トロフィーゲーマー~女性しかゲームをやらない世界で~ 作:ユルイ島
これは大和夢(やまとゆめ)と阿東理壱(あとうりいち)がまだ中学生だった頃の話。
挙動不審、人見知り、コミュ障、どもり癖、陰キャ、ふとした時に空気読めないことがある、友人間だけでは声大きそう、道端で見知らぬ人から道尋ねられる回数多そう、それも応えられずに違う人探されそう。
大和夢がこれまでの人生で他人から評された言葉の数々。そして大抵身に覚えがあるその論評。実際教室で仲間内の話が盛り上がり、声が大きくなってしまってカースト上位の女子から注意されたことがある。
そんなだから人間関係も狭いものになり、失礼な言い方になるが友人になるのもカースト下位の似たようなランクの人間、三軍四軍に属していた冴えないクラスメート、その一員だった。
だからそう、学外活動でダンス教室に通い、カースト上位グループの何処にも深くは属していないけれど、そのグループのどこにも浅く付き合いがある、言うなれば独立遊軍めいた存在だった──当時後々のカーストを計算に入れて学外活動を決める一因にしていない訳ではなかった──阿東理壱にある日突然話しかけられることなど最初から想定していなかったわけで。
ある日の放課後、部活にも入っていなかった夢がいつものように一人で帰宅していると、「大和さん」と後ろから声を掛けられた。びくんと肩を跳ねさせて振り返ると、声を掛けてきた人間の正体はまがう事なき理壱その人で。付き合いも関係性もゼロだった上位カースト者からの突然の接触に夢は驚くよりも混乱が先にたち、返事もせず「へ、へ、へ?」と単音と疑問符を漏らすだけであった。
「大分前に教室で話してたの聞こえたんだけど、大和さんの家って両親の帰り遅いんだって?」
確か二十四時くらい? そう付け足した理壱を見つめる夢。事実だ。だけどそれを何時話しただろうか夢の記憶にない。眼前の理壱が「大分前に」と言ってるのだから、話した夢自身記憶にない程度に時間軸が離れたときなのだろう。
──そそそそそそ、それを阿東く、くくくくくくくんが知ってる!? おおおおおお覚えてる!?
焦りとどもりが同時に発生した夢の脳内。
──え、春か!? 我が世の春が来たのか? え、告られるのかわたし!? え、え、え。
思わず顔伏せて、意味もなく何度も右手で前髪をさっさと整える。左手で背負ったリュックのショルダーストラップ部分をぎゅうっと強く握り締めて。
「え、あ、うひっ、お、おう、そそそ、そうだすけど」
だす? と理壱が一瞬疑問を覚えたがあまり気にせずに続ける。
「よくゲームについても話してたよね教室で」
「あっ、おう、ソッスネ。ひゃい。あっ、スーッ、聞こえちゃって、ましたか」
その言葉に理壱はしばらく腕を組んで瞑目しながら「あー。うーん」と何かしら悩むような躊躇するような唸り声を上げて、それをじっと見守る夢は「やはりこれは告白への躊躇いか」と期待に胸を高鳴らせて。
目を開いて、意を決した理壱が言葉を紡ぐ。
「ごめん、大和さんさえ良ければなんだけど今から家に行っていい?」
「ふぇ?」
何を言われたか一瞬理解が及ばなかった夢は間の抜けた声を漏らして。
「え、え、え、家って、わたしの家?」
間違いがないように確認を取った。
「うん。いきなり親しくない男子上げるのはやっぱ無理かな」
──もしかして、狙いはわたしの身体!?
ならば納得が行く。遅くまで両親が帰ってこない女子に狙いを定めて、その毒牙に掛けるつもりなのだろう目の前の男子、いや、ケダモノは。
──待てよ、下着ぜんっぜん可愛くない。めちゃくちゃ芋いぞ今日の上下。
夢の脳内が自身が今つけている下着へと跳躍する。上下共にグレーのスポブラとパンツだ。色気のいの字もないそれを思い浮かべる。
──むしろそれがいいのか!? 女子中学生の色気もへったくれもない下着に興奮するのか阿東くんは!?
「おほフヒヒ……」
「おほふ?」
業が深いですねぇあんたも好きですねえ旦那。思わずそんな感情を夢が漏らした笑みに理壱が聞いたことない文脈だと首を傾げる。夢は前髪で隠れ、常日頃地面を眺める時間が多い瞳をこっそり僅かばかり理壱の股座に焦点を合わせ。
──すまんな、苺。わたしは今日、処女(さき)を(に)捨てる(行く)。
オタク友達として特に仲がいいクラスメート、青木苺のことを脳裏に浮かべてサムズアップした。
「あひ、そそソウッスネ。あ、べべ別に? わたしはかみゃ、構わないでっすよ?」
「あ、本当? ありがとう、じゃあ今からお邪魔するね」
「うす、あす。じゃ、えっと、あっ、家こっちなんで」
「じゃあついていくね」
そう言って理壱は夢の隣に立って歩く。
──おひいいいい! ついてくるって言ったのになんで横に!? えっ、わたし男子と二人並んで家に帰るの!?
──しかも歩幅合わせてきてる阿東くん! え、好きになっちゃう。ひょっとして家に着くまでの間にわたし落として処女と童貞捨てるこいつでいいやおざなりセックスからいちゃラブ合意こづくりにしようとしてる? これ確実にわたしと阿東くんで初めて同士交換する流れだよね。体液交換しちゃうよね。あ、そうだゴム、コンドームない。どうしよ。え、初めてだし生でいいのかな。記念にそっちのがいいのかな。初めてだもんね。粘膜接触に阻むものないほうがいいよね。そっちの方が気に入ってもらえるよね。
──すまん、苺。詳細は明日事細かに話してやるから先立つわたしを許せ。
勝手に理壱のことを童貞として扱っていた夢は地面を向いたまま脳内の親友に寛恕を願った。事実まだ中学生だったこの頃の理壱は確かに童貞なのだが。
ファミリー向け賃貸マンション、その四階。「大和」と表札が掛かったその扉の前に立った夢はポケットから家の鍵を取り出して。
「あっここですぅ」
変なテンションでそう言って、かちゃりと鍵を開ける音と共に理壱を自宅に招き入れた。
「お邪魔します」
夢に続いて小さく頭を下げて夢の家の中に入った理壱は「うわあ、他人の家の匂いだ」と内心で呟いた。
「そしたら、あお、じゃないやあの、こっちです」
玄関からリビングにある廊下、その途中の扉を指して、夢が入っていく。
理壱も中に入れば勉強机に服を仕舞っているだろう箪笥、マンガが詰め込まれた本棚、ベッド、デスクトップパソコンに二十型テレビとそれに繋げられた据え置きゲーム機が並んでいた。
何の変哲もない子供部屋。まさに理壱が求めていた部屋だった。
リュックを下ろして勉強机の前にある椅子に乗せて、夢は所在無さげに立ったままゆらゆらと部屋の中央で揺れている。自室のはずなのに。
理壱はそれを眺めながら鞄を部屋の隅に置かせてもらって、ベッドを背凭れがわりにして床に座った。
「あ、ちょっと、手洗いうがいしてく、いや、飲み物なんかいりますか?」
「水とかで大丈夫。突然ごめんねお邪魔しちゃって」
「あ、や、ぜんぜ、全然。親も遅いんで。……ってそれは知ってますヨネ! ナンチャッテ! タハー!」
変なテンションで夢はそう言って、「失礼、失礼!」と混雑を抜けようとするサラリーマンの如く右手でチョップをしながら部屋を出て行った。
理壱は改めて夢の部屋の中を失礼にならない程度に見回した。中学生らしい子供部屋、だけれどやはり女子の感性なのだろう、本棚の中にある少女マンガと今理壱が座っているパステルカラーのラグだとか、節々で女子らしさを感じる。
理壱以外の人間がこの部屋を見て、「何処から一番女の子らしさを感じる?」と問えば十人中十人が据え置きゲーム機を指差すのだけれど。
──え、どうする、どうする。先に飲み物運んだ方が心象いいんじゃないの? でも飲み物持って行って唐突にキスされてベッドに押し倒されたらやばいよね。そう考えた場合手洗いうがい歯磨きしたいんだけどどうしたらいいの? いや流石に「先にシャワー浴びて来いよ」って言われるか? そのタイミングで磨けばいいか? 乙女ゲーやっててもこんな時にどっち先にやるべきかって選択肢出てこなかったんだけど。は? 青春エアプか制作会社。
今日この日まで曇天模様どころかところにより雨だった青春模様を送っていた夢はここぞとばかりにこの場に存在しないゲーム会社にマウントを取っていた。取られた側からしても「知らんがな」通り越して「お前誰だよ」と叫びたいところだろう。
結果として夢はまずキッチンの冷蔵庫の扉を開いて中を物色して、炭酸だとかジュースだとかそういった気が利いたものが備えられていない事実に「チィッ!」っと盛大に舌打ちをした。夢は仕方なく麦茶をコップに注いでお盆に乗せて。
「こ、ここ、こっちらドウゾー」
「えっ?」
自室の扉をお盆が通る程度に開いて、その隙間から手だけでお盆と麦茶を差し出すという荒業を見せた。
扉が開いたと思ったら、ぬるりと夢の右手と盆と飲み物だけが入ってきたその異様に理壱は目を丸めて。パタンと静かに扉を閉めた夢はそのまま洗面台に向かい手洗いうがい、そして入念に歯磨きをし始めた。
そんな夢のことなど露知らず、扉の前に残された麦茶とお盆を理壱はしばし見つめたあと、とりあえず立ち上がりお盆を拾い上げて麦茶を一口嚥下した。
「えへ、へ、へへ。お、お待た、待たセー」
一通り身支度を終えた夢はそう言いながら固い笑みを浮かべて理壱の元に戻り、一つ深く深呼吸をすると、えいやっとベッドの上に座った。
「りょ、両親はいつも、日付変わる頃、ま、までは帰ってこないんでぇー」
もじもじとスカートから伸びた膝を揺すって、前髪をくるくると指先で弄びながら夢は理壱に言う。現在時刻は午後十六時。親が帰ってくるまで余裕を持って考えても七時間ある。初体験が七時間耐久て。一体何回戦おっぱじめることになっちゃうんだ、と随分脳内ピンクな思考をしている夢のことなど知る由もなく、理壱は、数十秒間の逡巡の後に口を開いた。
「誰にも言わないで欲しいんだけど」
「! ううううん、もも勿論! 誰にも言わない!」
──すまん苺、お前に初体験がどんな感じか話すのは今この瞬間なくなった。
誰も聞きたくねえよ。空の上から苺が遠い目をしていた。
理壱はすっと据え置きゲーム機を指差して。
「ゲーム、やらせてもらっていいかな?」
「もももも勿論! よよ喜んでヤらせてあげましゅ!」
目をぎゅっと瞑り、祈る聖女が如く胸の前で両手を結び、がばりと勢いよくベッドに自ら倒れこんだ夢はスプリングに身体が揺られるのを感じ取ったのち。
「ゲーム……?」
目をぱちりと見開いて、そっと理壱の方を向いた。
「えっゲームやりたいの阿東くん」
理壱はこくりと頷いた。それを見て夢は静かに手を顎に当てて思案する。
「あっそっか、試しに触れてみたいとかそういうこと?」
不思議と夢はどもらなかった。ホワイトアウトに近いほど思考停止した脳の片隅で、非暴力主義者が助走をつけて殴るレベル、大和夢がきちんと喋るレベル、という二つの言葉が浮かんだ。つまるところ夢ががつんと意識をやられたのはそういうレベルの衝撃。
「いや、小学生の頃やってたよ」
視線を反らして応える理壱。それに対してこてんと首を傾ける夢。
「……ケバブマンの知育ゲーとか?」
「……格ゲーとかレースゲーとか、パーティーゲームとか」
「……その、ごめんだけど、阿東くん、ついてなかったりする? ……いわゆる、おちん的なもの」
「……あー、まあそう思われてもおかしくないんだね。いや、あるよ。まぎれもなく男だよ」
「家庭の事情で男装してる女子では」
「ないね」
最近出てきて、あるでしょ。喉仏。理壱が左手で自らの喉をさすった。
「……夢?」
「夢?」
──たしか大和さんの下の名前が夢だったはず。いきなり自分の名前を呼んでどうしたのだろうか。
当然ここで夢が発した音節の意味は自分の名前などではなく。夢はゆっくりと自らの手を頬に当てつねりあげた。そして唐突に笑いだし。
「あはははは! 凄い! 夢かどうかほっぺ抓って確かめるなんて初めてやった! 凄い! 痛い! 夢じゃない! 嘘でしょ!」
──こっわ。
哄笑する夢の姿に理壱は恐怖を覚え、そうか、他人に自分の秘密を開示するとこういう風になるのか、と一つの学びを得ていた。