ふたりの牢獄人生 作:水瓜
迷宮の通路の突き当りにあった大きな扉を潜り、その奥の大部屋に待ち構えていた複数の骸骨が組み合わさって構成された骨の百足のような魔物を倒すと、壁面についに探し続けていた物が出現する。
第二階層へと繋がるゲート――、この迷宮の探索を始めてから二か月掛かってようやく見つけられた。
地下牢の同居人が出来たとはいえ、ココはあまり食費が掛からないので生活に困っていたという訳では無いのだが、第一階層では一日中迷宮を歩き回っても稼げる金額には限界がある。
階層が深くなる程に魔物は強くなるが、その分得られる物資も貴重な物が多くなる。
第一階層の魔物相手では余程不覚を取らない限り苦戦する事すらなく、多少危険度が上がろうとも第二階層に探索の主軸を移すのに躊躇いはなかった。
……しかし、今日の探索は既にかなりの長時間になっているし、魔力量はまだ豊富にあるが疲労は蓄積しつつある。
第二階層の探索は明日以降にして、今日はもう帰るとしよう。
入り口から第二階層への入り口までは最短距離だと徒歩三十分、途中で戦闘が挟まれば一時間くらいだろうか。
全ての通路を虱潰しにするつもりで迷宮を探索してきたが、第一階層ですらまだ半分程しか踏破出来ていない気がする。
それを考えると、二か月でゲートが見つかったのは幸運な部類に入るかも知れない。
兎に角、収入が増える目途が立ったのは喜ばしい事だ。
今の収入でも何とか食ってはいけるが、上質な生活用品や嗜好品、娯楽用品にまでは手が回らず、偶に安いラム酒を飲むのが唯一の贅沢だった。
これからはもう少し生活に余裕も出来るし、偶には休日も設けても良い
地下房へ戻ると、足音を聞きつけたらしいココが居室からの扉を開けて近寄ってきて、床に跪いて俺を迎えた。
もう彼女との生活にも慣れたもので、お互いにとって心地いい呼吸というのも理解出来てきたと思う。
空腹で唸る腹を鎮める為に直ぐに夕食を用意させ、お互いの食事と後片付けが終わった後はベッドに座ってココを隣に侍らせながら、特に目的もなく言葉を交わす。
貴族として育った俺と奴隷として生きてきたココでは共通の話題も少なく、話題は迷宮でどんな魔物と戦った、何を見つけたというものが殆どだが、彼女は俺の話す事を一々相槌を打ちながら真剣に聞いてくれる。
始めて会った時はこれからどうしようかと困惑したが、今となってはココが居ない生活は考えられないくらいに彼女は俺の日常に馴染んでいた。
さらさらと艶やかな金色の髪――、俺が買ってやった櫛で毎日梳かしているそれを撫でながら暫く話を続けたが、やがて話題も無くなり会話も途切れがちになる。
頭を撫でていた手を無言のまま肩へと降ろして、片手で抱き寄せる。
この一か月、意識して食事を多めに取らせていた成果もあってか、ココの身体にも僅かに肉が付いてきた。
と言っても本人が依然として、野菜の皮や硬い葉などの食用に向かない部分か、俺が残した食事に尿を掛けて粥状にした物以外は食べようとしないので変化は限定的だ。
病的な痩せ方から、かなり痩せているといった状態まで持って行けた程度だろう。
ココには折をみては栄養のある物を食べるように勧めてみたのだが、頑として受け入れない。
寝床は未だに石床のままだし、食事に関しても今は現状維持しか無さそうだった。
「なあ、お前はここから出たいとは思わないのか?」
第二階層への入り口を見つけ、これからは生活に余裕が生まれそうだと話していた時にふと思った。
俺は判決に納得している訳では無いとはいえ、結果的にクーデター未遂に加担してしまい、国の裁判で有罪になってこの地下牢で一生を過ごす事になった。
対してココはどんな経緯があったのかは詳しくは聞けていないが、俺の所に来たのは自分の意思ではないだろう。
受け取った奴隷を監獄側に返すという選択肢は無いようだし、このまま行けば彼女も俺と共にここで一生暮らしていくしかない。
ふと、ココがその事をどう考えているかが気になった。
この一月余りを共に過ごし、何度も肌を重ねた事で口調も少し砕けてきたが、やはり常に主人に気を遣いながら狭い部屋で暮らすのは窮屈さもあるのではないだろうか。
「……え? 出たい、ですか。 そんなの思う訳ないじゃないですか」
心の底から何を言われているのか分からないという顔で断言された。
あまりに当然の如く答えが返って来たので、呆気に取られる俺を見てココは続けた。
「だって出てもご主人様みたいな優しい方に買って頂ける事なんてないでしょうから。 前みたいに鉱山で働かされている犯罪者達の玩具にされるならマシな方で……、変態に売られて殺されるのが関の山でしょう」
「あー……、まあ、そうか」
確かに我ながら馬鹿な事を聞いたかもしれない。
ココの身体を見れば、今までどんな酷い目に遭わされてきたのかは想像がつく。
俺が良い主人かどうかは自分では分からないが、少なくとも暴力を振るわない分、彼女にとっては大分マシなのだろう。
「でも外の新鮮な風や、空が恋しくならないか? こんな壁に囲まれた地下牢でずっと暮らすなんてな……。 ……じゃあ、もし俺が何かの拍子に無罪放免になって一緒に外に出られるとすればどうだ?」
「無罪になるんですか? ここに来る前に監獄の人に聞いた話では、相当な極悪人って言われてましたけど。 ――あ、あっ、すいません! 勿論、ご主人様が極悪人って訳じゃなくて、あくまで人からはそう言われているってだけですから!」
「……別に良い。 俺が望んでした事ではないが、結果として極悪人と言われても仕方ない事をしたのは事実だ」
ココが地下牢に来る前に俺についてどう説明されていたかを知るのは初めてだ。
そう言えば、初対面の時に取り繕ってはいたが相当怯えた様子だったのはこれが原因か。
他人からの言葉で自分のした事を再認識させられるのは、中々にきつい。
上官から軍として適法な行動であると騙されての事だが、クーデターの片棒を担ぎ、政府関係者や警備の警察官を手に掛けてしまったのは確かだ。
今でも彼らの肉が焼ける臭いは鼻腔にこびりついているし、あの夜の夢を見て飛び起きてしまう事もある。
軍人としては適切な行動であったと信じているので国法で裁かれた事は不当であると思っているが――、例え国の法には反していないと信じていても、自分の良心の咎めから逃れる術はない。
殺人者としての心の重荷を生涯背負っていくことに関しては、もはや仕方がないと思っていた。
「でも、ご主人様は優しい方だと私は知ってますから! 何か余程の事情があったんですよね」
「そう、だな。 言い訳に聞こえるかも知れないが――、いや、俺の事は良い。 それよりさっきの質問はどう思うんだ?」
俺の過去についての話題を無理矢理逸らして、先程の話の続きに無理矢理繋いだ。
ココも俺の意図を察したようで、少し考える素振りをした。
「やっぱりこの場所からは出たくないです。 だって外に出れば普通の女の人も沢山いるし、もっとまともな奴隷だって買えるでしょう? ……えへへ、私みたいなゴミが普通に扱われているのも、他に女が居ないからでしょうから」
「……別にゴミだなどと思ってはいない。 そんな風に自分を卑下しなくても良い」
「ありがとうございます、やっぱりご主人様は優しいですね。 でも本当にゴミなんですから、私なんて。 身体もボロボロだし、チビだし。 ここが牢屋で良かったです。 もし他に奴隷が買えたら、私なんて直ぐにお払い箱でしょうから」
その言葉に違和感を覚えるが、直ぐに納得する。
ココが降ろされてきた時に同時に渡された紙には、これからは金さえ出せば新しい奴隷を購入出来る事が書かれていたが、ココはその事を伝えられてはいないのだろう。
俺もその紙は箪笥にしまい込んで話題にもしなかったし、ココは文盲だと話していた覚えがあるので、こっそりとそれを読んで知る術もない。
地下牢に降ろされる際に奴隷が自棄になるのを防ぐ為か、単に話す意味が無いと判断されたからか、ココは俺が彼女以外の奴隷を手に入れる手段が無いと思っているらしい。
――しかし、別に本当の事を話す事も無い。
どの道、俺はココを手放すつもりはないし、新しい奴隷を買うつもりもない。
下手に話せば、ただ彼女を不安にさせてしまうだけだ。
だが、この地下牢から二度と外に出たくはないと思わせる程の人生を送って来たのか。
俺も家族からは縁を切られ、国家からは罪人とされて、外で普通に生きる希望は無くしてしまったが、それでも青空や新鮮な風を懐かしく思う時はある。
しかし、彼女の声色は外への未練など微塵も感じられない程迷いのないものだった。
今までは互いの暗黙の了解のようなものがあり、俺はココの過去について聞かなかったし、彼女の俺も過去は知ろうとしなかった。
しかし、俺がこの監獄に収監された経緯についてココがどこまで知っているのか気になってはいたが、殆ど知らされていなかったのか。
愉快な話題ではないので特に話はせずにいたが、あまり沈黙を貫いて変な誤解を受けるのも問題だ。
例えば、俺がとても話せないような変質的な犯罪を犯したとか。
それよりは、しっかり説明して誤解の余地を潰した方が良い。
俺はココの髪を右手で撫でながら、ぽつぽつと自分の人生について話し始めた。
生まれ育った屋敷の事、両親の事、現在は領地を継いでいる長兄と、法廷弁護士をしている次兄の事。
そして王立魔術学院での学友達との生活――、楽しい思い出より辛い思い出の方が多い暮らしについて語っていった。
何せ、王立魔術学院は貴族や従騎士の子弟しか入れない格式の高い学院なので、その規律は非常に厳格だった。
寮において、下級生は上級生のフロアの掃除や洗濯を担う従者として振る舞うのが当然とされており、一年次から三年次までは使用人同然、四年次あたりからやっと人がましい生活が出来る。
しかも石造りの建物は空調が悪い上に暖房も少ないので、夏は眠れない程暑く、冬は凍える程寒い。
それでも確かに楽しい事はあった。
俺が学友達と経験した出来事を語ってやると、ココは相槌を打ちながら興味深そうに聞いて時折笑ってくれた。
そして軍への入隊と、合法的な軍事行動であると騙されてのクーデターへの加担。
この辺りになると流石に口も重くなったが、それでも語るのを止める気にはならなかった。
もしかしたら俺も、どこかで自分が背負う事になった重荷について誰かに聞いてほしかったのかも知れない。
陛下の御下命として伝えられた襲撃の指示、それに従ってパーティーを開いている最中の宰相の私邸を襲撃した事、その結果殺してしまった多くの人々、そして軍に捕縛されて裁判で有罪になった時の絶望……。
その全てを話し終えると、暫く沈黙が場を満たした。
「命令された時、正直変だとは思っていたんだ。 軍は国王陛下直属の機関であり、その御命令であれば従うのが当然だが……、実際に陛下が直接軍を動かしたなど聞いたことが無いしな」
「……じゃあ、どうして信じたんですか?」
「信じた……か。 疑えなかったが正しいな。 軍では自分が所属する部隊が絶対で……、上官の命令に逆らう事など出来ない。 なにせ上官に逆らえば罰を受けるが、命令に従ってした事なら全て上官の責任だからな。 皆、深く考えずに従う癖がついてる。 ――考えてみれば、軍人ってのは犬と変わらない人種だな」
違和感を抱きつつも命令に従ったのは俺の意思だが、俺をそんな人間、いや、軍人にしたのは国家ではないか。
俺を都合良く使っておいて、いざ邪魔になればゴミのように捨てる。
自分が多くの命を奪ってしまった事は事実として背負っていかなくてはならないが、生涯をかけて忠誠を尽くしてきた国家の仕打ちだけは許せなかった。
しかし――、もし裁判で無罪を宣告された場合はどうだっただろうか。
例え法律で許されても、俺が同胞を殺した事実は変わらないし、心に焼き付いた殺戮の記憶も消える事は無い。
もしかしたら、罪の意識に耐えかねて自裁していたかも知れなかった。
「お貴族様に生まれたのに上の人に逆らえないなんて、確かに軍人って少しおかしいです。 ……ふふ、そう考えれば私とご主人様にも同じ所があったんですね」
共通点を見つけて嬉しそうに俺に身を寄せるココに俺は面喰う。
確かに命令に従った結果だが、人を大勢――二十一人も殺してしまったのは事実だ。
それを話せば怯えや嫌悪感を抱かれる事も覚悟していたのだが。
「俺を軽蔑しないのか? 人の言いなりになって、結果として政府の人間や警察官を大勢殺してしまったんだぞ?」
「……でも命令されたなら仕方ないじゃないですか、人を殺すお仕事なんですから」
「いや、しかし、俺は無辜の人々を殺したんだぞ?」
「ん……、では本当に王様がその人達を殺せと命じても従わないんですか?」
「それは……、軍人としてはそれが正式な命令なら従わなければならないが」
「じゃあ別に良いじゃないですか。 人の言いなりにならなきゃいけない立場にいて、命令の通りに動いただけです。 後からやっぱりあれは嘘だと怒られても困りますよ」
「……そう簡単には割り切れん。 殺された者の身内からすれば、俺は大罪人だろうからな」
何時になく口数の多いココに俺は少し面喰っていた。
心の琴線に触れる何かがあったのだろうか、命令されたなら仕方ない、と言い放った時の彼女の声色には単なる同調ではなく自分の意思が籠っている気がした。
「ご主人様は別に悪くないと思います。 ……もし悪かったら、私も同じ極悪人でお揃いですね」
「……お前も?」
「はい。 ここに来る前は鉱山で働かされてる移民の人達の相手をしていたんですけど、あの人達、物凄く乱暴なんですよね。 ……同じ部屋の子が酔った人に熱湯を掛けられて、大火傷を負ってしまったんです。 皮膚が剥がれて、熱も出して何日も苦しんで……、最後は監督官にもう駄目だから処分しろと言われて、私の手で殺しました」
表情は不気味な程に無表情だったが、その眼はどこかを見つめて揺れており、声も微かに震えている。
俺もこんな時にかける気の利いた言葉など知らず、ただ黙って彼女の肩を抱く事しか出来なかった。
「友達、だったんですけどね。 養育所で教えられた事をニ十歳超えても信じてるような子で、奴隷しか居ない場所でもご飯を犬みたいに食べてて他の奴隷に馬鹿にされてました。 ……けど、誰よりも優しい子だったんです」
「そうか……、その、手を使わずに食べるのは普通の事ではないのか?」
壮絶な過去の話をされている時に気になるのがそこか、と自分でも呆れるが、どうしても聞かずにはいられなかった。
俺としても毎食のように残飯を犬のように喰らう様子を見せられるのには流石に辟易している。
「あ、そっか……、しまった。 すみません、実は普通じゃないです。 昔の偉い人が決めたルールでは毎食やらないといけないのですが、今は養育院でも視察の役人が来る時だけしかやっていません。 正直、殆どの奴隷は神様がどうこうなんて信じてませんよ。 犬食いしなきゃ天国に入れてくれない神様なんてどうせロクな人じゃないですし。 でも、あの子は信じてて、私もそうだと言ってしまいましたから。 ……あの子、天国に行けたんですかねえ」
その女性とココとの間に何があったのかは、敢えて聞かない。
きっと心に深い傷と共に刻まれている記憶だろうし、それを抉る資格は誰にもないと思うからだ。
ただ、今のココが奴隷としての掟を執拗に守るのは、その女性が深く関係しているのだろうと察する事は出来た。
「神の教えを疑わぬ、純真なる者に天の門は開かれる」
昔、安息日の礼拝の説教で牧師が言っていた文句だ。
ココの友人の話を聞き、心のどこかに残っていたその言葉を思い出した。
「俺はお前の友人の事は知らないし、お前達が神についてどんな教えを受けてきたのかも知らない。 だけど俺が知る限りでは、そんな純粋な人間が天国に拒まれる筈は無い……、そう思う」
「……そう、ですね。 天国で笑ってると良いですね。 ――ご主人様。 私の事を軽蔑しました? 人の言いなりになって友達を殺した極悪人だって」
「そんな筈は無い。 ……悪いのはそれを事を命じた者だ。 お前に軽蔑されなければならない事など何もないよ」
「――ふふ、さっき私も同じ事を言った気がします」
「あ……、そう言えばそうだな」
他人に何を言われても、仕方が無かったと自分で言い聞かせても、殺人の記憶は決して無くならない。
結局、俺とココは一生この重荷を背負って生きていくしかないのだ。
だが、同じ苦しみを抱く人間が近くに居る。
そう知れただけで僅かに救われる気がした。
「でも私の人生でこんなに優しいご主人様に飼われる日が来てくれるなんて……、神様も本当に居るのかも知れないですね。 何でも――、本当に何でもするので私を捨てないでください。 それとも、こんなボロの奴隷ではお嫌ですか?」
最近は口調も少し砕けて来たし、俺と一緒に居る時の力も抜けてきたと感じていたが、思い出せば常にココは自分の心を表には出さずに夜伽の時すらあくまで俺の快楽のみを優先していた。
しかし上目遣いで俺を見つめる両目は潤み、縋りつくような情念を宿している。
思えば、始めてみる彼女の欲望の形だった。
ココの言う通り、確かに俺達はお似合いなのかも知れない。
どうせ一生この地下牢からは出られないのだし、互いに過去の傷を舐め合って身を寄せ合って生きるのも良いだろう。
貴族としての矜持、軍人としての誇り、栄えある王国民としての愛国心。
俺をここまで支えてきた物は、どれも地下牢では何の意味も持たない。
迷宮に潜って、食べて、寝て、交わって。
そんな日々がきっと、この先ずっと続いていく。
俺は膝に添えられたココの手を握った。
「嫌な事などないよ」
ココは眼の端から涙を一筋流しながら笑みを浮かべて、顔を寄せて目を瞑る。
合わせた唇から、熱い呼吸が伝わってきた。