ふたりの牢獄人生 作:水瓜
迷宮内を歩いていると時間の感覚を見失う。
通路、小部屋、大部屋といった構造物が縦横無尽に接続されている中では自分がどれ程の距離を移動したのかを把握しづらいし、時折遭遇する魔物や宝箱といった存在が集中力の波を生み出し、更に時間間隔を喪失させる。
懐中時計でも有れば便利だろうが、あれは腕のいい職人が気の遠くなるような手間を掛けて造る技術の集大成であり、貴族でも気軽には買える品物ではない。
当然、半月程前にやっと迷宮の第二階層に到達したばかりの俺には縁の無い話だった。
俺は通路の床に座り込み、少しだけ水筒の水を飲んで息を整える。
迷宮の第二階層――、第一階層からたったの一階下っただけだがその危険度、探索における消耗の度合いは段違いだった。
図鑑に記されていた迷宮の各階層の難易度の目安として、従騎士級の魔術師でも比較的安全に攻略出来るのが第一階層、危険ではあるが従騎士級でも攻略可能で、貴族なら比較的安全に攻略出来るのが第二階層。
貴族でも討伐には危険が伴う強力な魔物が出現する第三階層に、強力な貴族の魔術師でも容易に殺しうる脅威が跋扈する第四階層。
そして紛う事なき死地、非常に強力な魔術師が貴重な遺物で装備を固め、やっと探索が許される領域が第五階層、現在確認されている最下層だ。
しかし貴族ならば危険が少ないと言われている筈の第二階層は、実際に探索してみれば油断をすれば命の危険がある強力な魔物がそこら中を彷徨っていた。
いや、それとも図鑑の記述は複数人での探索を念頭に置いていたのか?
迷宮を探索する際、通常は不測の事態に対応する為に複数人で行動する事が多いと聞いた覚えがあるし、貴族が単独で迷宮を探索するという状況は図鑑の作者は想定していなかったのかも知れない。
再び立ち上がり探索を始めると、通路の先に見える分岐路の向こうからバタバタと布がはためく様な音が聞こえてきた。
この聞き覚えのある音に、俺は手元に魔力を集めて直ぐに打ち出せるように準備を始める。
数秒後、予測していた通りに姿を現したのは全長一メイル程の鋭い牙を持つ魚だった。
縦に平べったい胴体と、顎が異常に発達した異形とも言える頭部を持つ魚は、口の中に並ぶ鋭い牙を剥きだしにしながら空中を泳いでいる。
数は……、二体か。
稀に群れで出現する事も考えると、ついている方だ。
図鑑によると、あの魚の種族名は
空を飛ぶ以外にこれと言った能力は無く、その飛行能力も閉鎖空間である迷宮内では大きく制限されている。
個体としては大したことは無い魔物だが、この魔物が厄介なのはその集団性だ。
第二階層であれば多くても精々五、六体の群れを作る程度だが、深い階層では数十体の群れを上位種が統率している事もあり、数の暴力で圧殺してくる。
それに攻撃力も侮れず、あの牙に噛みつかれれば鉄板にすら穴が開くという。
幸いにも距離は十分にあるが、空を飛ぶ相手に弾状の魔法を命中させるのは難しい。
俺は右手の上に圧縮した魔力弾を作りだしながら、十分に距離が近づくのを待った。
二体の
そして恐るべき武器である牙が鮮明に見える距離まで接近した所で、俺は手元の魔力球の圧縮を前方に向けて解放した。
魔力を打ち出すのではなく、噴射させる。
放射状に拡散する魔力が俺の意思により猛り狂う炎へと変化し、戦闘を泳いでいた魚を反応する間もなく包み込んだ。
「うっ!」
しかし圧縮した魔力球を志向性を持って拡散させるという性質上、この技は制御が難しい。
俺が想定していたよりも魔力の拡散が弱く、先頭の
利き手に持ち替えていたのでは間に合わないと判断して、左手に持って居た棍棒を苦し紛れに振るうが、不規則に揺れながら空中を泳ぐ魚体には当たらずに逆に上腕に噛みつこうとしてくる。
上腕は防具に覆われていない部位であり、考えるよりも先に身体が危機を察知して身体を捻る。
それにより噛みつかれはしたものの、牙が閉じ合わされる前に振りほどく事に成功した。
武器を放り出し、両手から魔力を全力で放出して通路を埋め尽くす勢いで燃え盛る炎を敵目掛けて巻き散らす。
圧縮もされていない魔力では見た目が派手なだけで威力は大した事は無いが、広範囲を瞬く間に包んだ炎は
全力で放出した魔力を炎に変換するだけの簡単な魔法ではあるが、第二階層の魔物を倒すだけならば十分な威力を持つ。
だが、出来ればこの方法で戦うのを避けたい理由があった。
自分の衣服や荷物を調べて、全てが無事な事を確認してやっと息をつく。
今の様な制御を放棄したような魔法を狭所で使用すれば、炎が俺の所有物に引火する恐れがあるのだ。
魔力で作り出した炎や雷などのエネルギーは、その元となった魔力を纏っている物には影響を及ぼさない。
魔術師はその性質を利用し、広範囲の魔力攻撃を行う際は自身の肉体と所持品に魔力を纏わせて、自らの魔法で傷つくのを避けているのだが、肉体は兎も角所持品に関しては隈なく全体を魔力で覆うのは難しい。
下手をすると衣服が燃えて火だるまになる恐れもあるので、あんな魔法は本来通路で使うべきではない。
そう分かってはいるのだが、今のように攻撃を外して接近されたり、思いがけず奇襲を受けてしまった場合には、魔力量に物を言わせた雑な魔法で対応をせざるを得なかった。
これがもし仲間と共に探索していれば不測の事態にも対応しやすくなるのだろうが、単独での探索では一つのミスが即座に命の危機に直結する。
必然的に、心も身体も疲労が蓄積してしまうという訳だ。
恐らく俺一人で安定して探索可能なのは、この第二階層が限度。
第三階層も探索自体は可能かも知れないが、恐らく生きるか死ぬかの局面に頻繁に遭遇するはずだ。
――俺が死ねば、元々使い捨ての奴隷として送り込まれてきたココにまともな未来が待っている筈は無いし、無理は出来ない。
噛みつかれた腕を確認するとシャツが無惨に引き裂かれており、その下の皮膚にも深くは無いが赤い線のような傷が幾筋も刻まれていて、そこから血が滲んできている。
戦闘中は興奮していて何も感じなかったが、今になり疼くように痛み出してきた。
背嚢の中の
しかし軽傷とは言え負傷したまま探索を継続するのも危険だし、今日はもう帰る事にした。
……またココに騒がれそうだが。
魔物の残骸である塵の中から魔石を回収すると、清潔な布で傷口を抑えつつ最寄りの安全地帯を目指して歩き始めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
安全地帯から繋がるゲートを潜り地下牢へ戻ると、何時も通りに足音を聞きつけたココが直ぐにドアを開けて近寄ってきた。
見慣れた何時もの光景。
しかし床に跪いて俺を迎えようとした彼女は、俺が腕を抑えている事に気が付いたようで中腰のまま停止した。
「ご主人様……、その腕はどうされたんですか?」
「ああ……、魔物にやられてな。 だがほんの掠り傷だし、痛みも――」
「お怪我を!? き、傷を見せて下さい。 ――ああっ、血が出ているじゃないですか!」
俺が少しでも傷を負えば天変地異でも怒ったように動転されるのは何時もの事だが、流石に辟易する。
そのまま無理矢理ベッドに座らされて、されるがままに手当てをされた。
鋭い魔物の牙で噛みつかれはしたが、魔力強化で攻撃の威力を軽減出来た為に傷は浅い。
傷口を抑えていた布を取った時には既に出血は止まっており、手当てと言っても石炭酸で創部を消毒して、新しい布切れを巻きつけただけだが、それで十分だった。
今日は早めに探索を切り上げた為に、昼過ぎの中途半端な時間に帰ってしまった。
夕食までにはまだ間がある為、テーブルにノートを広げて今日の記録を付ける事にする。
外界の変化という者が伝わらないこの地下牢では日にちの感覚が狂いがちになるので、二週間程前から日記と帳簿の両方を兼ねて、その日の探索の成果や品物の売買記録などを書き留める事にしていた。
第二階層を探索するようになってから一度の探索による収入は平均三倍程度にまで増加しているが、第二階層の探索は少なからぬ疲労も伴う為に三日に一度のペースとしていて、残りの日は第一階層の探索か、完全な休日に当てている。
それもあり一週間当たりの収入の増加幅は、第一階層のみを探索していた頃に比べ、二倍に少し届かない程度に収まっていた。
「お待たせしました」
ノートへの記入を終える頃、台所から紅茶の入ったカップをトレイに乗せたココがやってきた。
トレイの上のカップは一つ。
俺としては彼女にも自由にお茶や菓子の類を食べる事を許しているのだが、嗜好品には頑なに手を着けようとしないし、未だに食事も食材の端切れか残飯だけだ。
――単にこれまでの習慣というよりは、俺との主と奴隷という関係を崩したくないのかも知れない。
これまでの彼女の人生を考えてみれば、それ以外の男との関わり方は知らなくても不思議はないか。
それでもカップをテーブルに置く彼女の腕はここに来た時と比べると肉が付き、こけていた頬も丸みを取り戻していて、童顔な事もあり大人だというのに少女のような愛らしさを湛えていた。
俺はペンを一旦止めて、カップに手を伸ばす。
この紅茶に使われている茶葉はこの王国の冷涼な季候では栽培できず、南部諸国との交易によってしか手に入らない為にそれなりに高価だ。
しかし、このワインを思わせる芳醇な香りと仄かで上品な甘味は安いハーブ茶などには生み出せない紅茶独自の物。
監獄に来てから最初の内は嗜好品には手が伸ばせなかったが、今では昔から好きだった紅茶を飲めるくらいには生活に余裕が出来ていた。
紅茶を数口飲んでから、カップをテーブルへと戻す。
顔を僅かに動かして隣を覗き見ると、ココがトレイを手に不動のままで立っていた。
何時もの事ではあるのだが、彼女は俺が部屋に居る間、全く休むという事をしない。
常に料理や掃除といった家事に精を出しているか、もしくは置物のように俺の近くに立っているかだ。
する事がないなら自由にして良いと伝えても、余暇を好きな事をして過ごすという経験自体が無いらしく、部屋の隅に膝を抱えて座り込んでいる始末だった。
俺が迷宮に潜っている間は何をしているのかと気にはなる。
しかし俺が迷宮から帰った来た際、家事をしている途中だった時を除けば、数秒で居室から出てきている事を考えると、居室でずっと俺の帰りを待ちながら待機している可能性もあって知るのが怖い。
使用人が主人の前で休む姿を見せるなど非常識だというのは貴族としての経験から分かるが、この狭い地下牢に二人しか居ないのにも関わらず全ての時間を俺に捧げられると流石に息が詰まってくる。
話で場を和ませようにもこれまでの経歴の違いから共通の話題が殆どなく、料理の感想やら迷宮での出来事を語るだけで三十分程度しか話が続かない。
なので俺とココがこの密室で長い時間をどのように過ごしているかと言えば……、まあ、大抵の時間を男女の事に費やすより仕方が無かった。
「ココ、口で奉仕してくれ」
「あっ、はい。 かしこまりました」
俺の素っ気ない言葉に彼女は微笑みを返すと、テーブルの下に跪きズボンを降ろして肉棒を露出させる。
今日はまだ身体を清めていないので臭いもある筈だが、ココは躊躇なく亀頭に口づけをし、汚れをこそげおとすようにカリ首を舌先でなぞっていった。
彼女は俺の命令には絶対に従う、従順な奴隷として振る舞っている。
今のように奉仕しろと言えば、俺が止めるまで何時までも続けるし、股を開けと言えば躊躇いなく秘所を曝け出す。
まだ命じた事は無いが、目の前で自慰をしろと命じても恥じらいはするが従うだろう。
しかもそれを、心底幸せそうにするのだから俺としては堪らない。
自重すべきだと思いつつ、いつも彼女の肉体と奉仕を貪ってしまうのだ。
だが、俺がココからあまりに多くを受け取っているのに対して、俺が彼女に渡せているのは残飯と最低限の生活用品のみ。
使用人と娼婦を兼ねたような仕事をさせておいて、殆ど報いないというのは俺の中で帳尻が合わず落ち着かない気分になる。
もしかしたら彼女の中で徐々に不満が蓄積されていて、ある日それが大爆発を起こすのではないかと不安になってしまうのだ。
流石に一度、しっかりと話してみるべきだろうか。
俺への奉仕を終え、吐き出された精液を飲み込んだココが口を拭きながらテーブルの下から這い出てくる。
その頭を撫でながら労を労いつつ、気になっている事を尋ねてみる事にした。
「なあ、ココ。 お前はいつも良く尽くしてくれているが、毎日休みなく働くのは大変じゃないか? 何か欲しい物があったら遠慮なく言え。 休みでも良いし、お菓子でもご馳走でも……、そうだ、新しい服でも買ってやろうか?」
我ながら、物でしか感謝の気持ちを伝えられない事に情けなさも覚えるが、女の経験は娼婦としかないのだから仕方がない。
しかし――、いや、案の定ココはいつも通りに首を振って俺の提案を拒絶した。
「私はご主人様にお仕えできるだけで幸せなんです。 これ以上は何も望みませんので、お金は全てご自身の為に使ってください」
「……お前はそう言うと思っていたよ。 だがな、ただお前ばかりを働かせて俺は何もしないのでは落ち着かないんだ。 何を言われた所で生意気だとか強欲だなどとは絶対に思わないから、お前の望みを聞かせてくれ」
「望み……」
俺の言葉にココは黙りこくり、暫く何かを考え込むように俯いた。
やがて考えが纏まったのか、顔を上げて若干気まずそうに手を弄びながら話し始める。
「私の望みは、ご主人様の奴隷でいられる事です。 だから何も欲しくは無いんです。 だって働くのと引き換えに何かを欲しがるなんて、奴隷のする事じゃないですから」
「奴隷……か。 色々とお前に命じている俺が言うのもなんだが、こんな地下牢で身分も何もないだろう。 俺はお前に衣食住を提供して、お前はそれと引き換えに働く、それで良いんじゃないか? 今のままでは、お前の負担ばかりが大きい不公平な状態が続いてしまう」
「……不公平、ですか。 でも私から見れば、ご主人様の方が私なんかよりずっと大変です」
「迷宮の探索の事なら気にするな。 元は軍人だし魔物と戦うのには慣れている。 それに危険もあるが、良い退屈しのぎにもなっているしな」
迷宮探索をあまり負担とは感じていないというのは本音だ。
確かに魔物と戦う危険はあるが、未知の領域を探索し財宝を発見する楽しみもある。
迷宮での時間はこの監獄生活を乗り切る為の良い刺激になっていて、ココが居る事で増えた僅かな出費など気にしてはいない。
「迷宮の事もあるのですが……、私が言いたいのは、ご主人様は私に優しくしてくれているという事です。 ご主人様は、私の裸を見ている時に火傷や傷の事は何も言いませんよね?」
「……別に過去の事など気にならない」
「――嘘です。 見たら気になりますよ、普通。 ご主人様も何があったか想像がついているんですよね。 煙草の火傷は鉱山で働く犯罪者達の相手をしていた時の物ですが、私はクズ達の玩具だったんですよ。 あいつら、私達奴隷を性処理に使いながら、嬲って笑い者にするんです。 煙草の火を押し付けられたり、小便を飲まされたり、洗ってないお尻の穴を舐めさせられたり」
「ココ、もう良い」
「申し訳ありません、言わせてください。 ――私はクズ共にズタズタに壊されたゴミみたいな価値しかない奴隷なんです。 そんな私がお貴族様の生まれで強くて優しいご主人様と対等に付き合うなんて……、私が受け入れられません」
迷宮を攻略して生活の全てを支えている俺とココでは、当然俺の方が立場が上となる。
そんな俺が、事ある毎に自分を彼女を普通に扱おうとしてくるのが怖くてたまらないらしい。
何故なら、そんな状況は俺がココの傷を厭わしく思ったり、素直に娯楽を享受している様子を生意気だと考えてしまえば直ぐに崩壊するからだ。
時折詰まりながらも、彼女はそのような事を必死で語った。
「だから私は奴隷としてご主人様と共に居たいんです。 貴方の為に働いて、慰みの為に身体を使って貰う事を何よりの喜びとするような惨めな奴隷が良いんです」
一気に語り終えて僅かに息を荒げているココに、俺は何も言えずにいた。
沈黙が続く中で、彼女は泣きそうな目で俺を見つめた。
「ご主人様、許して下さるなら望みが一つ。 私を……、ちゃんと奴隷として扱ってください。 そうでないと怖いんです。 私はご主人様との公平な関係なんて欲しく無いんです」
地面に両手をついて額ずくココを見下ろしながら、俺は痛々しさと憐れみ……、そして自分でも驚く程の暗い興奮を感じていた。
自分より圧倒的に身分の低い女を好きなように弄ぶのは、何よりも興奮すると本で読んだ事がある。
それを見た時には眉を顰めたものだが、今となってはその文言の意味が真に理解出来た。
貴族としての誇り、男としての体面、人間としての慈悲。
それらで抑えていた激しい欲望の箍が、ココの言葉によって外されようとしているのを感じる。
俺はココを欲望のままに好きなように扱えて、彼女もそれを心から望んでいる。
ならばもう、何にも縛られる必要はないではないか。
いや……、真の意味で彼女の主人となるなら、一つだけ言わなくてはならない事がある。
それは彼女に、というより俺自身への縛りだ。
「お前の意思は分かった。 ココ……、お前を今日から俺の奴隷として認める。 これから、俺とお前はずっと一緒だ」
例え何かの奇跡が起こり、この地下牢から出られるような事があっても、俺は彼女から決して離れられない。
涙に濡らした顔を上げたココの前に、俺はサンダルを脱ぎ捨てた素足を差し出した。
物語の話かも知れないが……、やはり奴隷の扱いといえばこれだろう。
「お前の舌で、俺の足を清めろ」
「は、はいっ! かしこまりました」
心底からの喜びに満ち溢れた声で、躊躇いなく俺の足に舌を這わせる奴隷の女。
俺は彼女に完全に捕まってしまったらしい。