※この作品はR-18です。

機動戦士ガンダムSEED ~転移者と共に~   作:よっちょれ

13 / 38
PHASE-04【サイレントラン】
第1章【漂流する墓標】


暗黒の宇宙空間に、無数の残骸が音もなく漂っていた。

つい先程まで、そこには確かに一つの世界が存在していた。

 

中立国オーブの資源コロニー、ヘリオポリス。

数多の命が息づき、人々が暮らし、笑い合い、何気ない日常を営んでいた巨大な人工の円筒は、今や見る影もなく完全に崩壊していた。

 

真っ二つにへし折れた巨大な外壁装甲。

ひしゃげたチタン合金の骨組み。

引きちぎられた居住区の隔壁からは、本来なら宇宙空間に晒されるはずのない生活空間の断面が剥き出しになっている。

 

千切れ飛んだ太陽電池パネルの破片が、遠く離れた太陽の光を鈍く反射しては、また漆黒の闇の中へと沈んでいく。

それらが、無重力の虚空をどこへ向かうともなく流れていく様は、まるで宇宙空間にばら撒かれた無数の墓標のようだった。

 

先程までの、耳を劈くような爆音。大地を揺るがす地鳴り。

鉄が軋み、崩れ落ちる断末魔の叫び。それら全てが、今は嘘のように消え去っていた。真空の宇宙では、音を伝えるための空気が存在しない。

だからこそ、この絶対的な静寂が、余計に事態の異常さと凄惨さを際立たせていた。

 

恐ろしいほどの無音。その静寂の海を切り裂くように、一機のモビルスーツが飛び出してきた。

地球連合軍が極秘裏に開発したG兵器の一つ。

長距離侵攻と大気圏突入を主眼に置いて設計された可変モビルスーツ、ゼータプラス。

 

その単座のコックピットの中で、ひでは険しい表情で操縦桿を握りしめていた。

彼にとって、宇宙空間という戦場は全くの未知の領域だった。

 

重力という絶対的な基準が存在しない世界。

上下左右の感覚が狂い、自分の位置を見失いそうになる。

足に伝わるはずの地面の感触はなく、ただシートに固定された身体だけが、機体の挙動に合わせて無骨なGを伝えてくる。

それでも、彼は探し出さなければならなかった。共に死線を潜り抜け、この無慈悲な戦場に巻き込まれてしまった十六歳の少年を。

 

「キラ!どこだ、応答しろ!」

 

ひでは、ヘルメットのインカムに向かって力の限り叫んだ。

 

しかし、返ってくるのは耳障りな砂嵐のようなノイズばかりだった。

何度呼びかけても、通信機は沈黙を保ったままだ。

コックピットの中に響くのは、自分自身の荒々しい息遣いと、機体を冷却するためのファンの駆動音、そして生命維持装置の規則的なビープ音だけ。

その単調な機械音が、ひでの焦燥感を否応なしに煽り立てる。

 

額から流れ落ちた冷や汗が、無重力空間で小さな水滴となって宙を舞った。

地球の重力下であれば、汗は顎を伝って真っ直ぐに落ちるだけだが、ここでは違う。宙に浮いた水滴がヘルメットのバイザーにぶつかり、じわっと広がる。

そんな些細な現象すらも、ここが自分の知る世界ではないことを冷酷に突きつけてくる。

 

『ひでさん!ひでさん、聞こえますか!』

 

その時、ノイズ混じりの通信の奥から、切羽詰まった女性の声が飛び込んできた。

アークエンジェルのブリッジから通信を送る、鹿島の声だった。

彼女と香取は、ひでと共にこの見知らぬ世界に転移してきた大切な仲間だ。今はアークエンジェルのブリッジクルーとして、ひでの戦闘を後方からサポートしてくれている。

 

「鹿島か!良かった、艦との通信はギリギリ繋がっているんだな。キラの反応はどうなっている!?あいつのストライクを見つけないと、こんなデブリの海じゃ長くは保たないぞ!」

 

ひでは、すがるような思いで鹿島に状況を尋ねた。

 

『申し訳ありません!艦の広域センサー網に、Nジャマーの強力な干渉を受けています!通常のレーダー波が完全に減衰されてしまって、広域探知が全く使い物になりません!』

 

鹿島の声には、焦りと悔しさが滲み出ていた。

ザフト軍が地球連合の核兵器を封じるために打ち込んだニュートロンジャマー。

それは核分裂を抑制するだけでなく、電波通信やレーダー網をも無効化する厄介な代物だった。

崩壊したコロニーの宙域でも、その影響は色濃く出ているらしい。

 

「クソッ!あのふざけたジャマーのせいか!だが、このままデブリの海を当てずっぽうに探すわけにはいかないぞ!酸素の残量だって無限じゃないんだ!」

 

ひでは、メインモニターに映し出される無数の残骸を睨みつけた。

視界を埋め尽くすほどの鉄屑。これだけの障害物がある中で、目視だけで一機のモビルスーツを見つけ出すのは、文字通り砂漠に落とした針を探すようなものだ。

 

「鹿島、お前のその『艦娘の勘』ってやつで、なんとかストライクの熱源を探れないか!?微弱な反応でもいい、推進剤の燃焼痕でも、冷却材の漏洩でもいい!何か手がかりが欲しい!」

 

ひでは、彼女たちが元いた世界で発揮していたという、艦船としての特異な索敵能力に望みを託した。

 

『やってみます……!光学センサーと赤外線探知を連動させて、デブリ群の熱源と識別を試みます。それから、質量探知機の感度を最大に引き上げて、周辺のデブリとは違う『異質な質量』を割り出します……!』

 

通信の向こうで、鹿島がコンソールのキーを猛烈な勢いで叩く音が聞こえてきた。

ひでは、彼女の高度な演算作業を邪魔しないよう、息を殺して結果を待った。

ゼータプラスのセンサーマストも全開にし、送られてくるデータとリンクさせる。

 

『……ありました!ひでさんの現在位置から、相対方位フタマル、距離サンマル!巨大な居住ブロックのデブリ群の陰に、微小ですがモビルスーツクラスの熱源反応を捉えました!質量データもGATシリーズのものと一致します!』

 

鹿島の弾んだ声がインカムに響く。

 

「でかした、鹿島!方位フタマル、距離サンマルだな。よし、すぐに向かう!」

 

ひでは、ゼータプラスのスラスターペダルを慎重に踏み込んだ。機体の各所に配置されたアポジモーターが火を吹き、ゼータプラスがデブリの合間を縫うように前進を開始する。

しかし、その動きは決して滑らかなものではなかった。

 

ゼータプラスは元々、大気圏内での超音速飛行や一撃離脱を想定してチューニングされた機体だ。

航空機としての空力特性を極限まで追求した結果、宇宙空間における細かな姿勢制御の操作性は極めてピーキーなものになっていた。

素人にはまともに真っ直ぐ飛ばすことすら難しく、少し気を抜けば機体が勝手にスピンしそうになる。

 

わずかに操縦桿を倒しただけで、機体は過敏に反応し、想定以上の角度で旋回してしまう。

メインスラスターの推力も強力すぎて、少しでも吹かしすぎれば、あっという間に眼前のデブリに激突する速度に達してしまう。

 

重力という抵抗がなく、空気抵抗もない宇宙空間では、一度ついた慣性は逆噴射で相殺しない限り永遠に止まらない。

自衛隊で大型車両の運転には慣れていたひでだったが、この三次元的かつ無重力の、氷の上を滑るような機動には大いに苦しめられていた。

 

「おっと……!こいつは本当にじゃじゃ馬だな。繊細すぎて、俺の指先が追いつかねえ!」

 

ひでは、操縦桿を握る手に力を込め、機体の姿勢を必死に制御しようとする。

右へ流れそうになる機体を左のアポジモーターで相殺し、機首が上がりそうになれば下方のバーニアを吹かす。

その度に、強烈なGがひでの身体をシートに押し付けた。

まるで、暴れ狂う荒馬の背中に跨って、細い手綱一本で御しているような感覚だった。

 

「速度を落としすぎれば捜索が遅れる……だが、出しすぎればあの鉄クズの塊に激突して宇宙の塵だ。……ふざけんな、俺はこんな所で死ぬわけにはいかないんだよ!キラだって、待ってるんだ!」

 

冷や汗が全身から噴き出し、パイロットスーツの内側を不快に濡らしていく。

視界の端を、巨大なコロニーの外壁の破片が猛スピードでかすめ飛んでいった。

ほんの数メートルの誤差が、即座に機体の損壊、そして死に直結する。

その極限のプレッシャーが、ひでの精神を激しく消耗させていた。

息が上がり、視界がわずかに狭窄し始める。

 

その時、耳元のインカムから、静かで落ち着いた女性の声が響いた。

 

『ひでさん、焦らないでください。呼吸が乱れていますよ。自衛隊で習ったはずです、まずはパニックを抑えるための深呼吸を。』

 

それは、香取の声だった。彼女の声には、不思議と人の心を落ち着かせる温かみと、教官としての威厳、そしてひでに対する深い愛情が含まれていた。

 

「香取……!悪い、ちょっとこの機体の機嫌を取るのに手間取っててな……!ピーキーすぎるんだよ、こいつの操作性は!」

 

ひでは、強がりながらも大きく息を吐き出した。

 

『無理もありません。ゼータプラスの基本OSは、まだ未完成な部分が多く、ましてや無重力下での空間戦闘データが極端に不足しています。パイロットへの負担が大きすぎます。機体の慣性制御と姿勢制御を、こちらからアークエンジェルの火器管制コンソールを経由して補助します。』

 

香取は、戦場とは思えないほど冷静な声でそう告げた。

 

『あなたは、進路の確保と周囲の警戒、そしてキラさんの発見に集中してください。細かいアポジモーターの点火タイミングや、スラスターの推力調整は、私と鹿島で引き受けます。』

 

「……並列アクセスでシステムをいじる気か!?戦闘宙域で、しかも移動中のモビルスーツのOSに外部から介入するなんて、正気の沙汰じゃないぞ!大丈夫なのか!?」

 

ひでは驚きの声を上げた。いくら彼女たちが優秀でも、離れた艦からモビルスーツのOSに介入し、リアルタイムで飛行制御を行うなど、常軌を逸した技術だ。

少しでもタイムラグがあれば、逆に機体は制御不能に陥る。

 

『問題ありません。私たちを誰だと思っているのですか?……鹿島、データリンクのバイパスを開いて。私がOSのパラメータをリアルタイムで書き換えます。ひでさんの操縦癖と、現在の環境データをすり合わせて最適化します。』

 

『了解しました、香取さん!アークエンジェルのメインフレームからゼータプラスへの接続、完了しました!ひでさん、機体の挙動が変わります、操縦桿の反発力(フォースフィードバック)に注意してください!』

 

鹿島の明るい声と共に、ゼータプラスのコンソールに新しいウィンドウが次々と開いていく。目にも留まらぬ速さで、何行ものコードが書き換えられ、機体のパラメータが最適化されていった。

すると、どうだろう。先程まで、ひでのわずかな操作に過敏に反応して暴れ馬のようだったゼータプラスが、嘘のようにピタリと安定したのだ。

 

操縦桿への入力に対して、機体がまるでひでの意図を正確に汲み取ったかのように、滑らかで無駄のない動きを見せる。

スラスターの噴射量も自動的に調整され、デブリを避けるための微細な動きが吸い付くように決まる。

 

「すげえ……!ガタつきが完全に収まった。これなら、俺の腕でも思い通りに動かせる!最高のサポートだ、お前ら!」

 

ひでは、信じられない思いで操縦桿を動かした。機体と自分が一体になったような、不思議な感覚だった。これなら、どんなデブリの隙間でも縫って飛べる。

 

『当然の責務ですよ、ひでさん。私たちはあなたの副官であり、あなたを支えるためにここにいるのですから。』

 

香取の声が、少し誇らしげに、そして嬉しそうに微笑んでいるように聞こえた。

 

『それより、前方フタマル・サンマル地点の熱源反応に変化があります。高密度の熱源を再確認。機体識別コードの照合……間違いない、『ストライク』のものです。ただ、機体からの自発的な推進波形はゼロ。完全に漂流状態です。』

 

香取の報告に、ひでの顔つきが再び引き締まった。

 

「了解だ。サポート感謝する、香取、鹿島。……キラ、今行くぞ!待ってろ!」

 

ひでは、ゼータプラスの推力を上げ、指定された座標へと一直線に向かった。

香取と鹿島の完璧なサポートのおかげで、もはやデブリの海は障害ではなくなっていた。

次々と迫り来るコロニーの残骸を、ゼータプラスは華麗な軌道を描いて回避していく。

 

やがて、巨大なコロニーの外壁の残骸が折り重なるように漂っている宙域に差し掛かった。

その陰に、微かな装甲の反射が見えた。

 

「……いた!あれだ!」

 

ひでの視線の先、巨大な鉄骨のデブリの陰に隠れるようにして、力なく漂流している純白の機体があった。

 

ストライクガンダム。

 

間違いない、キラの乗る機体だ。

しかし、その姿は痛々しかった。機体のあちこちには、戦闘の傷跡だけでなく、細かなデブリが衝突したと思われる無数の傷や凹みが刻まれている。

推進剤が尽きたのか、あるいはパイロットに動かす気力がないのか、ストライクは手足をだらりと投げ出し、まるで宇宙に浮かぶ巨大な死体のようにピクリとも動かなかった。

 

「キラ!無事か!おい、返事をしろ!」

 

ひでは、ゼータプラスをストライクに接近させながら、通信で何度も呼びかけた。しかし、やはり応答はない。

最悪の事態が、ひでの脳裏をよぎる。先程の戦闘で直撃を受けて、コックピットが破壊されているのではないか。

あるいは、生命維持装置がダウンして、酸素が尽きて窒息してしまったのではないか。

 

ひでは、祈るような気持ちでゼータプラスの腕を操作し、ストライクの肩の装甲にそっと触れさせた。

そして、マニピュレーターの先端に内蔵された有線通信用の端子を、ストライクの装甲に直接接触させる。

接触回線。

これなら、Nジャマーの電波妨害の影響を受けずに、物理的な振動を利用して直接通信ができるはずだ。

 

「頼む、生きていてくれ、繋がってくれ……!」

 

ひでが祈るようにつぶやくと、数秒の耳障りなノイズの後、サブモニターにストライクのコックピット内部の映像がパッと映し出された。

 

「……!」

 

そこに映っていたのは、最悪の事態(死)ではなかったが、決して安心できる状況でもなかった。

パイロットシートに座るキラは、ヘルメットの中で激しい過呼吸を起こしていた。

顔は血のの気を失って真っ青で、目は虚ろに見開かれたまま宙を泳いでいる。

両手は操縦桿を死に物狂いで握りしめたまま、ガタガタと小刻みに震え、まるで何かに怯えるようにシートの奥へと身体を押し付けていた。

 

無理もない。彼は、昨日まで平和なコロニーで暮らしていた、ただの学生だったのだ。

それが突然、戦争という理不尽な暴力に巻き込まれ、見知らぬ軍事機密のモビルスーツに乗せられた。

そして、かつての無二の親友であるアスラン・ザラとの、戦場での絶望的な再会。

 

さらに、自分が生き残るため、そして友人たちを守るために、自らの手でザフトの兵士を殺めてしまったという取り返しのつかないトラウマ。

それらのあまりにも重すぎる現実の連鎖が、十六歳の少年の精神を限界まで追い詰め、完全に破壊する寸前まで痛めつけていたのだ。

 

「……っ、はぁっ、はぁっ……僕、僕は……!僕が……殺した……!ああっ……!」

 

モニター越しのキラの口から、うわ言のような、悲鳴のような言葉が漏れ聞こえてくる。

その声は震え、恐怖と絶望、そして自己嫌悪に満ちていた。

 

ひでは、そんなキラの姿を見て、奥歯を強く噛み締めた。

自分が自衛隊にいた頃にも、似たような光景を見たことがあった。厳しい夜間行軍や、極限のストレス下での訓練の中でパニックを起こし、過呼吸になって動けなくなる若い新兵たち。

彼らに今必要なのは、優しい慰めや「可哀想に」という同情ではない。

今ここにある現実を無理やりにでも直視させ、生きるための具体的な行動を示してやる、強くて確かな「大人の声」だ。

 

「キラ!俺の声を聞け!」

 

ひでは、自衛隊時代にパニックに陥った部下を怒鳴りつける時に使っていた、低く、腹の底から響くような大人の声で呼びかけた。

その声は、接触回線を通じて、ストライクのコックピット内に鋭く響き渡ったはずだ。

 

「……あっ、ひで……さん……?あ……ああ……」

 

ビクッと肩を震わせたキラが、虚ろな目をわずかにモニターの方へ向けた。

まだ焦点は合っておらず、涙で視界が滲んでいるようだが、声は確かに届いている。

 

「そうだ、俺だ。ひでだ。いいか、キラ。まずは息を吐け。吸うな、吐き切れ。ゆっくりだ。自分のお腹が凹むのを意識しろ。」

 

ひでは、自分自身も大きく、大げさなほどに深呼吸をして見せながら、キラに呼吸のペースを合わせるように明確に指示した。

過呼吸の時は、息を吸おうとするから余計に血中の酸素バランスが崩れて苦しくなる。

まずは体の中の空気を全て吐き出させることが最優先なのだ。

 

「はぁ……はぁ……ふぅぅぅ……」

 

キラは、ひでの有無を言わさぬ指示に従うように、震える唇から少しずつ息を吐き出し始めた。

何度かそれを繰り返すうちに、異常な過呼吸の波が少しずつ収まり、肩の上下動が落ち着いていくのがわかった。

 

「そうだ、それでいい。よく聞け、キラ。」

 

ひでは、キラの目がしっかりとモニターの自分を捉えたことを確認すると、力強く、しかしどこまでも穏やかな声で語りかけた。

 

「しっかり食って、しっかり寝る。それが生き残るための、そして正気でいるための唯一の秘訣だ。」

 

それは、ひでが常に心に留めている、彼自身の泥臭いモットーだった。

どんなに過酷な状況でも、どんなに絶望的な現実が突きつけられても、人間が生きていくためには基本的な欲求を満たすしかない。

腹が減っては戦えないし、寝不足では判断を誤って死ぬ。極限状態の中で人間が人間であり続けるための、最低限で、最大の真理だった。

 

「今は何も考えなくていい。自分が何をしたのか、相手が誰だったのか、これからどうなるのか。そんな高尚な悩みは、全部後回しだ。安全なベッドで寝転がってから考えろ。いいか、お前は生き延びた。俺も生きてる。それで十分だ。」

 

ひでの声には、全てを包み込むような大人の余裕と、確かな説得力があった。

それは、きれいごとではない、様々な不条理にまみれた現実を大人の男として生き抜いてきた者だけが持つ、重みのある言葉だった。

 

「ひで……さん……僕……僕は……人を……」

 

キラの瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。

張り詰めていた緊張の糸が完全に切れ、抑え込んでいた感情が決壊したのだ。

彼はヘルメットの中で、子供のように声を上げて泣き始めた。

 

「泣きたいだけ泣け。涙と一緒に、全部吐き出せ。……だが、帰るぞ、坊主。アークエンジェルで、みんながお前を待ってる。」

 

ひでは、そう言って優しく微笑んだ。

そして、ゼータプラスの腕を操作し、ストライクの胴体をしっかりと抱きかかえるように固定した。

推進剤の尽きたストライクを、ゼータプラスの推力で引っ張っていくのだ。

曳航の準備は整った。

 

「香取、鹿島。迷子を確保した。これよりアークエンジェルへ帰還する。帰還ルートのクリアリングと、周辺宙域の索敵を頼む。」

 

ひでは、ブリッジの二人に通信を入れた。

 

『了解しました、ひでさん。本当にお疲れ様です。キラさんも、無事でよかった……。』

 

香取の声が、先程までの張り詰めたオペレーターの声から、安堵に満ちた柔らかい女性の声に変わっていた。

 

『逆探知を警戒しつつ、パッシブ・ソナーの感度を最大に設定します。索敵モードを音響と熱紋探知に絞り、微細なデブリの衝突音や、ザフト軍の接近の兆候を一つも逃しませんわ。ひでさんは、キラさんを連れて安心してお戻りください。』

 

鹿島の頼もしい声が、通信機越しに響く。

彼女たちのサポートがあれば、どんな暗闇でも道に迷うことはない。

ひでは、二人の存在に改めて深く感謝した。

彼女たちがいてくれなければ、このピーキーな機体を操り、ここまで辿り着くことすらできなかっただろう。

 

「頼りにしてるぜ、お前ら。……さあ、帰ろう。」

 

ひでは、崩壊したコロニーの欠片が漂う、果てしなく暗く、静寂に包まれた宇宙を、ストライクという重い、しかし決して手放してはいけない命の荷物を抱えながらゆっくりと進み始めた。

 

 

 

 

暗黒の宇宙空間。音のない世界を、二機のモビルスーツが寄り添うように進んでいく。

推力を失い、ただの巨大な質量兵器と化した純白のストライクガンダム。

その巨体を、灰色の航空機のようなシルエットを持つゼータプラスが抱え込むようにして曳航していた。

 

ゼータプラスのコックピットで、ひでは油断なく周囲のデブリ群に視線を走らせていた。

メインモニターには、かつてヘリオポリスという一つの世界を形成していた鉄やガラスの破片が、無数に映し出されている。

 

「キラ、気分はどうだ。過呼吸は完全に収まったか?」

 

ひでは、接触回線を通じて隣の機体に語りかけた。

その声は、戦闘の緊張感を感じさせない、どこまでも平坦で落ち着いた大人のトーンを保っていた。

 

『……はい。なんとか、息は普通にできます。でも……まだ、手が震えて……』

 

モニター越しのキラの顔色は相変わらず青白かったが、先程のような狂乱状態からは脱していた。

ただ、操縦桿を握る両手は、コックピットの微振動とは別の次元で小刻みに震え続けている。

人を殺めた感触、そしてかつての親友と殺し合いを演じた恐怖が、彼の神経に深く刻み込まれてしまった証左だった。

 

「無理に震えを止める必要はない。お前はまともな人間だ。人を殺して平気な顔をしている奴の方が、どうかしてるんだよ。その震えは、お前が人間である証だと思っておけ」

 

ひでは、かつて自衛隊で訓練中に事故を起こし、極限の恐怖を味わった後輩にかけた言葉を思い出しながら、キラを静かに諭した。

 

『ひでさんは……怖くないんですか……?』

 

キラの弱々しい問いかけに、ひでは自重気味に鼻で笑った。

 

「怖いさ。当たり前だろうが。俺だって、つい数日前までは地球の重力の下で、ノルマに怯えてただけのただの人間だ。宇宙なんて来たこともなかったし、こんな鉄の化け物を動かしたこともない。今だって、ちょっと操作を誤ればこのデブリに激突して木っ端微塵だ。怖くないわけがない」

 

ひでの飾らない本音に、キラはわずかに目を見開いた。

いつも冷静で、大人としての強さを見せているひでが、自分と同じように恐怖を抱いているという事実が、逆にキラの心を少しだけ軽くしたのだ。

 

「だがな、坊主。怖いからといって立ち止まれば死ぬのが、この戦場ってやつだ。だから俺は、どうにかして生き残る方法だけを考えるようにしている。しっかり食って、しっかり寝る。そして、次の一瞬をどう生き延びるか。それだけだ」

 

ひでの言葉には、泥臭い現実を生き抜いてきた男の重みがあった。

 

『……はい。』

 

キラの返事にわずかな力が戻ったことを確認し、ひでは小さく頷いた。

 

『ひでさん。ストライクの現在位置、および本艦までの帰還ルートのクリアリング、順調です』

 

その時、ブリッジの香取から、涼やかな声で通信が入った。

Nジャマーの干渉下でも、データリンクのバイパスを通じて、彼女と鹿島はゼータプラスのシステムに並列アクセスを維持している。

 

「助かる、香取。このまま指定のルートでアークエンジェルへ戻る。周辺の熱源に変化はないか?」

 

『現在のところ、ザフトのモビルスーツ部隊の接近を示す特異な熱源反応は確認できません。ただし、デブリの密度が高くなっています。ゼータプラスの姿勢制御補助の出力を一段階上げます。操縦桿が少し重くなりますが、そのまま進んでください』

 

「了解だ。細かいスラスターの調整はお前たちに任せる。鹿島、索敵の方はどうだ?」

 

『はい!パッシブ・ソナーと質量探知機の感度を最大にして警戒を続けています!微小なデブリの衝突音は無数に拾っていますが、エンジン音などの人工的なノイズは……あっ!』

 

不意に、鹿島の声が鋭く跳ね上がった。

 

「どうした、鹿島!」

 

『微弱ですが、規則的な電波信号をキャッチしました!これは……救難信号(ビーコン)です!』

 

「救難信号だと!?」

 

ひでは眉をひそめた。この崩壊したコロニーの残骸の中で、まだ生きている人間がいるというのか。

 

『はい!Nジャマーの影響で著しく減衰していますが、至近距離からの発信です。ストライクのセンサーなら、位置を特定できるはず……!』

 

鹿島の報告とほぼ同時に、キラからも切羽詰まった声が届いた。

 

『ひでさん!ストライクのサブセンサーにも反応がありました!あそこです、右前方の巨大なシャフトの残骸の奥……!』

 

キラがモニター上でポイントした座標を、ひではすぐさま確認した。

ゼータプラスのメインカメラを望遠に切り替え、光学ズームでその暗がりを拡大する。

そこには、デブリの合間に引っかかるようにして漂う、一隻の小さなカプセルがあった。

 

「あれは……救命艇(ライフポッド)か」

 

『民間用のライフポッドです!ヘリオポリスから脱出しそびれた人たちが、乗っているかもしれません!』

 

キラの声に、切実な響きが混じる。

自分が守れなかったコロニーの住民。その生き残りがいるかもしれないという希望が、彼の顔にわずかな血の気を戻していた。

 

「……生存者がいるかもしれねえな。よし、回収するぞ」

 

ひでは即座に決断を下した。戦場において、民間人の保護は絶対の原則だ。

ましてや、それがキラの知る人々である可能性もある。

 

ひではゼータプラスのスラスターを微細に吹かし、ストライクを曳航したまま、慎重にポッドが漂う宙域へと機体を寄せた。

 

「香取、鹿島。民間用のライフポッドを発見した。これより回収作業に移る。周囲の警戒を厳重に頼む」

 

『了解しました。ですがひでさん、その宙域は先程の爆発の中心に近く、コロニーの外壁だけでなく、居住区の隔壁が激しく損壊したエリアです。十分に注意してください』

 

香取の声に、どこか危惧を含んだような冷たさが混じった。

彼女の冷静な分析力が、これから目にするであろう光景の凄惨さを予期していたのかもしれない。

 

二機のモビルスーツは、巨大な鉄骨やソーラーパネルの残骸を掻き分けながら、ポッドへと接近していく。

ライフポッドの黄色い装甲には無数の傷がついていたが、外殻が破れている様子はない。

かすかに点滅するビーコンの光が、中での生命活動の維持を示しているようだった。

 

『よかった……!ポッドは無事みたいです!今、回収のプログラムを……』

 

キラが安堵の声を上げ、ストライクのマニピュレーターを動かそうとしたその時だった。

 

「……なっ……」

 

ひでの視界に、信じがたい光景が飛び込んできた。

ポッドの周囲。

巨大な隔壁の残骸の陰に、無数の小さな「ゴミ」のようなものが漂っていた。

 

いや、違う。それはゴミではない。

光学カメラがその姿を克明に映し出した瞬間、ひでは無意識のうちに息を呑み、奥歯を強く噛み締めた。

 

それは、人間の遺体だった。

 

コロニーの崩壊に巻き込まれ、宇宙空間という絶対零度と真空の地獄へ放り出された民間人たち。

彼らはノーマルスーツすら着る間もなく、普段着のまま、ある者は身体を不自然にねじ曲げ、ある者は苦悶の表情を浮かべたまま、完全に凍りつき、ピクリとも動かずに漂っていた。

 

気圧差によって眼球や血管が破裂し、凍りついた血液が赤い結晶となって周囲を舞っている。

子供を抱きしめるように腕を回したまま事切れている母親。

互いに手を伸ばし合ったまま、届かずに凍死した若い男女。

それらが、何十体、何百体という規模で、音のない宇宙空間を静かに流れていた。

 

それは、映画やゲームの作り物の映像ではない。

本物の戦争がもたらした、圧倒的で凄惨な死の現実だった。

 

ひでは自衛隊時代、災害派遣でいくつもの遺体を見てきた経験がある。

しかし、これほどまでに無慈悲で、圧倒的な暴力によって一瞬にして命を奪われた群衆の死体を目の当たりにするのは初めてだった。

 

胃の腑から吐き気が込み上げてくるのを、ひでは強靭な精神力で無理やり抑え込んだ。

 

(……見せるな)

 

ひでの脳裏に、一つの強烈な直感が閃いた。

 

過呼吸からようやく立ち直ったばかりのキラ。

彼に、この光景を見せてはならない。

 

自分が守りたかった人々の無残な死体。

それも、自分が先程まで戦っていたコロニー崩壊の直接的な結果を見せつけられれば、十六歳の少年の精神は今度こそ完全に崩壊してしまう。

 

「……香取!ゼータプラスのスラスターを一気に吹かせ!前へ出る!」

 

ひでは叫ぶと同時に、操縦桿を乱暴に前に倒し、スラスターのペダルを強く踏み込んだ。

 

『えっ……ひでさん!?』

 

香取の驚く声と共に、ゼータプラスの背部バーニアが青白い炎を噴き上げる。

ゼータプラスは、ストライクの曳航索を強引に引き剥がすようにして急加速し、ストライクとライフポッド、そしてその背後に広がる「死体の海」の間に、機体を滑り込ませた。

灰色の巨大なモビルスーツの背中が、キラのメインモニターの視界を完全に覆い隠す。

 

『ひでさん……?どうしたんですか?急に前に出て……』

 

キラの戸惑う声が接触回線を通じて響く。

視界を遮られたキラには、あの凄惨な光景は見えていないはずだ。

 

「……いや、デカいデブリがぶつかりそうだっただけだ。危うくストライクの装甲が持っていかれるところだった」

 

ひでは、声の震えを悟られないよう、極めて冷静を装って嘘をついた。

額からは脂汗が吹き出し、コックピット内の空気すら生臭く感じられるような錯覚に陥っていたが、大人の男としての意地が、その動揺を隠し通させた。

 

『そうだったんですか……すみません、僕がボーッとしていて』

 

「気にするな。それより、ポッドはお前が抱えろ。俺が前を飛んで露払いをする。デブリの密度が上がってきた。後続はお前に任せるぞ」

 

「了解しました。ポッドの固定、完了しました」

 

ストライクがライフポッドを大事そうに両腕で抱え込むのを、サブモニターで確認する。

 

「よし、アークエンジェルへ帰還する。香取、鹿島、ルートの再設定を頼む。少し大回りになってもいい、デブリの密集地帯を避けるルートだ」

 

『……了解しました、ひでさん。迂回ルートの演算、完了しました。ナビゲーションデータを転送します』

 

香取の声が、先程よりもわずかに沈んで聞こえた。彼女たちも艦のセンサーを通じて、あの悲惨な光景を認識したのだろう。

それでも、プロのオペレーターとして、彼女たちは一切の感情を交えずに任務を遂行してくれた。

 

ゼータプラスを先頭に、ストライクが後に続く。

ひでは、眼前に漂う遺体の群れにゼータプラスの装甲が触れないよう、極めて繊細な操作で機体を動かし続けた。

 

彼らの尊厳を、これ以上傷つけるわけにはいかない。

誰に祈るわけでもなく、ひではただ無言で操縦桿を握り締めた。

 

これが戦争だ。

これが、彼らが放り込まれた狂った世界の現実だ。

 

この理不尽な死の蔓延る宇宙で、後方にいる少年を、そして帰るべき場所で待つ女たちを、自分は守り抜くことができるのか。

自衛官としての知識と、このピーキーなモビルスーツ、そして香取や鹿島という仲間たちの力。

それら全てを総動員して、生き残るしかない。

 

巨大な墓標となったコロニーの残骸の海を、二機のモビルスーツは、ただ静かに、アークエンジェルという名の箱船を目指して進み続けた。

 

背後に広がる死の静寂を、ひでは一人で抱え込みながら。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。