ふたりの牢獄人生 作:水瓜
リフト脇に取り付けられたベルが鳴らされるけたたましい音で、俺は眠りから覚まされた。
この監獄の決まりとして、リフトが動くのは朝に一回と夕方に一回。
朝にはリフトが地下牢から地上へと昇るので籠の中に、売却したい迷宮で手に入れた物資と、こちらが買いたい物品の注文書と代金を入れておく。
そして夕方には物資の買い取り金と、注文の品物が下に降りてくるという訳だ。
このリフトの昇降時のベルは、時間の感覚が狂いがちな地下において唯一時を刻んでくれるものであり、俺の一日はここから始まる。
眠たい目を擦りながら台所へと向かい、顔を軽く洗って眠気を覚ます。
そのまま竈で炭を起こしてから、フライパンの上に油をしいて卵を一つ落とす。
後は少しだけ水を入れ、木の蓋をして暫く待った。
その間に棒状の固焼きパンを三切れスライスし、丁度良く焼きあがった目玉焼きと同じ皿に盛り付けた。
卵が一個で四セル、パンは今の分量だと二セル分。
朝食の費用は締めて六セルだ。
休日は自炊する事もあったから分かるが、総じて都市部の相場の倍以上の値段だ。
ここは離島の為に送料も含んでいるのだろうが、それにしても高い。
探索で手に入れた物資も買い叩かれているので、行って来いで搾取されているが囚人の身では抗議する方法も無い。
考えても腹が立つだけだし、気を取り直して食事を楽しむ事にしよう。
少し塩コショウを振った卵をパンに乗せてかぶり付けば、口の中で卵とパンが絶妙に調和する。
やはり食事と言うからには、このくらいの品質は必要だ。
……以前であれば、目玉焼きにはカリカリに焼いたベーコンを添えるのが好きだったのだが、あの事件以降、焼いた肉は食えなくなっている。
味は大丈夫なのだが、食べた瞬間に鼻に広がる香ばしい匂いが駄目なのだ。
ここに来てからは動物質の食品は卵と魚の乾物しか食べていない。
地下牢で購入出来る食料の中には比較的安い物もあるが、それらは総じて保存の効く軍用糧食の類である。
クソ不味いドロドロに溶けた野菜の缶詰に、口の中が砂漠になるように錯覚する粉っぽいパン、食べ過ぎないように敢えて不味く作られたらしい苦甘いドライケーキ。
野戦訓練で不味い食事には慣れているが、慣れる事と好きになる事は別問題だ。
あれを作った奴は、一度でも自分で食べてみた事があるのだろうか。
この監獄に来てから二週間。
迷宮内の探索も慣れて来て今では一日に最低三十セル以上の収入は得られるようになり、現在は更なる収入を得る為に第二階層への入り口を探している。
既に多くの人間が探索している迷宮であれば下層への経路も確立されているのだが、この地下房に作られた迷宮については監獄側の冊子にも情報が無く、一から内部構造を調べなければならなかった。
しかし……、実際に触れてみて思うが迷宮とは不思議なものだ。
所々に置かれている宝箱や、人間が移動しやすいように整えられた構造など、そこかしこに人為的に作られた物の匂いがある。
それに迷宮に棲息する怪物の行動も不自然な程に単純だ。
群れを成したり、隠れて奇襲を狙ったりといった戦略的な行動を取る事はあるが、それも
純粋に探索者を倒すのが目的なら迷宮内に存在する魔物総勢でどこかの部屋にでも陣取って、近くを通った途端に一斉攻撃をするなど効率の良い方法がありそうだが、そういった迷宮の攻略自体が不可能になるような行動はしてこない。
学者は神や古代人が創り出した試練の場だとか、増え過ぎた人口を間引きする為の装置だとか色々と言っているが、実際の所は何なのか、最初の迷宮の出現から二百年以上経った今でも分かっていなかった。
食事を終えた俺は、背負う為の革紐を通した麻袋に水筒や保存食、予備の武器等を入れていった。
迷宮は一階層だけでも小さな町が丸々入る程の面積があり、入り口から遠く離れた場所まで探索しようとすると片道でも数時間は掛かり、迷宮内で休息を取る準備は必須だ。
怪物が徘徊する領域で眠るのは自殺行為だが、迷宮内には
それに片道ではあるが、
装備を整えて迷宮の
通路を進みながら、分岐路にチョークで記された目印を確認していく。
迷宮内に出現する怪物は、倒しても時間が経過すれば再度出現するが、宝箱や迷宮植物、鉱物の類は一度取れば復活しない。
既に調査した通路を再度探索する意味は薄いので、目印を頼りにまだ探索していない通路を虱潰しにしていった。
時折、
そう言えば、初日に遭遇した灰色の肌をした人型の怪物は、
稀に浅い階層に、より深い階層に出現する怪物が出現する事もあるらしいので初日に
そして今もまた戦闘が始まる。
小部屋のようになっている場所で三体の
文字通りの巨大な蜘蛛で、遠距離から蜘蛛の糸を投網のように投げて獲物の動きを弱めてから接近して毒牙での攻撃を仕掛けてくる怪物で、力は弱いが糸による拘束が厄介だ。
強度と弾力のある糸で力を込めても千切りにくく、却って身体に絡んで動きを阻害してしまう。
かと言って投網を避けると、近寄ろうとせずに通路の天井に空いた巣穴へと消えて、別の巣穴の出口から奇襲してくる可能性もある。
ただ、遠距離攻撃の手段があれば仕留める事は難しくはない。
蜘蛛同士の距離がある程度近づいた頃を見計らい、手元に大きな火球を作り出す。
俺の属性である炎は、魔力を熱に変換するという非常に単純な物だが、それを使いこなすのは容易では無かった。
体外に放出した魔力を自在に操れるようになるまでに家庭教師の指導の下で三年掛かり、王立魔術学園に入学した後は厳しい上下関係のある寮生活に耐えながら魔力の性質変化や属性変換についての研鑽を積んだ。
俺が良く使用している着弾と同時に敵に纏わりついて消えない火炎球も、魔力を球状に成型、ある程度の柔らかさと粘性を持つように魔力の性質を調整、敵に当たる前に消えてしまわないように魔力球の表面のみを炎に変換、敵へと高速で射出するという、どれか一つでも習得までに数か月は掛かる高等技術の塊なのだ。
だが苦労して身に着けた甲斐はあり、今ではその場に最も適した魔法攻撃を行使できるようになっている。
今回の火球は固体状の魔力膜でガス状の魔力を覆う事で、着弾した後に爆発し、炎が上方へと向かうように調整した。
火球が蜘蛛達の這う天井へと着弾すると、魔石から猛り狂う炎が溢れ出て天井を舐めるように広がりながら蜘蛛を取り巻いていく。
炎に巻き込まれた蜘蛛は髪の毛が焦げるような臭いを発しながら床へと堕ち、そこに棍棒の一撃によって止めをさされていく。
蜘蛛が焼ける臭いに顔を顰めるが、人間に似た姿の魔物が焼ける臭いよりは心理的にマシで吐き気がする程ではない。
打撃によって破れた外皮の断面からは黄色い組織が覗き、そこから流れる緑の体液が迷宮の床に広がったが、やがてそれらは蒸発するかのように消えていった。
消失した蜘蛛の死体の跡には、
第一階層の怪物にありがちな、白く濁った粗悪な魔石が三つ、そして蜘蛛の巣のような白い網目模様が付いた手袋が左右一対。
――知識として、
この手袋の正体は、
通常、貴族が使える魔法は生まれながらにして定められた一つの属性のものだけだが、この
通常の属性魔法よりも応用はあまり効かないが、ものによっては属性魔法では再現出来ないような特殊な効果を持つ
これは蜘蛛系の怪物が極稀に落とす~遺物《レガシー》の一つ、
効果は確か、手袋を嵌めた手を任意で物体に粘着させる事が出来るという登攀に役立つ遺物だった筈だ。
迷宮内で遺物を手に入れるには、所々に配置されている宝箱から発見するか、怪物を倒して非常に稀な戦利品として得るしかない。
しかし宝箱の中身から遺物が出る事は滅多になく、戦利品にしても落とす確率は千体倒して一度あるかどうかという低確率だ。
事実、俺も遺物を発見したのは今回が初めてだった。
一瞬、脱獄に使えそうだという思考が頭をよぎったが、考えてみれば遺物を発動する時にも空気中の魔素を取り込まなくてはならないので地下牢内では使えない。
それに名誉も家族も失った今、脱獄してまで自由を求める理由も見つからなかった。
しかし始めて発見した遺物でもあるし、深い落とし穴に落ちた時などは脱出に役立つかも知れないので、取り合えずは手元に置いておく事に決める。
その後も暫く迷宮内を探索した後、仮初の拠点にしている安全地帯へと帰還した。
宝箱の発見など収穫はあったものの、今日も次の階層へのゲートは見つからず。
そもそも本気で迷宮の深層を攻略したいなら数十人単位で協力して探索するのが定石であり、単独では成果が上がりにくいのも仕方がないのだが。
第二階層を探す理由は生活を今よりも向上させたいというだけで、無理をしてまで急ぐ必要もない。
どうせ時間は幾らでもある。
暇つぶしがてら、ゆっくりやっていく位が丁度いい。