アルテミス要塞のメインハンガーへと繋がる重厚な隔壁を無理やりこじ開けた瞬間ひでたちの顔を焼けるような熱風が容赦なく打ち据えた。
広大なドック内部はすでにブリッツガンダムの破壊工作とザフト艦隊による外部からの砲撃によって完全に火の海と化していた。
至る所で燃料タンクが誘爆しオレンジ色の炎が黒煙と共に天井の高くへと舞い上がっている。
先ほどまでアークエンジェルを拿捕し意気揚々としていたユーラシア軍の守備隊は為す術もなく蹂躙され今はただ逃げ惑うか瓦礫の下敷きになって物言わぬ屍となっているかのどちらかであった。
絶対防御の傘という幻想に守られていた要塞の末路はあまりにも無残で凄惨なものであった。
「なんてこと……ここも完全にやられているわ……!」
マリューが炎の照り返しで赤く染まった顔を手で覆いながら悲痛な声を上げた。
彼女の視線の先には無数のワイヤーと固定アームで拘束されたままのアークエンジェルの白く巨大な艦体が横たわっている。
幸いにして艦そのものに致命的な損傷はないようだが周囲の施設には次々と火の手が迫っておりこのままでは艦ごと炎に飲み込まれるのは時間の問題であった。
「ラミアス大尉!ブリッジへ急ぎましょう!一刻も早く艦のシステムを立ち上げ拘束を解除しなければ!」
ナタルが鋭い声でマリューの背中を押す。
彼女もまた軍人としての冷静さを取り戻し次になすべき行動を的確に把握していた。
「ええ!ムウ大尉も急いで!」
「了解っと、俺はガンバレルの方のシステムをチェックしておくぜ!」
マリューとナタルそしてムウの三人は煙の立ち込めるタラップを駆け上がりアークエンジェルのハッチへと姿を消していった。
ひでもまた奪い取ったアサルトライフルを投げ捨て自らの機体であるゼータプラスが固定されているハンガーの奥へと鋭い視線を向けた。
灰色の流線型を持つその美しい機体は周囲の炎に照らされながらも傷一つなく静かに主の帰還を待っているように見えた。
だがゼータプラスのすぐ隣にはまだフェイズシフト装甲が起動していない鈍色のストライクガンダムが同じように拘束されている。
その周囲の足場にはすでに炎が燃え移り火の粉が機体の装甲に降り注いでいた。
「くそっ、急いで機体を出さなきゃ艦ごと焼かれるぞ!」
ひでは燃え盛る炎と崩落する鉄骨を掻き分けながらゼータプラスのコックピットへと続くタラップをよじ登っていく。
熱気が喉を焼き汗が滝のように全身から噴き出していたが彼の動きに一切の躊躇いはなかった。
「ひでさん!私たちも行きます!」
「すぐ後ろにいますから!」
香取と鹿島もひでの背中を追ってタラップを駆け上がる。
彼女たちの美しい顔も煤で汚れ制服の裾が炎に焦げかけていたがその瞳にはひでへの絶対的な信頼と戦場を生き抜く強靭な意志が宿っていた。
ひでがゼータプラスのコックピットハッチに手を掛けたその時背後から複数の切羽詰まった声が聞こえてきた。
「キラ!駄目だ!お前は艦に乗れ!」
「離して!僕が行かなきゃ駄目なんだ!」
ひでが振り返ると高熱で顔を真っ赤に腫らし足元もおぼつかない状態のキラがサイとトールの静止を振り切りストライクのタラップをよじ登ろうとしていた。
彼の息遣いは荒く今にも倒れそうなほど消耗しきっているのは誰の目にも明らかであった。
だがその紫色の瞳だけは狂気にも似た強烈な光を放ち燃え盛る炎の中で異様なまでの存在感を示している。
「キラ!お前は艦に引っ込んでろ!その体じゃ死ぬぞ!」
ひではゼータプラスのタラップから身を乗り出し怒鳴るように声を張り上げた。
大人としてそして同じ死線を潜り抜けてきた年長者としてこのボロボロになった少年をこれ以上地獄の釜の底へ突き落とすわけにはいかなかったのだ。
「ダメです……!僕が行かなきゃ、みんなが……!」
キラは血を吐くような悲痛な思いを込めて叫び返した。
彼の細い腕がストライクの冷たい装甲にすがりつくように伸びる。
自分は戦いたくない。
人を殺したくなどない。
だが自分がこの機体に乗らなければアークエンジェルは沈み友達は皆死んでしまう。
コーディネイターである自分にしかこの機体は動かせないのだという残酷な事実が十六歳の少年の両肩に地球の重力よりも重くのしかかっていた。
「お前一人に全部を背負わせるつもりはねえ!あとは俺と大人の連中に任せておけ!お前はしっかり休んでろ!」
だがキラは弱々しく首を横に振る。
「違うんです……!ひでさんだけじゃ、あの見えない敵や外にいるザフトの部隊は抑えきれない!ストライクの力が必要なんです!」
キラの言葉は反論の余地がないほどに正しいものであった。
ゼータプラスは極めて優秀な機体でありひでの操縦技術も常人を遥かに凌駕している。
だがアークエンジェルを狙う敵はクルーゼ隊のエースパイロットたちであり一機だけで全てを退けることは不可能に近い。
戦場という冷酷な現実の前では大人の庇護欲など何の役にも立たないのだということをひで自身が一番よく理解していた。
「……くそっ!」
ひでは唇から血が滲むほど強く噛み締め拳をタラップの手すりに叩きつけた。
大人の男としての無力感が彼の胸を激しくかきむしる。
子供を戦場に立たせなければ生き残れないというこの狂った世界に対する激しい怒りが炎となって彼の内側で燃え上がっていた。
「……死ぬなよ、キラ」
ひではついにそれ以上の説得を諦め、ただ一言だけ重く絞り出すように告げた。
「はい……ひでさんも……」
キラは力なく微笑むとフラフラとしながらも確かな足取りでストライクのコックピットへと吸い込まれていった。
その後ろ姿を見送るサイとトールそしてミリアリアやフレイの目には涙が溢れていた。
彼らは自分たちの無力さを呪いながらも友の背中に祈りを捧げることしかできなかった。
「学生たちは早く艦の中に入れ!ハッチが閉まるぞ!」
ひでの鋭い怒号にハッとした学生たちは互いを支え合いながらアークエンジェルの搭乗ゲートへと駆け出していった。
全員の避難が完了したのを見届けたひではゼータプラスのコックピットへと滑り込む。
「香取、鹿島、乗れ!」
「はい!」
「失礼します!」
本来は単座である狭いコックピットに再び三人の大人がひしめき合うようにして乗り込む。
ひでの太腿の上に香取が腰を下ろし背後から鹿島が身を乗り出すようにしてコンソールに手を伸ばした。
二人の女性の柔らかな感触と甘い香りが極度の緊張状態にあるひでの感覚を静かに刺激する。
だが今はそんな感傷に浸っている余裕は一秒たりともなかった。
「システム起動!OSの再ブート急げ!」
ひではメインスイッチを叩き込みながら二人の副官に指示を飛ばす。
「了解しました、ユーラシア軍の外部接続ログを完全消去、独自のプロテクトを再展開します」
香取が洗練された手つきで仮想キーボードを叩き瞬く間にシステムを掌握していく。
「火器管制システムリンク完了、フェイズシフト装甲展開します!」
鹿島の報告と共にゼータプラスの灰色の装甲に高圧の電流が駆け巡り実弾を弾き返す強固な盾へと変貌を遂げた。
機体のメインモニターが立ち上がり炎に包まれたハンガーの惨状が赤裸々に映し出される。
隣のストライクガンダムもまた鈍色の装甲から鮮やかなトリコロールカラーへとその姿を変え力強く立ち上がろうとしていた。
高熱で意識が朦朧としているはずのキラが限界を超えた精神力で強引に機体を起動させたのである。
『ストライク、ゼータプラス、発進急いで!アークエンジェルはこれより要塞を脱出します!』
通信回路からマリューの悲痛なまでの叫び声が響き渡った。
すでにアークエンジェルのメインスラスターには火が入り巨大な艦体がゆっくりと前進を開始しようとしている。
だが艦を固定している無数のワイヤーと巨大な金属アームはユーラシア軍のシステムダウンの影響でロックされたままであった。
「アームが外れてない!このままじゃ艦が引き裂かれるぞ!」
ひでがモニターを見つめながら舌打ちをする。
「ひでさん!ゼータのビームサーベルで物理的にアームを破壊します!」
香取が瞬時に解決策を提示する。
「よし、やるぞ!」
ひでは操縦桿を握りしめスラスターを吹かしてゼータプラスを前進させた。
機体が炎を切り裂きながらアークエンジェルの固定アームへと肉薄する。
ひでは右手のスロットルを押し込みサイドスカートにマウントされたビームサーベルを引き抜いた。
ピンク色に輝く高熱のプラズマの刃が漆黒の宇宙空間を切り裂くように出現する。
「そこだっ!」
ひでの叫びと共にゼータプラスがビームサーベルを一閃させた。
アークエンジェルを拘束していた極太の金属アームがまるでバターのように両断され赤熱した断面から火花が吹き出す。
同時にストライクガンダムもアーマーシュナイダーを引き抜き反対側のアームを次々と切断していく。
二機のガンダムによる連携作業によりアークエンジェルを縛り付けていた全ての鎖が断ち切られた。
『拘束解除確認!アークエンジェル、発進!』
ブリッジにいる操舵手のノイマンの力強い声と共にアークエンジェルのメインスラスターが最大出力で火を吹いた。
凄まじい推進力が巨大な艦体を押し出し崩壊しゆくアルテミスのドックから外宇宙へと向かって猛然と加速を開始する。
「俺たちも出るぞ!振り落とされるなよ!」
ひではゼータプラスの推力を全開にしアークエンジェルの後を追って燃え盛るハンガーから飛び出した。
ストライクもまた背中のスラスターを激しく発光させながらひでに続く。
彼らの背後ではユーラシアの誇った難攻不落の要塞が内部からの圧力に耐えきれず次々と連鎖的な大爆発を起こし崩壊のスピードを速めていた。
光波防御帯はすでに完全に消失しておりかつて絶対防御を誇ったアルテミスは今や無惨な瓦礫の山と化そうとしている。
だが脱出に成功した安堵に浸る暇など彼らには与えられていなかった。
アークエンジェルがアルテミスの残骸を抜け漆黒の宇宙空間へと躍り出たその瞬間彼らの目の前にはさらなる絶望が待ち受けていたのである。
要塞の外宇宙にはアークエンジェルが逃げ出してくるのを今か今かと待ち構えていたザフト軍の追撃部隊が完全に陣形を整えていたのだ。
イザーク・ジュールの搭乗する青きデュエルガンダム。
ディアッカ・エルスマンの搭乗する緑のバスターガンダム。
そして無数のジンがアークエンジェルの行く手を完全に塞ぐようにして立ちはだかっていた。
『出てきたか!今度こそ仕留めてやる!』
通信回路にイザークの狂気に満ちた憎悪の声が響き渡る。
先の戦闘で顔に傷を負わされた彼のプライドはアークエンジェルとストライクを撃墜することだけでしか満たされないのだ。
「来たか……厄介な連中が!」
ひではメインモニターに無数に表示される敵の熱源反応を見つめながら冷たい汗を流した。
自衛隊の演習でもこれほど絶望的な包囲網を敷かれた経験はない。
だが彼は大人の男としてそして二人の女性を護る者として決して諦めるわけにはいかなかった。
「香取、鹿島!索敵を最大に回せ!あの二機のガンダムの射線を絶対にアークエンジェルに向けるな!」
ひでは操縦桿を握り直すと前方に立ちはだかるザフトのモビルスーツ隊に向かってゼータプラスを真っ直ぐに突進させた。
彼の瞳は死の恐怖を完全にねじ伏せただひたすらに生存への血路を切り開くための冷徹なハンターのそれへと変貌していた。
アルテミスの残骸から吐き出されたアークエンジェルを待ち受けていたのはイザーク・ジュール率いるザフトのモビルスーツ隊による無慈悲な弾幕であった。
漆黒の宇宙空間を無数のビームの閃光と実弾の軌跡が網の目のように交錯し逃げ場のない死の檻を形成している。
「出てきたかストライク!今度こそ僕のデュエルが貴様をスクラップにしてやる!」
イザークの狂気に満ちた叫びと共に青きデュエルガンダムが手にしたビームライフルを連射してくる。
その猛烈な殺意は一直線にアークエンジェルの艦橋と先行するゼータプラスへと向けられていた。
「香取!鹿島!回避より突破を優先しろ!艦の射線を切り開くんだ!」
ひでは操縦桿を強く握り締めながら二人の副官に怒鳴るように指示を飛ばした。
ここで立ち止まって応戦すれば鈍重なアークエンジェルは蜂の巣にされるだけである。
「了解しました!前方敵機デュエルの射線を予測、回避パターン展開します!」
香取が仮想キーボードを弾くように叩きシステムに介入していく。
「メインスラスター出力最大!変形シーケンス起動します!」
鹿島がひでの背後から身を乗り出し変形用のスイッチを的確に操作する。
その瞬間ゼータプラスの各部装甲がスライドし機体が折り畳まれるようにして人型から鋭角的な飛行形態であるウェイブライダーへと瞬時に姿を変えた。
「行くぞお前ら!振り落とされるなよ!」
ひでがスロットルを限界まで押し込むとウェイブライダーのメインスラスターが青白い炎を激しく吹き出す。
ゼータプラスはイザークの放ったビームの雨を紙一重で掻い潜りながら恐るべき加速力でデュエルに肉薄した。
「チィッ!なんだあのふざけた変形は!」
イザークが舌打ちをしてデュエルのシールドを構える。
「そこだっ!」
ひではウェイブライダーの機首に装備されたビームスマートガンを放った。
高出力のビームがデュエルのシールドを激しく打ち据えイザークの機体を大きく後方へと弾き飛ばす。
その一瞬の隙を突いてゼータプラスはザフトの包囲網の中央を矢のように突き抜けていった。
「逃がすかよ!こっちには俺のバスターがいるんだぜ!」
ディアッカ・エルスマンの搭乗する緑のバスターガンダムが二門の重火器を連結させアークエンジェルをその照準に捉えた。
超高インパルス長射程狙撃ライフルの砲口に致死量のエネルギーが収束していく。
「やらせるかよっ!」
その時アークエンジェルのカタパルトから射出されたばかりのストライクガンダムがバスターの射線を塞ぐように割り込んだ。
右肩に巨大なアグニを装備し左肩に複合兵装ポッドを備えたランチャーストライクである。
高熱で意識が混濁しているはずのキラ・ヤマトが限界を超えた精神力で放ったアグニの極太のビームが漆黒の宇宙を切り裂いた。
「うおっ!?なんだあの馬鹿げた火力は!」
ディアッカが驚愕の声を上げバスターの姿勢を崩して強引に回避行動を取る。
アグニのビームはバスターの横をすり抜け後方にいた二機のジンを瞬く間に蒸発させた。
「キラ!無理をするな!アークエンジェルの盾になれればそれでいい!」
ひでが通信回路を開いて悲痛な声で呼びかける。
しかしストライクからの返答はない。
モニターに映るキラのバイタルサインは危険水域をとうに超えており彼が今意識を保っていること自体が奇跡のような状態であった。
「……僕が……みんなを……守るんだ……!」
キラは血の混じった唾を吐き出しながら虚ろな目でメインモニターを睨みつけていた。
彼の紫色の瞳には仲間を守るという狂気にも似た悲壮な決意だけが宿っている。
ストライクは再びアグニを構え接近してくるジン部隊に圧倒的な弾幕を浴びせかけた。
『大尉!ストライクの援護をお願いします!』
アークエンジェルの艦橋からマリューの悲痛な声が響く。
「分かってるっての!エンデュミオンの鷹の意地を見せてやるぜ!」
ムウ・ラ・フラガの駆るメビウス・ゼロがガンバレルの有線式オールレンジ攻撃でジン部隊の死角を正確に突き次々と機体を沈めていく。
「ゴットフリート照準!てーっ!」
ナタル・バジルール少尉の鋭い号令と共にアークエンジェルの主砲が火を吹きザフトの巡洋艦を牽制する。
「ひでさん!敵部隊の陣形に綻びが生じました!右舷30度の宙域に脱出ルートが確保できます!」
香取が電探システムによる精密な索敵結果を報告する。
「よし!アークエンジェルに航路データを転送しろ!俺たちが先導する!」
ひでは再びゼータプラスをモビルスーツ形態へと戻しビームライフルを連射しながらアークエンジェルの前方を切り開く。
彼の徹底した生存戦略がこの絶望的な戦場において確実な活路を見出していた。
「逃がすかあああっ!ストライクゥゥゥ!」
怒りに我を忘れたイザークのデュエルがビームサーベルを抜き放ちストライクに向かって猛然と突進してくる。
熱で反応が遅れたストライクがデュエルの凶刃をまともに受けそうになったその瞬間であった。
「させるかっ!」
ひでのゼータプラスがデュエルとストライクの間に割り込みシールドでその一撃を強引に弾き返した。
「貴様ぁ!邪魔をするな!」
イザークが血走った目でゼータプラスを睨みつける。
「頭を冷やせボウヤ!戦争はガキの喧嘩じゃないんだよ!」
ひではデュエルの胴体に強烈な蹴りを叩き込みその反動を利用して距離を取った。
『アークエンジェル、脱出航路に乗りました!ゼータプラス、ストライク、帰投してください!』
ノイマンの力強い報告が入りひでは小さく安堵の息を吐いた。
「キラ!撤退だ!すぐに艦に戻れ!」
ひではストライクの背中を守るように陣取りアークエンジェルの着艦ハッチへと向かう。
イザークとディアッカは追撃を試みようとしたがアルテミスの残骸が次々と爆発を繰り返す危険な宙域に阻まれこれ以上の深追いを断念せざるを得なかった。
「くそぉぉぉっ!また逃がしたというのか!」
イザークの悔しげな叫びが通信のノイズと共に遠ざかっていく。
アークエンジェルは完全に崩壊し光波防御帯が消滅していくアルテミスを背にしてついに激戦の宙域を脱出することに成功した。
絶対防御という驕りに溺れた要塞の残骸だけが暗い宇宙の海に虚しく漂い続けている。
戦闘が終わり再び静寂を取り戻した宇宙空間。
アークエンジェルのハンガーにゼータプラスとストライクが静かに着艦し重厚な隔壁が閉じられた。
艦内に人工的な空気が満たされようやく死の恐怖から解放された安堵の空気が漂い始める。
「……終わったのか」
ゼータプラスのコックピットハッチが開きひでは重い体をタラップへと投げ出した。
極限の緊張感から解放された反動で足から力が抜けそのまま冷たいハンガーの床に膝をついてしまう。
「ひでさん!」
香取と鹿島が慌ててコックピットから飛び降りひでの両脇からしっかりと身体を支えた。
「大丈夫ですかひでさん!どこかお怪我は!」
香取の美しい顔が不安に歪みひでの頬を優しく撫でる。
「しっかりしてくださいひでさん!今すぐ軍医を……!」
鹿島も涙目になりながらひでの厚い胸板に耳を当てて心音を確かめようとする。
「……大丈夫だ、俺はなんともない、ただ少し……疲れただけだ」
ひでは強がって笑おうとしたがその息は荒く全身は脂汗でびっしょりと濡れていた。
三十代の肉体にとって成人三人が密着したコックピットでの極限の戦闘機動は文字通り命を削るような負担であったのだ。
二人の女性の柔らかな胸が両腕に押し当てられているのを感じるが今のひでにはそれを楽しむ余裕すら残されていなかった。
「無理をなさらないでください、ひでさんが倒れてしまったら私たちは……!」
香取がひでの背中に顔を埋めポロポロと涙をこぼす。
常に練習巡洋艦としての毅然とした態度を崩さなかった彼女が初めて見せた年相応の弱い姿であった。
「すまない、心配かけたな……お前たちのサポートがなければ俺はあのデュエルに落とされていたかもしれない、本当に助かった」
ひでは二人の肩を優しく抱き寄せ心からの感謝を伝えた。
この未知の世界で生き残るために彼女たちの存在はすでにひでにとってかけがえのないものとなっていた。
その時隣のハンガーから悲痛な叫び声が上がった。
「キラ!しっかりしろキラ!」
サイとトールがストライクのコックピットから力なく垂れ下がったキラの身体を必死に引きずり出していた。
フレイとミリアリアも駆け寄りキラの名前を泣きながら呼び続けている。
「……キラ」
ひでは香取と鹿島に支えられながらゆっくりと立ち上がりストライクの方へと歩み寄った。
キラは完全に意識を失っておりその顔は紙のように蒼白であった。
鼻からは一筋の血が流れ紫色の瞳は固く閉じられたままである。
限界を遥かに超えた熱病の体でガンダムを操縦し続けた代償はあまりにも大きすぎた。
「ひでさん……キラが……キラが目を覚まさないんです……!」
サイが涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらひでにすがりつく。
「軍医はまだか!早くストレッチャーを持ってこい!」
ひでは駆けつけてきた一般クルーに向かって怒鳴りつけた。
「すぐに医務室へ運びます!皆さんは道をあけてください!」
生き残った数少ない衛生兵がストレッチャーを押しキラの身体を慎重に乗せていく。
酸素マスクが当てられ応急処置が施されながらキラは慌ただしく医務室へと運ばれていった。
残された学生たちは血の付いた手を震わせながら互いを抱きしめ合いすすり泣いている。
(……俺は、あいつにまた戦わせてしまった……)
ひでは遠ざかっていくキラの姿を重く暗い視線で見送っていた。
大人の男として自分がもっと強ければあの少年を地獄の業火の中に突き落とさずに済んだはずなのだ。
民間人の子供に殺し合いを強要しなければ生き残れないこのアークエンジェルという艦の異常性。
そして大人たちの醜い欲望に翻弄され使い潰されていく少年の悲劇。
ひでの胸の奥で激しい怒りと自責の念が黒い炎となって渦巻いていた。
「ひでさん……自分を責めないでください、あの状況ではあれが最善だったんです」
香取がひでの心情を察しそっと背中に手を添える。
「キラ君もひでさんが守ってくれたことをちゃんと分かっています、だからあんなに頑張れたんですよ」
鹿島もひでの腕を優しく包み込み慰めの言葉をかける。
彼女たちの温もりだけが今のひでにとって唯一の救いであった。
「……分かってる、だがこれが正しいことだなんて絶対に思えない」
ひでは固く握りしめた拳を見つめた。
自衛隊で国を守るための訓練を積んできた彼にとって子供を盾にして生き残るような真似は決して受け入れられるものではなかった。
だが今は立ち止まっている暇はない。
しっかり食ってしっかり寝て次の戦闘に備えなければまた同じ悲劇が繰り返されるだけだ。
「行くぞお前ら、まずは身体を休めるんだ、生き残るためにはそれが一番の仕事だからな」
ひでは自らに言い聞かせるように呟き香取と鹿島を伴ってハンガーを後にした。
彼の背中は先ほどまでの戦闘の覇気は消え失せ疲労と重い責任感に押し潰されそうに見えた。
組織の理不尽と戦争の現実。
大人の男としての責任感と過酷な状況の中で芽生え始めた仲間たちとの確かな絆。
絶対防御の要塞を失い味方からも見放された傷だらけのアークエンジェルはあてのない暗黒の宇宙の海を再び彷徨い始めるのだった。
次なる安息の地を目指して彼らの果てしない逃避行はまだ始まったばかりである。