ふたりの牢獄人生 作:水瓜
ココの無事を確認して安堵した為か深い眠りについていた俺は、鳴り響くベルの音で目を覚ました。
寝る前にランプは消しておいたので、目を開けても視界には深い闇がわだかまっているだけだ。
俺は手探りで枕元の箱からマッチを取り出し、テーブルの上のランプに火を灯した。
恐らく今のは夕方のベル。
ベッドに入ったのは朝のベルが鳴ってから、そこまで経っていない時刻なので半日近くは寝ていた事になる。
そのおかげで頭の重さはすっかり消えていたが、代わりに喉が酷く乾いていた。
「んぅ……」
振り返ればココも目を擦りながら起き上がろうとしていたが、病み上がりなのだしもう少し寝ているようにと伝え、俺は渇きを癒すべく水を飲む事にする。
眠る前の味覚異常が治っていれば良いのだが。
そう願いつつも治っていない時の為に呼吸を止めて風味を感じない内に一気に飲み込もうとしたが、水が僅かに口内に入った瞬間、俺は傍にココが居るのも忘れて勢いよく水を吐き出した。
一体、何だこれは。
強烈な鉄臭さと生臭さが口内に広がり、誇張抜きで身体が勝手に拒絶してしまった。
眠る前はまだ我慢すれば無理矢理飲み込める範疇だったが、今のはそれすらも出来ない程の味だった。
「えっ……、あの、ご主人様? 大丈夫ですか?」
ベッドから身体を起こしたココが心配そうに俺の肩に手を置いたが、俺の症状を説明して病気が治ったばかりの彼女に心配を掛けて良いものだろうか。
少し迷ったが、ここまで味覚異常が酷くなっては隠し通す事も出来ないと考えて打ち明ける事にした。
水が恐ろしく不味く感じると聞いたココは自分も同じ薬缶から水を飲んだが、やはり彼女にとっては普通の水に感じるようだ。
何時から味覚がおかしくなったのか、他に具合悪い所は無いか等と心配で焦った顔のココに質問攻めにされたが、今は喉の渇きが酷くて話すのも辛い。
だが水以外にお茶なども飲めないのかという質問に、眠る前の出来事を思い出した。
「そう言えば……」
「何か飲めるものがあるんですか?」
「ああ……、いや、しかし」
「何なんですか? 早く何か飲まないと……、教えてください、用意しますから!」
「実はな……、お前とキスをした時に感じたんだが、お前の唾液はおかしな味がせずに普通に飲めたんだ。 いや、そう言えば自分の唾もおかしな味には感じないな」
「唾液、ですか? あ、あのー、冗談じゃ……ないんですよね?」
「こんな時に冗談なんて言う訳ないだろう」
「で、ですよね。 いや、でもそれで喉の渇きを何とか出来るなら――、ちょっと待っててください」
そう言うとココは口の中で舌を動かしているのか暫く頬を膨らませた後に、そのまま口を俺の顔に近づけてきた。
――別にココの唾液を汚いと思った事は無いが、口の中に溜めたものを飲むとなると流石に抵抗は感じる。
しかし善意でしてくれた行為を今更断れないし、何よりこのまま何も飲めないままでは本当に拙い。
意を決してココと唇を合わせれば、そこから生暖かい唾液が俺の口内に流れ込んできた。
味覚異常の程度が酷くなった事で、彼女の唾液の味も異常に感じる事を覚悟していたのだが、果たして舌から流れ込んできたのは柑橘水のような爽やかで仄かな甘酸っぱさだった。
とろみのある粘液を嚥下すれば、喉の奥に感じていた痛みが潤いで癒される。
そのままココの口を吸って更に唾液を飲もうとするが、もう口内は空になってしまったようで一旦唇を離した。
「すまないな、苦しくなかったか?」
「はい、私は大丈夫です。 それで、どうでした?」
「……やはり今朝と同じで、お前の唾液は普通に飲む事が出来た。 ……どういう症状なんだこれは」
俺は別に医師でも何でもないが、唾液だけが例外となる味覚異常など噂にも聞いたことが無い。
そんな特殊な症状があり得るのだろうか。
――考えてみれば症状が出始めたのは、ココの変異の途中だった。
俺は箪笥から迷宮に存在する魔物や物資が詳細に解説された図鑑を取り出し、
あの薬を手に入れた時に図鑑の記述を読み込んだが、その中に気になる事が書いてあったはずだ。
……この部分だ。
しかし魔人は元が平民である為か体内で魔力を生成する能力は持たず、単独では魔法の発動はおろか、変異した事で生存の為に魔力が必要になった肉体を維持する事すら出来ない。
そこで重要な役割を果たすのが
魔人と
また魔人が発現させる固有魔法の中には
最も多い例は
固有魔法により
封魔石に囲まれたこの地下牢では、通常であれば内部で魔法を使用する事は出来ない。
ただ軍に居た頃に受けた捕虜の扱いについて学ぶ講義で、封魔石で構成された牢の中であっても非常に希薄ではあるが魔素が存在しており、魔素の需要が少ない肉体強化や治癒属性の魔術師であれば効果は大幅に減弱するが魔法を使用する事も可能だという話を聞いた。
この味覚異常がココの固有魔法に端を発するものなのだとすれば、分類としては肉体に作用する魔法になる。
地下牢内で、何らかの効果を発揮しても不思議ではない。
――しかし、固有魔法が単に俺の味覚を狂わせるだけというのは考えにくい。
限定的過ぎるし、何の意味があるのか分からないからだ。
例え固有魔法が働いていたとしても地下牢の中ではその真の効果までは分析出来ないし、一度迷宮に潜ってみる必要がある。
俺はその準備の為、まずはココに頼んで唾液を更に飲ませて貰う事にした。
彼女の口内に唾液を貯めさせ、口移しで飲み込むという行為の繰り返し。
これより更に倒錯的な行為もしてきたが、俺は体液に性的興奮を感じる性質ではないので若干の抵抗はある。
本当に、俺と共に居る奴隷がココで良かった。
どんな事でもこちらが心配になる程に従順に受け入れる彼女だからこそ、こんな変態的な要求が出来るのだ。
始めて会った頃は若干の硬さはあったが、一緒に暮らす内に二人の間の羞恥は薄れ、互いの欲求を隠さずに伝えられるまでになった。
ココと接する内に俺の中にある自分ですら気が付かなかった欲望が増幅しながら露わになっていくようで、今の俺は傍から見れば間違いなく変態だという自覚はある。
この様子を昔の知り合いに見られた日には、もう二度と外を歩けまい。
――まあ、どうせ牢獄暮らしだし要らない心配ではあるが。
何度か唾液を飲ませて貰って喉も渇きも言えたし、迷宮探索用の靴も履いた。
武器や防具の類は、安全な通路で固有魔法について調べるだけなので必要ない。
ココも入浴の際にいつも通っている通路なので、特に不安がる事も無く俺の後ろについてゲートを潜った。
魔素を人間の五感で知覚する事は出来ないが、地下牢とは違い魔素で満ちた迷宮内に足を踏み入れた瞬間だけは身体を流れる魔力が僅かに震えているように感じる。
続いてゲートから姿を現したココの様子を観察してみたが、今の所は特に変わった様子は無かった。
その場に佇みながら彼女を観察していると、ふと自分の身体に違和感を覚える。
いや、身体というよりは体内の魔力か。
何もしていないのに少しずつ身体から魔力が抜けていく感覚があった。
魔力視で空気中の魔力を観察してみると、集中してみなければ分からない程の細い魔力流がココの肉体へと流れ込んでいるようだ。
「……あれ?」
「どうした?」
「いえ、何だか胸の辺りがもやもやする感じがして……」
首を傾げながら、変異時に身体が大きくなると同時に豊満になった胸を不思議そうに触っている。
その後も違和感を感じる場所を撫でたり押したりしていたようだが、不意にココの胸元の部分の布が小さく濡れて色が変わった。
「何か出て――、えっ。 これは……お乳?」
服を捲り上げて胸を露出させた彼女の形の良い乳房、その先端の桃色の突起から白い液体が糸のように細く幾条も噴出している。
圧力を加えてもいないのに溢れ出る量は豊富で、通路の床に点々と水玉模様を作った。
「……そのままでいてくれ、少し貰うぞ」
あの味覚異常が固有魔法によるものであれば、ココの唾液に関しては悪影響が無く、寧ろ甘く感じた事にも理由がある筈だ。
そして今、彼女に魔力が流れ込むのとほぼ同時に母乳が噴出され始めた。
俺は予感に突き動かされ両の掌に母乳を受けて、口へと運ぶ。
量にすれば一口にも満たないような僅かな乳だったが、それが舌に触れるや否や今までの人生で飲んだどんな牛乳よりも濃厚でまろやかな甘味を感じた。
これは――、もう悟らざるを得ない。
まだ固有魔法の全貌が明らかになったと決めつけるのは早いが、少なくとも一つの事実は確定的と言ってもいいだろう。
俺の味覚はもう水を含む飲食物全般を、身体が本能的に拒否してしまう程に不味く感じるよう変化した。
そして、その例外が自分自身とココの唾液、そして母乳だ。
いや、ココの分泌物だという事が重要であるとすれば、他の体液全般に関しても検証してみる必要はあるか。
とにかく俺は、このままではココの体液しか摂取出来ないかも知れない。
この味覚異常がココの固有魔法が齎したものであれば、ココの意思で元に戻す事が出来る可能性はあるが、不可逆的な変化の可能性もある。
彼女が
そもそも栄養的に母乳と唾液だけで生きていく事など出来るのか?
俺は途方に暮れかけるが、胸を晒したままのココが不安な顔を向けているのに気が付き、何とか笑みを作った。
どんな結果になったとしても、俺がそれを否定する訳にはいかないのだから。