彼の話の前に少し昔の話をしよう。
『この世界』の間桐桜が、何故かつて生きた『あの世界』を知っていたか?
知るきっかけは何であったかのか?
それは彼女が生まれる前まで遡る。
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桜の父─間藤 鶴野《マトウビャクヤ》は間桐の分家に生まれはしたが、魔術の世界には進まなかった。
否、間藤家自体…とも云える。
臓硯が気紛れに興した分家の間藤家は、もう幾代も魔術回路を持たぬ者ばかり生まれた。
本家でさえ中々生まれぬ才能は、分家に至って皆無に等しい。
だからだろうか臓硯が魔手を伸ばす事もなく、そのまま放置され、鶴野は平穏な日々を送っていた。
彼はその幸せな日常の中で、1人の女性と出会う。
名は慎二《ツツジ》。
華やかな外見に反して、その名が示す通り非常に慎ましく、優しい女性だった。
恋仲になるのに、さほど時間は掛からずやがて、二人は結ばれ子を授かった、桜だ。
怖い位に幸せだった。
「ツツジ…俺は何だか恐ろしいよ」
臨月を迎え、妻の腹はハチ切れんばかりに膨らんでいる。
「何が恐ろしいの?」
「判らない」
「判らないのに、恐ろしいなんて…仕様のないお父さん!」
クスクスと少女の様なあどけない笑いが、暖かな空間に拡がる。
「おかしいかな?」
「えぇとても」
妻に笑われ、なんだか恥ずかしくなった鶴野は、少しばかり照れて顔を赤く染める。
「でも、私も貴方の事を笑えないナ。正直私も怖い」
「ツツジも?」
「うん。無事にこの子を産めるのか、ちゃんとお母さんになれるのか、色々考えると…とても怖い」
腹をなでながら、鶴野に話す。
「けれど考えても仕方ない。成る様にしか成らないもの」
「そうか」
「そうよ」
自分は何を恐れていたのか、こんなにも満たされといると云うのに。
鶴野は悩んでいたのが馬鹿らしくなった。
だが、完全に不安は払拭出来ない。
何故か?
何か忘れている…。
決定的な…致命的な…。
「ねぇ鶴野。今さらだけど…私の家の事、御本家に云わなくて良いの?」
「いいさ、魔術協会も君の家の魔術師登録をしなくていいと、随分前に通知してくれただろう?」
「なら良いけど…」
ツツジが心配したのは、生家『巫淨(フジョウ)』の魔術師としての血統だ。
魔術師ならば魔術協会に登録し、血統の持続を報告しなければいけない。
そうしなければ、研究材料にされる。
魔術師にとって同じ魔術師は、同志であると同時に敵なのだ。
即ち登録するという事は『保護』と同義。
登録の必要性がないと魔術協会が判断した家系は、完全に『魔術価値』がないという事。
『一般人』になった証でもあるのだ。
だが……彼は妻・ツツジの家の魔術体系までは、詳細に知らなかった。
知っていれば、避けられた現実は確かに…あった。
リン…リィィン!!
リィィィン! リィィィン!!!!!
けたたましく電話の鐘《ベル)》鳴る。
「いやだ、もうそろそろ寝ようと思ってたのに」
鶴野は、酷く厭な予感がした。
取ってはいけない!
全身から脂汗が流れ、心臓の鼓動は速く脈打つ。呼吸は乱れ、うまく息が出来ない!
(駄目だっ行くな!取ってはいけないっっ駄目だっ駄目だっ!!!!)
ツツジはその電話に出た。
それは運命の転換。
彼女は……選んでしまった。
「はい間藤で御座います」
相手は『間桐臓硯』。
鶴野は自分たちが、『餌』になると何故かそう感じた。
皮肉にもこの日は………鶴野が初めてツツジと出会った記念日だった。