トロフィーゲーマー~女性しかゲームをやらない世界で~ 作:ユルイ島
阿東理壱(あとうりいち)が初めて大和夢(やまとゆめ)の家を訪れた中学生の時。
つまりそれは時間軸的には理壱が一人暮らしに移行する前も前で、まだ両親から隠れてスマホでソーシャルゲームをやっていて、Vアバターでの配信こそ行っているものの数百人のフォロワーはいる程度の時期で当然ゲーミングパソコンを所有してるわけもなくNewTubeへの配信の軸足を移している頃でもなく。
昔に触れたコンシューマーゲーム機、そのコントローラーの感触への飢餓がピークに達していた時の話。
理壱はどうにか女子に頼んでゲームをやらせてもらえないかと思い描いていた。
当たり前だが複数人の女子に対して頼むことは出来ない。それがこの世界において大変常識はずれなお願いであることくらい理解していた。
だから都合がいい人がいないかと周囲を見回した。
お願いごとを断れなさそうで、強く押せば頷いてくれそうで、あまり交友関係が広くなく、秘密だよ、と囁けば飲み込んでくれそうな女子を。
特定の一人にピンポイントで狙いを澄ませて、最悪断られ、そのことを言いふらされても、その女子の荒唐無稽な作り話だと決着が着くように。
ひどく都合のいい女を求めていたな、そして酷く大和夢という人間に対して失礼だったな、と理壱は後々述懐と共に反省をしたが、しかし。狙い定めた乾坤一擲の一撃は確かに正鵠を射抜いていたようで。
「え、へへひっ、あ、阿東くん、そ、そこの敵、たた、倒したら強武器入ったボックス、出ますよ」
理壱は夢と肩を並べてゲームをする環境を手に入れていた。
我が世の春が来た。夢はまさにそんな心地だった。男女で肩を並べてプレイするゲームの素晴らしさ。なんだろう、ありとあらゆる多幸感が脳内にドバドバ溢れている感覚があるし、ありとあらゆる飢餓感が満たされていくような感触がある。まず間違いなく今この瞬間こそ大和夢という人間が送る一生のハイライトで、多分走馬灯を見るとしたらこの輝く時間を凝縮したまま死んでいくのだろうという確信があった。
この世界で誰が一番幸福かと問われればどんな有名人よりも大富豪よりもそれは大和夢であると言い切れる自信もあったし、クラスカーストこそ低いけれど世界ランキングならばトップであると矛盾した答えを信仰していた。
ただ、春が来たのならば夏が来て、暑さは盛りを迎えてから秋になり、やがて白銀の冬になるのは自然の摂理というもので。何事にも栄枯盛衰というのは存在するのだと夢が学ぶのは理壱と夢が中学三年、十月を迎えたときだった。
その時刻が告げるのは二つの事由、理壱の両親が海外に居を移し理壱がゲーミングパソコンを通販で購入したという事実と、高校受験に向けて本腰を入れる季節だという現実だった。
──最近阿東くんが遊びにこない。
中学三年、十月の半ば。夢は自室で親友であるところの青木苺とボイスチャットを繋ぎながらFPSゲームに潜っている最中。口では「なな、ナイッスー」などとプレイングに対する義務リアクションを取りながら脳裏ではそのことについて考えていた。
「夢ぇ、こないだの模試どうだった?」
ヘッドフォンから苺の声が耳に届く。マッチングの間にスマホを取り出し、遊んでいるときに極めて、極めて自然に聞き出した理壱の連絡先を開く。
「ひ、ひひ。び、Bまでは上げた」
「マジかよ、アタシCだったんだけど」
やっべえこのままじゃ受かんねえとケタケタ悲壮感なく笑う友人をスルーして、夢は理壱に向けてのメッセージを作り、送信せずにスマホを机に置いた。
──最近家に来てくれませんけれどわたし何かやらかしましたか? 不快に思われたことがありましたら謝罪いたします。
夢が自身をやたらと低くおいた文面は一度横に除けて、理壱相手に送るのには最低でも数時間置いて精神を整えないと送ることが出来ない。今現在の会話相手の苺には即レスでいいのだが。
「つか唐突に志望校のランク上げたのなんで? それになんでアタシは付き合わされてるの?」
「ちょっとでも、う、上の高校目指した方がい、いいじゃん」
「まーそうなんだけどさ。別に受からなかったら下のとこ行けばいいし」
「そそ、それは駄目」
「なんでよ、好きなところ行かせろボケェ」
「わたしの、と、友達がいなくなる、で、しょうが」
「新しく作れよ」
「む、無理」
「そ、そういう苺こそ作れるの? 知り合い、い、いなくても」
「……出来るわ」
苺から自信ゼロの声色で返ってきて、勝った、と夢は鼻を膨らませた。
「……でもさー、上狙うだけなら色々他の高校もあんじゃん。なんであそこなん?」
「な、な、なんでって……」
「あれか? 男か? どこぞに気になる男でも出来たか?」
「は!? は!? は!? そそそそそそんなわわ訳ないしししし」
「そういや夏ごろお前挙動不審だったよな何時にも増して」
「きょきょきょ挙動不審じゃななないし!」
「なんか男子の周りうろちょろしてなかった?」
「ししししてない!」
「……あのときいたのは……阿東?」
「ふぎっ!」
まさかの初撃でクリティカルを食らった夢はパソコンモニターの前で伝わるはずもないのに手をしきりに否定のジェスチャーや、どん、どん、どん! と台パンせんがために動かして、その弾みに机の上のスマホに触れ、下書きのままだった理壱宛てのメッセージが送信された。
「おぴゃっ!」
思わず立ち上がり、パソコンモニターに突っ込んでいた有線イヤホンのコードが張力の限界を迎える。それに釣られて僅かにモニターが持ち上がり、「あぴゃい!」という奇声と共に、夢が押さえ込もうと手を伸ばす。ぐらりと揺れていたモニターが安定したのに一息ついて、椅子に座ろうとしたところ「おんわぁ!」ひっくり返るようにしてしたたかに尻を床に打ち付けた。どうやら立ち上がった拍子にキャスターつきの椅子が後ろに下がっていたらしい。
会話相手の苺にもなんらかのハプニングが起きたことは伝わっており、転んだ拍子に夢の耳から外れたイヤホンから「大丈夫か」と夢の身を案ずる声が漏れていた。
「いったぁ……」
尻を摩りながら椅子を取りに行き、がらがらとキャスターを転がしながら机の前に置き直す。八つ当たりのようにどすんと強く椅子に座って、机からぶら下がっていたイヤホンを耳に挿した。
「おーい生きてるか」
「いいい、生きてる! 尻が痛い!」
「どったんばったん大騒ぎしてんじゃねえよ。にしてもあんた分かりやすすぎ。阿東狙いは止めときなって。あたしたちとは住んでる世界が違うだろ」
「そそ、そんあことない!」
「そん『あ』ことあるって。ダンス教室通ってる陽のものじゃんアイツ」
「むー! んー!」
最近ただでさえ理壱との触れあいが減ってフラストレーションが溜まっていた夢は言語を見失った。
──違うもん! 肩並べて一緒にゲームやってるから実質彼女だしもうセックスしたも同然だもん!
夢という生娘の中ではそういうことになっていた。
そして折悪く理壱からのスマホがぽこんと音を立てて理壱からの返信を指し示す。
──いや、大和さんは何も悪くないよ。そろそろ受験期だし大和さんにも迷惑だろうし、それに最近ゲーミングパソコン買ったんだ。これで家でもゲーム出来るようになるから大和さんに迷惑掛けることもなくなると思う。
そこには絶望があった。迷惑だなんて寸毫も思わず、んーんー唸っていた夢は絶句し、色を失った顔をそっと伏せて、スマホを握ったまま左手がだらんと垂れ下がる。
「夢? どした? 夢? やっぱケツ打って死んだか?」
耳元で問いかける苺の声も聞こえない。夢は顔を伏せたまま右手でマウスを動かしメッセージアプリとゲームを落とし、友人とのコミュニケーションを拒絶する。
両手をだらんとぶら下げて、そのまま数分間固まって、動き出したと思えばゆらりと幽鬼のように立ち上がり、屍鬼のように部屋を歩き、餓鬼のようにベッドにダイブしただけだ。
ぽこんとスマホが音を立てる。がばりと顔を上げてスマホ画面を見た後に、夢は顔をくしゃりと歪める。
──からかい過ぎたか? まあ今度阿東について聞かせろよ。吐き出したらすっきりするかもよ。ただしアドバイスなんて出来ねえけどな。
苺からのメッセージだった。夢が求めていた相手とも、求めていた内容とも違うメッセージに、心が千々に乱れていく。
再び枕に顔を埋めたまま幾許かの時間が流れて、夢はそっとスマホを持ち上げ見つめだした。
以前、夢という人間が受けた周囲からの人間評の一つとして「ふとした時に空気が読めないことがある」というものがあると書いた。この空気が読めないというのは、踏ん切りがいいというか、思わぬところで度胸を発揮するというか、突拍子のつかないことをするというか、周囲からすればそのような風に映る行動を何の前触れもなく行うことを示した。
つまるところ、今回もそれが発揮したというか、発動を為した。
──阿東くん、今からわたしの家に来てくれませんか。
スマホに打ち込んだ文章を夢はノータイムで理壱に向けて送信した。一切の迷いなく、逡巡なく、躊躇なく。常日頃の夢ならば二日置いて送信する内容だというのに。
──今から? まあ構わないけど。
──じゃあ待ってますね。
スマホを握りしめたまま、夢はベッドに伏し続けていた。
夢からの突然の呼び出しに、理壱は珍しいなと思いながらも自宅を出た。理壱から「行ってもいい?」と尋ねることはあっても夢の方から誘いがあったのは初めてのことかもしれない。だからこそやはり今までは迷惑だったのかなと考えたりもしていた。
通い慣れた……そう、いつの間にか通い慣れたという言葉が似合うようになった大和家への道を歩き、彼女の家のチャイムを鳴らした。かちゃんと鍵が外される音がして、わずかに開かれた扉から夢が顔を見せる。
入ってください、という言葉に引かれるがまま、これもまた見慣れた玄関、見慣れた廊下、見慣れた少女の部屋を訪れる。
夢は自室に招いた理壱と向き合って、一声掛けようと思った。
──なんて? え、わたしは阿東くんを呼び出して何がしたかった?
思ったところで思考が硬直する。
メッセージを送ったところまでは、夢は本当に何も考えていなかった。脳内がらんどうのまま、ただ送っただけで、呼び出していざ何をするつもりなのか夢自身フリーハンドの状態で。
夢の部屋の中央で、男女が二人向かい合ったまましばし固まる。少女は顔を紅潮させたまま、餌を求める生簀の魚のように口をぱくぱくさせて。少年の方は珍しい、というか初めての少女の方からの呼び出しであったのだから何かしらの用事があったのだろうと思って、少女の切り出しを待ったまま。
無言の間が二人の空間を支配する。夢の瞳がぐるぐる回る「あー、うー、えーと」と言葉を探しながら思考回路もぐるぐる回る。
──阿東くんとの縁を切られたくない! いや待てよ? そうか! ひょっとしてあの内容は体のいい縁切りの言葉だったのでは? 高校に進めばわたしと離れられるし、あとは家に通うことさえ無くせば関係性は自然消滅に持っていける! 阿東くんはわたしが周囲を嗅ぎまわって志望校を探り出して同じ高校を第一志望にしてることを知らないはずだし! ありえる! 十分にありえる! でもそんなこと許してなるものか! わたしは阿東くんから離れたくない!
理壱にメッセージを送ったところまでは空気の読めなさの発露だとすれば、ここからの夢はオーバーヒートを起こした暴走列車。
「あのあのあの! ふひっ、そそ、その、阿東くんはげげゲームやってることかか隠してるよね!」
──そうだ、わたしは阿東くんの明確な弱みを握っている。
「……そうだね」
「お、お、お、おおっぴらにささ、されたくないよね!」
──だからそう、主導権はわたしが握っていて、わたしの胸先三寸でどうとでもできるはず!
「……そうかもね」
──だから弱みにつけこんで恋人関係を求めたって! ……求めたって?
夢は、部屋の空気がぴん、と張り詰めた気がした。
視線は何時ものように斜め下。理壱と目を合わせないけれど、視界の中に理壱は映っている。その理壱が、すぅっと目を細めていた。
「だ、だ、だからさ!」
なにか、このまま突っ走ったら不味いような気配を感じる。第六感が警鐘を鳴らしているというべきか、小動物的本能が自制を求めているような。突き進んだこの先に道はなく、断崖絶壁に向けて夢鉄道の蒸気機関が唸りをあげている、そんな予兆。
「だから?」
理壱の声のトーンは普段と変わらない。だというのにその言葉が氷柱のような寒々しさで夢の耳に突き刺さった。
メーデー音がわんわんと夢の耳朶を打つ。視界がぐるぐる、思考がぐるぐる、心臓がぐるぐる、天地さえもぐるぐる回っているような錯覚。乙女ゲームで一発バッドエンドルート突入を引いた瞬間が、どうしてだか今、目の前に幻視する。
選択肢、大和夢は弱みを握った阿東理壱に対して……。
A.恋人になるように強請った。
──ちくしょう、なんで選択肢が一個しか出ない!?
「……あ、こ、こ、恋、あ、ちがっ、その……」
理壱が開閉する夢の口をじっと見つめる。視線が重さを持って鉛のように口へ入ってくるようだと夢は思った。だから舌がこんなにももつれる。だから口がこんなにも震える。
「……あ、あ、あの、だ、だ、だから、わ、わたしを……」
「……ペットにしてくれまひぇんか?」
理壱の眉が上がり、目が見開かれ、顎がかくんと落ちた。
裏返った夢の声。ペットのぺの部分に置かれた数オクターブ上がったアクセント、間の抜けた響き。
夢は両手の人差し指同士をつんつんとつき合わせて、「え、えひへっ」と媚びた笑いを浮かべた。
選択肢、大和夢は弱みを握った阿東理壱に対して……。
A.恋人になるように強請った。
B. ペットにしてもらうよう懇願した。
土壇場で現れた脳内選択肢に舵を切った夢の瞳に、下の選択肢が何故だか輝いて見えた。
体調を崩しました。
故にストックが尽きました。