※この作品はR-18です。

機動戦士ガンダムSEED ~転移者と共に~   作:よっちょれ

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第5章【業火の閃光】

先ほどまで香取の柔らかな体温と甘く濃密な香りに包まれていた予備士官室での安息の時間はすでに遠い過去の幻のように感じられた。

ひでの脳裏を支配しているのはただひたすらに怒りと絶望に完全に呑み込まれてしまった十六歳の少年の悲痛な姿だけであった。

 

自分が論理的にどれほど正しい戦術を説いたところで目の前で理不尽に命を奪われた子供の感情を止めることなどできはしなかったのだ。

大人の兵士としてあの凄惨な光景をキラに見せてしまったこと自体が最大の失態であったとひでは自身の無力さを激しく後悔していた。

戦うための理由を無理やり背負わされた少年が自らの意思で人殺しの引き金を引くような狂った世界をこれ以上許容するわけにはいかない。

 

カタパルトデッキの周辺には超高圧の電流が紫色の放電となってバチバチと激しく弾け飛び整備班のクルーたちがその衝撃に耐えるように床に伏せている。

焦げたオイルとオゾンの入り混じった独特の匂いが格納庫の空気を重く満たしていた。

 

「あの馬鹿野郎が!」

 

ひでは誰に言うともなく腹の底から絞り出すような大声で怒鳴りつけた。

 

「結局一人で全部背負い込みやがって!」

 

どれだけ大人の論理で説得しようとも理不尽に命を奪われた少年の怒りの炎を鎮めることはできなかった。

自衛隊時代、参考資料として見せられた戦争映画にも極限のストレス下でパニックに陥り命令を完全に無視して死地へと突出していく若いは確かに描写されていた。

 

だが今のキラが一人で背負わされているものは一人の歩兵の命などという軽い次元のものではない。

彼が敵の集中砲火を浴びて撃墜されればストライクというこの艦の最大の防盾が失われアークエンジェルに乗る全員が間違いなく宇宙の塵となるのだ。

 

ひでは奥歯をギリギリと強く噛み締めながら格納庫の奥に強固なアームで固定されているゼータプラスのコックピットへと無重力空間を蹴って大きく跳躍した。

開かれた胸部ハッチからシートへと滑り込み身体を固定してヘルメットのバイザーを勢いよく下ろすと同時に強制出撃のためのシステム起動シークエンスを強引に立ち上げる。

 

「整備班!カタパルトのチャージを急げ!俺もすぐに出る!」

 

「ひでさん!無茶です、連続での射出は艦の電力を著しく消費します!」

 

「構うもんか!あいつが死んだらこの艦も終わりなんだぞ!」

 

ひでの怒声に押されるように整備班長がコンソールを叩きリニアモーターへの電力供給を再開させる。

コンソールに並ぶ無数のスイッチを流れるような手付きで次々と弾き機体の安全装置である各種リミッターを容赦なく解除していく。

メインジェネレーターが甲高い駆動音を上げて目を覚まし機体のステータスモニターが赤色の警告表示から作動可能を示す緑色のサインへと次々と切り替わっていった。

 

機体全体が微細な振動を帯びゼータプラスが戦闘兵器としての恐るべき機能を取り戻していく。

だが重力下での歩兵戦闘のプロフェッショナルであるひでにとって暗礁空域のようなデブリ帯での三次元機動戦闘は実戦経験が皆無に等しい文字通りの自殺行為である。

その圧倒的な不利を補い無謀にも突出したストライクを守り抜くためにはこの艦の目となっている彼女たちの常人離れしたサポートが絶対に不可欠であった。

 

「鹿島!ストライクの軌道を完全に追え!」

 

ひでは通信回線をブリッジへと繋ぎ怒声に近い鋭い声で叫んだ。

 

「あいつの現在位置と周囲に展開している敵機全ての相対座標を俺のメインモニターにリアルタイムで送れ!」

 

『了解しました!すでにストライクの強大な熱源とそれに群がる敵部隊の複数の熱源を捕捉し戦術データの同期を開始しています!』

 

鹿島の緊迫したしかしどこか頼もしさを感じさせる声がインカムから返ってくる。

彼女のパッシブソナーによる索敵能力はニュートロンジャマーの強烈な電波妨害下においてもいかなる最新鋭のレーダーよりも正確に戦場の状況を把握していた。

彼女の意識を通じて送られてくるデータがゼータプラスの火器管制システムへと直接リンクされていく。

 

「香取!機体のOSの運動補助システムを最大レベルまで引き上げろ!」

 

『ひでさん、それでは機体の反応速度が異常に上がりすぎてパイロットにかかるGの負担が致死レベルに達する危険性があります!』

 

「構わねえ!無重力での本格的な機動戦闘なんてやったことねえがぶっつけ本番だ!」

 

ひでは操縦桿を力強く握り直しモニターの向こう側にいる香取へと絶対に曲げない強い意志を伝えた。

先ほどまでベッドの上で激しく求め合った彼女だからこそ自分がここで引かないことを誰よりも理解してくれるはずだ。

 

「俺の反応速度に機体を強制的に追従させろ!俺があのガキの盾になって絶対に生きて連れ帰る!」

 

『……了解しました。ひでさん、どうかご武運を』

 

香取の声には先ほどまでの情熱的に身を委ねていた女の顔は微塵もなくただ指揮官の命に絶対に従う冷徹な帝国海軍士官としての決意が込められていた。

 

『私たちはあなたの目でありあなたの魂と共にあります。必ず無事に戻ってきてください』

 

「ああ、頼んだぜ!」

 

ゼータプラスの足元を強固に固定していた拘束アームが外れ機体がカタパルトデッキへとゆっくりと移動を開始する。

カタパルトの誘導灯が緑色に点滅を繰り返しリニアモーターに莫大な電力がチャージされていく。

出撃の準備が完全に整ったことを告げるシグナルが点灯した。

 

「ひで、ゼータプラス、出る!」

 

ひでがスロットルを最大まで押し込むと同時に電磁カタパルトのすさまじい加速Gが彼の全身をシートへと激しく押し付けた。

視界が一瞬にして歪み内臓が背中に張り付くような強烈な圧迫感の直後ゼータプラスはアークエンジェルの分厚い装甲の向こう側へと射出された。

 

無限の暗黒が広がる宇宙空間へと放り出された瞬間上下左右という重力下での基本的な方向感覚が完全に消失する。

無数の巨大な金属片やコロニーの居住区画の残骸が不規則に飛び交う混沌と死が支配する世界が視界いっぱいに広がった。

遠くには真っ二つにへし折れたヘリオポリスの巨大なシャフトが墓標のように冷たい姿を晒している。

 

だがひでのヘルメットのバイザーには香取と鹿島から絶え間なく送られてくる戦術データが緑色の光の線となってリアルタイムで幾重にも投影されていた。

自分自身の機体と怒りに任せて突出していくストライクそしてそれを罠にかけて迎え撃とうとするザフトのモビルスーツ部隊の位置関係がまるでチェス盤を上から見下ろすかのように明確に把握できる。

 

「見えたぞ。キラの奴、真正面から馬鹿正直に突っ込んでやがる!」

 

ひでの視線の先で混沌としたデブリ帯の中央をランチャーストライクが背部の巨大な超高インパルス砲アグニを構えたまま一直線に敵部隊へと向かっていくのが見えた。

アグニという規格外の重武装を背負っているためストライクの本来の持ち味である高い機動性は完全に殺されている。

怒りと復讐心に我を忘れたその直線的な動きは熟練の兵士から見ればあまりにも単調で隙だらけの自殺行為に等しかった。

そしてその致命的な隙をザフトの冷酷な指揮官が絶対に見逃すはずもなかった。

 

「罠にかかった愚かなネズミが自ら死地に飛び込んできたか」

 

巨大なコロニーの外壁の残骸の陰に身を潜めていたシグーのコックピットでラウ・ル・クルーゼは仮面の奥で冷酷な嘲笑の声を上げた。

彼の思惑通りライフポッドという無防備な餌を破壊したことで地球軍の新型機は冷静さを完全に失い自ら強大な熱源を晒して暗闇から飛び出してきたのだ。

 

だが現れた機体が鈍重な砲撃戦仕様の装備を背負っていることにはクルーゼも僅かに眉をひそめ不快感を露わにした。

 

「あの巨大な砲身……対要塞用の装備か。機動力を犠牲にしてまで火力を選ぶとはますます素人の浅知恵だな。だが当たらなければどうということはない」

 

クルーゼは通信インカムを開き周囲に展開して息を潜めているジン部隊へと冷徹で無慈悲な指示を飛ばす。

 

「各機、目標はあのストライクだ。正面からの撃ち合いは避けろ。機動力を削がれた相手の死角に回り込み一斉射撃で蜂の巣にしてやれ」

 

「「「了解!」」」

 

クルーゼの指示に従い数機の緑色のジンがストライクを完全に包囲するように散開しデブリの陰から一斉に重突撃機銃の冷たい銃口を向けた。

ストライクの右肩に装備されたコンボウェポンポッドの対艦バルカン砲がオートエイムで迎撃の火線を放つ。

 

だが怒りに任せた力任せの乱当りの射撃では立体的な空間を自在に機動するジンを正確に捉えきれない。

このままでは巨大なアグニの砲身を敵に向けてエネルギーをチャージする前に背後や側面からの集中砲火を浴びてストライクが撃墜されるのは火を見るより明らかだった。

絶体絶命の包囲網が完成しようとしたその瞬間である。

 

「させるかよっ!」

 

ひでの乗るゼータプラスが青白いスラスターの光芒を長く引きながら凄まじい推力でストライクとジン部隊の間に強引に割り込んだ。

香取が極限まで調整した運動補助システムが完璧に機能しひでの思考と機体の動きにタイムラグが全く存在しない。

ひでは自衛隊時代に骨の髄まで叩き込まれた歩兵戦術の基本である躍進支援カバー・トゥ・カバーの概念をこの三次元の宇宙空間でモビルスーツを用いて強引に応用しようと試みた。

 

重力のある地上とは違い無重力空間においては止まっている的はただの確実な死を意味する。

ひでは巨大な居住ブロックの残骸やへし折れたコロニーの鉄骨を物理的な遮蔽物である巨大な盾として巧みに利用した。

 

機体の姿勢制御バーニアとメインスラスターを細かく断続的に吹かして一つのデブリから次のデブリへと素早く滑り込んでいく。

その移動の合間のほんの僅かな瞬間にゼータプラスの大腿部に直結されたビーム・カノンから連続して牽制の射撃を容赦なくバラ撒いた。

 

「なんだ、あの可変機は!」

 

突然死角から現れ精密な牽制射撃を連続して行ってくるゼータプラスの存在にザフトのパイロットたちが驚愕の声を上げた。

手持ちの武装であるビームライフルではなく大腿部に強固に固定されたビーム・カノンを使用しているためゼータプラスは腕の動きに制限されることなく機動しながらでも正確な弾幕を形成することができるのだ。

音のない宇宙空間で無数のビームの光条が交錯し直撃を受けたデブリが次々と強烈な閃光を放って蒸発していく。

 

ひでの射撃の最大の目的は敵を完全に撃墜することではない。

敵の進路にビームの壁を作り出して動きを塞ぎストライクへの包囲網を構築させないための徹底した牽制であった。

だがそれは同時に自らを敵の強烈な射撃の的にする危険極まりない囮の役割でもあった。

 

「チッ、鬱陶しいハエがもう一匹現れたか」

 

クルーゼはシグーのメインスラスターを激しく吹かしゼータプラスの牽制射撃を軽々と回避しながら重突撃機銃の銃口をひでの機体へと向けた。

圧倒的な機動力を誇る指揮官機の攻撃は量産型のジンとは次元が違った。

 

クルーゼの放つ大口径の徹甲弾がひでの隠れている巨大なデブリの端をかすめ無数の金属片を散弾のように周囲に撒き散らす。

機体の至る所に細かい破片が激突しコックピット内に不快な金属音が鳴り響く。

だがひでは全く怯むことなく背部の可変後退翼を用いた質量移動による姿勢制御AMBACを極限まで駆使し敵の予測不能な軌道で次の遮蔽物へと素早く滑り込んだ。

 

「坊主!突っ込みすぎるな!」

 

ひではストライクの通信回線に強引に割り込み腹の底から絞り出すような大声で怒鳴りつけた。

 

「周りを見ろ!お前は今、敵の射線のど真ん中にいるんだぞ!」

 

ひでの大音声に怒りだけで視野が極端に狭くなっていたキラはハッと我に返り息を飲んだ。

メインモニターの端でゼータプラスが自分の死角を完全にカバーするようにデブリの間を縫って激しく立ち回り敵の攻撃を必死に引き付けているのが見えたのだ。

ひでの機体はジンの放つ実弾の弾幕をギリギリのところで回避しながら大腿部のビーム・カノンで的確な反撃を行っている。

自分が理性を失って突撃したせいでひでが代わりに過酷な戦場を駆け回っているのだ。

 

全身を危険にさらしながらも絶対に味方を死なせないという執念に満ちた大人の兵士による堅実で実戦的な戦い方だった。

その頼もしい背中がキラの心の中にある抑えきれなかった憎悪と怒りの炎を戦場を生き抜くための冷徹な闘志へと急速に昇華させていく。

 

「ひでさん……!」

 

「俺が射線を確保してやるから、お前はデカいの一発に集中しろ!」

 

ひではスロットルをさらに深く押し込み敵の密集地帯へとあえて深く切り込んでいく。

ゼータプラスの装甲がデブリと擦れ合い火花を散らすがひでの瞳には微塵の迷いもない。

ひでの的確で執拗な援護射撃によりストライクを取り囲もうとしていたクルーゼたちの陣形に一瞬のしかし戦局を左右する致命的な隙が生まれた。

 

無数のデブリが漂う空間の中でストライクの真正面にクルーゼのシグーを完全に捉えるための真っ直ぐな空間が開けたのだ。

キラはアグニのグリップを強く握り直しその巨大な砲身を銀色の悪魔へと正確に向けた。

 

キラの瞳からは先ほどまでの我を忘れたような狂乱と激情は完全に消え去り、そこには戦場を生き抜くための極めて冷徹な闘志だけが宿っていた。

自らの命を懸けて射線を作り出してくれた大人の背中が、少年の心を縛り付けていた恐怖と怒りを、守るための確かな決意へと見事に昇華させていたのだ。

 

無抵抗の民間人を容赦なく消し飛ばしたあの悪魔の機体が、今はストライクの照準器の十字の中心に寸分の狂いもなく重なっている。

これ以上あの理不尽な暴力を許すわけにはいかないという強い意志が、キラの指先に全ての力を注ぎ込ませた。

 

「これで、終わらせる!」

 

キラの鋭く研ぎ澄まされた、しかし内なる怒りを極限まで圧縮した咆哮と共に、超高インパルス砲アグニの引き金が力強く引き絞られた。

ストライクの機体内部から、アンビリカルケーブルを通じて莫大な電力が一瞬にして背部の兵装へと流れ込む。

限界まで高密度に圧縮された高臨界のプラズマエネルギーが、マイクロ秒という極小の単位で砲口から一気に解放された。

次の瞬間、漆黒の宇宙空間に、太陽が突如として産み落とされたかのような規格外の閃光が弾け飛んだ。

 

放たれたのは、ゼータプラスの大腿部ビーム・カノンなどとは全く比較にならない、禍々しいまでに赤く太いビームの奔流であった。

太陽の表面温度にも匹敵する圧倒的な熱量の塊が、音のない真空の海を真っ直ぐに引き裂いていく。

 

放たれた業火の渦は、その射線上に存在していた大小すべてのコロニーの残骸を、物理的な破壊ではなく文字通り一瞬にして蒸発させていった。

溶けた鉄が宇宙空間に散らばる暇すら与えず、あらゆる物質がプラズマの光に飲み込まれて跡形もなく無に還っていく。

 

そのあまりにも強大すぎる破壊の光芒は、戦場にいた全ての者の網膜を白く焼き尽くさんばかりの凄まじい威力を誇っていた。

ビームの軌道に沿って空間そのものが歪み、強烈な電磁波の嵐が周囲のデブリを次々と真っ赤に加熱していく。

 

「なっ……!この規格外の威力は一体何なのだ!?」

 

シグーのコックピット内で、これまで常に冷徹な余裕を崩さなかったラウ・ル・クルーゼが、仮面の奥で驚愕に目を見開いた。

彼の網膜には、圧倒的な速度で迫り来る死の赤い光がはっきりと映し出されていた。

機体のメインコンソールが、エネルギーの異常な数値を検知してけたたましい致死レベルの警告音を鳴らし続けている。

 

対要塞用の攻城兵器を、モビルスーツという単体の機動兵器がこれほどの出力で運用できるなど、ザフト軍のデータには一切存在しない非常識な代物であった。

アグニから放たれた極太のビームは、デブリを次々と呑み込みながら、一切の減衰を見せることなくシグーへと肉薄する。

 

「直撃すれば、この機体ごと跡形もなく完全に消し飛ぶぞ!」

 

クルーゼは忌々しげに悪態を吐きながら、シグーのメインスラスターと全身の姿勢制御バーニアを限界のレッドゾーンまで全開にした。

機体の関節部がメシリと悲鳴を上げるほどの強烈なGに耐えながら、シグーは横方向へと強引な緊急回避機動を取る。

 

赤いビームの奔流が、シグーのすぐ横を宇宙空間そのものを歪めながら通り過ぎていく。

 

直撃こそ免れたものの、アグニが放つ圧倒的な熱の余波は、シグーの右腕を掠めるようにして一瞬で飲み込んでいた。

重突撃機銃を懸架していた分厚い銀色の重装甲が、まるで熱した鉄板の上の飴玉のように一瞬でドロドロに溶解していく。

 

内部の駆動系と回路が爆発的にショートし、右腕の肘から先が完全に吹き飛ばされ、激しい火花を散らして宇宙空間へと散乱した。

推進剤に引火する寸前で回路が遮断されたものの、機体のバランスが大きく崩れ、シグーは無様に姿勢を乱しながらデブリの狭間へと激しく弾き飛ばされる。

 

「隊長!シグーが被弾しました、ご無事ですか!」

 

周囲に展開していたジン部隊のパイロットたちが、絶対の存在であった指揮官機の危機に慌てて通信回線に声を張り上げた。

「……チッ。これまでか」

クルーゼは溶解した右腕の断面から激しい火花を散らし続ける自機を強制的に立て直し、忌々しげに舌打ちをした。

 

たった一撃で戦場のパワーバランスを完全に覆してしまうストライクの絶大な火力。

そして、その射線を確保するために自らの身を呈して飛び回っていた、あの未知の可変機による老練な連携戦闘。

 

これ以上この視界の悪い暗闇の中で戦闘を継続すれば、いずれ味方の部隊が全滅の憂き目に遭うことは戦術的に明らかであった。

敵の感情を揺さぶり、安全な暗闇から炙り出すという作戦の目的は達成したが、相手の牙は想像以上に鋭く、そして巨大すぎたのだ。

これほどの機体を地球軍に持ち帰らせるわけにはいかないが、今の戦力でこれ以上の無理はできない。

 

「全機、攻撃を直ちに中止しろ。これより後退する!」

 

クルーゼは冷徹な指揮官としての顔を即座に取り戻し、部隊全体に向けて絶対の撤退命令を下した。

 

「あの艦はもう追うな。我々は一度本隊と合流し、体勢を立て直す。引け!」

 

「「「了解!」」」

 

ザフトのモビルスーツ部隊は、圧倒的なアグニの赤い閃光の余韻がいまだに宇宙空間に残る中、一斉に反転した。

右腕を失ったシグーを先頭にして、彼らは青白いスラスターの光芒を残しながら、足早にデブリ帯の闇の奥深くへと後退していく。

圧倒的な暴力の嵐が過ぎ去り、デブリ帯には再び、重く冷たい宇宙の静寂が戻ろうとしていた。

 

その頃、アークエンジェルのブリッジでは、息を呑んで戦況の推移を見守っていた乗組員たちが、張り詰めた空気を少しずつ解き放ち始めていた。

メインモニターの端が強烈な閃光で白く飛んだのを確認し、誰もがその規格外の威力に言葉を失っていたのだ。

トールやサイたち学生のブリッジ要員も、自分たちの友人が放った恐るべき力に、安堵よりも先に恐怖と驚愕の表情を浮かべている。

 

『敵モビルスーツ部隊、完全に反転しました!各機、本艦から急速に離脱していきます!』

 

パッシブソナーによる索敵に全神経を集中させていた鹿島が、コンソールから顔を上げて歓喜の声を上げた。

 

『私のソナーにも、敵機の推進音が急速に遠ざかっていくのがはっきりと感知できます。やりました、敵部隊の撤退を確認しました!』

 

「本当か、鹿島准尉!」

 

ナタル・バジルールが、信じられないといった表情で身を乗り出す。

 

「あれだけの部隊を展開しておきながら、たった一撃で撤退を決断するとは……。敵の指揮官は、こちらの戦力を正確に測り、無駄な損耗を嫌う極めて合理的な思考の持ち主のようだな」

 

ナタルの冷静な分析に、マリュー・ラミアス艦長も深く頷いた。

 

「ええ。だからこそ、次に相対する時はさらに厄介な敵になるわ」

 

マリューは艦長席の背もたれに深く体を預け、額に浮かんだ冷や汗を拭いながら静かに息を吐いた。

 

『はい!それに、ストライクとゼータプラスの熱源も健在です。両機とも、本艦に向けて帰還コースに乗りました!』

 

鹿島の報告に、ブリッジ内にいた全ての者が、死の淵から生還したという深い安堵の溜息を漏らした。

サイレントランという死と隣り合わせの極限状態から解放されたことの安堵感は、言葉では言い表せないほど大きかった。

 

「……よくやってくれたわ、二人とも」

 

マリューはモニターに映る二つの小さな光点を見つめ、心からの感謝を呟いた。

 

「香取准尉、アルテミスへの航路計算は終わっているわね?」

 

『はい、艦長。敵の脅威が去った今、デブリ帯を最短で抜ける安全なルートは既に算出済みです』

 

香取は、コンソールに向かったまま、凛とした、しかしどこか弾んだ声で報告した。

その声には、死地へと赴いたひでが無事に生き残って帰還してくれることに対する、一人の女性としての深い安堵と喜びが確実に滲んでいた。

 

先ほどまでの絶望的な密室で、狂おしいほどに求め合ったあの激しい熱が、幻ではなく現実のものであったという確かな証明。

彼女の眼鏡の奥の瞳は、コンソールの光を反射しながら、微かに潤んでいるように見えた。

 

「よろしい。これより本艦はサイレントランを解除、メインエンジンを再始動します!」

 

マリューの力強い号令が、静まり返っていたブリッジに新たな活気をもたらす。

 

「非常灯から通常照明へ切り替え。各部システム、オンラインに復帰。本艦はこれよりデブリ帯を抜け、ユーラシア連邦の軍事要塞アルテミスへ向けて最大戦速で離脱します!」

 

メインジェネレーターが再び低い唸りを上げ、完全に停止していた空調システムが新鮮な空気を艦内へと勢いよく送り込み始めた。

血の凍るような死の静寂は完全に破られ、アークエンジェルは生き延びるための次なる航海へと、力強く推進器に火を灯したのである。

戦闘を終え、無事にデブリ帯の暗礁空域を突破したアークエンジェルの格納庫では、帰還した二機のモビルスーツの着艦作業が慌ただしく進められていた。

 

「ストライク、ゼータプラス、機体の固定完了しました!」

 

誘導員の合図と共に、巨大な拘束アームが二つの機体を所定のハンガーへとガッチリと固定する。

機体の各部からプシューという冷却ガスの排出音が甲高く鳴り響き、真っ白な煙が格納庫の床に広がっていく。

 

「お疲れ様でした、ひでさん!よくご無事で!」

 

整備班長が、満面の笑みを浮かべてゼータプラスの足元へと駆け寄ってきた。

 

「……おう。なんとか、艦に穴を開けられずに済んだみたいだな」

 

ゼータプラスのコックピットハッチが開き、ひでが疲労困憊といった様子でゆっくりと降りてきた。

彼が着ているノーマルスーツは、極度の緊張と全身から噴き出した冷や汗によって、シワだらけになって皮膚に貼り付いている。

重力のある地上での歩兵戦闘を専門とする彼にとって、無重力空間での実戦機動戦闘という本来の専門外の領域で無理な動きを連続して行った代償は想像以上に大きかった。

 

慣れない三次元機動の強烈なGによって、全身の筋肉は悲鳴を上げ、内臓はひっくり返ったかのような鈍い痛みを絶え間なく訴え続けている。

ヘルメットを脱いだひでの顔は脂汗で濡れており、呼吸を整えるだけでも一苦労であった。

 

だが、そんな自分自身の肉体的な疲労など、今のひでにとっては些末な問題でしかなかった。

ひでは乱れた息を整えながら、隣のハンガーに固定されたストライクの方へと重い足取りで向かった。

ストライクのコックピットハッチはすでに開いていたが、中からパイロットが降りてくる気配は一向になかった。

 

整備班のクルーたちも、普段ならば歓声を上げて英雄を出迎えるところだが、ストライクから発せられる異様なほどの重苦しい雰囲気に圧倒され、遠巻きに見守ることしかできなかった。

ひでがコックピットの縁に手をかけ、中を覗き込むと、そこには力なくシートに深く座り込んでいるキラの姿があった。

 

強大な敵を退けたという高揚感や、仲間たちを守り抜いたという達成感など、彼の表情には微塵も存在していない。

ヘルメットを脱ぎ捨てたキラの顔は、血の気が完全に引き、まるで死人のように青ざめていた。

その瞳は焦点を結ばずに虚ろに空中を彷徨い、操縦桿を強く握っていた両手は、いまだに恐怖で小刻みに震え続けている。

 

「……キラ」

 

ひでは、シワだらけのノーマルスーツのまま、コックピットの中へと身を乗り出し、静かに声をかけた。

 

「ひで……さん……」

 

キラは、幽鬼のような掠れた声で応え、ゆっくりとひでの方へと視線を向けた。

 

「僕は……また、撃ってしまいました。あんな、恐ろしい力で……」

 

キラの瞳から、ポロポロと透明な涙がこぼれ落ち、頬を伝っていく。

 

「星の欠片ごと、全部を……溶かして……。もし、あそこに生き残っている人がいたらと思うと……僕の手は、また……」

 

キラの脳裏には、自分が引き金を引いた瞬間に放たれた、あのアグニのあまりにも巨大で圧倒的な光の奔流が焼き付いていた。

理不尽な死に対する冷徹な闘志に身を任せて力を振るったが、その結果もたらされたのは、宇宙空間そのものを消滅させるような規格外の破壊だった。

アグニの光がデブリを次々と蒸発させていく光景は、彼に自分の持つ力があまりにも強大すぎるという事実を容赦なく突きつけた。

 

もしあの光の先に、デブリに隠れていた民間人の船がいたなら。

 

もしあの熱が、逃げ惑う人々の身体を包み込んでいたなら。

 

自分が振るった強大すぎる力が、容易に大量の命を奪うことができるという絶対的な事実が、戦闘を終えて冷静さを取り戻した今になって、彼の精神を激しく恐怖で打ちのめしていたのだ。

冷徹な闘志で感情をコントロールしていたはずの糸が完全に切れ、残されたのは、圧倒的な力を振るってしまったことへの深い自己嫌悪と虚脱感だけであった。

 

「そんな『もしも』の話で、自分を痛めつけるな。お前は確実に敵を退け、この艦を救ったんだ」

 

ひでは低い声で、少年の罪悪感を少しでも拭い去るように言葉を紡いだ。

 

「でも……!僕は、人殺しの兵器で……!」

 

「兵器に乗ったからって、お前の心が兵器になるわけじゃねえ。その涙が、お前が血の通った人間である証拠だ」

 

「僕は……もう、嫌だ……。あんな力、もう使いたくない……」

 

キラは両手で顔を覆い、子供のように声を上げて泣きじゃくり始めた。

狂った宇宙の法則の中で、不甲斐ない大人たちの戦争の道具として、強大な力を振るうことを強制され続ける十六歳の少年。

 

彼の細い肩が、悲しみと恐怖で激しく震えている。

 

その泣き声は、格納庫の喧騒にかき消されるほど小さく、しかしひでの耳には、どんな爆音よりも鋭く、痛切に突き刺さった。

ひでは何も言わず、シワだらけの腕を伸ばし、泣き崩れるキラの肩を力強く、そして優しく抱き寄せた。

 

「……よくやった。お前は、この艦を守ったんだ」

 

ひでの低く落ち着いた声が、コックピットの中に静かに響く。

 

「誰も死なせなかった。それは、お前が胸を張って誇っていいことだ。あとは、全部俺が引き受けてやる」

 

「ひで……さん……っ、うっ、うあああぁぁぁっ……!」

 

大人の男の、汗と機械の油が混じった匂い。

そして、どんな敵からも自分を守ってくれるという、絶対的な安心感と温もり。

それに触れた瞬間、キラの心の中にあった堰が完全に決壊し、彼はひでの胸に顔を押し当てて、さらに激しく泣き崩れた。

 

ひでは、少年の涙で濡れる自分の胸を見つめながら、その震える背中を不器用な手つきでゆっくりと撫で続けた。

 

(……俺たち大人が、無力だからだ。こんな子供に、血を吐くような思いをさせてる)

 

ひでの心の中に、自分自身を含む全ての大人に対する激しい憤りと、自己嫌悪が渦巻いていた。

本来ならば、学校で笑い合い、恋に悩み、平和な日常を謳歌しているはずの年齢の子供なのだ。

それを、人殺しの兵器に乗せ、殺したことを称賛し、さらに過酷な戦場へと送り出そうとしている。

こんな狂った世界を、これ以上許容するわけにはいかない。

 

(俺が、守る。この艦に乗ってるガキ共は、全員俺が安全な場所に送ってやる)

 

ひでは、キラの細い背中を抱きしめる腕の力を、さらに強くした。

 

(どれだけ自分が傷つこうと、構わねえ。せめてコイツが、人間としての優しい心を完全に失っちまう前に……俺が、盾になる)

 

一人の大人として、次世代の命を守り抜くという、魂からの絶対的な誓いであった。

 

冷たい格納庫の片隅で、二人のパイロットの間に結ばれた確かな絆だけが、狂気に満ちたこの世界で微かな希望の光を放っていた。

静寂の航海を無事に乗り越え、アークエンジェルは次なる目的地であるユーラシア連邦の軍事要塞アルテミスの傘へと向けて、星の海を真っ直ぐに進んでいく。

 

傷だらけの鉄の箱船を待ち受けるのは、果たして安息か、それとも新たなる試練か。

冷酷な宇宙は何も語らず、ただ無数の星々が瞬くのみであった。

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