資源衛星ヘリオポリスの崩壊跡に広がる暗礁宙域のただ中で、二つの閃光が激しく交錯し、闇を切り裂いていた。
アークエンジェルの直掩圏内に留まりながらも、ストライクガンダムのコックピットは、すでに異常なほどの熱気と焦燥感に包まれていた。
メインモニターから発せられる激しい閃光が、汗にまみれ、苦痛に歪むキラ・ヤマトの顔を青白く照らし出している。
彼の呼吸は極端に浅く、ヒューヒューという掠れた音がヘルメットの中に響き、全身が小刻みに震えていた。
高熱によって視界はひどく霞み、計器の数値すら二重三重にぼやけて見え、もはや正確な数値を読み取ることすら困難な状態だった。
コーディネイターとしての強靭な肉体と処理能力をもってしても、連日の極限状態での戦闘と、戦闘中のOS書き換え作業による過労は、十六歳の少年の限界をとうに超えていた。
額から流れ落ちる汗が目に入っても、それを拭う余裕すらない。
警報アラートの甲高い音が、割れるように痛む頭の中で容赦なく反響し続けている。
「はぁっ……はぁっ……!」
キラは乾ききった唇から荒い息を吐き出しながら、重い鉛の塊のように感じられる操縦桿を必死の思いで動かした。
全周囲モニターには、怒り狂ったような猛烈な勢いで突撃を繰り返す白と青の機体、デュエルガンダムの姿が映っている。
パイロットであるイザーク・ジュールの苛立ちと殺意は、機体の凶暴な動きを通じて直接コックピットまで伝わってくるようだった。
『ちょこまかと逃げ回るな! 地球軍の腰抜けが!』
イザークの怒声が、通信回線をビリビリと震わせる。
デュエルガンダムがビームライフルを連射し、ストライクの対ビームシールドに強烈な着弾の衝撃を走らせた。
シールド表面の特殊コーティングが焼け焦げ、火花が散り、ストライクの機体がその衝撃で大きくバランスを崩す。
キラは歯を食いしばり、薄れゆく意識を必死に繋ぎ止めながら姿勢制御スラスターを吹かして、なんとか体勢を立て直した。
しかし、防御を固めるのが精一杯であり、反撃に転じる余裕など全くなかった。
ただでさえ高熱で思考がまとまらない上に、相手はザフトの軍事アカデミーをトップクラスの成績で卒業したエリートパイロットである。
ストライクの圧倒的な機体性能と、キラ自身の類稀なる反射神経だけで、辛うじて致命傷を避けているという薄氷を踏むような状態だった。
『どうした! さっきまでの威勢はどこへ行った! この俺をコケにした代償、その命でキッチリ払ってもらうぞ!』
デュエルガンダムが背部のスラスターを最大限に吹かし、ビームサーベルを引き抜いてストライクの懐へと一気に飛び込んでくる。
キラは咄嗟の判断で腰部のアーマーシュナイダーを抜き放ち、デュエルの上段からの斬撃を間一髪で受け止めた。
激しい金属音と共に、両機の間にプラズマの火花が荒れ狂うように吹き荒れる。
モビルスーツ同士の凄まじい力がぶつかり合うパワー負けの衝撃が、コックピットのキラの肉体を激しく揺さぶった。
押し合いになれば、高熱と疲労でまともに操縦桿を握る力すら残っていないキラに勝ち目はなかった。
ストライクの機体が、デュエルの圧倒的な推力に押され、じりじりと後方へと押し込まれていく。
その時、もう一機の影がデブリの陰から滑り出るようにして、ストライクの背後へと回り込んできた。
真紅の装甲を持つ指揮官機、イージスガンダムである。
『イザーク、待て! そいつを破壊するな!』
オープン回線に割り込んできたのは、アスラン・ザラの切実で悲痛な声だった。
イージスガンダムが高速巡航用のモビルアーマー形態からモビルスーツ形態へと複雑な変形機構を稼働させながら、デュエルとストライクの間に割って入ろうとする。
『邪魔をするな、アスラン! こいつは俺の獲物だ!』
『違う! そいつのパイロットは、俺の……!』
アスランはイザークの怒号を遮り、ストライクの機体へと直接通信波を向けた。
その声には、敵に対する怒りではなく、深い戸惑いと、信じたくない現実を突きつけられた悲痛な響きが込められていた。
『キラ……キラなんだろ!? なぜお前が、地球軍のモビルスーツに乗っている!』
アスランの悲痛な呼びかけに、キラの心臓が大きく跳ね、息を呑んだ。
幼い頃、月の都市コペルニクスで共に学び、遊び、同じ時間を過ごした無二の親友。
手作りの機械鳥であるトリィを手のひらに乗せてくれ、別れ際に必ずまた再会しようと誓い合った、かけがえのない大切な友人。
そのアスランと、まさかこんな血で血を洗う殺し合いの戦場で、お互いに兵器に乗り込み、敵同士として再会することになろうとは。
運命の残酷さに、キラの目から高熱の汗に混じって一筋の熱い涙がこぼれ落ちた。
「アスラン……っ!」
『機体ごと投降しろ、キラ! お前はザフトの人間、俺たちと同じコーディネイターだ! なぜナチュラルの軍隊なんかにいる! 今すぐ投降すれば、俺が必ずお前の命は保証する! だから、降りろ!』
アスランの必死の説得の言葉は、彼なりの深い友情と気遣いに満ちていた。
同胞であるはずのキラが、なぜ敵である地球軍の兵器に乗って、自分たちに刃を向けているのか。
アスランにはその理由が全く理解できず、ただ戦場で親友を殺したくない、救いたいという一心で叫んでいた。
しかし、その言葉は、アークエンジェルに残してきた友人たちの顔を思い浮かべたキラの心を、激しくかき乱し、切り裂いた。
「違う……僕は、地球軍じゃない!」
キラは悲鳴のように叫びながら、ストライクの全スラスターを吹かしてイージスから強引に距離を取った。
『じゃあなぜ戦う! お前が戦う理由なんてないはずだ!』
「僕の友達が、あの艦に乗ってるんだ! フレイも、トールも、サイも、ミリアリアも! 誰も戦いたくて戦ってるわけじゃない!」
キラは震える手でビームライフルを構え、イージスへ向けて牽制の威嚇射撃を行った。
熱と涙で霞む視界では狙いは正確ではなく、放たれたビームはイージスの横の空間をむなしく通り過ぎていく。
キラは肺の底から空気を絞り出すようにして、悲痛な声を張り上げた。
「あの艦が沈めば、みんな死んでしまう! 僕は……艦の仲間を、守りたいだけだっ!」
その魂を削るような悲痛な叫びは、コックピット内の通信機を通じて、アークエンジェルのブリッジにもはっきりと届いていた。
メインコンピューターの前でオペレーターを務めるミリアリア・ハウが、両手で口を覆い、大粒の涙をこぼしながらモニターを見つめていた。
彼女の隣の席では、サイ・アーガイルやトール・ケーニヒたちも、ただ激しい無力感に苛まれながら、友人の孤軍奮闘を見守るしかなかった。
『キラ……ごめん……僕たちのせいで……!』
サイが悔しげにコンソールに拳を叩きつけ、ギリッと歯ぎしりをする。
彼らがこうして安全な艦内で息をしていられるのは、高熱で倒れる寸前のキラが、たった一人で外の地獄を引き受けて、矢面に立ってくれているからだ。
艦長席に座るマリュー・ラミアスもまた、指揮官としての責任の重さと、大人としての不甲斐なさに深く唇を噛み締めていた。
『彼にばかり、命を削るような負担を強いている……。これが、私たち大人のやることなの……』
マリューの悲痛な呟きを、隣に立つ副長のナタル・バジルールが、あえて厳しい表情を作って受け止めた。
『泣き言を言っている場合ではありません、艦長。我々にできるのは、彼の盾となっているゼータプラスを援護し、一刻も早くアルテミスの防衛圏内へ逃げ込むことだけです。それが彼らの命に報いる唯一の手段です』
ナタルは冷徹な軍人としてそう言い放ちながらも、コンソールを操作する彼女の手には、隠しきれない微かな震えがあった。
彼女もまた、十代の少年に命を預けなければ生き残れないという軍人としての圧倒的な屈辱と、不甲斐なさを心の中で呪っていたのだ。
『ゴットフリート、照準! ストライクを援護し、敵機を牽制しろ! 少しでも彼の負担を減らすんだ!』
ナタルの鋭い号令と共に、アークエンジェルの主砲が火を噴いた。
二筋の高エネルギービームが宇宙空間を一直線に切り裂き、デュエルとイージスへ向けて放たれる。
しかし、ザフトの精鋭である彼らは、巨大な艦の鈍重な主砲の射線など容易く見切っていた。
『チッ、目障りな足掻きおって!』
イザークのデュエルが身を翻してビームを躱し、再び殺意を剥き出しにしてストライクへと迫る。
その一方で、キラの孤軍奮闘を誰よりも案じている大人の男が、別の宙域で文字通りの死闘を繰り広げていた。
グレーのロービジリティ迷彩を施されたゼータプラスを駆るひでである。
彼はバスターの圧倒的な面制圧砲撃と、ステルス機能を持つブリッツの神出鬼没な奇襲という、二重の恐るべき脅威を単機で引き受けていた。
『ひでさん! ストライクのエネルギー残量がレッドゾーンに突入しました!』
ブリッジでセンサーを監視する鹿島からの、悲鳴にも似た悲痛な報告が、ひでのインカムに飛び込んできた。
ひでは操縦桿を握り締め、バスターの放つ無数のミサイルを強引な姿勢制御で
躱しながら、激しく舌打ちをした。
「クソッ、あの馬鹿! 防御に徹しろと言ったのに、感情に任せて激しく動きすぎだ!」
ひでは全周囲モニターの片隅で、ストライクがイージスとデュエルを相手に、回避と防御の激しい機動を繰り返しているのを確認した。
ストライクの装甲を覆うフェイズシフト装甲は、物理的な衝撃を完全に無効化する絶対防壁である代わりに、被弾するたびに、そして装甲を維持するだけでも莫大な電力を消費する。
さらに、回避のための姿勢制御スラスターの多用や、ビームライフルの連続使用も、機体の限られたバッテリーを急速に食い潰していくのだ。
高熱で正常な判断力と計算能力を失っているキラは、エネルギーのペース配分など全く考えず、ただ生き残るための本能のままに機体を振り回しているようだった。
『ストライク、稼働限界まであと百二十秒! このままの消費レートでは、確実にフェイズシフトダウンを引き起こします!』
香取の冷静な、しかし明確な危機感を含んだ警告の声が続く。
ひではゼータプラスの腰部ビーム・カノンでブリッツが潜んでいそうな空間を牽制射撃しつつ、アークエンジェルの方角へと強引に機首を向けた。
「俺がストライクのカバーに入る! 香取、鹿島! バスターの射線に気をつけながら、ストライクへの最短ルートを割り出せ!」
ひでは推進剤の残量を気にしつつも、スロットルを全開にしてストライクの元へと急行しようとした。
だが、歴戦の砲手であるディアッカ・エルスマンが、その焦りに満ちた動きを見逃すはずがなかった。
『どこへ行くつもりだ、地球軍の新型! お前の相手はこの俺だぜ!』
深緑のバスターガンダムが、ゼータプラスの行く手を完璧に遮るように立ちはだかり、超高インパルスの連結砲火を放った。
極太のビームの奔流が宇宙空間を薙ぎ払い、ひでは反射的に機体を急降下させて回避せざるを得なくなる。
「邪魔をするな、緑のデカブツがっ!」
ひでは苛立ち紛れにビーム・スマートガンを連射するが、ディアッカは巧みに巨大なデブリを盾にして攻撃を防ぎ、じりじりとゼータプラスを追い詰めるように距離を詰めてくる。
バスターの圧倒的な面制圧能力と計算された射撃によって、ひではストライクへの救援ルートを完全に分断されてしまったのだ。
『ひでさん、突破できません! 敵はあなたをストライクに近づけないつもりです!』
鹿島の焦燥に満ちた声が響く。
「分かってる! だが、このままじゃキラが……!」
ひでが、子供一人守れない大人の男としての無力感に奥歯を砕けんばかりに噛み締めていた、まさにその時だった。
ストライクのコックピット内に、これまで鳴り響いていた警告音とは違う、甲高く、そして無機質で絶望的なアラートが鳴り響いた。
『ピーッ! ピーッ! ピーッ!』
機体のバッテリー残量が規定値を完全に下回ったことを知らせる、最後通告のアラート。 モニターの端で激しく明滅していたエネルギーゲージが、ついに底を突いたのだ。
「あっ……!」
キラは熱に浮かされた頭で、その警告音が意味する残酷な現実を瞬時に理解した。
機体のコントロールが急速に重くなり、操縦桿からのフィードバックがふっと失われていく。
スラスターの出力が極端に低下して機動力が奪われ、頼みの綱であったビームライフルはもはやただの鉄の塊と化した。
そして何より、キラの命を繋ぎ止めていた絶対的な防御の壁が、音もなく崩れ去ろうとしていた。
『キラ! 装甲のエネルギーが切れるぞ! 艦へ戻れ!』
通信回線越しに、ひでの血を吐くような悲痛な叫びが響き渡る。
しかし、その声が届いた時には、すべてが遅すぎた。
ストライクの全身を覆っていた、鮮やかな赤と白、そして青のトリコロールカラー。
それが、まるでキャンバスの絵の具が水で洗い流されるように、機体の末端から中心に向かってフッと色を失っていった。
『なっ……!?』
モニター越しにその光景を見ていたアスランが、驚愕に目を見開く。
アークエンジェルのブリッジでも、マリューやナタルが絶望に息を呑んだ。
物理攻撃を完全に無効化するフェイズシフト装甲の機能停止。
いわゆる、フェイズシフト・ダウンである。
色を失ったストライクは、ただの無機質な灰色の金属の塊へと変わり果て、推進力を失って宇宙の闇の中に力なく浮かんでいた。
もはや実弾の直撃はおろか、わずかなデブリの衝突すら機体に致命的なダメージを与えかねない、戦場において最も無防備で脆弱な状態。
十六歳の少年は、操縦桿を握りしめたまま、ただただ自分の死を予感させる絶望的な光景をモニターで見つめることしかできなかった。
『エネルギー切れか! 貰ったぁっ!!』
その決定的な隙を、復讐の炎を燃やすイザーク・ジュールが見逃すはずがなかった。
デュエルガンダムが、背部のスラスターを限界まで吹かし、猛禽類のように猛然とストライクへと襲いかかる。
右手に握られたビームサーベルが、最大出力でピンク色の光刃をほとばしらせ、無抵抗となった灰色の機体のコックピットを両断すべく、大きく振りかぶられた。
「やめろぉっ!」
キラは絶望の中で叫び、迫り来る死の光から逃れるように目を強くつむった。
アークエンジェルのブリッジでは、ミリアリアやフレイが悲鳴を上げて顔を覆い、泣き崩れる。
「キラァッ!!」
ひでが鼓膜が破れるほどの絶叫と共に、ゼータプラスの推進剤を爆発的に燃焼させ、バスターの砲火を完全に無視してストライクの元へと強引に割って入ろうとした。
しかし、その自らの命を投げ打つような決死の突撃すらも、ディアッカの冷酷で正確な砲撃によって行く手を阻まれる。
『よそ見してんじゃねえよ! お前の命も、ここで終わりだ!』
バスターの放ったガンランチャーの濃密な弾幕が、ゼータプラスの進路を完全に塞ぎ、眼前で激しい爆発の連鎖を引き起こした。
ひでは爆炎と衝撃波に包まれながら、自らの無力さに絶望と怒りの声を漏らす。
デュエルのピンク色に輝く凶刃が、機能停止したストライクの装甲に届くまで、あとわずか数メートル。
戦場にいる誰もが、少年の残酷な死を確信した、その瞬間だった。
第3章【沈む装甲と、交差する友】 後半
機能停止し、無限の暗黒に力なく浮かぶ灰色のストライクガンダム。
そのコックピットブロックを真っ二つに両断すべく、イザーク・ジュールの駆るデュエルガンダムが、背部の高推力スラスターを限界まで吹かして猛然と突撃してきた。
右手に強く握りしめられたビームサーベルが、最大出力でピンク色の致死の光刃をほとばしらせながら、音もなく、しかし絶対的な死の気配を纏って大きく振りかぶられる。
数千度の高熱を持つプラズマの刃が、もはや物理的な衝撃を全く防ぐことのできない無防備な装甲を紙切れのように焼き切ろうと、無慈悲な速度で迫る。
高熱と極度の疲労で身動き一つ取れないキラ・ヤマトは、自分自身の確実な死を悟り、恐怖に引きつった顔で両目を強く閉じた。
アークエンジェルのブリッジで祈るようにモニターを見つめる仲間たちも、猛火に阻まれ手出しできないひでも、誰もがこの十六歳の少年の最悪の結末を確信した、まさにその刹那だった。
『やめろ、イザークっ!!』
オープン回線をビリビリと震わせるほどに悲痛な、しかし絶対に譲らないという強固な意志を持った怒声が響き渡った。
それと同時に、暗礁宙域のデブリの陰から、真紅の機体が猛烈な推進力を伴って、デュエルガンダムとストライクガンダムの間に文字通り横殴りに突っ込んできた。
アスラン・ザラの乗るイージスガンダムである。
イージスガンダムは、デュエルガンダムが振り下ろした渾身のビームサーベルの刃を、自らの左腕に強固にマウントされた対ビームシールドで強引に受け止め、力任せに弾き飛ばした。
凄まじい質量の衝突音と、目を焼くような強烈なプラズマの閃光が、暗黒の宇宙空間に激しく散る。
突如として乱入し、あろうことか憎き敵機を庇った味方の信じられない行動に、イザークは驚愕と、沸点を超えるほどの激しい怒りを露わにした。
『アスラン! 貴様、一体何をする気だ!! そいつは俺の顔に傷をつけた獲物であり、地球軍のパイロットだぞ! なぜ俺の邪魔をする!』
通信機越しであっても、イザークがヘルメットの中で顔を真っ赤にして激昂し、唾を飛ばしているのがはっきりと分かるほどの凄まじい怒声だった。
しかし、アスランは友の怒りに一歩も引くことなく、イージスガンダムの機体をストライクガンダムを完全に庇うような位置に立たせた。
『こいつは、俺が捕獲する!』
アスランは極めて冷徹さを装った声で、しかしその奥底で渦巻く感情を必死に押し殺すようにして、明確に宣言した。
『寝言を言うな! 先程からそいつを庇うような腑抜けた真似ばかりしおって! 貴様、プラントを裏切る気か!』
『裏切りなどではない! 冷静に考えろ、イザーク! こいつの機体データとOSの構造は、ここでただ破壊してしまうよりも、無傷のままプラントに持ち帰った方が、軍の利益に大きく叶うはずだ! それに、中に乗っているパイロットは、俺たちと同じコーディネイターなんだぞ!』
アスランの軍人としての正論とも、ただ友を救うためだけの強弁ともつかないギリギリの言い分に、イザークは忌々しげに、そして激しく舌打ちをした。
確かに、現在ザフトが喉から手が出るほど欲している、地球軍の最新鋭モビルスーツの無傷の機体と、それを単機で運用していた未知のコーディネイターを捕獲できれば、そこから得られる技術的情報と戦略的価値は計り知れない。
軍人としての冷徹な理屈を正面から突きつけられ、イザークは振り上げたピンク色の剣のやり場を完全に失っていた。
『チッ……! 勝手にしろ! だが、もしそいつが少しでも反抗する素振りを見せたり、逃げようとしたりすれば、俺が必ずこの手で真っ二つに両断してやるからな!』
デュエルガンダムがビームサーベルのプラズマ出力を落とし、威嚇するようにじりじりと後退していく。
その息の詰まるようなやり取りの間、機能停止したストライクのコックピットの中で、キラは荒い息を吐きながらモニターの映像を、ただ信じられない思いで見つめていた。
自分を殺そうとした憎き敵機を、かつての無二の親友が自らの命を懸けて制止し、救ってくれたのだ。
だが、その一時的な安堵は、一瞬にして底知れない絶望の淵へと変わることになる。
アスランの乗るイージスガンダムが、各部のフレームと関節を複雑にスライドさせ、人型のモビルスーツ形態から、四つの巨大な鉤爪を備えた強襲機動形態、すなわちモビルアーマーへとその姿を異様に変形させたのだ。
真紅のモビルアーマーが、機体前方に突き出された四つの巨大なクローを大きく開き、エネルギーが尽きてピクリとも動けない灰色のストライクへと、獲物を捕食する蜘蛛のように覆い被さってくる。
そして、その強靭で鋭利な金属の爪が、ストライクの胴体と四肢をガッチリと、そして絶対に逃げ場のないほど完全に拘束した。
「あっ……!」
激しい金属同士が擦れ合い、フレームが軋む鈍い音が、装甲越しにコックピットの内側にまで不気味に響いてくる。
キラは恐怖に駆られて操縦桿を必死に動かし、振りほどこうとするが、完全にバッテリーが空になった機体はウンともスンとも反応しない。
四肢の自由を完全に奪われ、まな板の上の鯉となった絶望的な状態だった。
『キラ! お前がなぜ、こんな愚かな真似を……! 地球軍の兵器に乗って、同胞である俺たちに銃を向けるなんて、絶対に間違っている!』
アスランの悲痛な、血を吐くような声が、再びコックピットの通信機に響き渡る。
その声には、親友を間一髪で救えたことへの安堵と、彼が地球軍に与して敵対しているという事実に対する、激しい憤りと悲しみが複雑に入り混じっていた。
『だが、もう戦いは終わりだ! このまま大人しく、俺の捕虜になれ! プラントの最高評議会に連れて帰り、お前がなぜこんなことをしたのか事情をすべて話せば、俺が必ず、何に代えてもお前の命だけは保証してみせる! だから、お願いだ、これ以上無駄な抵抗はするな!』
「アスラン……違う……僕は……!」
キラは高熱に浮かされ、割れるように痛む頭で、必死に言葉を紡ごうとした。
自分は決して、地球軍の兵士として彼らと戦っているわけではない。
あのアークエンジェルに乗っている、自分を頼りにしてくれている大切な友人たちを守るために、仕方なくこの化け物に乗って戦っているだけなのだと。
だが、もしこのまま自分が捕虜としてプラントへ連行されれば、ストライクという最大の盾を失ったアークエンジェルと、そこに残された友人たちはどうなるのか。
容赦のないザフトのエリートパイロットたちの追撃によって、間違いなくこの暗く冷たい宇宙の塵となって消え去るだろう。
フレイの怯えて震える顔が、ミリアリアの泣き崩れる顔が、サイやトールの絶望する顔が、キラの脳裏を鮮明によぎる。
「離して……! 僕は、みんなのところに帰らなきゃいけないんだ……! アスラン、お願いだから……僕を離してよっ!」
キラは絶望的な状況の中で、ポロポロと大粒の涙をこぼしながら、かつての親友に向かって子供のように哀願した。
しかし、アスランの決意は固く、イージスガンダムの強靭なクローは、その締め付ける力を決して緩めようとはしなかった。
『お前の言う「みんな」とは、あの地球軍の軍艦に乗っているナチュラルたちのことか!? なぜお前が、彼らナチュラルのために命を懸けて戦わなければならないんだ! 目を覚ませ、キラ! お前の居場所は、あそこじゃない!』
アスランはイージスガンダムの強力な推進器を吹かし、灰色のストライクをクローで拘束したまま、ザフトの母艦であるヴェサリウスの方角へと、急速な移動を開始した。
かつての親友に力ずくで捕縛され、圧倒的な力の差の前に、全く望まない敵軍へと連れ去られようとする光景。
それは、過酷な運命に翻弄され続けた十六歳の少年から、生きるためのすべての希望を無慈悲に奪い去るには、十分すぎるほどの深い絶望だった。
「アスラン……やめて……! 行かないで……!」
キラの悲鳴のような、細く掠れた懇願が虚空の闇に消えていく中、その痛ましい惨状を遠くから見つめていた大人の男の、理性の堪忍袋の緒が、ついに完全に千切れた。
「キラから離れろぉっ!! この赤い化け物がぁっ!!」
ひでの乗るグレーのゼータプラスが、ビーム・スマートガンを牽制のために乱射しながら、狂ったような速度でイージスガンダムの方角へと突進していく。
彼の瞳は怒りで真っ赤に血走り、これまで保っていた冷静な大人としての理性は、自分を慕ってくれた大切な少年を目の前で奪われそうになっている激しい怒りによって、完全に吹き飛ばされていた。
しかし、その自らの命すら顧みない決死の突撃の前には、なおも分厚く、そして冷酷な絶望の壁が立ち塞がっていた。
『よそ見をしてる余裕があるのかよ、地球軍の新型さん! お前の相手は、この俺だと言ってるだろうが!』
ディアッカ・エルスマンの駆る深緑のバスターガンダムが、ゼータプラスの横腹を的確に突くようにして、超高出力の連結砲火を間髪入れずに放ってきた。
極太のビームの奔流が、ひでの機体のわずか数メートル先を掠め飛び、宇宙空間を焼き尽くし、機体の装甲表面を危険な温度にまで急上昇させる。
ひでは舌打ちをしながら、反射的に姿勢制御スラスターを激しく吹かして、機体を強引に横転させて回避行動を取らざるを得ない。
「クソッ、俺の邪魔をするな! 退けぇっ!」
ひでは腰部のバインダーにマウントされたビーム・カノンで反撃の牽制射撃を行うが、歴戦のエースであるディアッカは、巨大なヘリオポリスのデブリを巧みに盾にしてこれを防ぎ、決してゼータプラスをイージスに近づけまいと立ち回る。
さらに、見えない悪魔が再びその牙を背後から剥いた。
『ひでさん! 右舷後方より、急速に接近する波の反応! ブリッツです!』
アークエンジェルのブリッジから、鹿島の切羽詰まった声がインカムに響き渡る。
ひでが回避のために機体を左へと大きくスライドさせた直後、ミラージュコロイドの展開を解除して空間から唐突に実体化したブリッツガンダムが、攻盾システム「トリケロス」の実体剣を、ゼータプラスの背中へと深々と突き立てようと迫っていた。
『貰った! 今度こそ絶対に外さない!』
ニコル・アマルフィの、若くも冷酷な必殺の一撃。
しかし、ひでの背中を命懸けで守る二人の女神の研ぎ澄まされた眼は、完全にその死の軌道を読み切っていた。
『強制回避プログラム、作動! ひでさん、そのままスロットルを最大に引いて!』
香取の冷静かつ強引な遠隔操作により、ゼータプラスの機体が物理法則を無視したかのような不自然な軌道を描いて沈み込み、ブリッツの刺突を紙一重の距離で躱す。
ひでは強烈なマイナスGに内臓を潰されそうになり、視界がブラックアウトしかけながらも、操縦桿を強引に引き絞り、機体を反転させてブリッツへ向けてスマートガンを放った。
『チッ……! なぜ当たらん! バケモノめ!』
ブリッツが慌ててスラスターを吹かして後退し、再びミラージュコロイドを展開して姿を消す。
姿を見せない神出鬼没の奇襲機と、圧倒的な面制圧火力を誇る重砲撃機。
この厄介極まりない二機を同時に相手にして攻撃を躱しながら、はるか遠くへと逃げ去ろうとするイージスガンダムを追撃するなど、いかに優れたパイロットであっても絶対に不可能な離れ業だった。
「香取! 鹿島! あの赤いのを絶対に逃がすな! 推進剤が尽きても構わん、最優先でキラを追え!」
ひでは喉から血が出るほどの声で叫びながら、被弾を覚悟でバスターの濃密な弾幕の中へと強引に突っ込もうとした。
『ひでさん、落ち着いてください! 今の機体状態でバスターの射線を強行突破すれば、確実に撃墜されます! それは犬死にです!』
香取の教官としての厳しくも悲痛な声が、ひでの無謀な暴走を制止しようとする。
『それに、ひでさん……! もし今、無理をしてイージスに追いついたとしても……!』
鹿島の声が、絶望的な震えを帯びていた。
「なんだ! 言いたいことがあるならはっきり言え!」
ひではバスターから放たれた無数のミサイルを頭部のバルカンで撃ち落ながら、通信機に向かって怒鳴った。
『現在のイージスガンダムは、捕獲したストライクを自らの機体の前面に抱え込むような形で拘束し、飛行しています! つまり……』
「つまり……なんだと?」
ひでの背筋に、宇宙空間の真空よりも冷たい氷のような汗が流れ落ちた。 自衛隊時代に幾度も繰り返した、人質救出を想定したCQB(近接戦闘)訓練の記憶が、嫌な形で脳裏をよぎる。
『後方から追撃する少尉のゼータプラスの射線上には、常にストライクが「盾」として存在することになります!』
香取が、一切の感情を排した声で、しかし深い悲しみを込めて、残酷な事実を容赦なく突きつけた。
『現在のストライクはフェイズシフトダウンしており、装甲はただの金属の塊です! 実弾はおろか、ゼータプラスのビームの余波をかすっただけでも、機体は融解し致命的なダメージを受けます! 少しでも射線がブレれば、あなたが、あなた自身の手で、キラさんを撃ち殺すことになるんです!』
「…………ッ!!」
ひでは操縦桿を握る手の力を、思わず完全に緩めそうになった。
メインモニターを最大倍率に拡大し、デブリの向こうへと遠ざかっていく真紅のイージスの姿を捉える。
香取の絶望的な分析の通りだった。
モビルアーマー形態のイージスの四つの巨大なクローにガッチリとホールドされた灰色のストライクは、イージスを背後からのあらゆる攻撃から守る、完璧な肉の盾と化していた。
「あのアスランとかいう野郎……! 偶然じゃない。完全に計算して、わざとキラを盾にするような卑劣な陣形を取ってやがるのか……!」
ひでは奥歯が砕けそうなほど強く噛み締め、口の中に鉄の血の味が広がるのを感じた。
元陸上自衛隊普通科隊員として、5年のブランクがあろうとも小銃射撃の技術には絶対の自信がある。
しかし、今の相手は音速を優に超える速度で三次元空間を移動するモビルアーマーであり、自分もまたバスターとブリッツの猛攻を回避しながらの、極めて不安定な機動射撃を行わなければならない。
百発百中、いや、一千発撃って一千発命中させることが求められる極限状況で、わずか数センチの照準の狂いすら絶対に許されない。
もし自分の放った一筋のビームが、的を外れ、キラの乗るコックピットブロックを貫いてしまったら。
自分は、一体何のためにこの狂った世界で、血反吐を吐きながら戦っているのか。
「撃てるわけ……ねえだろうが……ッ!!」
ひでは心の底からの絶望の咆哮を上げながら、ゼータプラスのメインカメラをイージスへと向けたまま、ビーム・スマートガンのトリガーにかけた右手の指を、痙攣するように微かに震わせていた。
愛する仲間を救うための武器が、愛する仲間を殺す絶対的な凶器になるという、逃れようのないジレンマ。
アークエンジェルのブリッジでも、マリューとナタルがこの絶望的な状況に言葉を完全に失い、ただモニターに映る悲劇を、コンソールを握りしめたまま硬直して見つめていた。
『ひでさん……撃たないで……! キラが……! キラが死んじゃう……!』
ミリアリアの泣き叫ぶような悲痛な通信が、ひでの心をさらに深く、ズタズタにえぐり取る。
「分かってる! 撃たねえよ! ……クソッ、俺はどうすればいい! 俺みたいな大人が、どうすれば、あの子供一人を救ってやれるって言うんだ!!」
大人としての責任感と、自らの圧倒的な無力さが、ひでの精神を極限まで追い詰め、視界を赤く染めていく。
バスターの容赦のない重砲火がゼータプラスの装甲を削り、見えないブリッツの死の影が再び背後から忍び寄る。
そして、親友の命を絶対の盾にして、冷たい宇宙の闇へと消え去ろうとするイージスガンダム。
アークエンジェルの子供たちにとって絶対的な守護者であったはずのひでは、今、完全に手足を縛られ、底知れない絶望の淵に立たされていた。
戦場は、どこまでも容赦なく残酷な現実を、彼らに突きつけていたのである。