「ご主人様……、ありがとうございます。 今日は私の今までの人生で一番楽しい一日でした。 ……でも同時に怖いです。 何だか私が持って生まれた幸運を全て使い果たしてしまった気がして」
「そんな事は無い。 今日が今までで一番楽しかったなら、これから何度でもそう思わせてやるさ。 今まで色々な苦労をして生きて来たんだ。 これからはそれを埋め合わせられるくらい、楽しい人生が待っている筈だ」
「……やっぱり優しいですね、ご主人様は。 ――でも私、思うんです。 私みたいなボロの奴隷が傍にいるせいでご主人様の人生を邪魔してしまっているんじゃないかって」
「ココ、何度も言っているがそれは無い。 俺は共に暮らすのがお前で良かったと思っている」
「……ご主人様、正直に答えてください。 この監獄って、お金を出せば新しい奴隷も買えるんじゃないですか?」
その質問に俺は不意を突かれて、何も言えずに押し黙ってしまった。
字を覚えたのか?
いや、もしかして以前に監獄側から何か聞いていたのか?
そんな疑問が頭の中を駆け巡る。
しかし、そんな様子を見せてしまった事でココは自分の疑問の答えを確信したらしい。
「やっぱりですか。 私が他の奴隷について話をする時に少し態度がおかしくなるので、もしかしたらと思ったんです。 女は、大好きな男の人に関しては勘が働くって言いますけど本当だったんですね。 ――ご主人様、一つだけお願いしてもいいですか」
「な、何だ?」
「私はもう、他の女がご主人様と親しくなる事に耐えられないと思います。 私を残したまま、新しい奴隷を買おうとしたら私、泣き喚いて暴れます。 家事だってもうまともに出来ないでしょう。 ……ご主人様と居る内に、そんな壊れた奴隷になっちゃったんです。 ですから……、もし私が要らなくなったら、ちゃんと殺してくださいね」
「ココ……」
「出来れば寝ている時に、首か心臓を一刺ししてくれると嬉しいです。 ご主人様に捨てられた事を知らずに逝けますから。 ……その時も絶対に恨んだりしません。 あの世から、ご主人様の幸福を祈っています」
腕に感じるココの重さが増したような気がする。
俺を脅すでもなく縋るでもなく、どこまでも真摯に語る彼女の声に、もう十月だというのに額から汗が流れた。
当然ココを嫌いになった訳でも、手放したいと感じた訳でもない。
ただ俺がココの命を握っているのだと、改めて自覚しただけだ。
「お前を捨てる事は絶対にないよ。 前にも言っただろう? 俺達はずっと一緒だって」
「……嬉しいです、そう言って頂けて」
その言葉を最後に、ココは眠りに落ちたようで安らかな寝息を立て始めた。
人の命は、とても重たい。
クーデターに巻き込まれて多くの命を奪ってしまった俺が、今こうして一人の女性の命を背負っているとは不思議な巡りあわせだ。
守るべき同胞の命を奪ってしまった俺だからこそ、彼女だけは守り続けなければならない。
俺は触れあった肌からココの鼓動を感じながら、そう心に誓った。
――ココが病を発したのは、それから二週間後の事だった。