ふたりの牢獄人生 作:水瓜
迷宮の第二階層。
第一階層よりも魔物は多少強いが、貴族として豊富な魔力を有する俺ならばそこまでの危険は無い階層。
それでも以前であれば、特に強い種族や魔物の群れに遭遇すれば手傷を負う事もあったのだが、最近の探索ではそのような危ない場面は殆どない。
今も粗末な鎧と剣で武装した骸骨三体を、同時に射出した三発の火球で一気に仕留めてしまった。
……本来ならば、炎を火球として打ち出すには魔力の放出、成型、性質の調整、表層部の発火、射出という複雑な過程を経なくてはならず、実践レベルで使用出来るようになるまでには年単位の修練を必要とする。
二つ同時もやろうと思えば出来なくはないが、繊細な注意を必要とするので邪魔が入らない安全な環境でなければ難しいし、時間も余計にかかる。
三つとなればもはや曲芸の領域であり、実戦では到底使えない筈だったのだ。
しかし今の俺なら三つどころか五つまでは戦闘中にでも構築出来るし、別々の目標に向かって飛ばすという繊細な操作もまず失敗しない。
特別な修練もしていないのに、ここ数週間という短期間で俺の魔力操作技術は別次元への成長を遂げていた。
この変化は感覚的な事象なので表現が難しいが、楽器の演奏の上達に近いかも知れない。
楽器の初心者は楽譜を見ながら奏でたい音に合わせて意識的に指を動かしていくが、名人は頭の中で演奏したい旋律を思い浮かべれば勝手に指が動くという。
俺もこれまでは魔法を使う為に一つ一つの手順を意識して魔力を操作及び変換していたが、今では最終的にどのような魔法を発動したいかをイメージするだけで魔力が勝手に動いてくれるかのようだ。
軍人だった時にこの実力があれば、陸軍の中でも最精鋭のみが所属する花形中の花形、近衛騎士隊への配属も望めただろう。
それに魔力操作だけではなく身体能力も向上している。
身体能力の方は魔力操作のように劇的に進化した訳では無いが、それでも武器防具が以前より軽く感じるようになったし、長時間走っても疲れにくくもなった。
他にも――、迷宮とは関係の無い話だが以前より明らかに精力がつき夜の生活に活かされている。
変わっていないのは魔力量くらいだが、これは当然と言えば当然だ。
魔力持ちの人間が有する魔力量は訓練により多少は増やせはするが、劇的に増加するものでもない。
それに魔力量が訓練により増える現象も、魔力を繰り返し限界まで使用する事で眠っていた魔力の生成能力が覚醒する為と言われており、成長限界は生まれつき決まっているというのが学者達の見解だった。
思い当たる節と言えば、ココが産出する母乳と卵を食べ続けている事しかない。
ココに少しずつ魔石を食べさせ続けて二か月あまり。
単調な味に飽きて食味の向上や味の種類の増加を狙って始めた魔石食いは、少しずつ当初の望みを実現し始めていた。
例えば母乳と卵。
相変わらず単一の味なのは変わらないが、以前よりも味に深みが出て旨く感じるようになったのに加え、幾ら食べても何故か飽きずに食べ続けられるようになった。
もしかしたら俺の味覚が変化したのかも知れないが、パンを毎食食べても飽きが来ないように、母乳や卵も長年親しんできた主食のように感じるのだ。
それに、最近になって母乳と卵を加工する術も発見したし食糧問題については完全に解決したと言っていい。
だが魔石による成長の効果が、単なる味の向上に留まらなかったとしたら?
そもそも変異薬により獲得した固有魔法が、母乳と卵を出せるようになるだけでは何の意味があるのか分からない。
もしかしたらココの生成した食糧には、それを食した相棒に栄養以外にも利益を齎す効果が秘められていたのではないだろうか。
この推測は恐らく正しい。
幼少期から長年魔法の訓練を積み重ねてきた俺だから分かるが、今の俺の魔力操作技術は既に達人と言える領域に届いている。
此処まで魔力操作を極めるには長期間の厳しい訓練だけでは全く足りず、先天的な才能が必要になる。
俺は貴族としての血が齎す恵まれた魔力は持ってはいるが、魔力操作の才能に関しては平凡であり、一つの技術を身に着けるのにも無数の反復練習を必要とする。
そんな俺がある日突如として魔力操作の達人になるなど、ココの固有魔法の効果以外には説明がつかない。
身体能力の向上は兎も角、魔力操作技術という精神的な部分にまで影響が出ている事に若干の戸惑いはあるが、俺にとって喜ばしい事ではある。
迷宮探索の安全性が増したというのは勿論だが、一介の魔術師として自分の能力が向上するというのは抗いがたい魅力があった。
学生時代に同年代の少年達と切磋琢磨する中で才ある人間に嫉妬した事もあれば、自分の平凡さを嘆いた事も数知れない。
世間とは隔絶した地下牢に入れられ、他者と競い合う心も忘れたと思っていたが、魔力操作の向上は自分でも意外に思う程に嬉しかった。
これも魔力持ちとして生まれた人間の性なのだろう。
――少し喉が渇いてきたか。
地下牢の入り口から第二階層まで移動するだけで一時間弱は掛かるし、この第二階層でも恐らく三時間程は探索を続けている。
飲食物を持ち運べない俺にとっては、喉の渇きや飢えはそのまま探索限界を意味するので、ココの変異後は朝に探索に出て昼には帰るという生活になっていた。
道迷いを防ぐ為に、既に探索済みの領域に再出現した魔物を討伐しただけなので実入りは少ないが、必要な飲食費が減った分生活には余裕がある。
今日も十分な量の魔石を手に入れたので、探索はここで手仕舞いにしようか。
最寄りの安全地帯に存在する、入り口に繋がる帰還用ゲートを潜って地下牢へと戻った。
俺が石床へ一歩を踏み出すとブーツと床が接触する固い音が響き、それを聞きつけたココの足音が続いて響く。
そして居室に繋がる扉を開けてココが姿を現すが、いつもならば床に跪いて俺を迎える所を今日は何か落ち着かない様子で立ち尽くしている。
その表情には怯えが浮かんでおり、何らかの非常事態が発生した事を悟った。
「何かあったのか?」
「あの……、さっき外から何かが爆発するような凄い音が何度も聞こえて来たんです。 今は鳴りやみましたけど、上で何かが起こっている気がして……」
「爆発だって? ……もしかして、脱獄騒ぎでも起きたのか?」
――いや、それは考えにくいか。
俺は自分の発言を、内心で否定する。
例え貴族であっても地下牢から脱出するのは不可能に近い事は、ここの住人である俺が一番良く知っている。
封魔石の粉末が混ぜられたコンクリートで覆われた地下牢では魔素の希薄さにより魔力変換が上手く行かず、どれ程優れた魔術師でも魔法が使えない。
それに部屋は地下二十メイルの地点に埋設されていて地上までの穴を掘るのも不可能だし、唯一の地上との連絡路であるリフト用の立坑は壁面に凹凸が無く指の掛け所も無い。
リフトを吊るすワイヤーを伝えば地上まで登る事は出来るだろうが、その場合はワイヤーに接続されたベルが鳴り響き看守を呼び寄せてしまう。
ましてや今は昼間であり、脱獄を企てる者が居たとしても態々この時間に決行するだろうか?
地下牢から地上の様子を知る術は立坑や通気口を通じて伝わってくる微かな音を頼りにするしかないが、それから暫くリフトの部屋で耳を澄ませても何も聞こえてこなかった。
地上から、この地下深くまで響く音となると余程の大音量でなければならず、もしかしたら上で何か事態が動いている可能性もあるが、ここからでは知る術もない。
待っていても進展は無さそうだったので、取り合えずココと共に居室へ移動し防具を外して荷物を整理する事にした。
そして背嚢の中から魔石を取り出す為に口を開いた時、僅かな光が漏れだした。
「ん?」
背嚢に手を入れ光源を探してみると、それは携帯式の魔石灯のようだ。
先端に目の粗い金網を被せた金属の筒の中に、光魔石と呼ばれる衝撃を受けると光を発生させる魔石を入れた道具であり、手に持って振ると光魔石が筒の内側にぶつかって暫くの間発光する。
偶に存在する暗い部屋などを照らす為に持っていく、何の変哲もない道具。
だが、その内側の光魔石の輝きを見た俺は声も出ない程に驚いた。
魔石は加工する事で、様々なエネルギーを発生させられるようになる物質だが、エネルギーの発生時には魔素を消費するので地下牢内では魔石は反応しない筈だった。
だが目の前にある光魔石は、確かに光を発している。
これが意味するものは―――。
俺は人差し指を突き出し、その先端から魔力を軽く噴射させて炎へと変化させるように念じる。
魔術が使えない地下牢内では、空気中に魔力を無駄に放出させるだけで終わる筈。
事実、これまでそうだった。
しかし今……、俺の指先には明るい火が灯り室内を白く照らしていた。