ふたりの牢獄人生 作:水瓜
椅子を勧めてもしきりに遠慮する女を半ば強引に座らせて、ここに来た事情を聞いていった。
当初は緊張していた彼女も、焦らずにゆっくりと話を聞いていけば少しずつ口も滑らかになっていく。
名前はココと言うらしく年齢は二十一歳、子供と見間違うほど小柄なのに俺よりも二歳年上だったようだ。
初対面でもあるし過去について詳しく聞きたがるのは避けたが、会話の中で漏らした言葉によれば前の所有者にお払い箱にされて、この監獄へと流れ着いたらしい。
内心を表に出さない性格のようで口調も平坦ではあるが、俺に対して恐怖や不安のような感情を抱いているのは感じ取れた。
「料理、洗濯、掃除は経験がありますし、他にも命じて頂ければどんな事でもします。 ……ですが、後で失望させてしまっては申し訳ないのでお見せますが――、これが私の身体です」
ココは俺が止める間もなくワンピースを捲り上げて、床へと落とした。
露わになった彼女の身体を見て、俺は服を着させようと口に出しかけていた言葉も忘れて呆然としてしまう。
顔や首筋の様子から分かっていたが彼女はやはり酷く痩せていて、あばら骨はくっきりと浮き上がり、本来丸みを帯びている筈の腰は骨盤の形が見て取れる程に肉が薄い。
手足は少し力を込めれば折れそうな小枝のような細さで、この足が体重を支えられているのが信じがたい程だった。
しかし俺が衝撃を受けた理由はそこではない。
全てを曝け出した彼女の肉体には、凄惨な暴力と悪意の痕跡がはっきりと刻まれていた。
骨と皮だけと言っても良い肉体の中で、唯一胸だけがささやかだが柔らかそうな肉を湛えて盛り上がっている。
しかし、その乳房は異形と言っても良い程に傷つけられていた。
色素の薄い桃色の乳首の周囲は円形に等間隔でならんだ火傷痕が縁取っていて、明らかに彼女を辱める悪意を感じる。
そして乳房そのものにも無数の小さな火傷……、恐らく紙巻煙草を押し付けたであろう跡が無数にあり、本来は性的な部位の筈なのに痛々しさしか感じない。
大人の女らしく脇下と股には茂みがあるが、下生えの方には火傷があり毛の生え方が疎らになっていた。
他にも線状に走る瘢痕や他の部位の火傷痕など、身体全体に凄惨な虐待の跡が無数に刻まれていて、特に悍ましい事に彼女の両手足には爪が無く、全ての指が腸詰めのように肉のみで構成されていた。
「驚きました? ……抱く気にならない程、醜いですよね。 ですけど灯を消せば見えませんし、奉仕には自信があるんですよ。 ――失礼しますね」
「や、やめろ!」
ココはベッドに腰かけていた俺へと近づき、剥き出しの膝を地面について俺のズボンへと手を伸ばそうとするが、咄嗟にその爪の無い手を払いのけてしまった。
高級娼館での事ではあるが、そういった事の経験は今までにもある。
しかしココの肉体を見た事で彼女への憐れみと、そして――、認めたくはないが彼女の身体へ忌避感を感じてしまっていた。
「あっ……」
手を払いのけられた姿勢のまま固まっていたココは数秒固まっていたが、目を伏せて口元を結ぶと、俺の足元に這いつくばって額を着けた。
「申し訳ございません。 このような穢れた身体で貴族の方に触れようなど、無礼でした。 お慈悲を下さるなら身の回りのお世話だけでもさせてください」
目の前にあるココの首には奴隷である事を示す星形の刺青が刻まれており、背中には幾多の痛々しい暴行の傷跡が残っている。
彼女は殊勝な言葉とは裏腹に小刻みに震えながら俺の言葉を待っていた。
触れば壊れそうな程に無力で、どこまでも卑屈な女。
その光景を見て、俺の中の獣性が疼くのを感じた。
こんな日の光の届かない地下牢で、国の為に迷宮攻略なんて危険な作業に従事させられているんだ、女を一人好きにするくらい許されても良いのではないか?
どうせ看守の目もここには届かないし、そもそもこの女がどうなろうが誰も気にしない。
思うままに暴力を振るい、弄び、飽きたら捨ててしまっても――。
だが、俺は野蛮な方向に流れている自分の思考を拒絶した。
人間誰しも危険な欲望を心の中に抱えていると思うし、無力な女を好き放題に弄ぶという快楽が理解出来ない訳でもない。
しかしその欲望を理性で抑え、自分の中のもう一つの声である道徳に従うのが貴族としての矜持だ。
罪人となり家族からも見放された今、矜持すらも失ってしまっては俺は本当のクズになってしまう。
世界中から見捨てられても、せめて自分だけは自分が誇り高い人間だと信じていたかった。
ベッドから起き上がると、這いつくばるココの頭にそっと手を置く。
「別に怒ってなどいない、顔を上げてくれ。 ただ……、そう、奴隷とはいえ女性に無理矢理奉仕させるような事はしたくなかっただけだ。 まずは服を着なさい」
「……いえ、別にご主人様に奉仕するのが嫌などとは思いません。 どうかお気になさらずに何でも言ってください」
「いや、これから俺は迷宮に行くし、そんな事をしている時間は無いんだ。 まあ、俺だけじゃあ家事をするのも大変だったんだ。 君にはこれからここで働いて貰うとしよう」
「……はい」
我ながら白々しい言葉だとは思うが、ひとまず彼女は命じた通りに衣服を着始めた。
その様子を見ながら、ココを使用人として置く事は受け入れざるを得ないか、と心の中で呟く。
監獄に言っても返却など受け付けないだろうし、恐らくココは俺に女の味を教え込むだけの呼び水のような物だろう。
この娯楽の無い地下牢生活に突然現れた女だ、普通の男ならまず飛びついてしまう。
そうして女無しでは生きられなくなった男だが、最初に与えられた奴隷は傷物であり、その内もっと良い女が欲しいという欲望が芽生える。
その欲望こそが監獄にとって、最も重要なのだろう。
この生活、最低限食べていくだけなら第一階層だけの探索でも何とかなるし、高価な嗜好品や娯楽用品を用意した所でそれらに対する欲望は個人差がある。
だが手間をかけて管理している貴族の囚人が浅い階層しか探索しないのでは大損なので、欲望を喚起する仕掛けを色々と打ち出してきている訳だ。
「着終わりました……、私はこれから何をすれば?」
「そうだな……、これから朝食を作ろうと思っていたんだが手伝ってくれるか?」
「い、いえ、ご主人様は座っていてください。 全て私が用意しますので。 えっと、何を作れば良いですか?」
「じゃあ掻き卵と、キャベツのスープ、それからパンは薄く切った後に少し炙ってくれ。 それと君の……、お前の分も作っていい」
「ありがとうございます。 でも私は余り物を頂きますから」
「……そうか」
台所へと歩いていく彼女を見送りながら、あの爪の無い手で料理なんて出来るのかと心配になる。
しかし、奴隷としての習慣が染みついているらしい彼女に対して下手に気を遣っても恐縮するだけか。
貴族として生まれた以上、使用人との接し方は物心が着いた頃から両親や執事に教えられてきた。
仕事を命じる時は毅然として命じ、良い働きをすれば褒め、怠けていれば叱る。
優しく接するのは良いが、あまり度が過ぎると増長するので、普段は厳しく接して時折優しさを見せるくらいは丁度良いなど。
しかし彼女に対しては、出来るだけ身体を労り優しく接してやる事にした。
身体が心配というのもあるし、それで調子に乗っても多少の事ならば目を瞑る。
まだ過去について深くは聞いていないが、彼女がこれまでの人生を地獄のような環境で過ごしてきたであろう責任は俺達、貴族にもある。
多くの者が前時代の残酷な制度だと理解しておきながら、社交界や政界での出来事を優先して、奴隷達について真剣に考えてこなかったのが、この制度がまだ生き残っている一因なのだ。
挙句の果てに流れ着いたこの地下牢で彼女が僅かな安らぎを得るくらい、誰に咎められるというのだろうか。
――食料や嗜好品のつまみ食いや言葉遣いの乱れ、多少の怠慢程度なら煩い事は言わずに見逃そう。
換気の為に開けておいて貰った台所へのドアから、卵の焼ける食欲をそそる匂いが漂ってきた。
これから一生、炊事洗濯は自分で行うものと思っていたので誰かに料理を作られるというのは不思議な感覚だ。
任せられる仕事としては本人も言っていたように料理、掃除、洗濯――、後は悩ましい事だが性奉仕もあるか。
俺も男だし、当然性欲はある。
この地下牢に入ってからも性衝動を抑える為に一日に一回は自慰をしており、近くに女が居るのに性欲を抑え続けられる自信は無い。
下手に我慢して、後で急に手を出すよりも今日の夜にでも何でもないように要求してみるか?
娼館以外で女性と接した経験はあまり無いのだが、性欲が無いようにやせ我慢をして振る舞うよりも、真正面から要求する方が潔い気もする。
ああ、それと単純に食い扶持が増えるのだから、第二階層に行くまでは食料の質も落とさないと駄目か。
今後の生活について考えていると、料理が出来たらしくココが皿を手に居室と台所を往復し、テーブルに皿を並べていく。
俺の好みより火が固焼きだが、焦げていない卵料理。
キャベツのスープも、適当に切った具材を入れただけではなく、ちゃんとキャベツを細切りにして食べやすいようにしてある。
「神よ、貴方と慈悲に感謝し今日の糧を頂きます」
椅子に座って神への祈りを捧げ、まずは掻き卵をスプーンで掬って口に運んだ。
卵と塩だけの素朴な味付けだが火の通し方や塩加減の違いか、俺の作った物とは少し違う。
しかし卵料理もスープも十分に美味く、これなら料理は安心して任せても良さそうだ。
「ふむ、美味いな」
給仕の為にテーブルの傍で佇むココは俺の言葉を聞いて、安心したように微笑んだ。
暫くは皿と食器のぶつかり合う音のみが響く。
貴族の食卓では使用人が直ぐ傍に控えて世話をするのが当然であり、こうして彼女に隣に立たれても別に気にはならない。
まだココは食事をしていない筈だが、先程は余り物で済ませると言っていたので食材の一部を取り置いているのだろう。
しかし彼女の飢饉に晒された貧農のような痩せ方を見るに、暫くは多めに食事を取った方が良い様に思う。
「ココ、お前の食事についてだが余り物以外にもパンやベーコンを食べても良い。 食事はしっかり取らなければ力が出ないだろうからな」
「いえ、とんでもございません。 奴隷がそんな豪華なお食事を頂いたら罰が当たります。 私はもう頂きましたから」
「ん? 料理しながらパンでも食べたのか」
「いえ、白パンなんて頂けません。 ご主人様にお出しする物ですから。 私はキャベツの外側の葉と芯を頂きました」
「―――生でか?」
「勿論です、無駄な薪は使っていませんのでご安心ください」
朝食を本来捨てる箇所のみで済ませた事について当然のように報告してくる彼女だが、流石にそれはまともな食事とは言えない。
使用人を良く働かせる為には相応の待遇を用意しなければならないと考えている俺としては、キャベツの芯と硬い葉だけで一食を済まさせるのは単なる使用人虐待だが……、本人がそれを当然の事と思っているのが悩ましい所だ。
奴隷は生まれた時から徹底して奴隷としての教育を受けると聞くし、貴族は勿論、一般の平民とも価値観が異なるのだろう。
命じて食べさせる事は勿論出来るが、奴隷としての常識の中で生きてきたココにとっては却って心理的負荷を掛けるだけの結果になる可能性も高い。
俺は二切れのパンの内、一切れだけを完食して残りの一切れは一口齧って皿に戻した。
スクランブルエッグも三分の一程を食べずに敢えて残しておく。
「昨晩、夜食を食べたせいか、あまり食欲が湧かないな。 神に頂いた食事を捨てるのは申し訳ないし、お前が食べておけ」
「えっ! で、でも私がこんなご馳走を食べる訳には……」
「何を勘違いしている? これは単なる残飯処理……、ゴミ箱に捨てるよりお前に処理させた方が良いと思ったまでだ」
「……ありがとうございます」
「ああ」
――少なくとも、これで栄養は取れる。
今後も同じような事を毎食繰り返すかと思うと少し面倒だが、放置しておく訳にもいかないか。
食事を終えた俺は身支度を整え、いつも通りに迷宮に向かう。
ゲートを潜る時はいつも一人だが、今日はココが後ろで、地面に跪いて首を垂れて俺を見送った。
「行ってらっしゃいませ、ご主人様」
別にそこまでかしこまらなくても良いのだが、本人の好きにさせておく。
しかし、今日から俺は一人ではないのか。
傷だらけの身体を持つ奴隷という奇妙な同居人ではあるが、少しだけ未来に対して希望が持てたような気がした。