ふたりの牢獄人生 作:水瓜
およそ八か月振りの外気は冬の冷たさを孕んでおり、海からの風に乗って俺の肌を撫でた。
季節は十二月。 この地域は降雪が少なく見える範囲に雪は積もっていないようだが、それでも冬特有の厳しい寒さが夜の帳が降りつつある監獄島を満たしていた。
日没後の空を地平線の彼方に沈んだ太陽の残光が照らしており周囲を薄っすらと赤く染めていて、今なら照明無しでも周囲の様子が辛うじて分かった。
この残光すらも消えてしまえば、地表を照らすのは空に頼りなく浮かぶ細い三日月だけとなり、光魔石の小さな光だけで行動しなくてはならなくなる。
早い所、脱出手段を見つけなければ。
この島の地理については船着き場から地下牢への入り口に辿り着くまでの限られた範囲でしか見た事が無かったが、現在俺が居る地下牢のリフト乗り場は島の高台に位置しており少し動き回るだけで島全体の様子が見渡せた。
どうやら監獄島は外周部を断崖絶壁に囲まれた台地のような地形らしい。
海から垂直に近い険しい崖で隔てられた狭い台地の中に、看守達の宿舎――、だったと思われる多くの窓の付いた施設や倉庫らしき大きな建物、囚人達の住む地下牢へ繋がるリフトなどが所狭しとひしめき合っている。
地下深くの堅牢な牢に居る時には、自分が巨大な山の中に閉じ込められているような感覚を抱いたものだが、こうして地上から見ると監獄は案外こじんまりとしていた。
入所当時の記憶を思い起こせば、船着き場から崖に巻き付く様な形の長い坂を登ってこの台地に辿り着いた筈だ。
地下牢に居た時には朧気だった入所時の記憶が、実際の風景を見る事で次々に頭に浮かんでいく。
島外へと脱出する手段となる船を探すなら、まずは船着き場に降りなければ。
坂道へと続く道を降りかけて、俺は宿舎と思われる施設を振り返る。
この島の中では最も大きく、囚人達を封じ込めた地下牢を見下ろすように建てられたそれは、しかし現在は無惨な姿を晒していた。
玄関があったと思われる場所を中心に巨大な空洞が開いて内部の様子を晒しており、それ以外にも建物の各所の壁や窓が跡形も無く吹き飛んでいる。
無事な窓にも照明の光は灯っておらず、内部の者達がどうなったのかは調べずとも察しが付く。
生き残りも居るかも知れないが、少なくとも囚人の脱獄を食い止められる程の戦力が残存しているとは思えなかった。
使われたのは恐らく魔法――、破壊跡に焦げ跡が無い事から俺のような火属性や雷属性の使い手ではなく、念動属性か振動属性のどちらかだろう。
同じ囚人である俺が言うのも何だが、建物に残された生々しい破壊の痕跡には看守達に対する明確な殺意が感じられ、これを成した者の凶暴性が伺える。 ココはその光景を見て明らかに怯えている様子で、俺も態度には出さないが出来る事なら会いたくはない手合いだ。
足早に長い坂を下っていくと、数分で船着き場へと辿り着いた。
島の小ささに反して港は広く、俺が乗ってきた大型船舶が係留されていた岸壁だけではなく、コンクリートの堤防で囲まれて湾のようになった場所には小型の船舶が泊められる船溜まりもある。
見渡す限りでは、俺達以外の人影は無く、俺は取り合えず胸を撫でおろした。
岸壁には船は姿は無かったが、船溜まりから船を陸へと上げる為のスロープの周囲に木製の小さなボートが三隻置かれている。
三隻共にボイラーや帆等の推進装置が付いていない手漕ぎボートで、これで本土まで移動するのは難しそうだ。 内部に網や釣り竿が放置されている所を見るに、看守達が余暇を楽しむ為の釣り船だったのだろうか。
木の葉のような流線形で横幅は狭く、四人も乗れば満員になってしまうような小舟で、中心部の両端にはオールを固定する金具が付いている。
船底に穴が開いていない事を改めてから、海に目をやる。
海風は冷たいが穏やかで、波も高くはない。
この小舟でも転覆せずに移動は出来そうだ。
地平線の近くに灯台の光が瞬いており、薄っすらと陸地の影も見える。それを目印にすれば陸地までの方向は間違わないだろうが、手漕ぎボートでは到着するまでにどれくらい掛かるか見当もつかない。 それにもし早い海流に飲み込まれてしまえば、海の彼方まで流されてしまうかも知れない。
――が、これ以外に脱出する手段が残されていないのも事実のようだった。
海上に船の灯火はまだ見えないが、本土では応援部隊の編成が進んでいるかも知れない。 ぐずぐずしていて明け方を迎えてしまえば、島から密かに漕ぎ出す事は難しくなる。
もう覚悟を決めるしかないか。
ココと共に船をスロープを伝って海面へと押し出すと、そのまま乗り込み設置した二本のオールを両手で掴んだ。
魔術学院に居た頃に、課外授業で湖に浮かぶ船を漕いだことはあるが海は初めてだ。
乗り込む際に足を濡らした海水は凍り付きそうな程冷たく、もし船が転覆すれば俺もココも助からないだろう。
怖気づきそうになる心に活を入れると、俺は夜の海へと漕ぎだした。
堤防により波が遮られていた船溜まりを抜けると勢いを増した波が船を揺らすが、予想通りこのボートでも耐えられる範囲だった。
進行方向に背を向け、船の中央部にある漕ぎ手席に腰を下ろして両手でオールを漕いでいく。
最初の内はオールの動かし方を忘れてしまい手間取ったが、漕いでいく内に昔船を漕いだ時の記憶が思い出され、徐々に船の進み方も安定してくる。
最初の内は船を漕ぐのに集中していたが、徐々に監獄島の船着き場から離れていくにつれて緊張も解れてきた。
楽観するには早いだろうがボートは無事に進んでおり、このまま行けば夜半の内には本土まで辿り着ける筈だ。
「陸地に着いた後は、どうするかな」
ふと、そんな言葉が口をついて出た。
魔封石を用いた貴族囚人の管理が不全をきたした事で、処刑されるのではないかという危機感に突き動かされて逃げ出したは良いものの、本土についてからの具体的な計画があった訳では無い。
頼れる知人も家族も最早無く、それどころか国家から全力で追われる身になった事を考えれば未来に立ちはだかる大きな困難は想像がつく。
生活を立てようにも、身元保証も無しでは真面な職業に就けるとは思えないが犯罪だけは犯したくなかった。
――騙されての事とはいえクーデターに参加して多数の人間を殺害し、あまつさえ地下牢から脱獄した時点で既に最上級の重罪人ではあるが、その二つの罪に関しては俺にも言い分はあるのだ。
軍の上官に適法の軍事行動だと騙されて政府関係者や民間人を殺害した事には、どうして騙されていると気が付けなかったのかという後悔と手に掛けた人達への罪悪感はある。
しかし軍人としては何ら間違った行動をしていない俺に対して、有罪を言い渡した裁判所の判断には納得しておらず、地下牢から逃げ出したのも不当な処遇から逃れただけだと考えていた。
俺が犯す事を忌避するのは、俺の良心や誇りに対しての罪であり、権力者の都合で如何様にもなる法律上の罪ではない。 脱獄した事に対しては俺の良心は微塵も痛まないが、生活の為に物を盗んだり、無辜の他人を傷つけたりする事は絶対に出来ない。 それをしてしまえば、俺はもはや俺自身を誇れなくなるだろう。
しかし、かと言って名案がある訳でも無し。
一人で考え続けても憂鬱になるだけなので、俺の向かいの席でワンピースの上から布に包まっているココに話しを振ってみる。
「ココ、本土に着いたら何処か行きたい場所はあるか?」
「……別に無いですね。 ご主人様と一緒に静かに暮らせる場所ならどこでも良いです」
「そう、か。 静かに暮らせる……、いっその事、山奥にでも行ってみるか? 魔法を使えば、狩りも出来るだろうし」
深く考えずに返した言葉だが、案外名案のように思えてきた。
人里離れ、山奥に隠れ住むように暮らす人間も居ると聞いたことがあるし、俺達にも出来ない事はない筈だ。
生活の拠点を建てる為の工具や、暮らしに必要な道具を調達する必要はあるが、地下牢を出る際に持ち出した幾つかの遺物を売れば纏まった金も手に入る。
実際に暮らしてみれば問題が次々と湧き出てくるのだろうが、心安らかな生活を手に入れる為ならば多少の苦労は耐え忍べる。
その後は船を進めながら、秘境での新生活について二人で話し合った。
棲家はどうするか、どのような場所が良いか、必要な道具は何か。
計画を練るというより、思い付きを言い合うだけの雑談と言って良い会話だが、少なくとも気は楽になった。
時折振り返りながら進路の目印にしている灯台の光を眺めるが、監獄島から見た時は小さな光点だったものが徐々に大きくなってきている。
この分ならば後一、二時間程で到着するのではないだろうか。
灯台には灯台守が居る筈であり、近くに船で乗り上げるのは発見される恐れがある。
月明かりに照らされて薄っすらと見える陸地には所々に頼りない光が点々と灯っていたが、その数は少なく人が多く住んでいるようには見えない。
小さな漁村でもあるのだろうが監獄島の近辺の村なら脱獄囚にも警戒しているだろうし、近づかない方が無難だだろう。
陸地が近づいた事で、長くオールを握り続けて疲労が蓄積していた腕にも力が籠る。
やがて船は灯台から千メイル程離れた砂浜へと辿り着いた。
少しでも上陸地点の発見を遅らせる為に船を隠しておきたかったが、砂浜の奥に見える森までは距離があり、重い船を押していくのは難しい。
火を放って焼き払うという手もあるが、夜の砂浜でボートを燃やしては余計に目立つだけだろう。
仕方が無いのでボートは放置しておく事にして、俺とココは砂を踏みしめながら、どことも知れぬ先へと歩き始めた。 まずは夜の内に監獄島から少しでも遠くへと離れなければ。 少しは持ち出した食料もあるし、後の事は安全な場所へ逃げ延びてから考えよう。