ふたりの牢獄人生 作:水瓜
監獄島を脱出してから、既に一か月は経過しただろうか。
冬の寒さが益々増し、時折粉雪がちらつき出すようになってきた空の下、俺達はとある農村の跡地に居た。
事前に聞いた話では、この村の周辺には平野の間を這うように流れる細い川しかなく、水を多く必要とする作物は育てられなかったようだが、代わりに広大な平地を利用した小麦畑が広がっていたらしい。
住んでいた村人達は魔物に殺されたか追いやられて現在は廃村と化しているが、倉庫には多くの穀物が手つかずのまま眠っている筈だ。
俺とココ、そして二台の荷馬車を引き連れた十人余りの部下達が刈り跡が残る小麦畑の間を進んでいく。
「大将、あの赤い建物が倉庫でさ」
案内役を務めていた、この村の出身だという三十代後半くらいの男が弾んだ声色で指をさす。
男が示す先には煉瓦造りの大きな四角い建物が聳えており、扉は閉まっていて壁も壊された様子はない。
出現した魔物達は人肉以外の食物を口にする事は無いが、俺達と同じような難民が先に倉庫の物資を運び出していた可能性もあった。 しかし倉庫を始め、村に荒らされた形跡はあまりなく、この分なら無駄足を踏む事は避けられそうだった。
「ん? あれは……」
「あっ、大将、魔物です!」
部下が家屋の中から出てきた魔物を発見し、武器を構えながら俺に報告をしてくる。
彼らは皆、平民であり、魔物と戦う為には必須である魔力を体内には有していない。
しかしながら、彼らの戦闘の準備が全くの無意味と言う訳でもない。 避難民達が持つ武器は魔物が落とした
迷宮内で得られる武器防具は魔力を有さない人間が装備すると、迷宮内でのみ微弱な魔力を帯びて魔力強化された肉体に対して有効打を与えられるのだ。
帯びる魔力は従騎士階級の人間の魔力強化にも遠く及ばない程に僅かで、せいぜい第一階層の魔物相手にしか通用しないが、これを利用すれば平民でも迷宮探索は可能となっていた。
そして一か月前、迷宮外で本来ならば発生しない筈の魔物が大量発生した事件以降、
出現した魔物の外見は狼によく似ていたが、しかし熊のように大きな体躯を持っていた。
図鑑で見たような気もするが、名前は思い出せない。
しかし身体から放つ魔力を見るに、迷宮の第二階層に出現する魔物と同じくらいの強さだろう。
昔から迷宮の外で発生していた既存の生物が変異した魔物は元の生物と同程度の知能を持っていて、大勢の人間を目にすると逃げ出す事もある。
だが一か月前から出現するようになった迷宮の魔物は、そんな恐れなど微塵も無いかのように、人間を発見すると無条件で襲い掛かってきた。
距離さえあれば、あの程度の魔物と勝負になる筈も無く、俺が放った火球により狼のような魔物は数秒で燃え尽き、魔石だけを残して塵へと帰る。。
現在の拠点からこの場所までは二時間程の行程で既に十回以上の遭遇戦が発生したが、全て同じように遠距離からの魔法で難なく切り抜けてきた。
一か月前から出現するようになった魔物達の多くは、迷宮の第一階層から第二階層までに出現するような弱い部類の種族であり、今まで俺が苦戦させられた事は無い。
しかし人口の多い街から逃げてきた避難民の話では、貴族や従騎士などの魔力持ちを積極的に狙い、しかも易々とその命を刈り取ってしまう強大な魔物が居たという。
結局その魔物の襲撃により街を警備していた魔力持ちの人間が壊滅して、街も同様に滅んでしまったらしい。
深層に出現する魔物達は貴族すらも容易に殺しうる力を持つらしいが、そのような強力な種族も少数ながら発生しているという事だろうか。
倉庫に辿り着くと、分厚い木製の扉には錠前の付いた閂が降ろされ開けられた形跡はない。
同行者達が固唾を飲む中、閂を加熱して焼き切り、蝶番を軋ませながら力を込めて扉を開けていく。 閉じ込められていた空気が内部から吹き出し埃っぽい匂いが鼻をつくが、直ぐに俺達の目は喜びに見開かれた。
内部には穀物を詰めた麻袋が壁際に沿って積み上げるように保管されており、三百人余りの避難民を擁する俺達が属する集団にとっても全員が冬を越すのに十分な量に思えた。
歓声を上げる避難民達に指示を出して連れてきた荷馬車二台に穀物を積ませながら、周囲の家屋も探索して布や調理器具等、役に立ちそうな物を集めていった。
所有者の不在を良い事に財産を勝手に持ち出す事は明らかな犯罪ではあるが、もう抵抗は薄れつつある。 社会が崩壊した今、兎に角生き残る事を第一に考えなければならない。
荷馬車に食料を限界まで積載し、移動に支障が出ないギリギリまで食料や道具を手に持って俺達は拠点への帰路に就く。
「やっとお袋にまともな服を着せられるぜ。 何せ逃げるのに必死で部屋着だけで逃げてきちまったからなぁ」
「良かったじゃないか、ずっと心配だと言ってたもんな。 俺も毛布を見つけたんだ、これで夜も寝られそうだ」
「はは、確かにあの城じゃ、夜は死ぬほど冷えるからな」
無事に収穫を得られたからか、部下達は歩きながらも笑みを浮かべて言葉を交わしている。 まだ帰還した訳では無いのだから気を緩めるには早いと思うが、村に辿り着くまでの重苦しい無言の道中を思えば多少の私語は注意せずに許す事にした。
俺達が向かっているのはサリ・バレーという農村の近くに存在する、二百年程前に建てられた城だ。
城は二百年前に村の近郊を治めていた領主が建造した物で、現在はその領主の子孫であるルベール・ジョルバンという老人が住んでいた。
ルベール氏は御年七十歳だと言い、綺麗に剃られた禿頭の男性だ。
昔は海軍に所属する貴族軍人だったらしく、広い額と意思の強さを感じさせる太い眉、ぎょろりとした大きな眼が猛禽類を思わせる迫力を醸し出している。
迷宮にしか出現しない筈の魔物が突如として村の周囲に大量に出現し始めた時も、自ら魔法を振るい村人達を居城に避難させたというのだから、歳を重ねても未だに気力は衰えていないようだ。
既に家督は首都に住む息子に譲っていて、ルベール氏は故郷で一人隠居を楽しんでいたらしく、城には彼以外に貴族の人間は居ない。
古くから彼に仕えてきたという老執事のモルカは従騎士だが、ルベール氏とそう年齢が変わらず本人も戦闘経験はほぼ無いようなので戦力としては数えられなかった。
村人達を避難させたは良いものの、ルベール氏だけでは城を守るだけで精一杯で外部まで物資を調達しに行く余裕はない。
しかも周囲の村から逃げ延びた人々が次々と城へと逃げ込んだせいで、人口百五十人程の小さな村であるサリ・バレーに蓄えられた食料だけでは冬を越せない恐れが出てきた。
そんな中で城へと流れ着いたのが俺達と言う訳だ。 自分だけでは避難民を保護する事は難しいと感じていたルベール氏は出自も明かせない怪しげな貴族と奴隷の二人組を新たな戦力として喜んで受け入れてくれて、俺に遠征部隊の指揮を任せた。
その仕事の一端として今回、片道二時間程の距離にある村まで遠征したという訳だ。
今回は主に偵察を目的としていたので最小限の人員で行ったが、物資があると分かったからには直ぐに大規模な部隊を組んで再度訪れるつもりだった。
しかし、この迷宮の魔物が外部に出現する現象はどこまで広がっているのだろうか?
これが局地的な現象であれば今頃は避難民達を救出するための部隊が派遣されてきそうなものだが、その気配はない。
聞いた話によると変化は単に迷宮の魔物が外部に出現するのみならず、今までは各地に存在していた迷宮が、魔物が発生し始めた数日後から徐々に消失し始めたらしい。
避難民達に持たせていた
まるで迷宮の消失と引き換えに、外の世界に迷宮の法則が適応され始めたかのような……。
もしそうだとすれば迷宮は世界中に存在するので、この現象も全世界で起きている可能性もある。
国家の支配は既に意味をなしておらず、避難民達は魔物に対抗出来る魔力持ちの人間に頼って生きるしかない。
国から追われる身である俺からすれば今の状況はありがたいとも言えるが、先行きの見えない未曽有の事態への不安も大きかった。
時折襲撃してくる魔物を蹴散らしながら拠点である城に着くと、遠征部隊の姿を確認した門番が堀に掛かっている吊り上げ橋を降ろしてくれる。
掘には当初、川から水が引かれていたらしいが、ルベール氏が生まれる前には管理の手間を省く為に空堀に変えたらしい。 堀の底には城から捨てられたゴミや廃棄物が堆積し不潔な泥濘を作り、風が吹く度に鼻をつく臭いが巻き上げられていた。
城の中は領主が住む主塔の他に、使用人や家来達の為の宿舎や倉庫、庭園などが設けられている。
戦乱の時代に建てられた城ならば、厩や小規模な鍛冶場、練兵場、馬出し等の軍事施設が敷地内に詰め込まれているものだが、この城からはそういった戦の気配は感じない。
二百年前と言えば既に王国が統一されて久しい平和な時期であり、この城も防衛拠点というよりは、領主の住居兼行政拠点として建造されたのだろう。
ほんの一か月前までは庭園だったという広場は、現在は草木が刈り取られ避難民達のテントが並んでいた。
部下達に運んできた荷を下ろすように指示を出すと、先にココを部屋に返して、俺はルベール氏に遠征の成果について報告をする。
主塔の上階にある私室で眉を顰めながら帳簿を着けていたルベール氏は、大量の食糧を発見したという俺の報告にいたく喜んでいた。
「マイス君、良くやってくれた。 これで食料面では冬を越す目途が経ったな。 後は薪が不足しているらしいが、これは近くの森から切り出すか。 最近は戦利品の武器も数が揃ってきたし、付近での木こり仕事の護衛くらいは何とかなるだろう。 ……今日は疲れた筈だ、ゆっくり休んでくれ」
「ありがとうございます、ルベールさん。 残りの物資の回収ですが出来るだけ早い方が良いでしょう。 私としては明日にでも輸送隊を編成して向かおうと思うのですが」
「ふむ……、そこは君に任せる。 実際に外で戦っているの者の意見を尊重するよ。 ……実際、君が居なければ集まった民達はどうなっていたか。 儂も避難民も君には深く感謝しているよ」
「………勿体ないお言葉です」
部屋を辞した俺は真っ直ぐに居室へと向かうが、すれ違う避難民は皆、俺に遜った口調で挨拶をしてくる。
――先程のルベール氏にも言われた通り、自惚れを抜きにしてもこの拠点が崩壊せずにいるのは俺の尽力によるものと言っていいだろう。
そのせいかルベール氏も避難民も、口々に俺の機嫌を取り必死にここに引き留めようとしてくる。
先日まで重罪人として投獄されていた俺がそんな立場に置かれているのは奇妙な感覚だが、状況を考えればそれも仕方が無いか。
脱獄当初に考えていた、ココと二人で静かに暮らせる場所を探すという計画は果たせなくなるが、今更助けを求める人々を見捨てる訳にも行かない。
ただ、問題はココがどう思うかだ。
ココの首筋には奴隷の烙印が刻まれており、この城の避難民達にも彼女が奴隷である事は既に知られているだろう。
庇護者である俺の手前、表立って心にも無い言葉を浴びせてくる人間は居ないが、それでも彼女を見る一部の男達の好色な目や女達の蔑むような目を見れば、この場所が彼女にとって決して居心地のいい場所では無い事は察しが付く。
ココの事を考えれば彼女を奴隷と蔑む人間が居ない場所で暮らすべきなのだろうが、しかし俺には三百人もの避難民を見捨てる事は出来ない。
それに避難民全員がココに悪感情を抱いている訳では無く、努めて普通に接しようとしてくる者も存在するのだ。
地下牢に居た頃はココの事だけを考えていれば良かったが、外に出て守るものが増えてしまった結果、最近は彼女の為に費やせる時間も減っている。
今でもココの事は何よりも愛しているが、かと言ってそれ以外の全てを捨てられる程、冷酷にもなり切れない。
仕事に熱中するあまり、ココと接する時間が短くなっても彼女からは何も言って来ないのが却って申し訳なかった。