ふたりの牢獄人生 作:水瓜
テーブルの上に置いたランプの灯だけが、石室を仄かに赤く照らしていた。
俺がこの監獄に来てから早一か月が経つ。
地下房に入る前はまだ春だったが、今はもう初夏と言えるだろう。
地中深くの為か気温の変化はあまり感じず、水道から出る水が少し温くなったのが外気温の変化を伝えるくらいだ。
それと地下房の中に蠅やゴキブリ等の虫も出るようになった。
虫は特別苦手という訳ではないが、害虫は別だ。
特にゴキブリは考える前に本能が恐怖を感じてしまうと言えばいいのか、生理的に人間とは相容れない虫だ。
迷宮に潜っている間に部屋の中で殺虫効果のある草を燻して対策はしているが、数日経てば直ぐに虫が湧き始めてしまう。
リフトの穴と通気口を塞ぐ訳にはいかないし、多少の虫とは諦めて共存していくしかないか。
――まあ封魔石を嫌っているのか、魔蟲の類が出ないのは助かった。
特に巨大化したゴキブリなんて見かけた日には、元軍人である俺でも叫んでしまうかも知れない。
迷宮探索の方はと言えば、探索済みの領域は確実に広がっているが、まだ第二層へのゲートは発見できていない。
……実際に探索をしてみて分かったが、迷宮はあまりにも広すぎる。
縦横無尽に広がる通路に、俺を殺せる程ではないが探索を妨害する魔物達。
回廊状になっている通路や一見普通の壁に見える隠し扉なども多く存在し、目印を付けていても迷う事はざらだ。
更に探索範囲が広がるにつれて、補給の問題ものしかかってくる。
迷宮内では魔石を始めとする様々な価値ある品物が手に入るが、その中に食料品は無く、安全地帯で手に入る水以外は全て迷宮外から持ち込まなくてはならない。
最初の入り口付近を探索していた頃は良かったが、最近では探索の仮拠点とする安全地帯に行くにも一、二時間掛かる事はざらであり、この調子では下層を探索出来るのは何時になるのやら。
あまり焦らずにゆっくりとやっていこうとは決めていたが、第一階層だけでは収入も頭打ちになっているし、何時までも質素な暮らしからは抜け出せない。
特に酒や甘味といった嗜好品や、本などの娯楽用品は、食料品と比べてると外よりも圧倒的な高値に設定されていて、今のままでは安酒すら手が届かない贅沢となる。
その時、ガラガラとリフトが移動する際のベルが扉を隔てた部屋から聞こえてきた。
そう言えばもう夕方、ベルが降りてくる時間か。
今朝は……、買取りの他に食料品も注文しておいたんだった。
夕食を食べたら、早い所寝てしまおう。
居室から出てリフトで降りてきた品物を確認しようと、リフトと台所のある部屋の扉を開けると、鉄籠にやたら大きい何かが乗っている。
手に持つランプの灯を近づけて、その何かを確認しようとすると、それは光に反応するようにもぞりと動いた。
驚きと警戒に思わず身体を硬直させて後ずさるが、時間が経つにつれてその何かが服を着た人間だという事が分かった。
「き、貴様は誰だ!? なぜ、そんな所に居る」
軍人だった時に仕込まれた詰問口調で問いただすと、その人間は地面に伏せていた顔を上げて俺と目が合う。
こちらに向けられた眼は、俺を真っ直ぐに見つめていてランプの暗い光を反射して揺らめいていた。
顔を隠していた金色の髪は無造作に肩の辺りまで伸ばされていて、長らく櫛を入れていないらしく乱れている。
こちらを見つめる大きな瞳には怯えと共にどこか諦観のような色があり、小さな顔にやや低い鼻と相まって小動物のような印象を受けた。
一枚の布で全身を覆うワンピースと呼ばれる類の服を着ているようで、服の襟元から覗く首筋は酷く痩せていて骨ばっている。
全体的に小柄なのもあって始めは子供にも見えたが、改めて全体の雰囲気を見るに俺とそこまで年齢が違わないようにも見えた。
そこまで考えた所で彼女は俺の誰何に対して、口を開いた。
「あの、私、ここに行くようにって言われまして……、そうだ、これを渡すようにと……」
「……書類?」
微かに震える小さな声で話しながら、俺に紙束を渡してくる。
流石に罪悪感を感じ、これ以上高圧的に見えないように、震える手で手渡された書類をゆっくりと受け取った。
灯の下で見るに、そこには余計な修飾を省けばこんな事が書かれていた。
『この一月余りの貴殿の迷宮攻略に対する勤勉な態度と実績を鑑みて、奴隷の所持を許可する事を決定した。 ついては貴殿の前途を願い、奴隷を一人贈与する。 また、今後は購入可能リストの中に奴隷も含めるので追加の説明書類を共に送る』
追加の説明書類とやらは注文しておいた食料品と共にリフトに乗っており、そこには購入可能な奴隷のリストと値段が表示されていた。
とは言っても奴隷の個人名が記されている訳ではなく『健康かつ十代、容姿鍛錬な女奴隷』、『健康かつ十代、容姿に若干の痂疲ありの女奴隷』、『健康かつ容姿端麗、二十代前半の女奴隷』等といった条件毎に値段が付けられている。
そして最後の方に、最初に贈与した奴隷は『容姿に大きな痂疲のある二十代前半の女奴隷』であり、生殖能力も潰されていて労役用に回される予定だった。
迷宮探索の荷運びとして利用しても良く、もし迷宮内で不慮の事態が発生して死亡しても、監獄への報告の必要は無いと書いてあった。
――要するに、言葉は濁しているが死なせても全く構わない奴隷だから好きに扱えと言いたいのだろう。
事前に迷宮刑を受ける貴族は迷宮探索を順調にこなしていれば女奴隷を与えられる事もあると聞いてはいたが、俺の意見も聞かずに一方的に送り付けてくるとは。
理由に関しては想像がつくが、俺としては奴隷など必要ないと思っていたのに、その思惑が完全に狂ってしまった。
それにしても容姿に痂疲とはどういう事だろうか?
見たところ、痩せすぎてはいるが肉が付けば普通に美人だと思うのだが。
しかし、奴隷か。
俺は囚人の身分に落ちぶれても尚、国家に忠誠を尽くす貴族の誇りだけは忘れていないが、この奴隷制度だけは――、ぼかさずに言わせて貰えば偉大なる王国に相応しくない、陛下の御威光の一抹の痂疲ともなっている悪法だと考えている。
二百年程前に王国を統治しておられた国王陛下が作られた制度で、死刑の中でも極刑に該当する磔刑、牛裂き刑を受けるに値する罪を犯した平民の女に子供を産ませ、その子供を親の罪業を償う為に一生を国家に捧げる奴隷という身分にすると決められた。
その内に反乱防止の為、男の子供は迷宮由来の素材と魔法で生み出された男にしか効かない毒を妊娠中の母親に服用させる事で胎内に居る内に殺処分される事となり、この制度は長らく女の奴隷のみを生み出し続けてきた。
現在では刑罰制度の見直しから新規の罪人がこの制度の対象となる事は無くなったが、既に存在している奴隷の扱いはそのままとされ、彼女らは生まれながらに性奉仕を含む労役で一生を終える事が運命付けられている。
道徳の発展によりこの制度に疑問を持つ者も次第に増え、現在では貴族の間では奴隷を所有する事は下品で野蛮な行いであるとの認識が一般的となったのだが、皮肉な事に主に平民層が中心となりこの制度の廃止に反対していた。
奴隷身分の女はその多くが平民向けの安娼館で働いており、彼女達は平民でも手が出せる存在でありながら、容姿端麗でサービスも一般的な娼婦とは一線を画すことが多い。
何故なら奴隷身分の女は容姿で厳しく階級付けがなされており、容姿や体格に恵まれた五割だけが娼婦を引退した後に、同じく容姿端麗な通常の男性受刑者と交配を行い子供を産む業務に従事する事になっている。
そして残りの五割は娼館で働く際に生理により仕事が出来なくなる事を防ぐために生殖機能を潰されるのだが、彼女らも一般人の基準では十分に美人の部類である事が殆どなのだ。
そんな美しくて従順な娼婦を手放す事をかつては制度の対象者となり得た平民が拒み続ける事で、今日までこの前時代的な制度が続いてしまっていた。
……まあ、平民の反対だけが理由ではなく、政治を動かす存在である貴族達にしても奴隷制度を野蛮だとは思うが、平民達の不満のはけ口としては残しておくべきという意見が多数派ではあるのだが。
俺にしても嫌悪感はありつつも、具体的に反対運動を展開しようなどとは考えなかった。
あくまでも遠い世界の事だという意識があったのかも知れない。
長く考え込んでしまったが、二人きりの空間でこれ以上黙っている訳にも行かず、俺は鉄籠の上で身体を無表情を取り繕いながらも緊張に身体を強張らせていた女を手で招いた。
どうせ監獄側に返す事は出来ないし、話を聞くにしてもここでは落ち着けない。
「さっきは怒鳴ったりして悪かった。 取り合えずこんな所で話すのもなんだ。 そこから出てこちらに来てくれ」
「……はい、失礼します」
女がリフトから降りる際に籠の扉に手をかけ、書類を渡された時には薄暗くて良く見えなかった手指がランプの光で鮮明に映る。
見えたのは僅かな時間ではあるが――、手の甲には丸い火傷の瘢痕が点々と残っていて、指先の部分にも何か違和感を感じた。