※この作品はR-18です。

機動戦士ガンダムSEED ~転移者と共に~   作:よっちょれ

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第4章【破られた静寂】

漆黒の虚空に無数の金属片が巨大な墓標の群れのように声もなくあてどなく漂流している。

かつて数十万人もの人々が平和な日常を営み地球連合とプラントの狭間で中立を保っていたはずの巨大な人工の円筒は今や無残にへし折れていた。

 

その無残に裂けた腹からは歪んだ鉄骨や居住区画の残骸あるいは千切れた配線ケーブルがとめどなく大量に宇宙空間へと吐き出されている。

かつては緑豊かな公園や人々が笑い合う美しい市街地であった場所も今は無機質な真空の海に浮かぶただのゴミ屑へと成り果てていた。

崩壊した資源コロニーであるヘリオポリスの残骸は重力と慣性の絶対的な法則に従いながら不規則な軌道を描いて互いに衝突を繰り返している。

 

音を伝える媒質が存在しない真空の世界ではどれほど巨大な質量が激突しようともひっそりと冷たい火花が散っては暗闇の中へと吸い込まれて消えていくだけであった。

あらゆる光すらも容易に呑み込むような暗黒の死の海の外縁に息を潜めるようにして停泊している一隻の緑色の宇宙戦艦があった。

 

ザフト軍が誇る最新鋭のローラシア級戦艦ヴェサリウスである。

 

流線型の優美なフォルムを持つその艦は今は獲物を狙う深海魚のように一切の熱源を絞り冷酷な沈黙を保ちながら闇に完全に溶け込んでいた。

ヴェサリウスの艦橋は重苦しくそして息の詰まるような鉄の匂いと張り詰めた空気に完全に支配されていた。

 

ニュートロンジャマーの強力な干渉により現代の宇宙戦における最大の要である電波探知レーダーは完全にその機能を喪失しモニターにはただ意味のない砂嵐が虚しく映し出されている。

あらゆる通信波は遮断され有視界に等しい近距離でなければ味方との連携すらも困難なまさに暗黒時代の海戦のような状況を強いられていた。

 

頼みの綱である熱源探知や高精度の光学センサーもまたヘリオポリスという超巨大な質量が爆散した直後の凄まじい余熱と空間をびっしりと満たす細かい粉塵や有毒ガスに阻まれ著しくその精度を落としていた。

 

オペレーターたちの指先がコンソールのキーボードの上をせわしなく叩き何とか有益なデータを引き出そうと必死に試みている。

しかしメインモニターに返ってくるのは絶望的なまでに無機質なノイズの波ばかりであった。

 

「艦長、依然として目標の熱源反応は捕捉できません」

 

張り詰めた空気の中を切り裂くように響いたオペレーターの報告の声には歴戦の兵士らしからぬ隠しきれない焦燥と苛立ちが深く滲んでいた。

 

「厄介なことになったな」

 

フレデリック・アデス艦長は深く腕を組みながら険しい表情でメインモニターに映し出される無限のデブリの海を睨みつけた。

彼らが血眼になって追っている獲物は地球連合軍が極秘裏に開発していた新型の強襲機動特装艦である。

ヘリオポリスで奪取に失敗したストライクと呼ばれる機体と得体の知れない可変型のモビルスーツを積み込みこの死の海へ逃げ込んだ足の長い戦艦だ。

 

「あのような巨大な質量が密集した場所でこれほど完全に気配を消されるとはな」

 

アデスは忌々しげに舌打ちをしてさらに言葉を続けた。

 

「地球軍の新型艦のステルス性能が我々の予想を遥かに超えているのか、あるいはただ単に運が良いだけなのか」

 

「いや、そう遠くへは逃げておらんよ」

 

アデスの焦りを含んだ独り言に静かでしかし絶対的な自信を湛えた冷酷な声が背後から応えた。

 

「隊長」

 

艦長席の背後にある薄暗い通路からゆっくりと歩み出てきたのは白い軍服に身を包み顔の半分を特徴的な銀色の仮面で覆った男だった。

ザフト軍の精鋭部隊を率いる冷徹なる指揮官ラウ・ル・クルーゼである。

彼の口元には獲物を確実に追い詰める捕食者のようなひどく残酷でそして楽しげな笑みが浮かんでいた。

 

「足の長い戦艦だ、まだ遠くへは逃げておらん」

 

クルーゼは優雅な足取りで艦橋の窓際へと歩み寄り冷たい宇宙の闇を仮面の奥の双眸で見下ろした。

 

「あのデブリの海で傷ついた獣のように息を潜めて嵐が過ぎ去るのを待っているはずだ。彼らとてこの視界ゼロの暗闇の中を猛スピードで突き進むような無謀な真似はできまい」

 

「しかし隊長、この広大なデブリ帯の中から完全に熱源を絶った艦を見つけ出すのは我々の現在の索敵能力では至難の業です」

 

アデスはモニターから目を離さずにクルーゼに向かって懸念を口にした。

 

「下手に動いてこちらの熱源を晒せば、逆に敵に我々の位置を教えることになりかねません」

 

「ネズミを穴から引きずり出すには相応の強烈な刺激が必要だろう」

 

クルーゼは肩越しにアデスを振り返り一切の感情を交えずに淡々と言い放った。

 

「手当たり次第にデブリを撃て、あぶり出しだ」

 

その言葉の裏にあるあまりにも直接的で暴力的な意図に歴戦の将校であるアデスでさえ僅かに息を呑み言葉を失った。

精密な索敵という戦術の基本を捨て物理的な圧倒的破壊によって敵をパニックに陥れその位置を強制的に特定させる。

極めて効率的ではあるが同時に極めて強引で容赦のない残虐な戦術であった。

 

「モビルスーツ隊を出す、私が直接指揮を執ろう」

 

「お待ちください隊長、敵の新型機ストライクの性能は未だ未知数です」

 

アデスは慌ててクルーゼの背中に声をかけその無謀とも思える出撃を制止しようとした。

 

「我々のジンを容易く屠ったあの機体のポテンシャルは計り知れません。それにあの得体の知れない可変機、ゼータプラスと呼称される機体も侮れません」

 

「だからこそ、だ。アデス」

 

クルーゼは立ち止まり仮面の奥の瞳を細めて氷のような視線をアデスに向けた。

 

「ヘリオポリスで見せたあの異常な機動、ただのナチュラルに扱える代物ではない。そして我が軍の誇るミゲルを沈めたあの力、私の手で直々に確かめておきたいのだよ」

 

クルーゼは踵を返し迷いのない確固たる足取りで自機の待つ格納庫へと向かった。

ヴェサリウスの広大な格納庫では出撃準備を完全に終えた緑色の汎用量産型モビルスーツであるジンたちが鈍い金属光沢を放ちながら整然と列をなしていた。

その先頭に立つのはクルーゼの専用機である指揮官用モビルスーツのCGUEシグーである。

 

ジンを遥かに凌駕する銀色に輝く重装甲と機動性を極限まで高めるために背部に備えられた巨大なスラスター群がその機体の圧倒的な高性能さを雄弁に物語っている。

クルーゼは無重力空間を軽やかに蹴り開かれたシグーの胸部ハッチからコックピットへと滑り込んだ。

身体を包み込むようなシートに深く体を沈めヘルメットのバイザーを下ろす。

 

「ラウ・ル・クルーゼ、シグー、出るぞ」

 

ヴェサリウスのカタパルトから電磁推進の強烈な閃光と共に銀色の機体が漆黒の宇宙空間へ向けて弾き出された。

それに続くように数機のジンが次々とカタパルトを飛び出し隊長の後に続く。

 

「各機、目標はあの巨大なデブリ帯だ」

 

クルーゼの冷徹な声がジン部隊のパイロットたちのインカムに響き渡る。

 

「敵艦は間違いなくあの暗がりで息を潜めて怯えている。ネズミを穴から引きずり出すのだ」

 

「了解しました!」

 

「手当たり次第にデブリを撃て。隠れる場所を物理的になくしてやれ」

 

ザフトのモビルスーツ部隊は背部のスラスターから青白い光芒を長く引きながら巨大な墓標の群れへと容赦なく突入していった。

デブリ帯の内部は外から見る以上に絶望的で混沌とした空間だった。

大小様々なコロニーの残骸が音もなく不規則に回転し時折衝突しては新たな破片を生み出し進路を阻む。

 

クルーゼはシグーのメインカメラを切り替え強力なサーチライトを点灯させた。

強烈な光の筋が漆黒の空間を鋭く切り裂き赤茶けた鉄骨や外壁の破片あるいは千切れた配線ケーブルを次々と不気味に照らし出す。

 

「さあ、どこに隠れている、地球軍。怯えて震えるがいい」

 

クルーゼはシグーの右腕に懸架された専用武装である重突撃機銃を構え一切の躊躇いなく引き金を引き絞った。

音のない宇宙空間で銃口から激しいマズルフラッシュが連続して明滅し強烈な光を放つ。

放たれた大口径の徹甲弾が目前を漂っていた巨大な居住ブロックの残骸に正確に直撃した。

 

爆発音は一切聞こえないが残骸が閃光と共に粉々に砕け散りさらに細かな無数のデブリとなって四方八方へ散弾のように飛び散る光景だけが無声映画のように不気味に展開された。

 

「撃て、休むな、徹底的にあぶり出せ。この海を光で埋め尽くせ」

 

クルーゼの非情な号令に応じジン部隊も一斉に機銃を掃射し始めた。

無数の曳光弾がデブリの海を縦横無尽に切り裂き次々と残骸を粉砕していく。

手当たり次第に行われる狂気に満ちた破壊の嵐。

それは索敵という戦術的な概念から完全にかけ離れた暴力による徹底的な絨毯爆撃であった。

 

暗闇の岩礁地帯に潜む獲物を恐怖と物理的な破壊によって無理やり引きずり出そうとする残酷極まりない狩りの始まりである。

砕け散ったデブリの破片が新たな散弾となって周囲の空間をびっしりと埋め尽くしていく。

そしてその破壊の余波として生じた無数の流れ弾の一部が暗闇の奥深くで息を潜めていた白く巨大な艦影の分厚い装甲を音もなくしかし確実に火花を散らして掠め打った。

 

一方その頃サイレントランを続けるアークエンジェルの艦内は生命活動の全てを意図的に停止させたかのような死んだような静寂と凍てつくような冷気に完全に支配されていた。

敵の熱源探知を逃れるためメインエンジンからの出力は完全に絶たれ空気の循環すらも生命維持に最低限必要なレベルにまで極限まで絞り込まれている。

 

非常灯の不気味な赤い光だけが点滅する薄暗い通路には誰一人として歩く者の姿はなくまるで幽霊船のような有り様であった。

乗組員たちは自分の僅かな呼吸音すらも敵のセンサーに感知されるのではないかという強迫観念に囚われただじっと暗闇の中で息を潜めていた。

 

いつ敵の凶弾がこの分厚い装甲を貫き全員が宇宙の塵となるか分からないという極限の恐怖が彼らの精神をじわじわと削り取っているのだ。

そんな息が詰まりそうな暗黒の密室の中でひでは割り当てられた予備士官用の狭小な個室の冷え切ったベッドの上に力なく横たわっていた。

 

彼の腕の中には先ほどまで激しく求め合い互いの生の証明を身体に刻み込んだ香取の白く柔らかな肢体がすっぽりと収まっている。

極限の恐怖と重圧を一時的に忘れさせてくれた彼女の温かい体温がひでの冷え切っていた全身の細胞に深く染み渡るように心地よかった。

互いの汗が混じり合い冷え切っていたはずのシーツは二人の体温で泥濘のように濡れそぼり甘く濃密な匂いを放っている。

 

香取もまたひでの広い胸板に顔を深く埋め陶然とした表情のまま安堵したような規則正しい寝息を静かに立て始めている。

死と隣り合わせの無慈悲な宇宙空間で互いの存在を極限まで確かめ合ったこの時間は狂気に満ちたこの世界で唯一の逃げ場のない真実であった。

 

ひでは彼女の汗ばんだ艶やかな黒髪を優しく撫でながらこのささやかな平穏が少しでも長く続くことを祈るように暗い天井を見つめた。

彼女の滑らかな肌から伝わる確かな熱動が自分がまだ生きているのだという事実を何よりも雄弁に物語ってくれている。

 

しかし残酷な現実はこの傷ついた戦士たちに少しの休息すら許してはくれなかった。

突如ひでの脳内を直接揺さぶるように鹿島の緊迫しきった声がインカムを通じて響き渡ったのだ。

 

事後の強烈な余韻に浸る間もなく強引に現実へと引き戻されたひでは反射的にベッドの上で半身を起こした。

隣で微睡んでいた香取も異常事態を知らせる尋常ではない声の響きに小さく身じろぎし一瞬で目を開く。

 

『香取姉さん、いつまでもひでさんの腕の中で余韻に浸ってないで早く戻ってきてください』

 

鹿島の声が緊迫した状況下でありながらもどこか呆れたようなからかうような抗議の響きを帯びてひでと香取の脳内に直接響き渡った。

 

「っ……!?か、鹿島!?あ、あなたまさか、ずっと感覚が繋がったままだったの……!?」

 

香取は弾かれたように跳ね起きると真っ白な肢体を慌ててシーツで隠し隠しきれない動揺を露わにして裏返った声を上げた。

普段の冷静沈着な教官としての姿からは想像もつかないほどその白い頬は瞬時に首筋や耳まで真っ赤に染まり羞恥のあまり目には涙すら浮かんでいる。

 

『当たり前じゃないですか!艦の索敵を維持するのに姉さんとのリンクを切れるわけないでしょ!』

 

「で、でも、私……そういう極端な刺激は伝わらないように、あなたとの感覚リンクは制限していたつもりだったのに……っ!」

 

香取は震える声で必死に弁解しようとしたが鹿島からの容赦ない追撃が彼女の羞恥心をさらにえぐった。

 

『全然制限できてないですよ!ひでさんの熱い息遣いとか、姉さんのあんな甘い声とか、体の奥が熱くなる感じとか、もう頭の中にダダ漏れで!』

 

鹿島の言葉に香取は「ひゃあっ!?」と小さく可愛い悲鳴を上げた。

 

『同期してるこっちまでなんだか変な感覚になっちゃって、すっごく恥ずかしいんですけど!とにかく早く服着てくださいっ!』

 

「あああ……なんてこと……。丸聞こえ、全部丸聞こえだったなんて……」

 

香取は両手で真っ赤な顔を覆って恥ずかしさのあまりベッドの上で丸く縮こまった。

 

「姉としての威厳が、私の威厳がぁ……っ」

 

「……お前ら、こんな状況で漫才やってる場合か」

 

ひでは苦笑しながら暗闇の中でノーマルスーツを掴みベッドの上に座ったまま素早く袖を通した。

香取はひでの声にハッとして慌てて顔を上げるとまだ涙目で潤んでいる瞳で彼を恨めしそうに睨みつけた。

 

「ひ、ひでさんがいけないんですよ!あんなに執拗に……っ、私を……っ!鹿島に全部聞かれてたじゃないですかぁ!」

 

「俺のせいにするな。お前が熱が欲しいってすがりついてきたんだろうが」

 

ひでが意地悪く笑うと香取はさらに「うぅぅ……」と顔を赤くしてプイッとそっぽを向いた。

しかしその手はすでに乱れた軍服を掴み無言でしかし洗練された無駄のない動作で素早く着込み始めている。

恥じらいを見せながらもその瞳からは先ほどまでの女としての甘い熱情は即座に消え去り再び冷徹で計算高い士官としての鋭い光が戻りつつあった。

 

『二人ともいちゃついてる場合じゃありません!敵は手当たり次第に周囲のデブリを破壊して本艦を強引にあぶり出そうとしています!』

 

鹿島の声には再び隠しきれない焦りが混じっていた。

 

『先ほど本艦の第三装甲付近を流れ弾が掠めました!このままでは直撃弾を浴びるか回避行動をとって敵のセンサー圏内に発見されるのも時間の問題です!』

 

「クソッ、向こうの指揮官は随分と気が短くて乱暴な野郎らしいな」

 

ひでは舌打ちをしながらベッドの傍らのヘルメットを手に取った。

香取はすでに立ち上がり乱れた軍服を完全に整え終えていた。

彼女の表情にはもはや一欠片の恐怖もなくただアークエンジェルの目としての使命感だけが燃えている。

 

「香取、お前は急いでブリッジへ戻れ。鹿島を助けてこの艦が敵の包囲網から逃げ切れる最適なルートを算出してくれ」

 

「了解しました。ひでさん……どうかご武運を」

 

香取は短く答えひでの瞳を真っ直ぐに見つめ返した。

その視線には彼への絶対的な信頼と生きて帰ってきてほしいという切切たる願いが込められていた。

ひでは小さく頷き先に部屋を飛び出していく香取の背中を見送った。

 

残された部屋は無音のまま極度の緊張状態に包まれ空気の重さが倍増したかのように感じられる。

サイレントランの最中であるため敵に察知されるリスクのある警報のサイレンすら鳴らすことができないのだ。

ここで座って待っていても装甲を撃ち抜かれて死を待つだけである。

その絶対的な危機感が休息状態にあった彼の全身の筋肉を戦いに向けて一瞬で再起動させた。

ひでは跳ね起き、すぐさまゼータプラスの格納庫へと向かって走り出した。

 

 

 

暗黒の密室の中でキラ・ヤマトは薄暗い食堂の片隅に一人力なく座り込んでいた。

 

彼の耳の奥にはいまだにヘリオポリスが崩壊していく際の鼓膜を劈くような凄まじい爆音と逃げ惑う人々の絶望的な悲鳴がこびりついて離れない。

冷たい金属のテーブルの上に置かれた彼自身の両手はまるで彼のものではないように不自然に小刻みに震え続けていた。

 

その手のひらにはたった今彼自身が永遠に奪い去ってしまったザフト軍パイロットであるミゲルの命の重みがべっとりとこびりついているように感じられた。

ビームサーベルが敵機の装甲をドロドロに溶かしコックピットにいる人間ごと一瞬にして焼き尽くしたあの生々しい感触と閃光。

洗面所で何度手を洗っても皮膚が赤く腫れるほど擦ってもその見えない血の感触と焦げた肉の幻臭は決して消え去ってはくれなかった。

 

格納庫で彼を出迎えた友人たちはキラが敵の強力なモビルスーツを倒したことを無邪気に称賛し手放しで歓声を上げていた。

彼らにとってキラは自分たちの命を救ってくれた輝かしい英雄でありいかなる敵からも守ってくれる頼もしい守り神のような存在に見えたのだろう。

 

しかしその賞賛の言葉の数々はキラの心の中では最も残酷で鋭利な刃となって彼の精神をズタズタに切り裂いていた。

誰も自分が人殺しになってしまったことの恐怖と絶望など一欠片も理解してはくれないのだ。

自分はただの学生であり戦争の道具などではないと泣き叫びたいのにその言葉は喉の奥でつかえて誰にも届かない。

 

「僕は、何をしてるんだ」

 

キラの乾いた唇から誰に聞かせるでもない虚ろな呟きが漏れ落ちた。

 

彼の前には非常用の低電力モードで稼働している壁面の小型モニターが薄青い光を放っている。

そこにはアークエンジェルの外部カメラが捉えたデブリ帯の暗黒の宇宙空間がただ無機質に映し出されていた。

何も考えたくない何も見たくないという現実逃避の感情が彼を完全に支配しこのままここで宇宙の塵となって消えてしまいたいとすら願っていた。

 

しかし残酷な現実はこの傷ついた少年に少しの休息すら許してはくれなかった。

ぼんやりと焦点の合わない目で見つめていたモニターの端で突如として小さな光点

が不規則に点滅を始めたのである。

 

「なんだ、あれは」

 

キラは重い頭を上げモニターの画面に顔を近づけた。

 

震える指先でコンソールを操作し外部カメラの映像を限界まで拡大する。

荒い解像度の映像の中に浮かび上がってきたのはデブリの狭間を頼りなく漂流している一隻の小さな円筒形の物体だった。

 

それは軍用の兵器などではなくヘリオポリスの民間人たちが脱出の際に使用する何の武装も持たない救命艇であるライフポッドであった。

崩壊の混乱の中でアークエンジェルにも避難船にも乗り込むことができず宇宙空間へと放り出されてしまった生存者たちがその中にいるはずだった。

 

「生き残っていた人がいたんだ」

 

キラの瞳に微かな希望の光が宿ったのも本当に束の間のことであった。

モニターの端からその脆弱なライフポッドを這いずるようにして追跡してくる巨大な銀色の影が現れたのだ。

ザフト軍の精鋭部隊を率いる指揮官機であるクルーゼのシグーであった。

 

シグーはまるで無力な獲物をじぶりじぶりと弄ぶ肉食獣のようにゆっくりとした動きでライフポッドの背後に忍び寄っていく。

ライフポッドには推進剤も残っておらずただデブリの流れに乗ってあてどなく漂うことしかできない。

その中では幼い子供や怯える親たちが迫り来る銀色の死神に絶望の涙を流しているに違いない。

 

「まさか」

 

キラの心臓が早鐘のように激しく打ち鳴らされ全身の血液が急激に沸騰するような感覚に襲われた。

シグーの右腕に懸架された巨大な重突撃機銃の冷酷な銃口が一切の迷いもなくライフポッドの中心へと向けられたのだ。

 

「やめろ、やめてくれ」

 

キラはモニターにすがりつくようにして悲痛な叫び声を上げた。

 

「そこには戦えない人たちが乗ってるんだ」

 

彼の声が真空の宇宙空間を越えてザフトのパイロットに届くはずなどなかった。

モニターの中の銀色の死神はなんの感情の揺らぎも見せることなく機銃の引き金を引き絞った。

無音の宇宙空間でシグーの銃口から連続して強烈な閃光が放たれた。

大口径の徹甲弾は紙屑でも貫くかのようにいとも容易くライフポッドの薄い装甲を引き裂き内部の空間を完全に粉砕した。

 

「あっ……」

 

キラの喉から空気が漏れるような小さな音が鳴った。

一瞬の閃光の直後ライフポッドは音のない爆発を起こし無数の小さな火花と金属片となって暗黒の宇宙へと四散していった。

そこに乗っていたはずの民間人たちの命の痕跡は残酷なほどにあっけなくそして完全にこの世界から消し去られてしまったのだ。

宇宙の深淵に散らばる細かなデブリがまた一つ増えただけだった。

 

「ああ、あああぁぁぁっ」

 

キラは力なくその場に崩れ落ち両手で頭を強く抱え込んだ。

目の前で起きたあまりにも理不尽で一方的な虐殺行為が彼の脳髄を激しく揺さぶり続ける。

自分が救えるはずだったかもしれない命がいとも簡単に虫けらのように消し飛ばされた。

 

ミゲルを殺してしまったというあの血を吐くような罪悪感すらも今は漆黒の怒りの炎に完全に塗り潰されようとしていた。

自分自身の無力さが逆に狂気にも似た強烈な憎悪を生み出していく。

 

「なぜだ、なぜあんなことができるんだ」

 

キラの呟きは次第に激しい憎悪と怒りを帯びた咆哮へと変わっていく。

 

「なぜ、何もしていない人たちを殺すんだぁっ」

 

キラは血走った目でモニターの残骸を睨みつけ弾かれたように床から立ち上がった。

もはや彼の心の中には戦うことへの恐怖や迷いなどは微塵も存在しなかった。

あの残酷な死神をこの手で引き裂いてやりたいという暴力的なまでの破壊衝動が彼の精神を完全に支配していたのだ。

キラは食堂の気密扉を乱暴に開け放ち無重力状態の薄暗い通路を格納庫を目指して飛ぶように疾走し始めた。

 

サイレントランの継続中であり非常灯の不気味な赤い光だけが点滅する艦内を彼は壁や天井を力任せに蹴り飛ばしながら一直線に進む。

彼の背中はもはや戦いを恐れ迷い続ける一人の気弱な少年のものではなかった。

理不尽な暴力に対する激しい憎悪と怒りだけを原動力にして突き進む戦鬼の姿がそこにはあった。

 

格納庫に飛び込むとそこでは整備班のクルーたちが息を殺して作業を続けていた。

キラは誰の制止の声も聞かずストライクが固定されているハンガーへと猛然と向かっていく。

 

「おい、キラ!何をしてる、今はサイレントランの最中だぞ!」

 

下から整備班長の押し殺したようなしかし慌てふためいた声が聞こえてくる。

 

「止めないでください」

 

キラは整備班長の方を一瞥すらすることなく無重力空間を強引に蹴って開かれたストライクのコックピットへと滑り込んだ。

シートに体を乱暴に固定し震える指先でコンソールのメインスイッチを力任せに叩き込む。

 

暗かったコックピット内に次々とモニターの強烈な光が灯りストライクのOSが急速な勢いで立ち上がっていく。

メインジェネレーターの低い駆動音がコックピット内に響き渡り機体が再び戦闘兵器としての恐るべき機能を取り戻し始めた。

その時キラのインカムに鋭いノイズと共に通信が割り込んできた。

 

『キラ!待て、エンジンを止めるんだ!出撃は許可されていないぞ!』

 

ノイズ混じりの通信回線に割り込んできたのは格納庫の反対側でゼータプラスのコックピットに搭乗しいつでも強制出撃ができるようにスタンバイ状態にあったひでの切羽詰まった怒鳴り声であった。

 

ひでもまたゼータプラスの外部カメラの映像を通じてあの残虐極まりないライフポッド撃墜の瞬間をモニター越しに目撃していたのだ。

そして同時にまだ精神が未成熟な十六歳の少年があの凄惨な光景を目の当たりにして理性を失い単独で暴走することも正確に予見していたのである。

 

自衛隊時代、資料として見た戦争映画では、極限のストレス下や予期せぬ仲間の死に直面した同僚が突如としてパニックを起こし無謀な突撃を試みようとするシーンを何度も見た。

今のキラはまさにその危険な状態であり論理的思考ではなく感情の爆発だけで動く戦場において最も死に直結しやすい極度の興奮状態に陥っていた。

 

「ひでさん、止めても無駄です。僕は出ます」

 

キラは血走った両目で正面のメインモニターを睨みながら奥歯を噛み締め低く押し殺した声で答えた。

 

『バカ野郎、頭を冷やせ!今外に出ればお前は敵のレーダーの格好の的になるだけだ!あれは敵だから、絶対に挑発に乗るな!』

 

ひでの声には大人の兵士としての極めて冷静で冷徹な戦術的分析と若者を死地に赴かせまいとする必死の感情が込められていた。

 

『いいか、よく聞け!あれは敵の巧妙で悪辣な罠だ。無抵抗のポッドをわざと見せしめに撃って、暗闇に隠れている俺たちを怒らせてあぶり出そうとしているんだ!』

 

ひでは敵指揮官であるラウ・ル・クルーゼの冷酷な意図を完璧に見抜いていた。

 

精密な索敵が不可能なこの広大なデブリ帯において隠れている獲物の感情を直接的に揺さぶり自ら熱源を晒すように仕向けるという極めて冷血で合理的な戦術である。

しかし今のキラにはそのような大人の冷静な論理や戦場における戦術の基本など全く耳に入らなかった。

 

「罠だろうと関係ありません。あそこには、戦えない人たちが乗っていたんだ!彼らは何の武器も持たない民間人だったのに!」

 

キラは操縦桿を握る手にギリギリと力を込めパイロットスーツのグローブが軋む音を立てながらひでの言葉を真っ向から否定した。

 

『だからこそ敵は撃ったんだ!俺たちを怒らせて冷静な判断力を奪いボロを出させるためにだ!お前がここで怒りに任せて飛び出せばそれは完全に敵の思う壺だぞ!』

 

ひでの声がさらに一段と大きくなり通信機のインカムを通じてキラの鼓膜をビリビリと激しく震わせる。

 

『お前が動けばアークエンジェルの位置が敵に完全に割れる。そうなればこの艦に乗っている全員が、逃げ遅れた避難民もお前の大事な同級生たちも全員死ぬことになるんだぞ!』

 

ひでの必死の説得は子供の命を守りたいという大人としての切実な願いそのものであった。

 

「だからって、これ以上見殺しにしていい理由にはならないじゃないですか!」

 

キラの瞳からはとめどなく大粒の涙が溢れ出し頬を伝ってノーマルスーツの襟元へと次々と吸い込まれていく。

 

「僕が何もできなかったから……僕が彼らを守れなかったから、あの人たちは死んだんだ!」

 

『違う、お前のせいじゃない!戦争の理不尽さを、十六歳の子供が全部一人で両肩に背負い込むな!』

 

ひではコックピットの中で自身の操縦桿を力任せに叩きつけながら吠えた。

 

『いいかキラ、目を覚ませ。お前は英雄じゃない、ただの子供なんだ。大人たちの汚い戦争の尻拭いをお前がする必要はどこにもないんだよ!お前が全てを背負って死ぬ必要なんてない!』

 

「僕にしかできないんだ!」

 

キラの悲痛な叫びはひでの大人の論理を冷酷なまでに遮り切った。

 

「ストライクを動かせるのは僕だけなんだから。あの悪魔を止めることができるのは、僕しかいないんだ!」

 

友人たちから無邪気に君しかできないと背中を押されたことが今のキラにとっては逃れられない呪縛となり自分がやらなければならないという強迫観念となって彼の精神をがんじがらめに縛り付けていた。

 

『キラ、やめろ!俺が何とかする、だからお前は降りろ!』

 

ひでの最後の制止を無視しキラはひでとの通信チャンネルを強引に切断してブリッジへの回線を開いた。

 

「マリューさん、換装システムを直ちに起動してください」

 

ブリッジではマリュー・ラミアスが突然のキラからの通信と機体の起動信号に目を見張っていた。

 

『キラくん、何を言っているの!今はサイレントランの最中よ!少しでも大きな熱源を出せば敵に完全に位置を特定されてしまうわ!』

 

マリューの悲痛な制止の声にキラは感情の抜け落ちた氷のように冷たい声で答える。

 

「もう特定されています。敵は僕たちを引きずり出すために、このデブリ帯に隠れている民間人の救命艇を次々と面白半分に破壊しているんです」

 

キラの放ったその絶望的な報告にブリッジの空気が完全に凍りついた。

 

『なんだと……!それが事実なら、敵の指揮官は血も涙もない悪魔か!』

 

ナタル・バジルールが驚愕と怒りの入り混じった声を上げる。

 

「これ以上、何もできない人たちが僕たちの代わりに殺されるのを黙って見ていることはできません。僕が出ます」

 

キラの言葉には一切の迷いがなく有無を言わさぬ強烈な決意が込められていた。

 

「ストライカーパックは、ランチャーを装備してください」

 

『キラくん、待ちなさい!ストライクが出撃すれば、敵の全戦力があなたに集中するのよ!今のあなたの精神状態では危険すぎるわ!』

 

マリューが必死に食い下がろうとするがキラはすでに決断を下していた。

 

「遠距離から敵の母艦ごと射程に収めて一気に牽制します。ランチャーストライカーのアグニならそれが可能なはずです。システムを繋いでください!」

 

『しかし、そんなことをすれば本艦の生存確率は極端に下がります!敵の罠に自ら飛び込むようなものです!』

 

ナタルの当然の反論を遮るように補助席に座っていた香取が静かに口を開いた。

 

「艦長、鹿島のパッシブソナーが敵モビルスーツ部隊の急速な接近を捉えています」

 

香取の冷静で計算し尽くされた報告がブリッジ内に響き渡る。

先ほどまでひでの自室で女としての感情を露わにしていた姿は完全に消え去りそこには冷徹なまでに正確な情報を処理する帝国海軍の士官としての顔があった。

 

「このまま隠れ続けても、五分以内にデブリごと本艦の装甲を蜂の巣にされる確率が極めて高いです。キラくんの迎撃による敵の攪乱は、戦術的に有効であると判断します」

 

未知の宇宙空間においても大日本帝国海軍の魂を持つ彼女たちの索敵能力はいかなる最新鋭の機械よりも正確に絶対的な危機を告げていた。

 

『……分かったわ。ストライク、ランチャーストライカー装備。カタパルトスタンバイ!』

 

マリューの苦渋に満ちた決断の声と共にアークエンジェルの格納庫が慌ただしく稼働を始める。

限られた電力がストライカーパックの自動換装システムへと優先的に回され巨大なアームが動き出す。

右肩の複合兵装ポッドがストライクの肩部へとガッチリと固定されていく。

ガシャァァンという重厚な金属音が格納庫に響き渡り緑色のシステムオールクリアのサインがモニターに点灯した。

 

複雑なケーブル群が切り離されストライクのOSがランチャー仕様へと瞬時に書き換えられていく。

キラは血走った目でコンソールを叩き、超高インパルス砲「アグニ」を装備した砲撃形態(ランチャーストライク)での出撃を強行した。

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