第1章【猟犬の急襲】
宇宙の果てしなく続く漆黒の闇に包まれた、地球連合軍の強襲機動特装艦アークエンジェル。
その艦内に設けられた人工的な照明に照らされた食堂には、これまでの死闘の連続からは想像もつかないほど、穏やかで明るい空気が満ちていた。
ヘリオポリス崩壊から休む間もなく続いた、ザフト軍による容赦のない追撃と、死と隣り合わせの極限状態。
その耐え難い重圧から、ようやく解放されるかもしれないという淡い期待が、クルー達や逃げ遅れた民間人の少年少女たちの表情に、微かな安堵の色として浮かび上がっていたのだ。
宇宙空間を孤立無援のまま逃げ続けてきたこの手負いの艦にとって、地球連合軍第八艦隊の先遣隊との合流は、絶望の淵に差し込んだ一筋の光明そのものだった。
食堂の片隅のテーブルでは、私服姿の若者たちに混ざって、一人だけ年齢の離れた男が黙々と食事を進めていた。
現在暫定的に少尉の階級を与えられている「ひで」である。
彼は配給された無味乾燥な軍用レーションを、まるで作業をこなすかのように淡々と胃に流し込んでいた。
「ひでさん、これ、僕の分のお肉、少し食べませんか?」
ひでの向かいの席に座っていたキラ・ヤマトが、自分のトレイに乗っていた貴重なタンパク源を差し出しながら声をかけた。
線の細い少年である彼には、支給された食事の量が少し多すぎたのかもしれない。
あるいは、常に最前線で命を張ってくれている年長者への、彼なりの気遣いだった。
「おいおい、これから育ち盛りの十代のガキが、貴重な肉を年長者に譲ってどうするんだ」
ひでは口の端に苦笑いを浮かべながら、キラの申し出を軽く手で制した。
彼の前には、自衛隊時代のミリメシに比べれば栄養価は考えられているものの、味気なさではどっこいどっこいの食事が並んでいる。
ひではスプーンに山盛りにした食事を一口で大きく頬張り、しっかりと咀嚼してから言葉を続けた。
「しっかり食って、しっかり寝る、それが生きる秘訣だ」
「生きる秘訣、ですか」
「そうだ」
ひではスプーンを置き、真剣な眼差しでキラを見据えた。
「いいか、戦場じゃ、いつ安全に休めるか、いつ温かい飯が食えるかなんて誰にも分からない。食える状況がある時に限界まで胃袋に詰め込んで、目を閉じられる安全な場所がある時に一秒でも多く眠る。それが、極限状態を生き残るための最低条件なんだ。お前はただでさえストライクという化け物に乗って、信じられない速度で神経をすり減らしてるんだ。栄養は全部、自分の体を維持するために使え」
「……はい、ありがとうございます」
キラはひでの言葉の重みを受け止め、少しだけ照れくさそうに笑いながら、自分のトレイの肉を口に運んだ。
その隣のテーブルでは、トールやサイ、カズイといったヘリオポリスの学生たちが、ようやく地球へ降りられるかもしれないという希望に満ちた話題で持ちきりになっていた。
「第八艦隊の先遣隊と無事に合流できれば、俺たちは軍から降りられるんだよな?」
カズイが期待と不安が入り交じった、少し上ずった声で尋ねる。
「ああ、マリュー艦長もそう言ってたよな。フレイなんて、もうお父さんに会えるって大騒ぎしてるしさ」
トールが肩をすくめながら、少し離れた席に視線を向けた。
実際、食堂の中央付近の席では、フレイ・アルスターがミリアリアを相手に、いかに自分の父親であるジョージ・アルスター外務次官が自分を助けに来てくれるかについて、身振り手振りを交えながら興奮気味に語っていた。
「お父様ったら、きっと第八艦隊のハルバートン提督に無理を言って、私を特別に迎えに来てくれたのよ!これでやっと、こんな狭くて怖い船から降りられるわ!」
フレイの甲高い声が、少し浮かれた食堂の空気に響き渡る。
その整った顔立ちには、戦争の残酷な現実をまだどこか理解しきれていない、無邪気なまでの歓喜が浮かんでいた。
彼女にとって、この戦争は運悪く巻き込まれた事故であり、父親という絶対的な庇護者が現れれば、すぐに元の平和なお嬢様生活に戻れると信じて疑っていないようだった。
ひでは紙コップに入ったインスタントのコーヒーをすすりながら、そんな彼女の姿を静かに見つめていた。
平和な世界から突然戦場という異常空間に放り込まれれば、ああやって現実逃避するか、誰か強大な力を持つ存在にすがるしかないよなと、ひでは心中で独りごちた。
元社会人としての冷徹な思考が、彼女の精神状態を的確に分析する。
ひで自身もまた、平和な現代日本から突然このコズミック・イラという血生臭い世界に転移してきた身だ。
突然の異常事態に適応できない人間の弱さは、痛いほど理解できた。
だが同時に、ひでの胸の奥底には、どうしても拭い去れない一抹の不安が、冷たい泥のように渦巻いていた。
あまりにも、全てが順調すぎるのだ。
難攻不落と思われた軍事要塞アルテミスでのギリギリの逃走劇、身を隠す場所もないデブリ帯での死闘、そして度重なるザフトの精鋭部隊による執拗な追撃。
それらを薄氷を踏むような思いで振り切って、ようやく第八艦隊の先遣隊との合流宙域に到達することができた。
だが、あのラウ・ル・クルーゼという正体不明の仮面の男が、こんなあっさりと自分たちという絶好の獲物を逃がすだろうか。
ひでがこれまでの戦闘で肌で感じてきたクルーゼの部隊指揮は、執拗で、狡猾で、そして何より獲物が絶望する様をいたぶるように楽しむ残忍さを孕んでいた。
獲物が一番安心し、警戒を解いた瞬間。
それこそが、熟練の狩人にとって最高の狙い目であるはずだ。
「……嫌な予感がするな」
ひでは紙コップを見つめたまま、誰に聞こえるでもなく小さく呟いた。
「ひでさん、何か言いましたか?」
隣に座っていたキラが、ひでのただならぬ気配を察して不思議そうに顔を覗き込んでくる。
「いや、何でもない。ただの、昔の職業病みたいなもんだ」
ひでは努めて平静を装い、残りのコーヒーを一気に飲み干して立ち上がった。
「俺は少し格納庫に行ってくる。ゼータプラスの調整状況と、武装の残弾を自分の目で確認しておきたいからな」
「あ、はい。僕も少し休んだら、後でストライクのOSの再調整に行きます」
キラの言葉に小さく頷き、ひでは食堂を後にした。
金属の壁に囲まれた無機質な廊下を歩く彼の足取りは、いつの間にか自衛官時代、演習場で索敵を行う時のそれに完全に戻っていた。
周囲の空気の僅かな変化、機械の微小な振動の乱れを感じ取ろうと、全身の感覚を研ぎ澄ませる。
一方、アークエンジェルの心臓部であるブリッジでは、マリュー・ラミアス艦長とナタル・バジルール少尉が、メインスクリーンに映し出されるレーダーの光点を食い入るように見つめていた。
「本艦の進路上に艦影三。
識別信号、友軍機と一致しました。
第八艦隊先遣隊、モントゴメリ、バーナード、ローと確認」
ブリッジのオペレーター席に座る香取が、凛とした、しかしどこか弾んだ声で報告する。
艦隊これくしょんの世界から転移してきた彼女は、本来教練巡洋艦としての記憶と誇りを持っているが、今はアークエンジェルの優秀なブリッジクルーとして、そしてひでの副官として、完全にその役割を全うしていた。
彼女の隣の席では、同じく転移者である鹿島が、素早い手つきでコンソールのキーを叩き、合流のための暗号通信回線を開いていた。
「暗号通信回線、開きます。
モントゴメリより入電」
鹿島の澄んだ声に続いて、ブリッジのメインスピーカーから、宇宙空間特有のノイズ混じりの音声が流れ出た。
『こちら、地球連合軍第八艦隊先遣隊、駆逐艦モントゴメリ。
アークエンジェルの無事を確認した。
これより本隊との合流地点まで、我が艦隊が貴艦の護衛任務に就く』
その力強い言葉を聞いた瞬間、緊張で張り詰めていたブリッジ内にいたクルーたちの間に、大きな安堵の吐息が広がった。
「やっと……やっと味方の艦隊と合流できたのね」
マリューが、長らく張っていた気丈な艦長としての仮面を少しだけ外し、緊張の糸が切れたように深く息を吐き出す。
彼女の美しい表情には、これまでの激務と、民間人を抱えながらの逃避行という重圧から解放された安堵の色が濃く滲んでいた。
生真面目で軍規に厳しいナタルもまた、今回ばかりはわずかに表情を和らげ、マリューに向かって頷いた。
「ええ。
これで少しは一息つけます。
艦長、先遣隊の艦長たちに、民間人の早期移乗について至急打診しましょう。
本艦はあくまで軍艦です。
これ以上、戦闘訓練を受けていない民間人を乗せておくのは危険すぎます」
「そうね。
彼らもこれ以上の無理は……」
マリューがナタルの意見に同意し、言葉を続けようとした、まさにその時だった。
『――ッ!!艦長!』
突如として、香取の悲痛な叫び声がブリッジの空気を鋭く切り裂いた。
「どうしたの、香取准尉!?」
マリューが弾かれたように香取の席へ向き直り、艦長としての険しい表情を取り戻す。
「後方より急速接近する複数の巨大な熱源を探知!距離、三万!信じられないスピードです!」
香取の顔面は蒼白になり、レーダーコンソールを見つめる瞳は恐怖で大きく見開かれていた。
先程までの温かい安堵の空気は、一瞬にして凍りつき、絶対零度の絶望の冷気へと変わった。
「馬鹿な……!後方警戒のセンサー網には、これまで何の反応も引っかからなかったはずだぞ!」
ナタルが信じられないといった様子で、香取の背後からコンソールを覗き込んで叫ぶ。
「熱源のパターン解析完了!これは……!」
今度は鹿島が、震える声を必死に押し殺しながら報告を上げた。
「ザフトのモビルスーツ部隊です!ジンが多数……それに、この特有の駆動音と熱源シグネチャは……ヘリオポリスで奪取された、G兵器の四機です!」
その絶望的な報告は、アークエンジェルのクルーたちにとって、即座の死刑宣告に等しいものだった。
イザーク・ジュールの乗る、汎用性の高いデュエル。
ディアッカ・エルスマンの乗る、遠距離砲撃に特化したバスター。
ニコル・アマルフィの乗る、ミラージュコロイドによるステルス機能を持つブリッツ。
そして、アスラン・ザラの乗る、可変機動と強力な火力を誇るイージス。
味方のストライクと同等、あるいは各分野においてはそれ以上の性能を持つ四機のガンダムが、ジン部隊を引き連れて、完全にアークエンジェルを捕捉したのだ。
「そんな……!なぜ、なぜこの合流のタイミングで……!」
マリューは血の気が引いた唇を強く噛み締め、メインスクリーンに映し出された無数の敵機の光点を見つめた。
クルーゼ隊は、アークエンジェルが単独で警戒を強めながら航行している間は手を出さず、わざわざ味方の先遣隊と合流するこの瞬間を、まるで毒蛇のように狙い澄ましていたのだ。
油断。
安堵。
そして、ついに助かったという希望。
それらが最高潮に膨らんだ瞬間を狙って、全てを根こそぎ叩き潰す。
それこそが、ラウ・ル・クルーゼという男の、狂気を孕んだ冷酷な戦術だった。
「総員、第一種戦闘配置!本艦はこれより、敵モビルスーツ部隊の迎撃行動に移ります!」
ナタルの鋭く、一切の妥協を許さない号令がブリッジに響き渡り、真っ赤な緊急警報のランプが激しく点滅を始めた。
その耳を劈くサイレンの音は、食堂で歓喜に沸いていた民間人たちの耳にも、容赦なく無情に届いた。
「え……?な、何?この音……」
フレイが、満面の笑みのまま持っていたジュースのグラスを床に落とした。
ガチャン、という鈍い音と共にガラスが砕け散り、赤い液体がまるで血のように床に広がっていく。
「警報……戦闘配置のサイレンだ!」
トールが血相を変えて立ち上がり、周囲の友人たちに呼びかける。
「嘘……嘘でしょ!?やっと、やっと味方と合流できたのに!」
ミリアリアが両手で顔を覆い、カズイは恐怖のあまりその場に力なくへたり込んだ。
格納庫へと急いでいたひでは、廊下の途中でその忌まわしい警報を聞いた。
「チッ……!やはり来やがったか!」
ひでは強く舌打ちをし、鍛え上げられた足腰の筋肉をフルに使って、全力で格納庫へと走り出した。
彼の脳裏には、先程ブリッジのスクリーンに映っていたであろう、先遣隊の艦影が鮮明に浮かんでいた。
モントゴメリ、バーナード、ロー。
いずれも旧式のドレイク級護衛艦やネルソン級宇宙戦艦だ。
モビルスーツを一切搭載しておらず、旧態依然とした艦対艦の砲撃戦を前提とした設計の彼らに、最新鋭のG兵器四機と、機動力に優れるジン部隊の連携攻撃を凌ぎ切る力など、万に一つもない。
(マズいぞ、奴らの狙いは俺たちアークエンジェルじゃない)
機動力がなく、防空能力の低い先遣隊の連中こそが、最初の標的なのだ。
ひでは廊下を疾走しながら、瞬時に現在の絶望的な戦況を分析していた。
アークエンジェルを護衛するはずの先遣隊を先に血祭りに上げ、アークエンジェルのクルーたちに絶望的な精神的ダメージを与え、完全に孤立させる。
なんて悪趣味な戦術だ、完全にこちらの心理の裏をかき、一番痛いところを突いてきていると、ひではギリッと奥歯を噛み締めた。
自動ドアをこじ開けるようにして格納庫に飛び込むと、すでにマードック曹長たちが、怒号を交わしながら慌ただしく迎撃の準備を進めていた。
「曹長!ゼータプラスの状況はどうなっている!?」
ひではゼータプラスの足元に駆け寄り、整備班に指示を出しているマードックに向かって怒鳴った。
「少尉!出撃準備はできてますが、敵はあのGが四機ですぜ!いくらあんたの腕でも、今回は数が……」
マードックの顔には、隠しきれない焦燥と、死への恐怖がくっきりと浮かんでいた。
「四の五の言ってる暇はない!坊主のストライクもすぐに出せるようにしておけ!俺が先に出て、少しでも敵の注意を引く!」
ひではマードックの言葉を強引に遮り、単座式のゼータプラスのコックピットへと素早くよじ登った。
ハッチを閉め、ヘルメットのバイザーを勢いよく下ろす。
メインモニターに電源が入り、各種計器類が一斉に緑色の光を放ち始めた。
『ひで少尉、聞こえますか!』
通信回線に、ブリッジにいる香取の、必死に感情を抑え込んだ切迫した声が入った。
「聞こえている。状況は?」
『敵機、すでにモントゴメリの防空圏内に侵入!ジンが先行して散開し、その後方からG四機が連携して展開しています!先遣隊の対空砲火では、全く弾幕が張れていません!』
「了解した。これよりゼータプラス、出撃する。坊主のバックアップを急がせろ!」
ひでは操縦桿を強く握りしめ、機体をリニアカタパルトへと進めた。
「ひで、ゼータプラス、出るぞ!」
リニアカタパルトの強力なGが、ひでの体を容赦なくシートに押し付け、白銀に輝く機体が漆黒の宇宙空間へと射出された。
アークエンジェルのハッチを抜けた瞬間、ひでの視界に飛び込んできたのは、無数のビームの閃光と、オレンジ色に輝く爆発の光だった。
暗黒の宇宙を背景に、先遣隊の艦艇が必死に迎撃の対空砲火を打ち上げているが、ジンやG兵器の圧倒的な三次元機動の前には、まるで児戯に等しかった。
「くそっ……!まるで一方的な狩りじゃないか!」
ひではゼータプラスの背部スラスターを全開にし、戦場の中心へと機体を急加速させた。
漆黒の宇宙空間に、幾筋もの高エネルギーの閃光が交錯する。
ひでが操る白銀のゼータプラスは、背部のメインスラスターから蒼白い炎を猛烈な勢いで噴き上げながら、防戦一方となっている先遣隊の旗艦モントゴメリの防空圏へと急行していた。
機体の各所に設けられた姿勢制御用の小型バーニアを細かく、そして正確に吹かし、無数に飛来する敵のビームの直撃コースを香取の分析を頼りにしながら紙一重で回避していく。
ここは遮蔽物となる木々も起伏のある大地もない、上下左右の概念すら存在しない絶対的な虚無の空間である。
身を隠す場所などどこにもなく、ただ圧倒的な機動力と火力だけが生存確率を左右する残酷な戦場だった。
「香取!鹿島!敵機の予測進路と火器のチャージ状況を回せ!」
ひではヘルメットの奥で鋭く叫びながら、操縦桿のトリガーを絞った。
ゼータプラスの右腕に懸架された高エネルギービームライフルが火を噴き、先行してモントゴメリに肉薄しようとしていた緑色の装甲を持つジンの一機に迫る。
しかし、ジンに搭乗しているザフトのパイロットも歴戦の猛者であるのか、推進剤を贅沢に使ったスピン機動でその一撃を容易に回避してみせた。
『了解しました!ひで少尉、左舷後方より新たな高熱源が急速接近しています!デュエルとバスターです!』
アークエンジェルのブリッジから、香取の緊迫した声が通信回路を通じてコックピットに響き渡る。
教練巡洋艦としての誇りを持つ彼女の声には、恐怖を押し殺し、副官としての務めを完璧に果たそうとする強い意志が宿っていた。
『敵のジン部隊が扇状に展開、先遣隊の対空砲火の死角を突こうとしています!その後方から、長距離砲撃の照準が……!』
鹿島の悲痛な報告がそれに続く。電子戦と索敵を担う彼女の迅速なデータリンクが、ひでの視界にあるメインモニター上に、敵機の射線軸を赤い予測ラインとして鮮明に描き出した。
「連携が取れすぎている……!完全に狩りの陣形だぞ、これは!」
ひでは操縦桿を限界まで倒し込み、強烈なGに全身の血液が偏るのを感じながら、ゼータプラスの機体を急反転させた。
モントゴメリの推進器を守る盾となるべく、その巨大な艦体の後方へと自らを滑り込ませる。
直後、遠方に陣取ったディアッカ・エルスマンの駆るバスターガンダムから放たれた超高インパルスの極太のビームが、宇宙の闇を切り裂いて襲いかかってきた。
「くっ……重装甲の砲撃機が、後方からチクチクと狙撃してくるなんて反則だろうが!」
ひではシールドを構えながら、姿勢制御バーニアを全開にしてビームの直撃軌道から機体をわずかにずらした。
ビームはゼータプラスのシールドの表面を掠め、装甲の一部をドロドロに溶かしながら後方へと飛び去っていく。
もしこの通信や索敵の支援が香取と鹿島からのものでなかったら、今のタイミングで完全に撃ち抜かれていたと、ひでは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
だが、息をつく暇など与えられない。
バスターの砲撃の死角から、今度はイザーク・ジュールの駆るデュエルガンダムが、ビームライフルを連射しながら猛然と距離を詰めてきたのだ。
「遅いぞ、地球軍!その程度の機動で、この俺を止められると思っているのか!」
イザークの傲慢で自信に満ちた声が、接触回線を通じてひでの耳に飛び込んでくる。
「ガキが、粋がるなッ!」
ひでも即座にビームライフルで応戦し、互いのビームが宇宙空間で激しく交錯する。
デュエルは汎用機でありながら、その基本スペックは機動力重視のゼータプラスを凌駕している。
正面からの撃ち合いでは、徐々にひでの機体が押し込まれ始めていた。
『ひで少尉、無理はしないでください!敵機の出力が本機を上回っています!』
鹿島の焦燥に駆られた声が通信に割り込む。
「分かってる!索敵を継続しろ、ブリッツとイージスの動きから絶対に目を離すな!」
ひでは機体のスラスターを逆噴射させ、デュエルの射線から逃れるように大きく跳躍した。
距離を取ったゼータプラスに対し、イザークは舌打ちをして再び距離を詰めようとする。
それを牽制しながら、ひでは自衛官としてのシビアな目で戦場全体を俯瞰した。
絶望的だ。
これが、ひでが下した現在の戦況に対する偽らざる評価であった。
護衛対象であるモントゴメリ、バーナード、ローの三隻の先遣隊は、完全にザフトのモビルスーツ部隊に取り囲まれていた。
機動力に劣る艦船では、三次元的な全方位攻撃を仕掛けてくるジン部隊に対空砲火を当てることすら困難を極めている。
そこに加えて、ヘリオポリスで奪取されたG兵器四機という、戦術レベルを根底から覆す化け物たちが連携して動いているのだ。
もちろん、アークエンジェルの戦力も手をこまねいているわけではない。
『フラガ大尉のメビウス・ゼロ、アークエンジェル防衛ラインから押し出し、先遣隊の援護に入っています!』
香取の報告と共に、有線式ガンバレルを四方に展開したメビウス・ゼロが、ジン部隊の側面に食らいついているのがモニターの端に映った。
「エンデュミオンの鷹」の異名をとるムウ・ラ・フラガの驚異的な空間認識能力によるオールレンジ攻撃は、的確にジンの機動を削いでいる。
だが、エースパイロットである彼一人をもってしても、この絶望的な数の暴力とG兵器の連携を完全に食い止めることは不可能だった。
「クソッ、大尉一人じゃジンの相手だけで手一杯か……!」
ひでは舌打ちをし、ゼータプラスのセンサーを最大出力にして周囲を警戒する。
『マズいです、ひで少尉!敵のジン部隊の一部が、先遣隊の防空網の薄い宙域へ回り込もうとしています!』
ブリッジの鹿島から、悲鳴にも似た報告が飛び込んできた。
アークエンジェルもまた、主砲のゴットフリートや副砲のバリアント、対空防御機関砲イーゲルシュテルンを総動員して弾幕を張っている。
マリュー・ラミアス艦長の的確な指示と、ナタル・バジルール少尉の無駄のない火器管制によって、アークエンジェル自体の防衛は機能していた。
しかし、その火力をもってしても、四方八方に散開した敵機から旧式の先遣隊を守り切ることは物理的に不可能だったのだ。
「ええい、歩兵の教本通りなら、まずは足を止めている重火器から潰すのが定石だが……!」
ひでは視線を巡らせ、後方から正確な狙撃でモントゴメリの防空兵装を削り取ろうとしているバスターに目標を定めた。
「香取!鹿島!ジン部隊の牽制はアークエンジェルと大尉に任せる!俺はバスターの射線を潰す、座標の同期を頼む!」
ひでの指示に対し、二人の副官は即座に応じた。
『座標同期完了!タイミングを合わせます!』
『射線予測、メインモニターにオーバーレイ表示しました!』
二人の優秀なサポートを受け、ひではゼータプラスの推進器を最大出力で噴射させた。
機体は激しいGで軋み、ひでの内臓が押し潰されそうになる。
だが彼はその苦痛に耐え、バスターの死角を突くように猛スピードで突進した。
「なにッ!?」
突然の急接近に、ディアッカが驚愕の声を上げる。
ひではすれ違いざまにビームライフルを連射し、バスターの砲身を強制的に逸らすことに成功した。
しかし、それはあくまで一時的な時間稼ぎに過ぎなかった。
ゼータプラスがバスターの注意を引いている間に、デュエルがモントゴメリへと肉薄しようと加速する。
「させんッ!」
ひでは即座に機体を反転させ、デュエルの進路上に立ち塞がった。
「地球軍の雑魚が、ちょこまかと鬱陶しいんだよ!」
イザークが怒りに任せてビームサーベルを振り下ろす。
ひではそれをシールドで受け流し、至近距離からバルカン砲を浴びせた。
牽制の銃弾がデュエルのPS装甲に弾かれ、火花を散らす。
「チッ、やはり実弾じゃ足止めにしかならんか……!」
ひでは再び後方に跳躍し、デュエルとの距離を取った。
その時、ゼータプラスの背後から、音もなく黒い機体が忍び寄ってきた。
「あなたの相手は僕です。これ以上、邪魔はさせません」
ニコル・アマルフィの冷静な声と共に、ミラージュコロイドを解除したブリッツガンダムが、右腕の攻盾システム「トリケロス」からランサーダートを射出してきた。
「しまっ……!」
ひでは機体をロールさせながらランサーダートを辛うじて躱すが、
その隙を突いてデュエルとバスターが再びフォーメーションを組み直し、モントゴメリへの攻撃態勢に入ろうとしていた。
自衛隊時代、いかに不利な状況下でも「生き残るための最善の手」を打つことを徹底されてきたひでだったが、この時ばかりは己の無力さを痛感せざるを得なかった。
戦術の妙などというものは、相手との戦力差がある一定のラインに収まっている時にのみ成立する幻想に過ぎない。今のこの状況は、圧倒的なスペックを誇る四匹の狼と多数の猟犬が、身を守る術を持たない羊の群れを蹂躙しているだけの、ただの残酷な殺戮ショーの前触れであった。
『ひで少尉!このままではモントゴメリが持ちません!』
香取の絶望に染まった声が、現実の残酷さを突きつけてくる。
「くそったれが……!なんて胸糞の悪い狩りをしやがるんだ、ラウ・ル・クルーゼ!」
ひでは操縦桿を握り潰さんばかりの力で握り締め、己の非力さを呪いながら、なおも諦めずにゼータプラスのトリガーを引き続けた。先遣隊の運命は、文字通り風前の灯火となっていた。