※この作品はR-18です。

機動戦士ガンダムSEED ~転移者と共に~   作:よっちょれ

2 / 38
第2章【戦火の避難行】

崩壊が加速度的に進む巨大な工場区画の裏通路。

ここは先ほどまでひでが歩いていた日本の平和なオフィス街などではない。

血と硝煙、そして焼け焦げた鉄の匂いが充満する、完全なる死地であった。

 

無機質な金属の壁面には、見たこともない言語のコーションマークが描かれているが、今のひでたちにとってそれは何の役にも立たない情報でしかない。

非常灯の毒々しい真っ赤な光が、一定の間隔で点滅を繰り返し、彼らの逃避行を不気味に照らし出している。

地響きのような重低音が連続して足元から伝わり、その度に巨大な建造物全体が悲鳴を上げるように軋みを上げていた。

 

ひでを先頭に、後方警戒を香取が担い、索敵を鹿島が担当するという、出会ってからわずか数分で構築された即席の陣形が、薄暗い通路を音もなく進んでいく。

ひでの手には、先ほど息絶えた見知らぬ警備員から剥ぎ取ったアサルトライフルがしっかりと握り込まれていた。

 

32歳のしがないサラリーマンが着るようなくたびれたスーツ姿に、無骨な軍用銃という組み合わせは、本来ならば滑稽にすら映るだろう。

しかし、彼のその洗練された銃の構え方、足音を完全に殺した歩法、そして曲がり角ごとに視覚より先に聴覚と嗅覚で索敵を行うクリアリングの動作には、素人のような隙が一切存在しなかった。

 

それは5年というブランクを全く感じさせない、過酷な訓練を生き抜いた元自衛官としての本能が完全に呼び覚まされた結果であった。

そして、彼の背後を付かず離れずの絶妙な距離感で追従する二人の女性――香取と鹿島もまた、ただの民間人ではないことをその身のこなしで証明していた。

 

コスプレのようにすら見える、白い軍帽とタイトなスカート、そして装飾過多な軍服風の衣装。

しかし、香取は手に武器こそ持っていないものの、その鋭いバイオレットの瞳を絶えず後方の死角へと走らせ、いかなる奇襲にも即座に対応できるよう重心を低く保っている。

 

鹿島も同様に、柔和な表情の奥に研ぎ澄まされた集中力を宿し、周囲の空間そのものから情報を読み取ろうとするかのように、全神経を尖らせていた。

 

ひでは、油断なくライフルの銃口を進行方向に向けたまま、背後に続く二人の女性の気配に内面で驚愕を覚えていた。

 

(ただの女じゃない。少なくとも、火線というものの恐ろしさを骨の髄まで理解している動きだ。素人が戦場に放り込まれた時のパニックや無駄なバタつきが一切ない)

 

ひでは、この異常な世界について何も知らない。

同じように、香取と鹿島もまた、この世界についての知識は皆無であった。

 

彼女たちは『艦娘』という存在であるが、この世界ではその力を著しく制限され、ただの生身の女性と大差ない状態にまで弱体化させられている。

それでも、彼女たちの魂に刻み込まれた軍属としての経験則が、この絶望的な状況下で彼女たちの命を辛うじて繋ぎ止めていた。

 

突如、張り詰めた沈黙の糸を断ち切るように、鹿島の切羽詰まった声が薄暗い通路に響き渡った。

 

「ひでさん、止まってください!前方左の区画から、激しい発砲音と……複数の熱源反応があります!このまま直進するのは危険です、迂回を強く推奨します!」

 

鹿島が、まるで自らの網膜に最新鋭の軍用レーダーの映像でも投影しているかのように、極めて具体的かつ的確な警告を発した。

 

その言葉に、ひでは即座に歩みを止め、音を立てずに壁の陰へと身を滑り込ませた。

ライフルの銃口を左側の通路へと向け、鋭い視線で暗がりを睨みつける。

確かに、鹿島の言う通り、遠くの分厚い金属壁の向こう側から、くぐもった重低音のような連続した発砲音が響いているのが、ひでの耳にも微かに聞き取れた。

だが、ひでの頭の中には、発砲音の有無よりも遥かに巨大な疑問符が浮かび上がっていた。

 

(……なんだと?複数の熱源反応?なんでこの女、分厚い壁の向こう側にいる敵の数や正確な位置がわかるんだ?)

 

ひでは、信じられないものを見るような目で、背後にいる鹿島をちらりと振り返った。

どう見ても、彼女はただの生身の人間である。

 

自衛隊時代、暗視装置や各種携帯型レーダーを用いた最新鋭の夜間・市街地索敵訓練を経験してきたひでにとって、鹿島の索敵能力は常軌を逸しているとしか思えなかった。

 

彼女の瞳には特殊なゴーグルなどの光学機器は一切装着されておらず、手元に情報端末の類を持っているわけでもない。

人間の五感――視覚、聴覚、嗅覚だけで、分厚い隔壁の向こう側に潜む人間の体温や数を正確に感知するなど、SF映画やオカルト小説の中だけの話だ。

 

しかし、鹿島の瞳には、嘘や冗談、あるいは恐怖からくる幻覚を語っているような色は微塵もなかった。

彼女の言葉は、絶対的な確信に満ちていた。

 

さらに異常なのは、彼女の隣に立つ香取の反応だ。

香取もまた、鹿島の異常とも言える索敵結果に対して一切の疑問を抱くことなく、鹿島の警告が事実であるという前提のもと、いつでも後方からの奇襲に対応できるよう即座に身構え直しているのだ。

 

(俺の常識が通用する相手じゃないのか……。だが、今はその謎を呑気に詮索している暇は一秒たりともない!)

 

ひでは、自らの内から湧き上がる無数の疑問を、強靭な意志の力で無理やりに押さえ込んだ。

今優先すべきは、彼女たちの正体を暴くことではなく、三人揃ってこの地獄から生きて抜け出すことだ。

 

「……わかった。鹿島の勘を信じる。ここから右に分岐しているダクト通路へ迂回するぞ!」

 

ひでは深く追及することをやめ、彼女たちの能力を素直に受け入れるという、大人の柔軟な決断を下した。

ひでが視線で指示した先には、壁面の下部ギリギリのところに設けられた、整備用の換気ダクトと思われる無機質な金属製のハッチがあった。

ひではライフルのスリングを肩に掛け直し、両手で力任せにロックレバーを引いて重いハッチを開け放つ。

 

ギギギ……という錆びついた金属音が鳴り、中は大人一人が身を屈めて這ってようやく通れる程度の、埃と油の匂いが強烈に充満する狭隘な空間が口を開けた。

 

「俺が先に行く。鹿島は真ん中、香取は最後尾を頼む。足元に気をつけろ、絶対に音は立てるなよ。何が潜んでいるかわからないからな」

 

ひではそう短く指示を出すと、スーツのズボンが汚れることなど一切気にせず、身を屈めてライフルの銃身を胸に抱き込むようにして、暗いダクトの中へと滑り込んだ。

それに続いて、二人の女性も衣擦れの音を最小限に抑えながら、狭い空間へと身を投じていく。

 

ダクト内は異様に蒸し暑く、呼吸をするたびに鉄錆と古い機械油の匂いが肺の奥底まで入り込んでくるようだった。

時折、この巨大な施設全体が致命的なダメージを受けて大きく揺れるたびに、ダクトの金属壁が不気味な軋み声を上げ、細かい塵や埃がバラバラと頭上から降り注いでくる。

そのたびに、ひでは自分たちが今、どれほど絶望的な状況に置かれているのかを痛感させられた。

 

もし今、この施設が完全に崩落すれば、自分たちはこの狭いダクトの中で生き埋めになり、誰にも知られることなく圧死するか窒息死するだろう。

 

背後からは、香取と鹿島の荒い息遣いが微かに聞こえてくる。

彼女たちもまた、極限の恐怖と闘いながら、必死にひでの背中を追っているのだ。

 

(絶対に死なせるわけにはいかない。俺が、こいつらを守り抜く)

 

ひでは、三十路を過ぎたサラリーマンとしての諦念を捨て、かつて国を守るために過酷な訓練に耐え抜いた自衛官としての誇りを、心の奥底で静かに燃やしていた。

 

どれくらいダクトの中を這い進んだだろうか。

時間感覚すら麻痺しそうになる暗闇の中をひたすら進むと、やがてダクトの床面が金網状のグレーチングに変わっている部分に差し掛かった。

その僅かな隙間から、薄明かりが漏れ出し、下の階層の空間が眼下に見下ろせるようになっていた。

 

「……止まれ」

 

ひでは背後の二人に手信号で停止を指示し、自らはグレーチングに顔を近づけ、息を殺して眼下の光景を覗き込んだ。

 

「……なんだここは。まるで秘密基地じゃないか」

 

ひでの乾いた唇から、思わず呆然とした呟きが漏れた。

 

迂回した先で彼が見下ろした眼下の空間には、ひでの想像を遥かに絶するほど広大で、そして凄惨な地下工場区画が広がっていた。

見上げるような巨大なクレーン、複雑に張り巡らされたキャットウォーク、そして山のように積まれた見知らぬ規格の巨大なコンテナ群。

しかし、その壮大な施設は今、至る所で火柱が上がり、黒煙が視界を遮る完全な地獄絵図と化していた。

 

そして、その地獄の中心では、ひでの理解を超えた絶望的な戦闘が繰り広げられていた。

赤い服を着た数名の兵士たちと、作業服を着た一人の女性が、激しい銃撃戦を行っているのだ。

 

ひではライフルのスコープ越しに、その戦闘の推移を冷徹に観察した。

防衛側の兵士と思われる者たちは、すでに完全に壊滅状態にあった。

 

女性の足元には、無数の仲間たちが血の海に沈み、ピクリとも動かなくなっている。

生き残っているのは、作業服を着た女性一人のみだった。

 

彼女は物陰に身を隠しながら、必死の形相でアサルトライフルを構え、反撃を試みている。

だが、その弾幕は完全に敵に制圧されており、頭を上げることもままならない絶望的な状態に追い込まれていた。

一方、攻撃側である赤い服を着た兵士たちは、たった数名であるにも関わらず、圧倒的かつ異常な戦闘力を誇っていた。

 

「……女が一人で応戦してるのか。だが、なんだあいつらは。あの赤い服の連中、動きが人間離れしすぎてるぞ……!」

 

ひでは、自分の網膜に映る光景を疑い、何度も瞬きを繰り返した。

 

赤い服の兵士たちの動きは、ひでがこれまで培ってきた人類の身体能力の限界という常識を、根本から覆すものだった。

遮蔽物から遮蔽物へと移動する際の、目で追うことすら困難な異常なスピード。

軽く10メートルはあろうかという距離を、助走すらなしに容易く跳躍する恐るべき脚力。

そして、空中に身を躍らせながら、寸分の狂いもなく正確に作業服姿の女性の隠れている遮蔽物へと弾丸を撃ち込んでくる、人間離れした射撃技術。

 

まるで、重力そのものを自らの意志で支配しているかのような軽やかなステップ。

銃弾の雨を容易く掻い潜り、瞬時に敵の死角へと回り込む、スーパーコンピューターのような戦術眼。

彼らは、血の通った人間というよりは、戦闘のためだけに完璧に調整された生体兵器のようだった。

これが、遺伝子操作によって生み出された新人類であることなど、ひでが知る由もない。

 

さらにひでの視線は、戦闘が繰り広げられている区画の奥、格納庫の最深部に鎮座する巨大な影を捉えた。

 

「嘘だろ……。外を飛んでたやつだけじゃないのか……」

 

それは、アニメやSF映画の中でしか見たことのないような、巨大な人型ロボットそのものであった。

全高は優に15メートルを超えているだろうか。

 

装甲はまだ完全には塗装されておらず、むき出しの金属フレームや複雑な配線が絡み合っているのが見える。

その威容は、現代兵器の頂点とされる戦闘機や主力戦車すらも、子供のオモチャにしか見えなくなるほどの、圧倒的な暴力の結晶体であった。

 

あんなものが動き出せば、歩兵の持つ小火器など、それこそ豆鉄砲以下の意味しか持たなくなる。

黒煙の向こうに、人間の形をした巨大な鋼鉄の巨人が複数機、起動前の不気味な静寂を保ったまま、巨大な拘束具に繋がれていた。

 

赤い服の兵士たちは、生き残った女性を銃撃で完全に牽制しながら、極めて素早い動きで巨人のコックピットと思われる部位に次々と取り付いていく。

彼らの真の狙いが、この施設そのものの破壊や要人の暗殺などではなく、あの巨大な人型機動兵器の奪取であることは、ひでの目にも極めて明らかだった。

 

次々と機体が奪われ、起動していく音が響く。

階下では、女性が悲痛な叫び声を上げながら必死に銃爪を引いているが、戦力差はあまりにも歴然としていた。

 

このままでは、彼女が敵の凶弾に倒れ、命を落とすのも時間の問題だ。

ひでは無意識のうちに、手にしているライフルのグリップをミシリと音を立てるほど強く握りしめていた。

奥歯を強く噛み締め、今にもグレーチングを蹴破って飛び出しそうになる衝動を、全身の筋肉を硬直させて必死に堪える。

 

かつて、この身を呈してでも他者を守るために過酷な訓練に耐え抜いた元自衛官としての矜持が、ひでの心を激しく揺さぶっていた。

あそこで一人、絶望的な状況で戦い続けている女性を、安全圏であるダクトの中から見殺しにすることは、彼の魂に深く刻まれた正義感に反する行為だった。

 

手にしているライフルで、この上部のダクトから赤い服の兵士たちに奇襲の掃射をかければ、一瞬の隙を作ることができるかもしれない。

もしかしたら、その隙に彼女を救い出せるかもしれない。

 

(俺なら、やれるんじゃないか……?奇襲なら、いけるかもしれない!)

 

ひでの脳内で、ヒロイズムが危険な囁きを上げる。

 

(いや、ダメだ!冷静になれ!現実を見ろ!)

 

しかし次の瞬間、ひでは首を強く振り、自らの内に芽生えた甘いヒロイズムを力ずくでねじ伏せた。

思考の泥沼から、無理やりに現実へと意識を引き戻す。

 

ここは自分が知っている、戦術が計算可能な常識的な戦場ではないのだ。

敵は、常識外れの身体能力を持つ謎の強化兵士たちだ。

自分が上から射撃を開始した瞬間、彼らの鋭い殺意はこちらに向けられるだろう。

 

あの異常な跳躍力と射撃精度を持った連中に狙われれば、この薄っぺらい金網の床ごと、自分たちはあっという間に蜂の巣にされて終わる。

ここで自分が介入したところで、状況を覆せる確証などどこにもない。

何より、自分の背後にいる香取と鹿島を巻き添えにするわけには絶対にいかなかった。

 

もし自分が軽率な行動を起こして死ぬようなことがあれば、この見知らぬ異常な空間で右も左もわからない二人の女性は、確実にあの人外の兵士たちに狩られることになる。

言葉も通じないかもしれないこの狂った世界で、非戦闘員である彼女たちが生き残れる確率など皆無に等しい。

 

自分は映画の主人公でも、正義のヒーローでもない。

かつて国を守る誓いを立てた自衛官であったが、今はただの疲弊した32歳の中年男に過ぎないのだ。

優先すべきは、手の届く範囲にある命を確実に守り抜くこと。

自分を信じて背中を預けてくれている香取と鹿島を守り、無事に生き延びさせること。

 

それが、今のひでに課せられた唯一にして最大のミッションだ。

三十路を過ぎたサラリーマンの心に宿る、現実的で冷徹な打算。

それは、正義の味方であることを諦め、泥臭く命を繋ぐことを選んだ、一人の大人としての重い決断だった。

 

歯を食いしばり、口の中に血の味が広がるのを感じながら、ひでは階下の惨状からゆっくりと目を逸らし、固く目を閉じた。

耳に届く、女性の孤独で絶望的な銃声が、ひでの胸を鋭利な刃物で抉るように痛めつける。

 

「……悪いな、お嬢さん。俺たちは、俺たちの命を拾うだけで精一杯なんだ」

 

ひでは誰に聞こえるでもない小さな声で懺悔するように呟くと、静かに視線を外し、ダクト通路のさらに奥へと歩を進める決意を固めた。

 

「ひでさん……」

 

香取の痛ましげな、しかし非難の色は一切ない静かな声が、背後からひでの耳に届いた。

彼女もまた、階下で何が起きているのか、そしてひでがどれほどの苦渋の決断を下したのかを、その聡明さで完全に理解していたのだろう。

 

鹿島も黙って、ひでの背中を見つめている。彼女たちの瞳には、ひでに対する失望ではなく、深い信頼と共感が宿っていた。

 

「行くぞ。立ち止まってる暇はねえ」

 

ひでは感情を完全に押し殺した低い声で告げると、再び薄暗いダクトの奥を目指して這い進み始めた。

背後に響く、崩壊する工場の轟音と、見捨てることしかできなかった絶望的な銃撃戦の音を、その広い背中で重く受け止めながら。

 

生き残る。

 

ただその一点だけを目標に、彼らは血と鉄の匂いが立ち込める未知の戦場を、這うようにして進んでいった。

誰が敵で誰が味方なのか、この戦争の理由が何なのか。

そんな世界の真理など何も知らない彼らは、ただ理不尽な暴力の嵐の中から逃れ、明日という日を迎えるためだけに、暗い通路の先へと消えていった。

 

鼓膜を内側から圧迫し、脳髄を直接揺さぶるような重低音の爆発音が、絶え間なく施設の分厚い金属壁を震わせている。

 

「……ッ、走れ!振り返るな!」

 

ひでの怒声が、爆煙と粉塵が立ち込める薄暗い通路に響き渡る。

ダクトの淀んだ空気を抜け出した彼らを待っていたのは、無数の配管が複雑な幾何学模様のように絡み合う、迷路のような巨大な工業用裏通路だった。

 

天井に等間隔で設置された赤い非常灯が狂った周期で点滅を繰り返し、爆撃の衝撃で破断した太いスチーム管からは、肌を焼くような高温の蒸気が白いカーテンとなって容赦なく噴き出している。

 

「はぁっ、はぁっ……!ひでさん、後ろ!足音が……!」

 

最後尾を走る鹿島が、悲鳴のような声を上げた。

 

「わかってる! 止まるな、撃たれるぞ!」

 

ひでは手にしたアサルトライフルの重みを感じながら、三十代の疲弊した身体に必死に鞭を打つ。

背後の暗闇からは、硬質な軍靴の音が、死のカウントダウンのように確実にこちらへと迫ってきていた。

それも、明らかに通常の兵士の走る速度ではない。

 

「複数の追手です! 距離、およそ五十メートル! 彼らの異常な身体能力なら、数秒で追いつかれます!」

 

香取が、息を切らしながらも冷静な、しかし強い焦燥を帯びた声で状況を報告する。

階下の工場区画で目撃した、緑色の軍服を着た異常な身体能力を持つ兵士たちの姿が、ひでの脳裏に鮮烈にフラッシュバックする。

 

重力を無視したかのような跳躍力と、寸分の狂いもない精密な射撃。

あんな規格外の連中に背後を取られれば、自分たち三人の命など瞬きをする間に刈り取られることは火を見るより明らかだった。

 

「クソッ、どっちに行けばいい!?この区画、完全に構造がイカレてやがる!」

 

「ひでさん、前方左です!微かにですが、空気の流れを感じます!」

 

鹿島の特殊な索敵能力を信じ、ひでは迷わず左の通路へと身を躍らせた。

しかし、その先に待っていたのは、無慈悲な絶望の光景だった。

 

「なっ……!?」

 

ひでは急ブレーキをかけ、革靴の底を金属の床に激しく擦りつけながら立ち止まった。

 

「ひでさん!この先は……!」

 

続いて角を曲がってきた香取が、愕然とした声で絶句する。

 

彼らが頼みの綱として飛び込んだ通路は、上層階から崩れ落ちてきた巨大な瓦礫の山によって完全に塞がれ、僅かな隙間すら残されていなかった。

太い鋼鉄の梁が飴細工のように曲がって垂れ下がり、崩落したコンクリートの塊が道を完全に封鎖している。

 

「行き止まりだ……!冗談じゃねえぞ、こんなところでジ・エンドかよ!」

 

ひでは奥歯が砕けそうなほど強く噛み締め、絶望的な袋小路の状況に口汚く悪態をついた。

迂回路を探そうにも、左右は分厚く冷たい金属の隔壁に容赦なく阻まれている。

退路を完全に断たれた。

 

「ひでさん!足音がそこまで……!」

 

鹿島が両手で耳を塞ぐようにして、震える声で叫ぶ。

 

ひではライフルを構え、迫り来る敵を迎え撃つシミュレーションを脳内で走らせるが、導き出される生存確率は常にゼロだ。

相手は人間離れした動きを見せる、未知の強化兵士の集団。

丸腰に等しい素人の女性二人を背後で守りながら、正面からの撃ち合いを制することなど、どんな神に祈ろうが不可能である。

 

「クソッ、クソッ、クソッ! なにかないか、なにか……!」

 

視線を焦燥と共に激しく巡らせたひでの目に、一つの僅かな、しかし確実に存在する異常が飛び込んできた。

 

崩落した瓦礫の山のすぐ手前、右側の壁面の暗がり。

周囲の壁とは明らかに材質の違う、巨大な区画へと続く分厚い金属製のハッチが存在していたのだ。

 

そのハッチは、先ほどの激しい爆撃による衝撃でロック機構そのものが歪んで破壊されたのか、わずかに、人間がギリギリ通れるか通れないかという程度の半開き状態になっていた。

その僅かな隙間から漏れ出すのは、一寸先も見えない完全な暗闇と、古い機械油の匂いだけ。

 

中に何が潜んでいるかは、全く予測がつかない。

敵の待ち伏せにあう可能性すらある。

だが、背後から迫る確実な死の足音をただ待つよりは、未知の暗闇という不確定要素に飛び込む方が、まだ何万倍もマシな選択だった。

 

「おい、二人とも!あの右のハッチだ!あそこに入るぞ!」

 

ひでの叫びに、香取と鹿島は即座に反応した。

 

「しかし、あんな狭い隙間……人が通れるでしょうか!」

 

「通るんだよ!通らなきゃ死ぬだけだ!急げ!」

 

ひではハッチの前に駆け寄ると、ライフルを背中のスリングで素早く固定し、半開きになった巨大な金属扉の隙間に両手を深くねじ込んだ。

三十路を過ぎ、デスクワークですっかり鈍っていたはずの筋肉の繊維一本一本に、生存本能という名の強烈なアドレナリンが大量に送り込まれる。

 

「うおおおおおッ!動けええええッ!」

 

獣のような野太い咆哮と共に、ひでは顔の血管を浮き上がらせて真っ赤にしながら、数十トンはあるかと思われる重い金属の扉を、火事場の馬鹿力で力任せにこじ開けた。

 

「ギガガガガガッ!」という、金属同士が激しく削れ合う耳障りな摩擦音を立てて、ハッチがさらに数センチ、人間が辛うじて一人滑り込めるだけの隙間を広げる。

 

「早く!中へ入れ!」

 

「は、はいっ!」

 

鹿島が真っ先に身を屈めて入り、続いて香取が、美しい銀髪を振り乱しながら、身体を滑り込ませるようにして暗がりの中へと飛び込んでいく。

 

「敵が来ます! 曲がり角のすぐそこまで!」

 

中から鹿島が悲鳴のような声を上げた。

ひでは背後に殺気を感じながら、最後に隙間から強引に身を捩り、重いハッチを内側から全力で引き寄せた。

 

「閉まれえええッ!」

 

ガツン、と重厚な音を立てて外界の騒音と完全に隔絶された空間は、圧倒的な静寂と、肌を刺すような冷え切った空気に支配されていた。

 

三人が転がり込むようにして滑り込み、肩で息をしているその場所は、どうやら施設の設計図にも載っていないような、極秘裏に設けられた薄暗い秘密格納庫のようだった。

天井の遥か高い位置で、弱々しく明滅する非常灯の赤い光だけが、この異常なほど巨大な空間の輪郭を、不気味に辛うじて浮かび上がらせている。

 

「……ここは、一体なんなんですか……?」

 

香取が、乱れた呼吸を必死に整えながら、暗闇の奥へと目を凝らした。

 

「秘密の隠し部屋ってやつか……?だが、なんだこの匂いは。古い油と、オゾン……?」

 

ひでもまた、ライフルのグリップを握り直すことすら忘れ、目の前に広がる光景に目を奪われていた。

彼らのちっぽけな常識を根底から粉々に打ち砕く、圧倒的な威容を誇る鋼鉄の巨人が、そこには静かに鎮座していたのだ。

 

「ロボット……」

 

ひでのひび割れた唇から、呆然とした声が漏れた。

 

非常灯の毒々しい赤い光に照らされ、深い闇の中からその禍々しいシルエットを浮かび上がらせたのは、極秘裏に開発されていたテストカラーの巨大な人型機動兵器であった。

 

全高は優に十五メートルを、いやそれ以上を超えているだろう。

人間が見上げるような、あまりにも巨大な人型のシルエット。

装甲はまだ正式な運用テスト前の塗装が施されていないのか、無機質な灰色のテストカラーのまま、冷たく硬質な金属の光沢を鈍く放っている。

 

機体の各部からは、極太のケーブルが血液を送り込む血管のように何十本も無数に伸びており、周囲にそびえ立つ巨大な無数の拘束具によって、その強大な暴力の結晶を無理やりに封じ込められたまま、深い眠りについて沈黙していた。

 

「……さっき外で、壁をぶち破って飛んでたのと同じようなデカブツか」

 

ひでの脳裏に、数十分前、崩れたコロニーの外壁を破り、巨大な炎の尾を引いて宇宙空間へと飛び去っていった、巨大な兵器の姿が鮮烈なフラッシュバックとして蘇る。

 

階下の工場区画でも、別の形をした巨大なロボットが奪われ、起動していくのを見た。

あんな規格外の巨大なバケモノが、この狂った世界では戦場の主役として、当たり前のように飛び交っているのだ。

生身の人間が、小火器であるアサルトライフルを一丁持ったところで、あの分厚い装甲に傷一つ付けることすらできない。

 

もしこのまま生身の歩兵のままで逃げ回っていても、いずれあんな巨大な兵器のカメラに捕捉され、ゴミのようになす術もなく踏み潰されるか、熱線の雨に焼かれてひとたまりもなく肉片一つ残さず消し飛ばされるだろう。

 

「なんて巨大な……これが、この世界の兵器なのですか?」

 

香取が、眼鏡の位置を直しながら、畏怖の念を込めて呟いた。

 

「私たちが知っているどんな艦艇の主砲よりも、凶悪な匂いがします……。これがあの異常な兵士たちの手に渡れば……」

 

鹿島もまた、その圧倒的な存在感に気圧され、後ずさりをする。

 

逃げ場はない。

 

生身で戦う手段もない。

 

ならば、どうする。

 

生き残るための答えは、目の前にそびえ立つ、この巨大な鋼鉄の塊の中にしかない。

 

大人の打算。

徹底した現実主義者であるひでの脳髄が、この絶望的な状況を打破するための、唯一にして狂気じみた解答を、恐ろしい速度で弾き出していた。

 

「……おい」

 

ひでは、自分でも頭がおかしくなったとしか思えない提案を、極めて真剣な、血走った眼差しで口にした。

 

「外の連中があんな巨大なロボットを使って殺し合いをしてるなら、こっちもこれに乗れば、助かるんじゃないか?」

 

そのあまりにも突拍子もない言葉に、香取と鹿島は同時に息を呑み、信じられない狂人を見るような目でひでを見つめ返した。

 

「えっ!?」

 

鹿島が素っ頓狂な声を上げる。

 

「正気ですか、ひでさん!」

 

香取が、普段の冷静さを失って語気を荒げた。

 

「いくらなんでもそれは無茶です!このような未知の規格の巨大兵器を、マニュアルもなしに私たちが動かせるかどうかも全くの未知数なんですよ!?」

 

香取の言う通りだ。

 

自動車やセスナ機でさえ、専門の訓練とマニュアルなしに動かせるものではない。

ましてや、こんな全高十数メートルを超える規格外の二足歩行兵器など、ボタン一つ押すことすら命がけのギャンブルだ。

それは、ただの元自衛官であり、現在はサラリーマンであるひで自身が一番よく理解していた。

 

「わかってる!そんなことは百も承知だ!」

 

ひでも負けじと声を荒げる。

 

「だがな、じゃあどうする!?ここで手をこまねいて、外の連中がこの扉をこじ開けて入ってくるのを待つか!?丸腰で降伏すれば助けてもらえるような甘い連中じゃないってことは、階下の惨劇を見てお前らもわかってるはずだ!」

 

ひでの血を吐くような説得に、香取は唇を噛み締め、反論の言葉を詰まらせた。

 

「それとも、俺の持ってるこの豆鉄砲一丁で、あの化物じみた兵士たちに突撃でもするか!?あんなデカブツが外をウロウロしてる状況で、生身で逃げ切れる確率なんてゼロに等しいんだよ!」

 

「それは……そうですが……!しかし、操縦の知識が……」

 

「動かなくてもいい!最悪、あの分厚い装甲の中に隠れていれば、ただの壁の裏にいるよりは何倍も生存確率は上がるはずだ!」

 

ドンッ!!

 

突如として、ひでの言葉を遮るように、彼らが直前まで背を向けていた分厚いハッチが、外側から強烈な物理的衝撃を受けた。

 

「きゃあっ!」

 

鹿島が短く悲鳴を上げる。

 

ドンッ!!ガガガガガッ!!

 

悲鳴のようなけたたましい金属音が格納庫内に響き渡る。

 

「ひでさん、香取姉さん!揉めている時間はありません!」

 

鹿島が、彼女特有の優れた索敵能力で扉の向こう側の状況を正確に感知し、切羽詰まった声で叫んだ。

 

「外の連中が、扉を完全に破壊しようとしています!爆薬か、何か重機のようなものを持ち出しました!長くは持ちません!」

 

敵の追跡部隊が、この隠された格納庫の存在に完全に気づき、無理やりにこじ開けようとしているのだ。

数十センチの厚みがあるはずの金属の扉が、ミシリ、ミシリと嫌な音を立てて内側へとひしゃげ、隙間から火花が散り始めている。

 

猶予は、数分どころか、数秒しかないかもしれない。

ここで立ち止まって議論をしている間に、あの扉が吹き飛び、銃弾の雨が降り注ぐだろう。

 

「悩んでる暇はねえ、一か八かの大博打だ!」

 

ひでの決断は、極限状態にあって誰よりも早かった。

大人は、生き残るためならばプライドも体裁もかなぐり捨てる生き物だ。

 

「この装甲の中に隠れるぞ!」

 

ひでは、首元で鬱陶しく揺れていたスーツのネクタイを乱暴に掴むと、力任せに引きちぎって床に投げ捨てた。

 

「行くぞ!俺に続け!」

 

手にしたライフルをスリングで背中にしっかりと固定し直すと、巨大な機体の脚部を取り囲むように設置されている、整備用の無骨な鉄骨の足場へと躊躇うことなく飛び乗った。

 

「早く来い!死にたくなければ登れ!」

 

ひでは、三十代の衰えを微塵も感じさせない俊敏な身のこなしで、鉄骨の足場を猿のように素早く、一段飛ばしでよじ登っていく。

鉄骨の足場は滑りやすく、少しでもバランスを崩せば真っ逆さまに転落し、コンクリートの床に叩きつけられて全身の骨が砕けるだろう。

それでも、背後から迫るアサルトライフルの凶弾よりは何倍もマシだ。

 

「……鹿島!ひでさんに続きますよ!」

 

香取も、もはやその提案に迷っている余裕などなかった。彼女は覚悟を決めたように眼鏡を押し上げると、鹿島の手を強く引いた。

 

「はいっ!」

 

彼女たちもまた、生き残るという強い意志を瞳に宿し、ひでの後を追い、タイトなスカートが破れることすら気に留めず、無我夢中で足場を駆け上がる。

足元の遥か下からは、ハッチを破壊しようとする暴力的な衝撃音が、心臓の鼓動を狂わせるような恐ろしいリズムで響き続けている。

 

「クソッ、どこだ!この装甲を開けるスイッチはどこだ!」

 

機体の胸部、地上から十メートルほどの高さに位置するコックピットブロックに辿り着いたひでは、暗がりの中で装甲の表面を手探りで必死に探った。

 

「ひでさん、そこ!その赤いレバー!」

 

下から登ってきた香取が、鋭い視力で強制開放用の外部レバーを発見し、声を上げる。

 

「これか!」

 

ひでは祈るような気持ちで、その赤いレバーに両手をかけ、全身の体重を乗せて力任せに手前へと引いた。

プシューッ、という高圧の圧縮空気が抜けるような重厚な排気音と共に、巨大な胸部装甲が前方にスライドし、暗く狭いコックピットハッチがついに開け放たれた。

 

「開いた!よし、早く入れ!」

 

ひではハッチの縁にしがみつきながら、下から登ってきた鹿島と香取に向かって叫ぶ。

その直後、足元のハッチから、ついに金属が完全に破断する鋭い轟音が鳴り響いた。

 

「そこだ!中に逃げ込んだぞ!」

 

外から、見知らぬ軍服を着た兵士たちの怒声が格納庫内に響き渡る。

敵が侵入してきたのだ。

 

「急げ!」

 

ひでの怒鳴り声に急かされ、三人は未知の鋼鉄の塊の中へと、その身を投じていった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。